第37話 彼の告白、彼女の混乱




 玉座がある大広間も無残に破壊されてしまったが、美しかった空中庭園も酷い有り様なのに、ヘルトルーデは唖然とした。

 空中庭園を見まわして、先程とそう変わらない位置で立ち続けている魔王ヴァルデマルを見て、横に立っているローデヴェイクに視線を向ける。

 彼の眉間はかなり深く中央に寄っていた。

 そんな彼に声をかけようかどうしようかと逡巡していると、ローデヴェイクはヘルトルーデの腰に腕をまわし、魔王ヴァルデマルの方へと歩きだす。


 ヘルトルーデは今、ローデヴェイクが旅の間に着ていた聖職者の服を身に纏っていた。

 漆黒のドレスは壊滅、裸では勿論支障があるし、かといって、いくら王城であろうと混乱の最中さなかでは直ぐに衣服の調達は難しい。

 一通りの治癒魔法が終わり、ヘルトルーデに聖職者の服を着せる時、「旅の間、なるべく清潔さを保つ努力はしたけれど……」とローデヴェイクは自信無さげだった。


 レアは、城門前で会った立場のありそうな赤毛の騎士サンデルに引き渡した。

 治癒魔法を掛け終わってもレアの意識が戻らず、状態に納得がいかなかったのかローデヴェイクが考え込んだ時、サンデルが大広間にやってきたのだ。

 城内の混乱収拾と掌握はもう少しかかると報告した彼に、ローデヴェイクは、命に別状はないからと一旦レアを任せた。


 そして今である。

 まずは空中庭園に居るはずのヴァルを捕まえないといけない、魔王の姿のまま城内を彷徨うろつかれるのは非常に不味い、と快癒したばかりのヘルトルーデを気遣いながら空中庭園へと彼は急いだ。


「ヴァル、空中庭園の有り様に非常に文句を言いたいところだけれど、まずは君の魔剣を急ぎ回収して。大広間に砕け散らばる闇の魔石の破片もだよ。城内の者に触れさせたくないからね」


 ローデヴェイクの言葉を聞きながら此方へと振り向いた魔王ヴァルデマルは、口の端を上げ、片手に闇の魔力を纏わせた。

 そして瞬時に、彼の手元に物騒すぎた魔王の魔剣が出現する。同時に現れたペンダントの闇の魔石の破片は、その場で握り潰された。


 鍔の中央にあるギョロリとした目玉とヘルトルーデは目があった。

 縦に裂けた瞳孔を歪ませ、魔剣に顔があればニヤリと嗤っているように感じる。

 それに何故だか背筋がゾワリとして、あまりに気味が悪すぎて、ヘルトルーデは思わずローデヴェイクに体を寄せた。


「魔剣の分際で、私のヘルトルーデを見ないでくれる?」

「お前のヘルトルーデへの執着は凄いものがあるが、魔剣にさえ嫉妬するのか。正直、引くな」

「五月蠅いよ。ヴァル」

「思った事を言ったまでだ。ところでヘルトルーデ、我が追う堕ちた愚か者が関与する物ならば、我の魔剣が手っ取り早いと思い貸したが、人の身で自我をよく保った」


 ギリギリではあったみたいだが、と付け加えながら、魔王ヴァルデマルが手にしていた魔剣を消した。ラディスラフに時折出現させていた収納の為の空間にでも放り込んだのだろう。

 そんな魔王ヴァルデマルにヘルトルーデが反応する前に、ローデヴェイクから非難が飛んだ。


「此処へ来る道すがら、極簡単にだけれど何があったかは聞いたよ。―――ヴァル、君が何を思い、人の身には危険すぎる魔剣をヘルトルーデに渡したのかは今の言葉で分かったけれど、でも万が一、彼女が自我を完全に失った場合はどうするつもりだったの。自我を失ったヘルトルーデが元に戻れる確率は?」

「それを知ってどうする。なに、我の眷属になるのはそう悪い事ではない。我は面倒見が良いのでな」

「ヴァル!」

「現状の話をしろ。結局のところ、ヘルトルーデは自我を失わず、我の眷属には成らず、元凶の闇の魔石を破壊し、効力を失わせた。堕ちた愚か者に鎖を放ち、解呪も成したではないか。何が問題だ。ヘルトルーデもそう思わないか?」

