第36話 決戦(12) 終結




「ヘルトルーデ!」


 驚愕、愕然、焦燥、そういった諸々の感情が入り混じったローデヴェイクの叫び声に、ヘルトルーデはハッと意識を現実へと引き戻した。

 声は大広間の壮麗な扉の方から聞こえ、彼が直ぐに走り寄って来るのが、静かになった室内の空気が動いた事で分かる。


 ヘルトルーデは息を吐いた。

 終わったのだ。


 今、ヘルトルーデは無惨に破壊された玉座のある大広間の中央で横たわっていた。

 魔王ヴァルデマルから借りた物騒すぎた魔剣は、少し離れたところに落ちている。

 その周囲には砕け散った闇の魔石も散らばり落ちていて、魔剣の鍔にある気味の悪い目玉は無事のようだ。


 視界の端に見えるヘルトルーデの髪は、魔剣を手にして伸びた長さをそのままに、色は本来のクリーム色に戻っている。

 また、ヘルトルーデの自覚はないが、目の色も、元のそれになっていた。


 ヘルトルーデは起き上がろうとして失敗した。

 体に少しでも力を入れると、全身に耐えがたい激痛が走ったのだ。


 骨が折れているのかもしれない。筋が断裂しているのかもしれない。

 しかし何より、酸によって焼かれた傷が泣き叫びたいくらいにジクジクと痛くて熱い。


 ヘルトルーデはグッと歯を食いしばって耐えた。苦痛に眉根を寄せながら、顔をゆっくりと横に向ける。

 気になったのだ。

 どうしようもなく気になるのだ。

 ローデヴェイクがではない。

 アンシェラが。

 彼女はどうなったのだろうかと。


 許せない。その気持ちは今でも変わらない。

 ヘルトルーデがされた事はいい。けれど王太子であるローデヴェイクへの呪いの教唆と、何よりヘニーとフランカの命は決して戻らない。


 しかしヘルトルーデは、アンシェラの前世を視てしまった。この世界に転生したレアである彼女も知ってしまった。

 アンシェラ―――レアは洗脳されていた。操られていた。拒否も拒絶も出来ない力で縛られ、歪められ、捻じ伏せられていた。


 許せない。けれど感情の維持は極めて難しい。

 ヘニーを失ったのに。フランカも失ったのに。

 ヘルトルーデには、レアを許さずに厭い続ける自信がない。


 レアはヘルトルーデから少し離れたところで倒れていた。

 元凶の闇の魔石を魔剣で破壊したからか、彼女の姿は人間のそれへと戻っている。

 無数の蛇の髪は印象的な赤い髪に。

 鋭い爪と鱗を持つ太く長い腕は、少女のほっそりとした本来の腕へ。

 牙は見えず、下半身の酸を纏った腸のようなものも、二本の人間の足に戻っていた。


 しかし全身が血塗れだ。

 目に見えて酷い怪我をしている。

 体中にある裂傷もそうだが、今も、割れた額からの流れ出ている血に止まる気配がない。


 ヘルトルーデは目を凝らした。

 そして、レアの胸が小さく上下している事に安堵する。

 息をしている。予断は許さないのだろうが、辛うじてでも彼女は生きている。


「……良かった」

「何が良かったの!? 全く良くはないよね!? ヘルトルーデ、私は言ったよ? 旅の間、何度も何度も言った! しつこいくらいに言った! 致命的な傷は決して負うなと! 喉を切られるとか、身体の欠損は特に駄目だと! 出血が酷かったら間に合わないと! 銀狼姿だろうが、人型であろうが、私がその場にいなかったら、どうにもならないんだよ! 何なの!? その姿は一体何なんだ! ボロボロじゃないか! 貫かれた傷や切創を無数に拵えた挙句に、肌を焼かれているって、どういう事だ! 女性なんだよ、君は! 分かってる!? 自覚はあるのかな!? その変な方向に曲がっている足は何!」

「……えっと、足はどうして折れているのか分からないけど、ごめんなさい、ローデヴェイク。言われた事を……あの、守らなくて」

「本当だよ!」


 言われる事が至極真っ当すぎて、ただ謝る事しかできない横たわったままのヘルトルーデの許に、ローデヴェイクが辿り着いた。

 彼は息も銀髪も乱して酷く憤慨しながら、ヘルトルーデの傍らに膝をつく。


 眉を下げてヘルトルーデが見ていると、ローデヴェイクはヘルトルーデの上半身を抱え起こそうと腕を伸ばして、止めた。

 多分、動かさない方が良いと判断したのだろう。

 正直なところ、それ程の大怪我を負っている。ヘルトルーデも、レアも。


「ラディが仕掛けてくれたドレスも無残な有り様だよね。ヘルトルーデ、気づいてる? 分かってる? ちゃんと理解しているの? 私に君の胸は、両方とも、ほぼ丸見えだし、他の男が目にしたら、そいつを絶対にくびり殺すと断言できる乙女の大切な場所も晒されているよ。ありがとう、ヘルトルーデ。思ったより早くに、君の裸をしっかりと目に焼き付ける事ができたみたいだ。眼福だよね」

