第14話 再会





 あまりに酷い森の中の惨状に「一刻も早く逃げよう」と逃走を決めた三人―――ヘルトルーデ、ローデヴェイク、ヴァルデマルは、満足そうな表情のミロスラヴァとラディスラフを連れて、身だしなみを整えるのもそこそこに街道へと移動した。


 夜が明けそうだった。遠くの空に陽の気配が滲み出している。


 ヘルトルーデの体の奥がザワリとした。

 人型から猫へと変わる時間が迫っているのだ。


「街道に出たのはいいけど、ここで変化したらどうするの? 私は猫になるだけだからいいとして、ローデヴェイクは人型になるのに」

「(急いで服を着るよ。それにまあ、全裸になってしまったとしても、時間帯的に街道の往来は殆ど無いし、この場に居るのはヘルトルーデと子供達だけだしね)」

「だけだしって何!? 流石に全裸は気にして! 私に見られるのは気にして!」

「(どうして?)」

「え?」

「たいした事でも無い事に、何を無駄な遣り取りをしている。人型に戻る時の服の有無が問題であるのならば、我が解決できる」


 何とでも無いといった様子のヴァルデマルの言葉に、いち早く反応したのは勿論ヘルトルーデだ。

 何故なら獣化の呪いを受けてからのこの一年半の、ヘルトルーデ的には最大と言ってよいくらいの大問題だったからだ。


「ヴァル、本当!?」

「ああ。古の陣の影響力と連動する魔法を予め仕掛けておけばいい。呪いの弱まった時に、人型の身を包んだ状態で服を出現させるだけだ」


 ヘルトルーデはしゃがんでヴァルデマルの手をガシリと握った。

 自身の瞳がキラキラと期待に輝いてしまっているのが分かる。

 それに、ヴァルデマルは何処か億劫そうに、ローデヴェイクは「(何しているの)」と声を一段低くした。


「お願い、ヴァル!」

「……分かった。お前はどうする、ローデヴェイク」

「(私はいいよ。陽が昇ると同時に人型に戻るのに、万が一、他者にその光景を目撃されては拙いからね)」


 他人の前で全裸になるのもどうかと正直思ってもいるけれど、どちらがよりマシかといったところかな、と続けて、銀狼の鼻先でヘルトルーデとヴァルデマルの繋がった手を押した。