「そ、そうだね。結果が良ければいいんじゃないかな? ね、ローデヴェイク」


 治癒魔法を掛けてもらったとはいえ、その対象はあくまでも傷であって、体力の全回復という訳ではないヘルトルーデは、此処で今、二人が言い争って、子供の喧嘩にまで発展するのは避けたかった。故に、魔王ヴァルデマルの言葉を肯定して収めようとはしたが、内心では首を傾げている。

 ローデヴェイクが此れ見よがしの深い溜息をついた。


「ヴァル、もう金輪際、ヘルトルーデに魔剣を渡さないで。ヘルトルーデもだよ? 二度と手にしないように。前にも言ったけれど、闇の力を体に取り入れてしまうのは良くないからね。―――さてと。急ぎで言うべき事は言ったし、魔剣も回収されたし」


 陽光にキラリと紫銀の一対の角を輝かせている魔王ヴァルデマルの側まで辿り着くと、ローデヴェイクが足を止めた。

 次いで、ヘルトルーデをくるりと自身の方へと向ける。

 向かい合わせになり、互いの目が合うと、ローデヴェイクが満面の笑みになった。

 なんだか物凄く嬉しそうだ。


「ローデヴェイク?」

「ヘルトルーデ、やっと人と人になれたね」

「え? うん、そうね? 解呪できて本当に良かった。ローデヴェイク、ヴァル、ありがとう。感謝してる」

「うんうん。本当に解呪できて良かったよね。私もヘルトルーデには物凄く感謝しているよ。それでなんだけれど」

「うん。どうしたの?」

「私が待ちに待っていた瞬間が今なんだよ、ヘルトルーデ!」

「え?」

「逃げろ、ヘルトルーデ! 今からでも全力で!」

「え? え? ヴァル、どういう―――きゃっ」


 抱き締められた。

 ローデヴェイクに、ギュウと強く抱き締められた。

 背に腕を回されて力強く。

 痛くはないが、けれどしっかりと。

 決して逃しはしないといったように。


 魔王ヴァルデマルが腕を組み、呆れたような息を吐き出す側で、ローデヴェイクがヘルトルーデのクリーム色の髪に顔を埋めた。

 これまで、長毛種の猫化の毛にやっていたようにだ。

 ローデヴェイクがグリグリと顔を擦り付けてきた。

 そしてクンクンといった感じで、狼のように息を吸う。

 実に感慨深いローデヴェイクの声が、ヘルトルーデの耳朶じだを打った。


「人型のヘルトルーデの匂いだよ!」

「止めて! 臭いなんて嗅がないで! 恥ずかしいじゃない! 私、さっきまで走り回っていて汗を凄く掻いたのよ!?」


 当然ではあるが、猛抗議しかない。

 何処の世界に、汗を掻いた後の体臭を嗅がれたい女性が居るというのか。

 それも異性に!

 旅の間に薄々といった感じではあったが偶に思ったのが、ローデヴェイクは少々変わっているのではないかという事だ。


「止めて! 放して! お願いだから臭いなんて嗅がないで! 私、今、とっても汗臭いと思うのよ!」

「ヘルトルーデの汗の匂いもいいよね。大好きだよ」

「信じられない! 汗臭いって言っているじゃない! 嗅がないで!」

「だから逃げろと言ったんだ」


 何をやっているんだ、と魔王ヴァルデマルが肩をすくめたが、ローデヴェイクはお構いなしだ

 ヘルトルーデは全力で藻掻いた。


「本当に止め―――」

「ねぇ、ヘルトルーデ」


 ヘルトルーデの言葉に被せるように、ローデヴェイクが囁いた。

 クリーム色の髪から顔を上げ、微笑むと、彼はヘルトルーデの額に自身のそれをコツリと合わせる。

 間近に迫ったローデヴェイクの瞳に、ヘルトルーデは驚いて動きを止めた。


「大広間でも言ったけれど、私はね、ヘルトルーデ。君の事が大事で、大切で、掛け替えのない存在だと思っているのは、偽りない本心だよ」

「……えっと、突然、どうしたの?」

「突然ではないよ? 旅の間、私なりに、ずっと想いを告げていたつもりなんだけれど、ヘルトルーデは肝心なところで流すよね? 元々、自分自身の気持ちには鈍いところがあるのかもしれないけれど、でも、それ以上に敢えて気づかないようにして、蓋をしてしまうでしょ? だからね、ハッキリ言う事にしたんだよ、私は。逃げられないように」


