第16話 犠牲
邪魔にならないように街道の端に荷馬車を停め、その脇の草地で朝食を食べながら、ローデヴェイクが順序立ててヴィリーに経緯を説明していた。
朝食を用意してくれたのはヴィリーで、彼は「小さい子らが居るのに食事を抜いてはいけない」と、荷台に積んでいた食材を提供してくれたのだ。
温かいスープや果物の他に、これまでのヘルトルーデ達の旅の道中では街に居なければ口にする事が出来なかった柔らかいパンを、ミロスラヴァやラディスラフ、ヴァルデマルに手渡してくれた。
そのパンを特にミロスラヴァが気に入ったらしく、パクパクと勢い良くオナカに収めている。
ヘルトルーデはそんなミロスラヴァを微笑ましく見つめつつも自身は食欲が湧かず、ローデヴェイクの説明に耳を傾けていた。
流石はローデヴェイク―――王太子という立場にあるからか、彼の説明は分かり易く丁寧で、概ね事実を語っている。
ローデヴェイクが「これで以上だけれど、なにか質問はあるかな?」と言うと、ヴィリーが頭を下げた。
「だいたいを理解しました。申し訳ありません。王太子殿下と魔王だったという貴方方への言葉遣いがなっていませんでした」
「いや、そこは気にしないで。私の方も醜態を演じているからね。頭を上げて」
「嘗ての魔王が目の前に居ると知って、その程度の反応なのか?」
「そうですね……」
ヴィリーは頭を上げて、パンの入っている布袋を手に取った。
そしてその中から二個のパンを取り出すと、物足りなそうにしていたミロスラヴァに追加で手渡す。
ミロスラヴァが可愛らしい笑顔を見せて「ありがと!」と言い、直ぐにパンを齧りだした。
「実感が湧かないというのが正直な気持ちです。俺にとってはあまりに昔の存在すぎますし、物語の中の話だと思っていましたから。物語が事実であったのだとしても、人と魔が争っていたのは遠い過去で、俺も両親も祖父母ですら何もされていない訳ですし、魔獣の被害も俺自身は合っていないので。だから、恐怖を感じる事も、恨みを抱く事も無いというか。それに今の貴方の見た目も普通の子供にしか見えませんし」
「そいうものか」
「はい。俺にとって伝わる物語は、親が子供を寝かしつける為に怖がらせるものでしかありませんでした。……あの、疑う訳ではありませんが、貴方の瞳の色は印象的な赤い瞳ですが、人の目と変わりなく見えます。ですが物語には、魔の者は瞳の周囲の、白目の部分が黒いとありましたが……」
「それで合っている。大半の者はそうだった。多くの魔力と知能を兼ね備え、操る事にも長けていた上位の者は、時と場合で人の其れと同じように変えていたが、だが、我々にとって、そもそも人に合わせる意味が無かった。人という存在は魔の者にとって、いつでも捻り潰せる羽虫であり、ある者らにとっては弄ぶ人形でしかなかったのでな」
「…………」
「ヴィリー、一つ聞いていいかな?」
目の前に置かれた食事に口を付けていなかった猫のヘルトルーデに、ローデヴェイクが手を伸ばして抱き上げては膝の上に乗せ、自身のスープの具を小さく割って、猫の口へと持ってきた。
どうやらヘルトルーデに、このタイミングでちゃんと食べろという事のようだ。
ヘルトルーデは差し出されるままに、ローデヴェイクが持つスプーンに口を寄せた。
「ヘルトルーデの異母妹アンシェラの居場所を君は把握している? 王城と思っていいかな?」
「はい」
「正確性はどのくらい?」
「ヘルトルーデの捜索に協力してくれた裏組織がコニングの屋敷に潜入しての情報なので、大丈夫だと思います」
「……そう」
ローデヴェイクが思考するような表情になった。
それでも手は動かし続けていて、ヘルトルーデの猫の口に再びスープの具を持ってくる。
食欲が全く湧かない状態が続いているヘルトルーデだが、大人しく其れを口に入れた。
「アンシェラはヘルトルーデが居なくなった後、比較的直ぐに王城へと向かったようです。ヘルトルーデの兄マレインも一緒に行ったようだと裏組織の潜入者が教えてくれました」
「まあ、そこは予想通りだね」
「……それだけなら、まだ良かったんですが」
チラリとヴィリーがモコモコとスープの具を咀嚼中のヘルトルーデに視線を向けた。
彼の鳶色の瞳に躊躇いの色が滲んでいる。
長い付き合いのヴィリーのそんな様子に嫌な予感がして、ヘルトルーデは猫の髭をピクリと震わせた。
「(あの後、なにかあったの?)」
「……ああ、うん。あの後にあったというか、後で分かったというか」
