第33話 決戦(9) ヘルトルーデの反撃





 呪いを掛けられてから、もう何度、人から獣へ、獣から人へと姿を変えなければならなかったのかなど、ヘルトルーデは数えていない。


 陽が昇って人々が目覚めて活動し出す時。

 陽が沈み、その日を労い、楽しく食事に舌鼓を打って、人々が幸せな眠りに就く時。

 ヘルトルーデとローデヴェイクは二人、人目につかないように物陰に隠れ、身を獣に人にと変化させていた。いつも。来る日も来る日もだ。


 旅の間、楽しかった事や笑い合った事は勿論あった。互いの事を色々と話しては、親身に聞いてくれる存在に安堵もした。


 ―――けれど。


 辛かった。怖かった。屈辱だったし、なにより惨めだった。

 二人だったから耐えられた。

 ヘルトルーデでさえそうなのだ。次代の王を約束された王太子であるローデヴェイクにとっては、どれ程のものだっただろう。

 そう、いつも思っていた。


 彼の存在に身も心も本当に助けられた。

 ローデヴェイクに出会えなかったら、獣になった最初の夜に、森の中で震えながらただ泣いて、アンシェラの望んだ通りの結末になっていただろう。

 ローデヴェイクには感謝している。

 彼が居たから此処まで頑張れた。

 だから、その彼への呪いを教唆したアンシェラが許せない。

 ヘニーもフランカも死ぬことは無かった。


 猫の躰が眩い光を放ったのに思わず瞑ってしまった目を開けて、ヘルトルーデは魔獣よりも悍ましい姿に成り果てたアンシェラをオレンジ色の瞳に映した。

 視線の高さが変わっている。

 人の姿に戻れたのだ。

 陽が昇っている時間帯にだ。


「……解呪、出来たんだね。ローデヴェイク、ヴァル」


 ほっと息をつく。

 形容しがたい気持ちに、目尻に涙が滲んだ。


 今、ヘルトルーデの人の身は、嘗ての魔の者の女性体が好む漆黒のドレスに包まれている。

 獣から人に変わる時、裸体にならないように、ラディスラフが施してくれた魔法だ。

 そして出会った時に、ミロスラヴァが着ていた魔の者の子供用ドレスに似ているようで似ていない、露出度が高いものでもある。

 初回にこの姿になった時、銀狼姿のローデヴェイクの尻尾がピンと伸びたのが、なんとなく嬉しかった。

 どうしてそう思ったのかは、敢えて考えないようにした。


 ヘルトルーデは深呼吸をする。

 解呪後の事は、後でゆっくりと考えよう。

 今は目の前のアンシェラに集中しなければならない。

 仕留めないといけない。

 確実に。

 仕損じてはならない。

 決して。


「アンシェラ!」

「何その恰好。大昔に封印された魔王の手下にでもなったつもり? どうやら解呪したみたいね。でもだから何? 今更よ。私の勝ちしか見えないわ。―――ねぇ、死んでよ、ヘルトルーデ姉様。ムカつくのよ。平凡なところが。なんの取り柄も無く、周囲に埋もれる目立たない存在っぷりがさ! ムカつくのよ! ものすっごく! 見ていてイライラするの! 死んでよ! ねぇ! 死んでよ! 早く! モブじゃん! どうでもいいゴミじゃん! 死んでよ! ねぇ! 死んで! 今すぐ! 死んでよ! 消えて! 早く死ねぇ!」


 アンシェラが叫び、再び咆哮した。

 大広間全体がビリビリと振動する。

 それに足を踏ん張って耐えながら、さてどうしようかと思案していると、プツリと彼女から皮膚を突き破るような音が聞こえた。

 ヘルトルーデが、何、と疑問に思った直後、アンシェラの胸元にあったペンダントの大粒の黒ダイヤが、周囲の幾つものピンクダイヤを巻き込んで、ズブズブと彼女の皮膚に埋まっていく。

 異様な光景に、ヘルトルーデは顔をしかめた。


「……アンシェラ、聞いてなかったけど、そのペンダントはどうしたの」

「あの方がプレゼントしてくれたのよ。私が大切だからって。上手くいくように応援してるって言ってさ。あの方が私に力をくれたのよぉぉぉぉ!」


 アンシェラの額がパクリと割れた。

 血が勢いよく噴き出す。

 ますます人の姿から遠ざかるアンシェラに、ヘルトルーデは眉根を寄せて、右に飛んだ。

 受け身をとって床に転がる。


 猛烈な攻撃が再開されたのだ。

 鋭い爪と鱗を持つ太く長い腕がヘルトルーデを貫こうと繰り出される。

 夥しい数の蛇の眼がヘルトルーデを追い続ける。

 下半身の腸のようなものがヘルトルーデを絡め捕らえよう襲い迫った。


 何度も何度も執拗に繰り出される攻撃に、ヘルトルーデは歯を食いしばりながら、大広間中を動きまわる。

 逃げるしかなかった。

 人の身に戻ったところで、今のヘルトルーデは丸腰だ。

 得物がない。

 魔法を使えないヘルトルーデにとって、剣が無ければ、あまりに無力だ。

 攻撃に転じる事が出来ない。


 ―――どうしたらいいの。剣が欲しい! 手元に剣さえあれば!


