第28話 決戦(4) 魔王ヴァルデマル





 猫のヘルトルーデを胸に抱いたまま眺めの良い場所まで移動すると、ローデヴェイクが横を歩くヴァルデマルを見下ろした。


「ヴァル、此処でいいかな?」

「ああ。なかなか理想的だ。やるぞ。さっさと解呪して、お前達は王宮に巣食う者共を、我は其の者らとの繋がりを探り、長き時を逃げ隠れる愚か者に鎖を放つ」

「そうだね。どうすればいいの」

「今から我が解呪の陣を構築する。ローデヴェイク、お前はそれに全力で光の魔力を注ぎ込め。媒体はこれだ」


 そこまで言って、ヴァルデマルは服の隠しから何かを取り出すと、ポンとローデヴェイクに向かって放った。

 猫のヘルトルーデを抱えたまま、ローデヴェイクが器用にそれを受け取る。

 ローデヴェイクの眉根が寄った。


「……これ」

「(毛玉の御守り?)」

「そうだ。ローデヴェイクが微量の光の魔力を注いだだけの詐欺商品だ。お前達が国中に売り捌いたそれを点として繋ぎ、解呪の陣を構築する。偶然とはいえ、ローデヴェイクの魔力が注がれているのは重畳だ。同じ者の魔力を流すのだから抵抗無くいけるだろう」

