第32話 決戦(8) ローデヴェイクの報復




 第二王子であり、愚弟であるオリフィエルに与えられた会議室に足を踏み入れた王太子ローデヴェイクは、部屋の壁にピタリと背をつけて此方から距離を取り、顔を蒼白にしている面々に、冷たいだけの視線を投げた。


 このような者共に、無二の親友兼部下の命を奪われ、自身は獣化する呪いを掛けられたのかと思うと、情けなさ過ぎて立ち直れなくなりそうだ。


 愚弟専用会議室といっても、それなりの広さがある室内の中程まで足を進めると立ち止まり、ローデヴェイクは利き腕に光の魔力を纏わせる。


「愚弟オリフィエル、公爵家の愚息セルファース、魔塔の堕落者ケフィン、騎士団長の嘆かわしい汚点フィクトル、そして私のヘルトルーデの愚兄マレイン、か。―――成程。アンシェラは居ないようだけれど、それ以外は見事に勢揃いだね」


 言いながら鼻で嗤ってやり、ローデヴェイクは空いている方の手を首元に持っていった。

 外套を留める装飾を外し、恋愛非推奨に相応しいキッチリとした聖職者の服の襟元を緩める。


 禁欲的な衣服を着るのも今日で最後だ。

 これからは呪いを掛けられる前と同様、王位継承者としての衣装に身を包み、その姿を是非、ヘルトルーデにこそ見て貰いたい。

 解呪を成したのちは、ヘルトルーデに対し、ローデヴェイクは更なる攻めの方向でいこうと思っているのだ。


 コニング男爵家での事があったからか、どうも自身の価値を低く見積もってしまう傾向にある彼女は、王侯貴族ならではの回りくどいアプローチでは、どうやっても気づいて貰えない。

 それを解呪の旅の間に身に染みて理解したローデヴェイクは、今後は周囲が引きまくるくらいに分かり易く、砂を吐けるほどの甘い台詞を言い続けようと思っている。


 勿論、その際の肉体的な接触も同時進行だ。

 そこに一切の情けを掛けるつもりはない。

 逃げ道を用意してあげるつもりもなかった。


 互いに呪いを掛けられた特殊な状況であったからこそ、素の人柄を知る事が出来たヘルトルーデという存在は、各々が本心を巧妙に隠す仮面をつけ、魑魅魍魎の巣窟である王宮で戦い続けなければならないローデヴェイクにとっては貴重であり過ぎた。


「―――君達と再会したらどうしてくれようかと色々と考えていたのだけれど、今は時間があまり無いからね。この場は手早く一旦のカタを付けて終わらせることで良しとしよう。私のヘルトルーデが心配だからね」

「私のヘルトルーデ?」


 ローデヴェイクの言葉に反応したのは、ヘルトルーデの愚兄マレインだ。

 ヘルトルーデと同じ髪色、同色の瞳、血の繋がりを感じさせる、どことなく似ている容貌であるのにも関わらず、妹を男爵家にいづらくし、彼女の愛犬ヘニーに危害を加えた痴れ者だ。

 ヘルトルーデが自身の価値を低く見積もってしまう傾向にした、原因その一でもあるのだろう。


「そう。私の、だよ。ヘルトルーデは辛かった時の事をすすんで言うではないけれど、王太子として培ったものの一つとして、私は聞き出すのが上手いからね。だいたいの事は分かっているつもりだよ」

「いっ、妹は日常的に偽りをよく口にするのです!」

「どちらの妹?」

「……は?」

「君にとっての妹とは、アンシェラではないの? 想い人でもあるみたいだけれど」


 妹となど私には理解できない感情だよ、と続けながら、ローデヴェイクは光の魔力を纏わせている利き腕の手のひらを目線の位置まで上げた。

 つい先程まで解呪の陣に全力で魔力を注いでいたが、これから行う魔法に何ら支障は無さそうだ。

 内包する魔力はまだ底をついていない。


「まあ、王宮のように、男爵家も闇の穢れで淀んでいたのだろうけれどね。だからといって、君や男爵家を許す訳ではないよ? ヘルトルーデを傷つけた罪は重い。コニング男爵家は、彼女に貴族令嬢としての権利を不当に諦めさせた。―――さて、次は魔塔の堕落者ケフィン、君だよ」


 視線はローデヴェイクが入室してからずっと向けられていたが、名を呼ばれて、小心者のようにビクリと肩を震わせたのは、全く役に立たない事が判明した魔塔の後継とされている子爵家嫡子であるケフィンだ。


 今回の事が起こるまで、魔塔の後継とはいえ、全く眼中に無かった男の髪色が非常に気に入らない。

 ヘルトルーデの瞳と同じオレンジ色の髪を持つケフィンは、全身でローデヴェイクに怯えていた。


 その様子に、底意地の悪い笑みを敢えて作って見せると、ローデヴェイクから一層の距離を取る為に、ケフィンは後方に下がろうとする。が、彼らは既に部屋の壁に背をピタリとつけていた事から、ケフィンの足だけが床の上を滑っていた。