 砂を吐けるような言葉をね? と続けて、ローデヴェイクが顔をほんの少しだけ傾けた。


「好きだよ、ヘルトルーデ。大好きだ。愛している」


 言葉を紡ぐローデヴェイクの唇が、ヘルトルーデの唇を掠めた。

 彼の呼気も感じる。

 ヘルトルーデはピクリと肩を震わせて、それを押さえるように、宥めるように、ローデヴェイクの抱擁が強まった。

 彼の、ヘルトルーデとは違う男性の香りが鼻腔を満たす。


「恋愛としての意味で大好きなんだ。愛しているよ」

「……あの、」

「旅の間、どうしてくれようと何度も思ったんだよ。ヴァル達と出会うまで、朝昼晩とずっと二人きりだった訳じゃない? 宿も同室だったし、野宿は野宿で周囲に誰も居ない暗い森の中だ。なのに、どちらかが必ず獣の姿なんだよ。獣と人で微笑ましく口を合わせるか、舐めるか、匂いを嗅ぐ事しか出来なかった。もどかしいよねぇ。せめて獣と人になる時間が同じだったら良かったんだけれど……。正直ね、人と狼ならアリかなとまで考えた事があるんだ」

「……え?」

「私はね、自慢じゃないけれど、手が早いんだ。勿論、ヘルトルーデ限定でね」


 首後ろに手を添えられた。

 直後、ヘルトルーデの唇に温かいものが触れる。

 軽くではあるが、キスをされ、言葉を紡げば直ぐに触れる位置に彼の唇が離れた。

 その距離はほんの僅かだ。

 ヘルトルーデの思考が止まる。


「……あ」

「結婚しよう? 城内のゴタゴタは急いで片付けるから、婚約期間なんてすっ飛ばしてでも直ぐに式を挙げようね。私と結婚となると王太子妃になってしまうけれど、ヘルトルーデが苦手な事は、全て私の方で処理をするから、立場に重責を感じる必要は全く無いからね。色々と楽しもうね? 一緒に身も心も幸せになろう。誰にも邪魔はさせないから。嬉しいなぁ。本当に楽しみだよ。ああ、そうだ。ヘルトルーデの返事は、今はまだいいからね。きっと混乱しているだろうし、私への気持ちに気づくのも、言うのも、時間がかかる性格だと分かっているから。ゆっくりでいいよ? そこは待つからね。ただ、結婚は先にしておこうね。既成事実というのかな? それは待てないんだ。ほら、私は手が早いから。楽しみを先延ばしにする意味は全く無いし」


 再び唇が合わせられた。

 二回目は、軽くとは程遠いと言えるくらいのキスだ。

 ヘルトルーデの首後ろに添えられたローデヴェイクの手の力が強まり、しっかりと固定された。

 ローデヴェイクが更に顔の角度を変え、深くキスをしてくる。

 閉じていた唇が割られた。

 瞬間、ヘルトルーデの止まっていた思考と、そして感情が動きだす。


「ロ、ローデヴェ―――」


 ―――私は一体、何をしているの? 誰と何をしているの? 


 この答えが簡単に導きだされた時、トクリと心臓が跳ねた。

 そして次第に、激しくといっていいくらいに胸がバクバクとしてくる。


 恥ずかしい。今直ぐに逃げ出したい。どうしてローデヴェイクと唇を触れ合わせているのか。どうしてローデヴェイクは更に深くキスをしてくる? どうして?


「あ……」


 大好きだと言われた。愛していると言われた。大事で、大切で、掛け替えのない存在だと思うのは偽りのない本心だと言われた。

 どうしよう。どうしていいのか分からない。混乱しかない。でも―――。


 顔に血が昇った。

 心臓が跳ね続けて、深まるキスに心地良さすら感じてしまう。このままでは無責任に身を委ねてしまいそうで、戸惑ってしまう。

 どうしよう、再びそう思った時、衝撃的な事が起こった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る