「結果的には良かったのだろうけれど、心情的には、かなり複雑だよね」

「そうか? ―――ヘルトルーデ」

「(あ、私にも何かやる事ある?)」

「いや、今の時点では無い。故、少し離れていろ。全力で魔力を放つ者に抱かれたままでは不味い」

「そうだね。ヘルトルーデ、向こうの方に行っていて?」

「(分かった)」


 ローデヴェイクが身を屈め、ヘルトルーデが降りやすいようにしてくれた。

 勿論、猫の身軽さがあるので、多少の高低差は問題無い。

 足音を立てずに空中庭園の美しい床に降りたって、ヘルトルーデは後ろをついてきていたミロスラヴァとラディスラフに声を掛ける。


「(ミィちゃん、ラディ、一緒に離れていよう?)」

「三人であそこの花壇のところまで下がっていて。危ないからね」


 ヘルトルーデとローデヴェイクの言葉に、しかしミロスラヴァとラディスラフは同時に首を横に振った。

 二人の表情は酷く寂しそうだ。


「(ミィちゃん? ラディ?)」

「どうしたの?」

「離れるのはヘルトルーデだけだ。―――ミィ、ラディ、我に戻れ」

「(―――え?)」

「……存在は必要悪で強大で在り過ぎたのではないの。本来の姿だと、魔獣が際限なく生まれるとも言っていたよね」


 ミロスラヴァとラディスラフが子供の小さな手をバイバイと振った。

 そして二人はその手を下ろすと、ヴァルデマルに向かって駆けて行く。


 ヴァルデマルが迎える為の両腕を広げた。

 五歳児の大きさでしかないヴァルデマルの体に、ミロスラヴァとラディスラフが飛び込む。


 本来なら激突して転倒するはずだ。しかし、触れ合ったところから純粋な闇を放ち、ミロスラヴァとラディスラフがヴァルデマルの体の中に溶けていく。


 融合しているのだ。


「(ミィちゃん! ラディ!)」


 完全に消える間際、ミロスラヴァとラディスラフの小さく可愛い口が動いた。


「ママ、パパ―――」

「……また、会え―――」

「(待って!)」

「ヴァル! 二人を吸収する意味は何!?」


 ヴァルデマルの体から濃く純粋な真の闇が噴き出した。彼の本質。存在の全て。

 噴出し、渦巻く子供の大きさの闇が、次第に大人の大きさの其れへと形を変えていく。


 頭上と思われる位置から二本の闇が伸びた。

 あれは何か、そうヘルトルーデが思った時、噴き出し、渦巻いていた濃く純粋な闇が収まっていく。


 ズンとした城と大地を揺るがすような振動が一度だけ起こった。


 そして闇が消え、現れたのは、腰を少し超えるくらいの長い金色の髪と、赤い瞳を持ち、頭上には一対の美しい紫銀の角が在る男性だ。


 背の高さはローデヴェイクと同じくらい。

 額に掛かる金髪を掻き揚げる事で退けたその男性は、ヘルトルーデとローデヴェイクの方へと赤い瞳を向けると、口角を上げた。


「―――あれらを吸収する意味。そのような事、決まっているではないか。名を覚えさせるのでさえ苦労しなければならなかったラディに、複雑怪奇な解呪の陣をどう伝える? 我、本来の姿で行った方が早く、手間が無いし、確実だ」

「(…………)」

「……魔獣は大丈夫なの」

「今この瞬間から勢いよく生まれ始めただろうよ。だが、それはまだ人間が対処できる範囲だ。問題は魔の者。そう易々と目覚める事は出来ない深い眠りにつかせたが、我が我として存在する時間が長ければ、次第に力の強い者らから覚醒していくだろう。―――短時間で決めるぞ。あれらの復活は我が面倒だ」


 魔王ヴァルデマルが王都を遠く見渡せるように体の向きを変えた。

 次いで彼は片眉を上げ、その手に闇の魔力を纏わせる。

 魔王ヴァルデマルの魔力が、ローデヴェイクの手の中の毛玉と、彼の赤い瞳には視えるのだろう点とを闇の線で繋いでいった。


「(……こんな時に聞いてはいけないんだろうけど、ミィちゃんとラディは完全に消えちゃったの?)」

「いや、消えた訳ではない。また存在を割れば、お前達との記憶を維持したまま現れる事ができる。我の頭上を見ろ。この一対の角がアレらだ。ミィの銀の瞳と、ラディの紫の瞳を合わせたような色合いだろう? 魔の者にとって、角は持つ力に直結する場合が多い。勿論、それが全てではないがな」


 遠く王都を見渡していた魔王ヴァルデマルの赤い瞳が、猫のヘルトルーデの方に向いた。


「どうだ、ヘルトルーデ。我はなかなか良い男だろう? 容姿の良い者が多いとされていた魔の者の中でも我は突出していた。束縛するような男は捨て、我に乗り換えないか? 魔王城はいつでもお前を歓迎だ。我は獣の中でも猫が特に好きでな。我という存在は、その肝心な獣全般に怯えられてしまう故、飼って存分に愛でる事はできないのだ。それに、たとえ解呪して完全な人の姿に戻ったとしても、一時的な変化という魔法を我は扱える」

