第17話 猫の肉球
朝食が終了し、皆して荷馬車に乗り込むと、ヴィリーが鞭で馬に合図を送った。
ゴトリと動きだして暫くすると、ミロスラヴァとラディスラフの瞼が下がる。
ローデヴェイクがそんな二人に自身の外套を掛けた。
「(そういえばヴィリー、急いでいたんじゃないの? さっき荷馬車を飛ばしていなかった?)」
もはや定位置といっていいローデヴェイクの膝の上に居る猫のヘルトルーデは、御者台に座って、前方を見ながら荷馬車を操るヴィリーに話し掛けた。
「ああ、それは少しでも早く次の街に着いて、ヘルトルーデを探す時間を作ろうとしただけで、仕事上ではそこまで急ぎではないんだ」
「(……ごめん、本当に)」
御者台のヴィリーから苦笑の気配がした。
「無事だったから、そこはいいよ」
「次が王都の前に寄れる最後の街になるね」
ヘルトルーデの猫の耳後ろを揉みながら、ローデヴェイクが会話に加わった。
「(大きな街なんだよね? 私は行った事がないけど、バルネダールだっけ)」
「うん。王都に一番近いのもあって栄えているから、買い物も楽しいと思うよ? そろそろ貯めた路銀は思いっきり使っていこうね。バルネダールに有名な宝飾品店があるのだけれど、そこで何か買おう。ヘルトルーデに似合う物がたくさんあるといいけれど」
ヘルトルーデが欲しい物は全部買ってあげるね、路銀で足りない分はツケで大丈夫だから、とニコニコしながら言うローデヴェイクに、ヘルトルーデはちょっぴり引いた。
雲の上の存在である王族の王太子殿下と、貴族枠底辺のしがない男爵の娘では、やはり価値観が全く違う、と。
買ってくれるという嬉しさよりも、その違いの差に越えられないものを感じて、ヘルトルーデは猫の尻尾をペタリと寝せた。
そんなヘルトルーデの様子にローデヴェイクが気づく前に、ヴィリーが口を開く。
「殿下がおっしゃる店がデ・ブラリュネでしたら、神国スヴォレミデルに移転しましたよ」
「え? そうなの? いつ?」
「丁度、一年程前ですかね。ウチの商品を納品しているバルネダールの武器屋の店主の話によると、以前からスヴォレミデルの総本山から誘いがあったようです」
「スヴォレミデルの総本山?」
「はい。デ・ブラリュネの店主は当初、移転ではなく支店をと考えていたそうですが、それはスヴォレミデル側が許さなかったそうです。価値のある物はスヴォレミデルのみ在ってこそ、だそうですよ」
「なかなか愉快な発想だね」
「そうですね。……まあ、
そこで一旦言葉を切り、ヴィリーが手綱を操って街道の端に荷馬車を寄せた。
貴族の馬車に道を譲ったのだ。
荷馬車を追い越した馬車にローデヴェイクが視線を向けて、紋章を確認していた。
ヴィリーが再び手綱と鞭を使い、荷馬車を操る。
「スヴォレミデルはなんと言ってきたの?」
「ウチの親父は、腕の良い鍛冶職人だと一部で評価を受けているんですが、それを聞きつけたのか聖騎士達の剣を作れと。その場合は専属になれ、スヴォレミデルに身を移せ、とまあ勝手な事ばかり言っていたので、親父は首を横に振った訳なんですが」
「それで向こうは引いたの?」
「一応は。その時点でコニングの男爵に相談したかったんですが、あの有り様なので」
「(……ごめん)」
「ヘルトルーデは何も悪くない」
「そうだよ。―――分かった。事が片付いたら、この件は私が巻き取るよ」
「いいのですか? しがない鍛冶職人の事を王太子である貴方に」
「構わない。スヴォレミデルにいいようにされるのは面白くないしね。それに、デ・ブラリュネや君の家だけではないと思うから」
会話の中に実家の事が出て、ヘルトルーデが申し訳なさと情けなさにしょんぼりとした気持ちになると、ローデヴェイクがフワフワした毛に覆われた猫の躰を抱き上げた。
落ち込んでいるヘルトルーデの猫の耳元あたりに、彼は顔をグリグリと押し付けてくる。
擽ったさに、ヘルトルーデは猫の手をローデヴェイクの頬に当てて突っ撥ねた。
すると今度は、猫の肉球のニオイをローデヴェイクが嗅いでくる。
「(それは止めて!)」
「どうして? ヘルトルーデの肉球だもの、嗅ぎたくなるでしょ?」
「(猫好きなのは分かっているけど、猫は猫でも獣化した猫よ、私は!)」
「知っているよ。それと私は別に、猫自体は好きでも嫌いでもないよ?」
「(え? それはどういう―――)」
「猫の肉球に話題が移ったのなら、静かにしてくれないか。ミィとラディが寝ているうちに我も寝ておきたいんだ」
「嘗ては魔王だった存在なのに、睡眠が必要なの?」
揶揄するようにローデヴェイクが言うと、ヴァルデマルの赤い瞳が嫌そうに歪んだ。
「存在を割った弊害だと知っていながら敢えて言う底意地の悪さ。ヘルトルーデ、男は選らんだ方が良いぞ? 助言は惜しみなくしてやろう」
「ヴァル!」
「阿呆が」
ヘルトルーデとヴィリーは無言で、ミロスラヴァとラディスラフは引き続き寝ていたが、荷馬車の中は暫く賑やかだった。
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