 アンシェラの鋭い爪と鱗を持つ太く長い腕が、美しい床を貫いた。

 破片が飛び散り、ヘルトルーデの頬を傷つける。

 痛みと共に、つうと血がヘルトルーデの頬を流れた。


 そんな時だ。

 脳に直接語り掛けるような声が聞こえだす。


『―――ヘルトルーデ。状況は視えている。少しの手助けをしてやろう』

「ヴァル?」

『ああ、そうだ。ローデヴェイクが其方に向かっている。だがそれまで、その娘が持つかは微妙なところだな』

「え? どういう事?」

『このままでは、その娘は人に戻れなくなる。だいぶ食い込んでいるようだ。悪質な闇の魔石がな。既に根は深い』

「闇の……魔石?」

『そうだ。その娘を化け物として殺すも良し。人として殺してやるのも良し。どちらにせよ、剣が必要だろう』


 アンシェラに魔王ヴァルデマルの声は聞こえていないのだろう。

 その証拠に、彼の言葉に何か反応する訳でもなく、執拗にヘルトルーデへの攻撃を繰り出している。

 魔王ヴァルデマルの言葉が続いた。


『魔剣を貸そう。魔王である我の魔剣だ。人の身には余るが、強く、堅く、魅了と純粋な真の闇を纏う。操られるな。主導権を握られるな。闇を必要以上に取り入れるのは避けろ。人の身を捨てたくはないだろう?』

「人の身を、捨てる?」

『ああ。闇に魅入られるな。闇に浸るな。―――我の眷属、魔姫まきになりたくなければ』


 眷属? 魔姫? そう問おうとして出来なかった。

 攻撃を避ける為に、大広間中を動きまわるヘルトルーデの眼前に、旅の間に安心感を得てしまうくらいに慣れてしまったラディスラフの、いや、魔王ヴァルデマルの濃く純粋な闇の魔力が出現したのだ。

