平日十二時間、休日四十八時間の生活

刀綱一實

第1話

 出社の瞬間から帰りたい。これって、現代日本の社会人の常識だと思う。一日憂鬱な気分で仕事をして、ようやく開放されたらもう夜で。後は適当にちょっと遊んで風呂に入ったらもう寝るだけ。寝てしまったら、また憂鬱な朝がやってくるのだ。


 私も数年前までは、そんな生活をしていた。今は、完全にその頸木から解放されていて、快適で仕方無い。どうしてそうなったかって?


 意識を変えて、仕事にやる気を出してみた。そんなことができたら苦労しない。


 配置転換をして別の部署にうつった。うちは中小企業なので、移動できるオフィスなど他にない。


 仕事をやめてひきこもった。一番実現しやすいが、この方法ではない。


 私は魔法のような装置を手に入れたのだ。この腕時計状の装置の電源を入れ、経過させたい時間数を入力すると……本当に、時間が進んでいる。六時間なら六時間、八時間なら八時間。分単位まで自由自在だ。


 そしてもう一つ素晴らしいのが、時間を「貯金」できること。そう、経過させた時間は装置の中にたまっていき、他の時──例えば休日に使うことが出来る。つまり、平日は一日十二時間、休日は一日四十八時間という夢のようなことができるのだ。


 しかし、そんなことをしたら周囲と時間がずれていってしまうのでは? と疑問視する声もあるだろう。私も最初はそう思っていたが、深刻なずれは生じなかった。おそらく、実際に時間をねじ曲げているわけではなく、私の意識を捜査しているだけのようだ。


 仕事で過ごす八時間と休日で過ごす八時間の印象が全く異なるように、この装置は私が「いらない」と感じた時間の意識を短くし、「重要だ」と感じた時間の意識を長く保つようにしてくれるらしい。


 その証拠に、飛ばしたはずの時間でやっていたはずの仕事はできている。ただし、適当にこなしているのでミスもあるし、新しいことを付加できたりはしない。まあでも私は下っ端だし、ミスをしたといっても人が死ぬわけじゃないから、別にどうってことはない。


 というわけで、私は快適な生活を享受している。ニートではないので社会的な体面も保てるし、給料が入るからやりくりにも困らない。まさに理想の生活だった。


 ……なのに。


「あれ?」


 装置の様子がおかしいことに気付いたのは、ある金曜日の朝のことだった。時計の画面に、ある表示が浮かんでいたのだ。


『あと百回』


 恐怖の声が口からもれた。


 どちらが百回なのか? 貯めが百回なのか、開放が百回なのか。それを試すために、怖かったが金曜は普通に貯めて、土曜日に開放してみた。


 結果、残り回数は九十八になった。どうやら、貯めるのも使うのも一回とカウントされるようだ。


 毎日使ったとしたら、あと三ヶ月。三ヶ月と少しで、この理想的に楽な人生が終わってしまう。後はひたすら、嫌な仕事と上司に耐えるだけの生活を何十年……それを考えるだけで目眩がした。


 使う日と使わない日を交互にして、できるだけ使用日数を長くもたせる作戦をやってみた。しかしやはり使わなかった日が辛すぎた。毎日楽をしていると、そうなるのが当たり前だと思ってしまう。


 どこか、データをリセットするボタンのようなものがないかも探してみた。しかし時計にはもともと電源と、貯める・放出するボタンの3つしかない。貯める・放出は気楽に押せないため、唯一残った電源を長押ししたり、何度か連続で押してみた。これでも、残り回数に変化はない。


 ならば、装置を作った人間に聞いてみるしかない。……しかしこの装置、ある朝ふと部屋の隅に落ちていたものだ。どこからどうやって持ち帰ったかも、見当がつかない。


 やはり、終わりが来ると思って諦めるしかないのだろうか。そう思っていたある日、私の目は同僚の腕に吸い寄せられた。いつもぼんやりしていると思っていた男の同僚の右腕に、同じ装置がはまっているのだ。


 見れば見るほどそっくりだ。よく似た時計なんかじゃない。なるほど、彼がぼーっとしているのも、元々の性格ではなく装置のせいだったのか。そう思うと納得がいった。


「あれ? 時計変えました?」

「あ、ああ。そうなんだ」


 自分の装置を隠し、慎重に彼に近づく。すぐに隠されてしまったが、画面表示も私のものと全く同じだった。──そして重要なこと。彼の装置には、残り回数が表示されていなかった。


 あれを奪ってしまえば、私の装置の寿命が尽きても、今の生活を続けられる。私の中で、覚悟が決まった。


 その日から、会社帰りに彼を積極的に飲みに誘うようになった。私とてものすごくモテる顔立ちではないが、相手に女っ気は全くない。一週間もすれば、相手が嬉しそうに乗ってくるようになった。


 会社でひそひそと噂されているのは分かっていた。あんな人がいいのかとバカにしてくる後輩もいる。しかし、装置さえ使えれば会社の噂など私の耳には入ってこなくなるのだ。今だけだと思えば、聞き流すのは簡単だった。


 そしてついに、彼の家でデートすることになった。さりげなく話を誘導して宅飲みに持ち込む。当日、私はたっぷりとアルコールを持ち込み、自作の料理をつまみに次々と彼に飲ませた。