 どうやら離せという事のようだ。


「ではヘルトルーデにだけ仕掛ける。―――ラディ、前に教えた事を覚えているか?」


 ヴァルデマルに問われたのに、ラディスラフは素直な様子で頷いて、しゃがんだままのヘルトルーデの額に小さな子供の手を当てた。


「……僕、ちゃんと、出来る。ママ、少し我慢、して。―――死と闇の神ゾルターン。其の力の全てを寄越せ。対象はママ。呪減漆黒魔着衣」


 ズズズと何かが体の中に入り込んだ感覚がした。

 それを表現するのであれば、温かな血を鼓動によって送り出している心臓に、少しずつ冷水が流し込まれている感じだ。

 このままでは冷え切って心臓が止まってしまうという不安が心を過ったが、魔法を施しているのはラディスラフで、彼が善意で行ってくれているのは分かっている。


 ヘルトルーデは慣れない感覚に目を閉じた。

 心臓が冷水を鼓動によって、指先、足先にまで行き渡らせていく。

 それを少しの間じっと耐えて、全身を巡る冷たい感覚が治まると、ヘルトルーデはゆっくりと閉じていた目を開けて、オレンジ色の瞳にラディスラフを映した。


「ラディ、ありがとう」

「……うん。上手く、出来たと、思う」


 ラディスラフがヘルトルーデの額に当てていた手を外した。

 その手を追って握り、ヘルトルーデは反対の手でラディスラフの艶のある黒い髪を撫でる。

 どちらかというと表情が乏しいラディスラフが、ほんのりと柔らかそうな頬を染めた。


「……前に、ミィちゃんが、着ていた、ような、服が出て、くるから、その後、着替えて」

「それは楽しみね。本当にありがとう」

「……うん」


 子供らしい仕草でラディスラフが首肯した。

 可愛らしかった。とても愛らしかった。


 そう思った途端、ヘルトルーデの心にある欲が湧き上がってしまう。

 いつか自分も、このような可愛い子供が欲しいと思ってしまうのだ。


 コニングの家族や周囲は、ヘルトルーデにとって冷たいものになってしまった。

 だからという訳ではないが、寂しさを感じず、常に心が休まるものが欲しかった。

 平凡なもので全く構わない。贅沢がしたい訳でもない。

 生活に忙しくて大変でもいいから、温かい家族が欲しかった。

 楽しい時は笑い合い、辛い時には一緒に頑張って乗り越える、そんな家族。


 貴族枠底辺ではあるが、それでも貴族でしかない自分が、何処まで恋愛という自由が得られるかは分からない。

 しかし、少なくとも嫌だと思う相手でないといい。

 尊敬でき、好意を寄せる事が出来れば尚良し。


 ヘルトルーデはラディスラフを映していた瞳の見る先を下方へ落とした。

 銀狼の豊かで美しい毛に覆われた脚が視界に入る。


「……好きな人、か」

「(ヘルトルーデ? どうしたの? もしかして具合が悪くなったりしてる?)」

「……そう、なの?」

「あ、ううん! 大丈夫よ! ちっとも具合悪くなんてなってないから!」

「(本当に?)」

「……ママ」

「―――誰か来たようだ」


 ヴァルデマルの言葉に、ヘルトルーデは彼が見ていた方角に視線を向けた。

 目を凝らすと、ヘルトルーデらが来た方角から一台の荷馬車がやってくる。

 人の往来の殆ど無いこの時間帯に荷馬車を動かす危険性を無視してまで急いでいるのか、やってくる荷馬車の速度はだいぶ早かった。


 ローデヴェイクは姿を隠そうとして、止めたようだ。

 向こうからも此方が見えだしているだろうから、今更だと思ったのかもしれない。


 ヘルトルーデらは街道の端に寄った。

 急ぐ荷馬車に轢かれては堪らない。


 荷馬車が近づいて、御者台に乗る者の顔が視認できる距離になり、ヘルトルーデは驚愕に両手を口元に当てた。

 荷馬車の御者台に乗る者も同様だったようだ。

 急な停止指示に馬が嘶き、荷台に載せられた物が中で崩れたのか、物のぶつかり合う音がする。


 ヘルトルーデは荷馬車に駆け寄った。

 御者台に乗る者も、荷馬車を停めると直ぐさま降りる。

 両者とも駆け寄って、まるで互いの無事を確かめるように抱き合った。


「ヴィリー!」

「ヘルトルーデ! 今まで何処に居たんだ! どうして突然、何も言わないで出て行った! どれだけ心配したか分かっているのか!? 探した! 凄く探した! 商品を納品しに行く度にいろんな場所を探しまわったよ! コニングの家に何かされたのかとも思って、でも平民が男爵家に聞きに行ったところで門前払いだ! 本当に今までどうしていたんだよ! …………無事で良かったっ」

「うんっ、ごめんね」


 ヴィリーがヘルトルーデを抱く腕に力を入れた。

 この一年半、とても心配と迷惑を掛けてしまっていたはずだ。ヘルトルーデは「ごめん、ごめんね」と何度も謝り続けるしかない。

 ヘルトルーデを抱き締めながら、ヴィリーが言葉を続けた。


「皆、各地でヘルトルーデを探したんだ」

「皆?」

「ウチの客達だよ。皆、心配していたんだ。コニング男爵家の事情は知っていたし、なにより殆どが、ヘルトルーデに剣を教えた師匠達だろう?」

「……うん」

「皆さ、所属している各ギルドを利用したり、傭兵仲間を使ったりして、ヘルトルーデを探し回ってくれてたんだよ」

「……うん」

「親父も鍛冶仲間を通じて、各地の武器屋にも事情を伝えてさ」

「……うん」

「でも、そこまでやってもヘルトルーデの目撃情報が一切出て来ないんだ。皆、焦ったさ。ここまで必死に探しても見つからないのは、もしかしてってさ。たとえ拉致されていたとしても、生きていれば情報の一つは入るはずだって。あるギルドは、伝手のある裏組織をも動かしてくれたんだ」

