第12話 身から出た錆
ヴァルデマル達と出会った魔王城跡地がある森を出て、一旦、ファースの街に戻った。
宿に一泊して、旅の支度を再び整える為だ。
人型のローデヴェイクが手際良く街へ入る為の手続きをして―――その際に増えた三人に必要なものはヴァルデマルの指示の下、ラディスラフが幻覚の闇の魔法を発動した―――直ぐに宿の確保に動く。
今度は二人用の部屋ではなく、家族で泊まれる部屋を取ったようだ。
魔王城跡地がある森の近くにあるファースの街だが、ヴァルデマル達は訪れた事が一度も無いらしい。
必要になればラディスラフが空間を捻じ曲げて穴を開け、其処にヴァルデマルが腕を突っ込んで失敬していたとの事だ。
完全体の魔王でなくとも欲しい物だけを手元に転移させる事は出来るらしいが、魔法の腕を持っていても、ラディスラフに欲しい物を理解させる事の方がどうしても出来なかったと、ヴァルデマルが憮然とした顔で言った。
そんな彼らである。
当然の結果というべきか、ファースの街に到着後直ぐにミロスラヴァが大騒ぎした。
「すごい、すごい、すごい! ミィちゃん、人間がいっぱいのところ初めて!」
陽が昇ってヘルトルーデが猫に獣化する前に、寝崩れてしまった髪型を可愛らしく整え直したミロスラヴァが、ローデヴェイク手製の髪飾りの毛玉を揺らしながら飛び跳ねた。
「(そっか。良かったね)」
「うん! ママ、あれは何?」
「(あれは小物を売っているお店かな)」
「後で寄ってあげるね。欲しい物があれば買ってあげるから、それよりまず先に三人の服を買わないと」
猫のヘルトルーデを肩に乗せ、目を離すと何処かに行ってしまいそうなミロスラヴァと手を繋いでいるローデヴェイクが、聖職者の服をギュッと握り締めて脚に纏わりつくように歩くラディスラフの黒髪の頭にポンと手を乗せた。
ヴァルデマルは二歩離れた後ろを黙ってついてきている。
ローデヴェイクが旅の間に持っていた大きな荷物は結局、ラディスラフの維持する空間に中身を放り込んで減らし、今は肩に少袋を背負っているだけだ。
大抵の街に滞在する時と同じく、外套のフードをローデヴェイクは深く被っていた。
しかし今回、それはあまり意味を成していないようだった。
「(なんかチロチロと見られているみたいよ、ローデヴェイク)」
「まあね。前回立ち寄ってから一ヵ月も空いていないし、忘れられていないところに子連れだしね」
「(そうだよねぇ)」
「ねえ、パパ!」
「なにかな?」
「ミィちゃんの服、買ってくれるの? これじゃ駄目なの?」
ミィちゃん、この服、気に入っているんだけど、と言葉を続けて彼女が指し示す服は、所謂、子供用ドレスだ。
膝丈だから歩行には支障は無いが、問題はその作り。
旅をするのには華やか過ぎ、色は漆黒で、なにより嘗ての魔の者の女性体が好む形だった。
「うーん。今の服は、勿論、ミィちゃんにとても似合っているのだけれど、旅をするのには違う服の方がいいかな。なるべく可愛い服を探すから、それで我慢して?」
「可愛い服?」
「うん、可愛い服。そこは頑張って探すから」
「分かった! 約束ね!」
「(良かったね、ミィちゃん)」
「うん! ママもパパもミィちゃん大好き!」
そこまでファースの街の中を歩きながら、ほのぼのと会話をしていた時だ。
ヘルトルーデらの前に、一人の若い女性が行く手を阻むように立ち塞がる。
ローデヴェイクが足を止め、次いで、ヴァルデマルら三人も立ち止まった。
「聖職者様! またお会いしましたわね!」
「―――ああ、御守りを購入して下さった方ですね」
ローデヴェイクが深く被っていたフードを外した。
彼の銀色の髪が陽光に煌めき、それに目の前の若い女性が感嘆に息をつく。
引き寄せられるように若い女性がローデヴェイクに一歩二歩と近づいた。
距離が縮まるにつれ、彼女がつけている香水の匂いがきつくなり、今は猫の鼻のヘルトルーデは、退避の為にミロスラヴァの方へと飛び移る。
ミロスラヴァはローデヴェイクと繋いでいた手を離して、難なくヘルトルーデを受け止めた。
「またファースに来て下さったんですか?」
「ええ。付与の依頼があった森での仕事を終えましたので、この街で旅の必需品を買い足そうかと思いまして」
「旅は続けられるのですか?」