「(なに? はっきり言って)」
ヴィリーが溜息をついた。
それと同時に、ローデヴェイクがヘルトルーデの毛並みを撫でる。
いつものように優しい手付きと落ち着く彼の体温に、少しの勇気をヘルトルーデは貰った。
「(なにがあったの)」
「……裏組織の潜入で分かった事なんだけど、フランカが死んだ」
「(…………え?)」
「殺された訳じゃない。ただ、誰かに刃のついた物で傷つけられたらしい。傷自体は致命傷では無かったらしいが、それが元で高熱が出たようで、そのまま。娘が死んで、メイド長のマフダは職を辞したようだよ」
「(治癒士は呼ばなかったの!? 司祭様は!? コニングの領地には教会があるのよ!?)」
「……潜入者の報告では、呼ばなかったみたいだ。マフダは必死に訴えたらしいけど、相手にされなかったらしい。彼女が諦めるまで、屋敷からも出さなかったようだと。……三年半前から男爵家は異常な状態だよ。俺はさ、ヘルトルーデ」
クシャリとヴィリーが前髪を掴みながら額を押さえた。
「一年半前、ヘニーの亡骸と一緒にヘルトルーデがコニングの家から出たのは良かったと思っている。寧ろ遅かったくらいだ」
「(でも、フランカがっ)」
彼女の態度が冷たくなってしまった二年間ではなく、仲が良かった頃の、大好きなクッキーを焼いてくれた笑顔のフランカばかりが思い出されて、ヘルトルーデの猫の毛が逆立った。
そんなヘルトルーデをローデヴェイクがやんわりと抱き締める。
髭が悲しみにピクピクと動く猫の頬に、彼は自身の頬を寄せた。
次に何を言っていいのか分からなくなってしまったヘルトルーデの代わりに、口を開いたのはヴァルデマルだ。
「そういえば言っていなかったな。古の闇の陣には贄を必要とする場合がある。量は何を目的とする陣かにもよるが、血を使うんだ。犬の血だけでは足りないと判断されたのだろう。そして大抵、贄とされるのは年若い娘か子供だ」
「(……リボン)」
「ヘルトルーデ?」
猫の耳元でローデヴェイクの心配そうな声音が聞こえた。
けれど、今のヘルトルーデには其れに応える余裕は無い。
真っ白い毛を血で濡らしたヘニーの躰に刺さっていた短剣には、何が結びつけられていたのか。
リボンではなかったか。
そのリボンを、どうしてアンシェラの物だと思ったのか。
リボンが似合い、好んで使っていたのは、フランカではなかったか―――。
「(……ヴィリー)」
「……なに?」
「(ヘニーの躰に刺さっていた短剣のリボンは―――)」
「潜入者からの報告を聞いて、俺もそこに思い至ったよ」
「(……どうしよう)」
「どうしようも何も今更どうにもならない。……フランカの墓には、俺が花を供えておいた」
「(……お花)」
「―――ねえ、ヘルトルーデ、聞いて?」
悲しみと憤りとで、どうしてよいのか分からない行き場のない気持ちで猫の躰を震わせ始めたヘルトルーデに、やんわりと抱き締めていた手を緩め、ローデヴェイクが鼻頭を合わせてきた。
彼の瞳とヘルトルーデの猫の瞳の距離がグッと近くなる。
しかしローデヴェイクの瞳に猫のヘルトルーデが映る事は無かった。
ローデヴェイクが目を伏せたのだ。
「これまで話した事はなかったけれど、私が呪いの陣に触れてしまったのはね、私が一番信頼していた最側近の遺体だったからだよ」
「(……最側近)」
「うん。思考を巡らせるのが好きで、清廉潔白な人間ではなかったのだけれど、私と妙に気が合ってね。魔力は殆ど無く、体術や剣技もてんで駄目で、そんな自分を護るのは王太子である私の役目だと言い切っていたかな」
色々とおかしいよね、とローデヴェイクは続けて、合わせていた鼻頭を離した。
「でも、仲が良かったんだよね。今、思い返しても、彼とは主従としても、友人としても、良い関係が築けていたよ。……一年半と少し前、私の所有している離宮の近くで倒れていてね。慌てて駆け寄って、そして仕掛けられた陣に触れた。……私は彼を護れなかったよ」
「(…………)」
「ねえ、ヘルトルーデ」
「(……うん)」
「解呪は私達の絶対の目標だよ」
「(……そうだね)」
「でも、それだけではない。呪われる者を、その陣の犠牲を、これ以上出るのを防がなければならない」
「(……うん、私もそう思う)」
「頑張ろうね」
「(うん、頑張ろう)」
そこまで会話して、ヘルトルーデは再びスープの具を口に入れる事を再開させられた。
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