「…………うん、本当にごめん」


 ヘルトルーデを抱き締めるヴィリーの腕の力が弱まった。

 ほんの少しの距離を空けて、彼はヘルトルーデの顔を覗くように見てくる。

 彼の鳶色の瞳が心配と安堵に彩られていて、あまりの申し訳なさに、ヘルトルーデの目に涙が滲み出し、耐えた。

 それでもヴィリーが気づいて目尻を指で拭ってくれる。


「この一年半、無事だったと思っていいのか?」

「うん」

「無事だったんなら、なんで手紙の一つ寄越さなかったんだよ」

「……ごめん」

「謝って欲しいんじゃない。俺は理由を聞いているんだ」

「……そうだよね。あのね、手紙は出せなかったの。痕跡をね、残せなくて」

「なんで?」

「―――あ」


 体の奥がザワリとする感覚が連続した。

 日に二度、毎日経験しても決して慣れる事のない全身に蟲が這うような嫌悪感に、今回は酷い焦燥を覚える。

 どうしてよいのか分からず、ヘルトルーデはギュッと目を瞑った。


 ―――駄目、今は獣化しては駄目! ヴィリーの目の前なの!


 陽が昇った。朝が来た。

 陽の気配が滲み出していた遠くの空が、今はもう完全に明るい。


 視界の位置が猫の高さになるのを覚悟して、そしてヴィリーの様子が気になって、ヘルトルーデが恐る恐る猫の目を開けると、喫驚した表情のヴィリーが猫である自分を落とさずに抱えていた。


「ヘ、ヘルトルーデ?」

「(あ、あの、ヴィリー)」


 言葉が通じないのが分かっていても、話し掛けずにはいられない。

 何かを言わないと。弁解をしないと。

 そんな焦りの気持ちがヘルトルーデの心に押し寄せて、でも言葉が通じないのに人型なら涙が溢れそうになる。


 そうこうしているうちに、ヴィリーの喉元に光の槍が一本、彼の頭上にも背後からも十数本の光の槍が向けられた。


「―――理由は、この国の王太子である私と行動を共にしていたからだよ」


 いつもより単調に感じる低い声に驚いて、ヘルトルーデはヴィリーの腕の中からローデヴェイクの方へ振り返った。

 ヘルトルーデと同じく陽が昇って変化したローデヴェイクは、当然、銀狼から人になっている。

 常に優しい眼差しを向けてくれるローデヴェイクの瞳が今は酷く冷たく、そして無表情だ。


 ―――怖い。


 初めてローデヴェイクにそのような感情をヘルトルーデは持った。

 今の彼は威圧感が凄く、畏怖と恐怖に、ただ平伏したくなるような存在だ。


 ―――どうして。


 ローデヴェイクが利き腕を空に向けて上げた。

 その体勢に覚えがあるヘルトルーデは、衝撃に猫の目を見開く。


「(ローデヴェイク! 止めて! ヴィリーよ? 彼がどんな人か教えてあるでしょ!?)」

「君の手の中に在る猫は私のものだよ。返してもらおうか」


 ヴィリーの喉がコクリと鳴ったのが聞こえた。

 ヘルトルーデも身動きが取れない。


 その時だ。


「見苦しいな。今の己が成し得る事が出来ないものを見せられ嫉妬するのは勝手だが、その醜態を同じく見せられる此方の事も考えろ。早く服を着ろ。男の裸は更に見たくない。―――ラディ」


 ヴァルデマルに名を呼ばれ、ラディスラフは首肯した。

 紫色の瞳をローデヴェイクにチラリと向け、申し訳なさそうな顔をすると、ラディスラフは言葉を紡ぎ出す。


「―――死と闇の神ゾルターン。其の力の全てを寄越せ。対象は光の槍。黒槍衝突」


 ズンと地鳴りが一度。

 その後直ぐに、幾本もの黒い槍が地面から生えるように出現する。

 ラディスラフが手を振り払った。

 その動きに合わせ、ローデヴェイクが出していた光の槍に同数の黒い槍がぶつけられる。

 バリンとガラスが一斉に割れるような音がして、光の槍も、ぶつけた黒い槍も、瞬時に霧散した。


「子供の体にこの移動は疲れる」


 ヘルトルーデを始めとしたその場に居る者らが無言の中、ヴァルデマルは足りない身長分を背伸びして、ヴィリーの手の中の猫を引っ手繰るように奪う。

 そして不機嫌であるのを隠そうともせずに、持ち主に断りも無く、彼は荷馬車に乗り込んだ。


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