第29話 決戦(5) 呪いの理由
空中庭園を後にしたヘルトルーデは、獣の感と、掛けられた呪いによる繋がりの気配を頼りに、そう手間も無くアンシェラを探しあてる事ができた。
「痩せ細って、あばらの浮いたボロボロの野良猫を想像していたけど、随分と大切にされていたのね、ヘルトルーデ姉様。クリーム色の毛並みが綺麗だわ。―――惨めに野垂れ死ねば良かったのに」
その声が猫の耳に入ると、全身にある全ての獣の毛が逆立った。
自分の感情からではない。本能的なものだ。
―――これは、何。
警戒に、ヘルトルーデは猫の跳躍力を発揮させて、後ろへと下がった。
そんな猫の動きを嘲笑うかのように、アンシェラが口角を上げる。
アンシェラは、玉座と思われる椅子が置かれている大広間に一人で居た。
身に纏うドレスは豪華で、立場が王女であれば相応しいが、男爵の娘が着ていいものではない。
頭上には印象的な赤い髪に似合うティアラが載り、首元には魔獣の体内で視た大粒の黒ダイヤと、その周囲に幾つものピンクダイヤをあしらったペンダントをしていた。
ヘルトルーデがコニングの屋敷を飛び出してから何があって、何が彼女を変えたのか。
アンシェラの雰囲気が良くないものに変わっている。
酷く禍々しく、淀んだ闇の気配を感じるのだ。
それは魔王ヴァルデマルとは似て非なるものだ。彼の闇は純粋なものであり、深淵の安らぎすら感じるが、アンシェラの纏う闇は不純物の混じる不快でしかない闇だ。
ヘルトルーデは猫の耳をアンシェラに向けて集中し、尻尾の先まで警戒を走らせる。
玉座の肘掛けを嵌めた指輪でカチリと鳴らして、アンシェラが立ち上がった。
一定の距離を保ちながら、ヘルトルーデは口を開く。
「(そこは玉座のようだけど、どうして座っているの、アンシェラ)」
「王宮に来た事のなかったヘルトルーデ姉様が、何故、これが玉座だと分かるの? まあ、正解なんだけど」
「(どうして座っているのかと聞いているの! 貴女は私と同じ、男爵の娘でしかないのよ!?)」
「何をむきになっているのよ。馬鹿みたい」
「(アンシェラ!)」
「だって、王様、今は病気で座れないし。オリフィエルも私の好きにしていいって言ったし」
「(……オリフィエル殿下は何処に居るの? マレイン兄様は? 貴女のたくさん居る他の彼氏達はどうしたの?)」
ふふ、とアンシェラが嗤った。
スルリと、王宮の豪華絢爛な大広間の床に、華やかなドレスの裾を滑らせる。
アンシェラがヘルトルーデに一歩、また一歩と近づいているのだ。
彼女の利き腕に、不快で不純な闇の魔力が纏い出す。
「皆、王宮にちゃんと居るわよ? 今はオリフィエルの執務室近くの会議室に籠ってるわ。王太子ローデヴェイクが呪いを受けながらも堂々とお城に帰還してきたものだから、物凄く焦って言い争いをしているわよ。みっともないったらないわ」
「(……ローデヴェイクの呪いに貴女は関わっているの?)」
「当然でしょ? 私がオリフィエルに教えたんだもの。あの男、劣等感の塊でね。優秀すぎる兄に正攻法で勝てないから、古の闇の陣に直ぐに飛びついたわ。王太子ローデヴェイクって見た目が凄く綺麗じゃない? それが強そうに見えない、王位に相応しくないとか何とかくだらない言い訳ばかりしてたわよ。理解に苦しむわ」
「(なんて事を! なんて事を彼にしたの! どうして!? ローデヴェイクへの呪いを貴女が唆す理由は何!?)」
「聞きたい? モブでしかないヘルトルーデ姉様」
闇を纏わせているアンシェラの利き腕がゴキリと鳴った。
聞き覚えのある音に、ヘルトルーデの猫の髭がピクリと動く。
これはあの時、あの森で、ミロスラヴァが―――。
「ねぇ、ヘルトルーデ姉様。モブって意味、分かる? ヘルトルーデ姉様は、物語の主要キャラ、登場人物ではないって事。どうでもいい存在。ゴミと一緒って事よ」
「(……物語?)」
「そう。乙女ゲーのね。詳しく言ったところでヘルトルーデ姉様には理解できないだろうから簡単に言うけど、この世界はね、ヒロインである私を中心に、攻略対象者と呼ばれる男達との恋愛を描いたお話の中の世界なの。だからさ、モブのヘルトルーデ姉様は実験台。攻略対象者の一人の公爵子息セルファースの婚約者だった、悪役令嬢役の公爵令嬢ヴィレミーナにも呪いを掛けてご退場願った訳。定番の婚約破棄つきでね。だって、ヘルトルーデ姉様、役不足だったしさ。茶会での婚約破棄劇でも、悪役令嬢役としても。平凡で、つまらないんだもん。あまりのモブっぷりにビックリよ」
再びゴキリゴキリとアンシェラの闇を纏う腕が鳴った。
警戒に猫の尻尾をピンとさせ、ヘルトルーデは一定の距離を保ち続ける為に後ずさる。
その分だけアンシェラがまた距離を縮めた。
「(アンシェラ、貴女の腕から音が……)」
「聖女も例外じゃないわ。呪いを掛けて見世物小屋に押し込んだわよ。コニング男爵家に入りこんだ私の邪魔だったし。探すのに手間取っちゃったけどね」
「(え?)」
「聖女はヘルトルーデ姉様の本当の妹よ。会ったでしょ? バルネダールの街で。髪の色が同じクリーム色だったじゃない。気づかなかった? やっぱりさ、乙女ゲーのヒロインといったら、出発は平民から男爵令嬢でしょ」
アンシェラがニタリと嗤った。
その直後、ゴキリゴキリボキボキボキボキと全身から不吉な音が断続的に鳴り響く。
利き腕に纏っていただけだった闇の魔力が、アンシェラの全身に渦巻きだした。
彼女の印象的な赤い髪が風に揺れ、ドレスがはためきだす。
ヘルトルーデのクリーム色の猫の毛も靡いた。
「(アンシェラ、貴女、闇の魔力の持ち主だったの?)」
「闇……そう、闇の魔力をあの方から分けて頂いたの」
「(あの方?)」
「ヘルトルーデ姉様、さっき、王太子ローデヴェイクへの呪いを唆した理由を聞いたよね? 教えてあげる。彼さ、隠しルートの攻略対象者だったんだけど、強い光属性の魔力の持ち主じゃない? あの方がさ、苦しいって言うの。辛いって。だから勿体なかったけど、早々に表舞台から消えてもらおうと思った訳。オリフィエルが使えなさ過ぎて、取り逃がしちゃったけど」
「(……貴女は一体何者なの?)」
「何者? さっきから言っているじゃない。―――私はこの世界のヒロインよ!」
ヘルトルーデは猫の目を見開いた。
ゴキリゴキリと全身から不吉な音を鳴り響かせていたアンシェラが、急速に形を変えたのだ。
体躯が異様に大きくなり、獣のように牙を生やして、爪を鋭く伸ばし、骨格を人のそれと乖離させ―――アンシェラは、大広間が揺れる程の魔獣のような咆哮を上げた。
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