「君は腐っても魔塔の者だから、私の魔力を感じて怯えるのだろうけれど、それは魔塔の後継として情けなくはないかな? その程度で後継を名乗っていたの? この国の王太子としては、かなり許しがたいのだけれど」

「……ひっ」

「それに私はね、君の存在自体が目障りで仕方ない。破棄したとはいえ、私のヘルトルーデと婚約をしていた期間があった訳だし、そもそも破棄の仕方にも問題があったよね。何故、ヘルトルーデを傷つけた? 何故、他者が居る場で破棄したの? その所為せいで不必要にヘルトルーデの評判が落ち、矜持も……彼女の心も傷つけたのは決して許せることではない。ケフィン、君はさ」


 ローデヴェイクは、光の魔力を纏わせた利き腕を天に向けて上げた。

 それと同時に、無数の光の槍が出現する。

 彼らの目が一斉に見開き、それを視界に収めたローデヴェイクは、馬鹿にするのを隠そうともせずに鼻で嗤った。


「魔力量で人の価値を判断するのだろうね。成程、ヘルトルーデに魔力は殆ど無い。だから彼女に対して強く出た訳だ。価値が無い者として見下した。他の者の目がある場で、彼女を貶めたんだ。でもその考え方でいくと、私よりも随分と魔力量が下な君は、私にとっては無価値であると言える。魔塔の後継を名乗るなど片腹痛い。覚悟する事だ。私は容赦しない。今後の君の人生は、暗く、屈辱的なものになると約束しよう。―――騎士団長の嘆かわしい汚点フィクトル、次は君だ」

「ロ、ローデヴェイク殿下、俺はっ」

「言い訳は聞きたくないね」


 利き腕を天に向けて光の槍の出現を維持し続けながら、ローデヴェイクは反対の腕にも魔力を纏わせだした。

 そして、その手のひらを今度は下方に向ける。

 二種の魔法を同時に放つことに決めたのだ。


 眼前の輩に詠唱は必要無かった。詠唱無しでもローデヴェイクは魔法を扱える。

 旅の間、ヘルトルーデに付与するのに口にしていた詠唱は、あくまでヘルトルーデを思い、丁寧に、慎重に魔法を放っていたに過ぎない。

 ローデヴェイクにとって、ヘルトルーデはそれ程の存在だった。


 ゴクリとフィクトルが喉を鳴らす不愉快な音が耳に入る。

 彼の短い藍色の髪が、噴き出る汗で濡れていた。


「フィクトル、私が王宮を離れていた間に、君の家は代替わりをしたそうだね。君の父がどうしているのかは後日に調査するとして、現在、君が管理しているというバルネダールの街に見世物小屋があった。目を疑ったよ。実に酷い有様だったからね。言いたい事は色々あるけれど、これも後日、法の下で罪に問うとしよう。そうそう、バルネダールの見世物小屋で、とても意外な人物に会ったんだよ。―――公爵家の愚息セルファース。君の婚約者のヴィレミーナだ。ああ、元だったね。婚約破棄をしたのだろう?」

「婚約破棄など当たり前です、ローデヴェイク殿下! あの悪女は、心優しいアンシェラに対して、それはもう酷い事をした! あの悪女の現状は、ここに居る全員の総意ですよ!」

「一体、誰に向かって悪女などと言っているのだろうか、セルファース」


 チリチリ、カタカタと部屋の天井から下がっている王宮らしい装飾の照明が揺れて音を立てた。

 原因はローデヴェイク。

 二種の魔法を放つ為に、内なる魔力の放出量を上げ始めたのだ。

 銀色の髪が靡き、同じく、視線を向けているセルファースの黒い髪も、ローデヴェイクの魔力の風圧で揺れていた。


「ヴィレミーナはベイエルスベルヘン筆頭公爵家の総領姫だよ。君のホーチュメディング公爵家よりも格上で、その家の三男坊である君は婿入りの予定だったはずだ。そんな立場の君が、彼女を悪女だと言えてしまう。愚かとしか言いようがない。ヴィレミーナは本来、王太子妃に名が挙がっても何ら不思議ではない令嬢だ。総領姫であるのと、私とは血が近すぎただけでね」


 パキリと室内の何かが割れた。

 しかし誰もが気にしない。ローデヴェイクは興味が無く、他の者らには余裕が無いからだ。

 再び何処かからパキリパキリと音が鳴った。


「ヴィレミーナから婚約破棄に至るまでの経緯を聞いた。その後に何をされ、何があったのかも聞いた。楽しみだよね。ベイエルスベルヘンの公爵は何を思い、どう動くだろうか。彼とも後日、じっくりと話し合おうと思っているよ。―――最後に愚弟オリフィエル、馬鹿だ阿呆だと思ってはいたけれど、救いようもない事が今回で分かった。で、お前は父上に何をした?」