 全く私を疑っていなかった彼はそれを飲み干し、やがて炬燵の上で軽いいびきをかき始める。私はそれを確認し、そろそろと近付いていった。腕の装置の留め具を外して回収すれば、今日の目的は達成──


「……やっぱりな。そんなことじゃないかと思ってたよ」


 急に冷めた声が聞こえてきた。装置に夢中になっていた私は、それへの対応が一瞬遅れる。その間に腕をつかまれ、床に乱暴に押し倒された。


「お前も持ってたんだな。同じ装置を」

「……そうよ」

「んで、残り回数が表示されたってわけだな。『あと百回』って」


 私は驚愕した。私に少し遅れてはいたものの、彼にも同じ表示が出ていたのだ。それなら──私の意図に気付かれたのにも納得がいく。


「最初はなんで同じ物を持ってるのに、俺にすり寄ってくるのか理解できなかった。たが、この回数表示を見て納得がいったよ。誰だって、一日でも長く楽に暮らしたいからな」


 私の視線と、彼の視線が空中でぶつかった。そしてお互い、譲るつもりがないことを悟る。


「……大人しく装置のありかを言えば、命は助けてやる」

「嫌に決まってるでしょ。あんただけいい目にあうなんて許さない」

「じゃあ、しょうがないな。自分で決めたんだから、大人しく死ね」


 彼の手が私の首にかかる。酸素が遮断されていき、呼吸が苦しくなって目の前の景色がちかちかしてきた。しかし私の左手は、炬燵布団の中である物を見つけていた。


「ぐっ!」


 意識を完全に失う前に、私は布団の中に隠してあっためん棒で相手の横腹を突く。いざという時に備えて、隠しておいて正解だった。


 あまり強い力ではなかったが、相手の平静を失わせるには十分だった。相手がひるんだ隙に起き上がり、私は台所に駆け込んで包丁をつかむ。


「……形勢逆転ね。死にたくなかったら、あんたの装置を渡しなさい」


 しかしそこまで言って、彼の様子がおかしいことに気付く。完全に目が据わっていて、まるで獣のようだ。そしてその直後、包丁を掲げた私に向かって全力でつっこんできた。


 間違いなく、包丁は彼の腹に突き刺さった。しかし怒りとアルコールで我を忘れた人間の手が、ぎりぎりと私の首を絞めてくる。


 早く死ね。早く死んでくれ。


 その時お互いの脳裏を埋めていたのは、きっとその思いだけだっただろう。




 装置に仕込んだカメラの映像を見ながら、俺はため息をついた。


「おお、二人とも死んじゃったよ。どっちかは生き残ると思ったけど、思ったより派手なことになったな」


 そう言って俺はロボットを見やる。猫の姿をしたロボットは、冷ややかな視線をこちらに向けた。彼女には高度な人工知能が組み込まれており、ロボットといえども主人に盲従はしない。


「ほんっと趣味が悪いわよね、技術者としてのあんたは」

「そう言うなよ。過去の世界じゃ、俺の力を振るう場所がなくて退屈してるんだ」


 俺は未来から来た技術者だ。最初は人の意識に関わる研究をしていて、やがて人工知能にも手を出し財を築いた。自分の時代で富も名声も手に入れてしまったから、ちょっとは過去の連中にお裾分けしようと思ってやってきたわけだが。


「しかし、こいつらはバカだったなあ」

「便利なものを与えておいて、急に取り上げたらそうなるでしょう。点が辛すぎよ」

「俺は別に取り上げようとは思ってないよ。そんなに意地悪じゃない」


 その言葉を聞いて、ロボットは鼻を鳴らした。


「残りの使用回数を表示して、わざわざ煽っておいて?」

「あれ、使用回数の残りじゃないって。そんなこと一言も書いてないじゃん」

「は?」

「『あと百回』で、めでたく使用回数が千回になります。これからもよろしくね! ってこと。俺の作った装置が、あんなに早く壊れるわけないだろ」


 大きく両手を広げる俺。しかしそれでも、ロボットの顔は軽蔑の形をしていた。


「それならそう書けばいいじゃない」

「わかってないなあ。書いちゃったら選別にならないだろう?」


 そこまで言ってようやく俺の意図を察したのか、ロボットはため息をついた。


「はあ。あんたって昔からそういう性格だったわよね」

「勇者だって試練があって特殊な剣が使えたりするわけだろう。便利なアイテムを使うには資格がいるんだよ」


 あの二人には色々な選択肢があった。回数が本当にそれだけなのか、と疑って使い続ける。残された回数を使い切ったらそれで終わり、と決着をつける。どうしても辛いときだけ使用すると決める。もう見ないようにしまいこむ。


 自分で折り合いをつける方法はいくらでもあったはずなのに、他人が己より持っていると決めつけて短絡的な手段に頼った。そんな連中をふるい落とすために、俺はあえて性格の悪い真似もするのだ。


 なに、こういう連中が減ってくれれば俺の居る未来もより住みやすくなるだろう。これは社会貢献なのだ。


「……いつまでこの時代で遊ぶ気?」


 ロボットの問いに、俺は軽く首をかしげて答える。


「さあね。もうちょっとかな?」



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平日十二時間、休日四十八時間の生活 刀綱一實 @sitina77

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