「ヴァル! どさくさに紛れて嫌すぎる事を言わないでくれるかな!」

「短い期間の共の旅路ではあったが、どう見ても、お前より我の方が良い男だと思ったのでな」

「何をほざいているの! そもそも人にとって、魔王という存在自体が良いものではないよ!」

「男としての出来を言っているのだ、我は。―――ローデヴェイク、光の魔力をそろそろ毛玉に注ぎ込め。時間はそう無い。魔の者らの覚醒は人間にとって害悪でしかない」


 ローデヴェイクの額に青筋が入った。が、感情を抑える為にか呼吸を整えると、彼は手の中の毛玉に視線を落とす。


 ブワリとローデヴェイクの周囲に光の魔力の風が湧き上がった。

 彼が纏う聖職者の衣服と銀色の髪が舞う。

 先程の魔王ヴァルデマルには及ばなかったが、ローデヴェイクも王城全体を震わせた。


 魔王ヴァルデマルが毛玉と毛玉を闇の線で勢いよく繋いで構築していく解呪の陣に、ローデヴェイクの光が追いかけるように広がっていく。

 王城を中心に、光の花が咲いていく様は圧巻だった。


「―――くっ」

「そうだ。その調子で、我が構築し維持する解呪の陣に全力で注ぎ込め。全体にお前の光の魔力が行き渡った時、陣が展開し、発動する。―――解呪だ」

「……結構、辛いね」

「何をほざく。まだまだだ。本気を出せ!」

「分かっているよ!」


 ローデヴェイクの体が光り出す。魔王ヴァルデマルの体も纏う闇を濃くした。

 どれ程の強大な魔力を放っているのか。二人の周囲には、迸る魔力が激しく渦を巻く。

 離れたところに佇んでいたヘルトルーデの猫の毛が、その魔力の渦によって発生する強風になびいた。


 パチクリとした猫のオレンジ色の瞳は二人を映し続ける。

 彼らは凄かった。

 気持ち程度の魔力しか持たないヘルトルーデには、どうしたって到達できない高みの強さだ。


 落ち着かなかった。

 解呪はローデヴェイクと魔王ヴァルデマルに任せていれば大丈夫だろうと分かっていても、不安になってしまうのだ。

 呪いの事ではない。彼らの力を信用していない訳でもない。


 そうではなく、ヘルトルーデの存在意義が。

 コニング男爵家という帰る場所を失ってしまったヘルトルーデに居場所を与えようとする二人への、自分の意味を。


 役に立たなければ、そう思うのだ。

 少しでも役に立つ事を見せなければならない。そうでないと、要らないと思われてしまう。見捨てられてしまう。冷たくされてしまう。また孤独になってしまう。


 それはもう耐えられない。


 それ程に、アンシェラがやってきてからのコニング男爵家での二年間は、ヘルトルーデの心に深い傷をつけていた。


「(……ヘニー、私はどうしたらいいだろう?)」


 口にする今は居ない愛犬への言葉は、彼らの魔力が轟かす音によって搔き消される。

 ヘルトルーデは猫の尻尾でペチリと空中庭園の美しい床を叩いた。


 ―――私は、存在意義を示す為にも頑張らなければならない。


 光の魔力を陣に叩きつけるように全力で注ぎ込むローデヴェイクと、その陣を構築し維持し続ける魔王ヴァルデマルに聞こえるように、ヘルトルーデは声を張り上げた。


「(ローデヴェイク! ヴァル! 私は此処に居ても役に立たないから、アンシェラを探してくるね! それくらいなら、何もできない猫の姿でもやれると思うから!)」


 ヘルトルーデの言葉に、ハッとしたようにローデヴェイクが振り向いた。

 魔王ヴァルデマルも眉をひそめて赤い瞳に猫を映す。

 そんな二人に、ヘルトルーデは微笑んだ。


「(行ってくるね!)」

「ヘルトルーデ、何を言っているの!?」

「(アンシェラを探してくるだけだから! 二人は解呪を頑張って!)」

「待って、ヘルトルーデ! 君は今、猫の姿なんだよ! 剣を振るえないんだ! 探してどうするの!? 行って何をするの!? アンシェラは呪いを仕掛けてくるような卑劣な輩なんだよ!」

「(大丈夫よ! じゃあね、また後で!)」

「大丈夫の根拠は!? ヘルトルーデ! 此処まで来て、突撃は止めて! 一人特攻なんて論外だよ! お願いだ、行かないで、ヘルトルーデ!」


 必死さすら感じるローデヴェイクの言葉に、猫の尻尾を振る事で応え、ヘルトルーデは空中庭園の扉に向かって走った。


 アンシェラは王宮の何処かに居る。


 開いたままの扉の隙間に、猫の躰をスルリと通す間際、魔王ヴァルデマルの怒声が聞こえた。


「集中しろ! アレが行く意味が我も全く理解できぬが、止められぬのなら、此処を早く終わらせて追いかけるしかないだろう! 全力で注げと言っているんだ!」

「ああああああああああ、もう! 分かったよ! ヴァル、一刻も早く終わらせるよ!」

「我は先程からそう言っている!」


 猫のヘルトルーデは美しい空中庭園から出て、王宮の煌びやかな回廊を走った。



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