 天に向けていた利き腕の手のひらの角度をローデヴェイクは変えた。

 それによって、出現している無数の光の槍の向きが一斉に変わる。

 照準を愚か者共に合わせたのだ。

 光の槍に狙われる彼らの身が、滑稽なくらいに震える。

 特に、魔塔に身を置くケフィンが顕著だ。

 此処に居る者の中で、ローデヴェイクとの魔力量と実力差を誰よりも感じているのだろう。


「ヘルトルーデの許へ真っ直ぐに向かいたかったのだけれど、空中庭園から父上の部屋は比較的近く、更に此処は通り道だった。此処に来る前に父上の様子を見てきたのだけれど、オリフィエル、お前は王に毒物を飲ませたようだね。―――ゆっくりと体を蝕む毒だ。開始は、私が王宮を離れて直ぐといったところだろう」


 ローデヴェイクは表情を変えた。

 声質も変え、口調も変え、威圧という名の鎧を纏う。

 誰が上位者で、這い蹲るのは誰か。それを愚か者共に身をもって分からせなければならない。

 ヘルトルーデにはあまり見せたくはない姿だ。


「違う! 違うんだ! 私はやっていない! 私ではない!」

「それを誰が信じる? 反逆の罪は重い。オリフィエル、お前は既に立派な反逆者だ」

「はっ反逆!? この私が反逆者だと!? くそっ! 兄上っ、いや、ローデヴェイクッ! 何故、帰ってきた!? 何故、戻ってきたんだ! 死ねば良かったんだ、貴様など! 畜生として誰に知られることなく、平民に足蹴にされながら行倒れになれば良かったんだ!」

「不覚にも呪いを掛けられ、狼の姿にもなったが、残念ながらそのような状況にはならなかった。私はお前と出来が違う」


 ギリッとオリフィエルが歯軋りをした。

 それが分かり、ローデヴェイクは口の端を吊り上げる。

 本能は向けられる太刀打ちできない光の槍に恐怖し、身体は震え続けるのに、愚かさが其れを麻痺させていた。


 愚かで、劣等感の塊のような愚弟だった。

 ローデヴェイクが譲歩しても、それすら気づかずに勝手に傷ついて、いつも自滅していた。


 王族として、兄弟として、共に支え合い、協力し合うことが出来る人物に育たなかった事を、過去、一度だけ残念に思った事もある。

 今回の事がなくとも、いずれはオリフィエルを切り捨てようと考えていた。ローデヴェイクの飼い犬の遊び相手にしかならない愚弟だ。処分に何ら躊躇う事も無い。


 ローデヴェイクと同色の銀髪を乱し、唾を飛ばしながらオリフィエルが叫ぶ。


「貴様はいつもそうだ! いつも私を見下す! 己が優秀だと思い違いをしているんだ! 私より少し先に生まれただけではないか! それだけで王への道を約束された分際に過ぎないのに、私を侮るな! 私は王太子となるべき傑物だ! 私こそ王に相応しい! 私こそ―――」


 続く愚弟の主張を聞き流しながら、ローデヴェイクは天に向けていた利き腕を振り下ろした。同時に下方に向けていた反対の手のひらからも魔法を放つ。

 直後、愚か者共の悲鳴と呻きが室内に響き渡り、喧しさにローデヴェイクは眉根を寄せた。


「どうでも良い事を聞く暇はない。私はヘルトルーデの許へ、一刻も早く行かなければならない」


 淡々と言葉を紡ぐローデヴェイクとは対照的に、オリフィエルらの悲鳴と呻きに、嗚咽と懇願が混じりだす。

 当然と言えた。

 ローデヴェイクは、無数の光の槍を愚か者共の全身に突き刺し、壁に縫い付けながら、同時に最低限の治癒も行っているからだ。


 彼らの血は噴き出ない。滲みもしない。

 突き刺さる光の槍が、溢れ、滲み出るはずの血を瞬時に熱で蒸発させていた。

 嫌な臭いが室内に漂う。


「二種の魔法を発動した。突き刺さった光の槍で焼かれ続ける苦痛を味わいながら、僅かな修復で生の放棄ができない事に絶望するといい」


 死を渇望する程に苦しめ、と冷たく言い捨てて、ローデヴェイクは一切の興味を無くしたように踵を返す。


 アンシェラと対峙しているであろうヘルトルーデの許へ急がなければならない。

 オリフィエルらは此方が改めて対応できるまで、このままの状態で己らの罪の深さを味わわせておけばいい。


「今、行くからね、ヘルトルーデ。待っていて。少しの怪我も負うことなく、どうか無事で―――」


 そう口にしながら、ローデヴェイクは走った。



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