 いつぞやの森での暗殺者来襲の時に、ラディスラフの身から放たれた黒い靄と同質だ。


 思わず足を止めてしまったヘルトルーデの視線の先で、その靄が徐々に薄くなっていく。

 見えてきたのは、一振りの魔剣。

 目にする得物の異様さに、ヘルトルーデは目を見開いた。

 流石、魔王の魔剣とでもいうべきか。

 魔王ヴァルデマルでも持て余すのではないかと思われるくらいの長さがあり、柄頭から刀身の先まで漆黒一色だ。

 柄頭に闇の魔石が嵌め込まれていて、鍔の中央にはギョロリとした―――。


「……目玉?」

『多少の薄気味悪さは許してくれ。如何せん、魔剣なのでな。人間の若い娘には不評だろう事は理解している』


 魔の者には絶賛されていたが、と魔王ヴァルデマルの声の調子から、彼が肩を竦めた様子が視えた気がした。


 鍔の中央のギョロリとした目玉がヘルトルーデを視界に捉えた。

 瞳孔が縦に裂けている。

 魔王ヴァルデマルが魔剣を貸してくれると言ったのだからと手を伸ばそうとして、躊躇った。

 正直なところ、薄気味悪くて、かなり怖い。

 そんなヘルトルーデの躊躇いの最中さなかでも、アンシェラによる執拗で苛烈な攻撃は続いていて、その攻撃は、魔剣の周囲の薄くなっていく靄が跳ね返してくれていた。


「ヴァル、目玉が動いてる……」

『そこは気にするな。ヘルトルーデ、魔剣を手に取れ。己の意思をしっかり持ち、決して操られるな。暴走は、闇を必要以上に取り込むとこになる』

「分かった。頑張る」

『ああ。その娘を人に戻すのなら時間はあまり無い』

「うん。アンシェラの事は決して許せないけど、化け物にする気はないよ。―――ヘルトルーデ、行っきまーす!」


 魔王ヴァルデマルとの会話の最後で敢えて大きい声を出して、ヘルトルーデは気持ちを奮い立たせた。

 やらなければならない。

 今回の事への方をつけなければならない。


 魔王ヴァルデマルの魔剣へ手を伸ばす。

 柄を掴み、しっかりと握る。

 瞬間、ガラスが割れるような音がして、ローデヴェイクによって掛けられた身体強化や体力増強の付与が消滅した。

 同時に、ドクリと魔剣が脈を打つ。


「生きて―――」


 魔剣は生きている。

 魔剣は意思を持っている。

 ヘルトルーデが何もせずとも、手にした直後に、アンシェラに漆黒の刀身の先を勝手に向けた。


「駄目! 私に従って!」


 トロリと柄を握った手のひらから、冷たい何かがヘルトルーデに流れ込んだ。

 覚えのある感覚だ。

 ミロスラヴァらと出会った森で魔獣の体内に取り込まれた時、飲みこんだものに臓腑が冷えた。

 ラディスラフに服を出現させる魔法を仕掛けてもらった時、心臓に冷水が流し込まれ、鼓動によって、指先、足先にまで行き渡った。

 それと同じ感覚。

 冷たい。

 じわりじわりと冷えていく。

 感覚が鈍り、麻痺して、心臓が凍り、腕と頬に負った傷の痛みが気にならなくなる。

 全身の何もかもが冷えて凍えるのに、不思議と気持ちは高揚していくのだ。


 ザッとした音を立てて、ヘルトルーデの髪が伸びた。

 クリーム色であるはずの髪色が、魔剣や纏うドレスと同じ漆黒へと変わる。

 ヘルトルーデは気づかなかったが、開く目は、呪いを受けた聖女と一緒だ。

 オレンジ色の瞳はそのままに、白目が黒目に変化している。

 瞳孔が縦に裂けた。

 状況を視ているのだろう、魔王ヴァルデマルが再び言葉を紡ぐ。


『制御できないのであれば、瞬時に方をつけろ。このままの状態が続けば、ヘルトルーデ、お前は魔の者の仲間入りだ。魔王である我の闇は魔姫へと繋がる。……自我はあるか?』

「ウン。アルヨ。大丈夫」

『……そうか。娘の持つ闇の魔石を破壊しろ。それが悪さをしている。全ての元凶だ』

「分カッタ。あんしぇらノぺんだんと。大粒ノ黒だいや、アレダネ」


 勝手に動こうとするのを意地で押さえ、ヘルトルーデは魔剣を構えた。

 そしてアンシェラの執拗な攻撃を気にする事なく、大広間の美しい床を蹴り走る。


 苛烈な攻撃を繰り出されても恐怖心が湧かない。

 むしろ高揚感がどんどんと増していって、新たな欲望が心を満たす。

 ヘルトルーデは首を傾げた。


 楽しい。

 戦いたい。

 傷つけたい

 血を見たい。

 切り裂き、引き千切り、臓物を引きずりだして、踏みつけたい。

 心臓を握り潰し、眼球を繰り抜いて、持ち主の口に放り込むのだ。

 苦悶と恐怖と絶望の表情は、さぞ甘美だろう。

 血の涙を流させ、断末魔をあげさせ、それを無性に嘲笑あざわらいたい。


 アンシェラの鋭い爪と鱗を持つ太く長い腕が、ヘルトルーデの真横の床を貫いた。

 夥しい数の蛇の眼がヘルトルーデの行く先を予測して、下半身の腸のようなものを繰り出してくる。


 避け切れなかった。

 腸のようなものが持つ酸がヘルトルーデの漆黒のドレスを溶かしながら、腰に巻きつく。

 ジュウとした音と皮膚の焼ける嫌な臭いがするが、今のヘルトルーデに痛みは感じない。

 いや、痛いのだろうが、それを苦痛に思わないのだ。

 破壊され続ける美しい床や円柱の破片がヘルトルーデを突き刺し傷つけても、痛みも、流れ出る血にも、覚えるのは興奮と増し続ける高揚感だけだ。


「―――楽シイ」

『ヘルトルーデ、しなければならない事を忘れるな。闇の魔石の破壊だ』

「分カッテル」


 ジュウと皮膚を焼かれるのも気にせずに、ヘルトルーデは腸のようなものを踏んで上へと跳躍した。

 身長に合わない長さの魔剣を難なく操り、アンシェラの胸元に埋まりつつある元凶の闇の魔石に向かって振り被る。


「止めて!」


 ヘルトルーデの目指す先が分かったアンシェラが上半身を後ろに反らした。

 そんな反応が嗤えて、ヘルトルーデは口の端を吊り上げる。

 魔剣の漆黒の刀身の先が、元凶の闇の魔石に触れた。


「サア、楽シモウ。戦オウ。あんしぇら、私ハ、オ前ヲ許サナイヨ?」


 バリンと元凶の闇の魔石の割れる音が大広間に響き渡った。

 同時に、複数の男女の会話と光景が視え始める。


「コレハ―――」


 流れてきたのは、アンシェラの過去。前世。


 ―――あれ、菅野すがの、知らね?

 ―――菜々葉ななはちゃん? さっきまで其処に居たような。

 -――うーん、修学旅行のアンケート早く回収したいんだよなぁ。何処に居るんだ?

 ―――菜々葉ちゃん、目立たないから探すの大変そ。頑張れ。

 ―――分かる! なんか平凡だよね! 地味というか! モブっていうの?

 ―――そうそう! 発見難易度レベル九百九十九って感じ!

 ―――カンストかよ! 俺、発見できる気がしねぇ!

 ―――ウケる! 発見できたらご褒美に、ポテチ一枚ね!

 ―――安すぎるだろ、俺! せめて一袋!

 ―――はいはい! 早く発見してあげてぇ。


「いやあぁぁぁっ」


 アンシェラの悲鳴と共に、割れた闇の魔石から溢れ出る彼女の記憶の渦に、ヘルトルーデは飲み込まれた。



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