「あっ、えっと、見ないで? 体が動かせなくて隠せないの。お願い。流石に恥ずか―――」

「そう思うのだったら、何故、そんな怪我をした! 闇雲に突撃するのにも限度があると、何故分かってくれない!?」

「……ご、ごめん。今後は気をつけるから。本当よ? 信じて?」


 ヘルトルーデの言葉に、はぁ、とローデヴェイクが深すぎる溜息をついた。

 眉間に深い皺を作り、彼は禁欲的な聖職者の服を脱ぐ。

 それを傍らに放ると、ローデヴェイクはシャツの袖を巻くった。

 気持ち程度に載っているといって過言では無い漆黒のドレスの残骸に、彼が手を伸ばす。


「もう既に此処まで君の肌は見えてしまっているんだ。意味の無い布切れは全て取り除くよ。治療の邪魔でしかない。―――ああああもう、酷いよ、ヘルトルーデ! 本当に何なの! 深く焼かれ過ぎて、一部は骨が見えてしまっているじゃないか! 傷痕が残るかもしれないとは考えなかったの!? 女性なんだよ! 貴族の令嬢なんだ、君は!」

「貴族の令嬢といっても、貴族枠底辺のしがない男爵の娘だし、私」

「ヘルトルーデ」


 ドレスの残骸を手にしてはポイポイと取り除いているローデヴェイクが、声音を数段低くして、ヘルトルーデの名を口にした。


「この際だからはっきりと言っておくけれどね。自己の評価を不当に下げ、自身の価値を必要以上に低くする事は、私への完全なる侮辱だよ」

「……侮辱? どうして? それに私、別に下げてなんて―――」

「下げているよ。過ぎた低さは、場合によっては卑屈にみえてしまう。気をつけなさい」

「…………でも」

「私はヘルトルーデを大切に思っている。とても大事で、掛け替えのない存在だと思っているんだよ。王太子である私がだ」


 布切れを排除していたローデヴェイクの手が、ヘルトルーデの解放されすぎている素肌の上に乗せられた。

 左の乳房の直ぐ下。心臓がある位置だ。


「自信を持つんだ。私が大切に思っているヘルトルーデを、どうか君自身が貶めないで欲しい」

「……ローデヴェイク」

「治癒魔法を開始するよ。これ以上は私が見るに堪えない」


 心臓の上に置かれたローデヴェイクの手に、光の魔力が纏い出した。

 怪我は酷いが、トクリトクリと安定した脈を打っているヘルトルーデの心臓を中心に、彼の魔法が展開して、光を放ちだす。

 美しさすら感じるその光景を眺めながら、ローデヴェイクに一つのお願いをする為に、ヘルトルーデは口を開いた。


「ローデヴェイク」

「何? どうしたの? 痛い?」

「痛いけど、そうではなくて、治癒魔法をね、レアにもお願い」

「レア?」

「あ、うん。アンシェラのことよ。彼女の本当の名前は、レアっていうみたいなの。詳しい事は後で説明するから、彼女も治して。私よりレアの方が重症だと思うから。お願い」


 ローデヴェイクの瞳に、眉を下げているヘルトルーデの顔が映った。

 彼は暫くそのままの状態でいたが、やがて疲れたように息を吐いて、手を乗せているヘルトルーデの胸に視線を落とす。

 治癒魔法を発動するのだろう、放つ光の強さが増した。


「分かった。レアという者の事、私と離れた後の事、そしてヘルトルーデ、君の髪が伸びている事も、後でしっかりと話して貰うからね。では、その酷い怪我をいい加減に治させて。自分で言うのも何だけれど、私は優秀だからね。二人同時に完璧な治療をしてみせるよ。傷痕ひとつ残すつもりは無いよ、私は。―――女神シルフィアよ、その御力の片鱗を我に与えたまえ。対象はヘルトルーデ・コニング、レア」


 無惨に破壊された玉座のある大広間を埋め尽くすような眩い光を放ちながら、現教皇をはじめとした既存の教会関係者が真っ青になって震える程の治癒魔法の詠唱を、ローデヴェイクは淡々とした様子で開始した。



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