「はい。一旦、所属の教会に戻らねばなりませんから」
「まあ。聖職者様はどちらの教会に所属なんですか?」
若い女性が甘ったるく感じる声音を―――多分、意図的に―――出した。
まあ、そうよね、と、この一年の旅路で時折あった事に、ヘルトルーデは溜息の代わりに猫の髭をピクピクと動かす。
人の美醜にあまり関心の無いヘルトルーデから見ても、ローデヴェイクの容姿はかなり良い部類だろうと思うからだ。
若い女性がローデヴェイクの胸に手を置いた。
ローデヴェイクは動かない。
ミロスラヴァの腕の中から見上げた彼の表情も、貼り付けたような微笑みから動かなかった。
「神国スヴォレミデルの隣のヴィーネンルーダ公国の田舎にある名も無き教会ですので、残念ながら場所の説明が難しいですね」
総本山でしたら良かったのですが、と貼り付けた微笑みから憂いの顔に移行させて、ローデヴェイクが若い女性の手にやんわりと触れ、自然を装って彼女の手を胸から外した。
若い女性は退かされたと気づかずに、手を触られた事に頬を染める。
ヘルトルーデは目の前の彼女の事を思うと、ほんの少し気分が沈んだ。
思う事すら失礼なのだろうが、可哀想だと思ってしまったのだ。
彼女の反応は至極当たり前だ。
けれど、きっと身分関係無く、彼女とローデヴェイクが万が一にもどうこうなる事は無いだろう。
ヘルトルーデがこの一年を一緒に旅をして気づいたのは、口には出さないが、ローデヴェイクは女性全般があまり好きではないのだろうという事だった。
王太子という立場であるが為に、身分と容姿に寄ってくる女性達が数多だったからではないかと勝手にではあるが推測している。
猫は好きそうだから、愛玩動物に逃げていたのかもしれない。
前に気になって聞いた時、王宮では猫も犬も鳥も馬も飼われていると言っていた。
「そうですか、それは残念です。あの、今回は数日は滞在されるのですか?」
ローデヴェイクが輝く銀糸の髪を揺らして首を横に振った。
「いえ、明日の早朝には発とうかと。ですので、今から買い物をしようと思っているのです」
だから早く解放してくれないかな、そんなローデヴェイクの心の声が聞こえた気がした。
ヘルトルーデは溜息の代わりに、また猫の髭をピクピクと動かす。
だからという訳ではないだろうが、気づくと、ミロスラヴァが若い女性を睨んでいた。
「ミィちゃん、パパに服を買ってもらうの! 早くお店に行きたいの!」
ミロスラヴァの怒った声に、そこで初めて若い女性がローデヴェイクの周囲に居る子供達に気づいたようだった。
どうやら今までローデヴェイクしか視界に入っていなかったようだ。
彼女はミロスラヴァ、ラディスラフ、ヴァルデマルと順に見てから、ローデヴェイクに視線を戻した。
「この子達は?」
「ああ、この子らは向かった先で、言い方はよくありませんが拾ったのです。どうも孤児のようで」
「まあ。それでは教会管轄の孤児院にお連れに?」
「そうですね、どうしようかと今―――」
「あのね、駄目だよ! ミィちゃんのパパはミィちゃんのママのものなの! 取らないで!」
「え? でも孤児なのでしょう? ママなんて何処に―――」
「此処だよ!」
ミロスラヴァが腕の中に収まっていた猫のヘルトルーデの両脇をガシリと持ち、プラーンと胴が伸びてしまう持ち方で、若い女性に良く見せるように突き出した。
それにヘルトルーデの猫の耳が垂れ下がる。
パチクリとした猫の目を、どうにかしてこの場を収めて、とローデヴェイクに向けた。
「猫じゃない」
「ママだもん! ミィちゃんのパパ、ママの事、大好きなんだから!」
「あー…あのね、ミィちゃん」
子供ならではの暴走気味の言葉に、ローデヴェイクが些か困ったような表情をした。
そんな時だ。
最近、耳にした事のある声に話し掛けられる。
「おや、若い聖職者様じゃないか」
「―――貴女は乗合馬車の」
新たに登場した人物は、ファースの街から魔王城跡地へと向かう乗合馬車初日に、ローデヴェイクと会話した中年の女性だ。助言もしてくれて、ローデヴェイクが御守りを幾つか渡した人でもある。
その女性は、やれやれ、といった様子でローデヴェイクの目の前に立つ若い女性に近寄ると、彼女の肩をガシリと掴んだ。
「聖職者様、未熟な若い娘の失態と許しておくれ」
「いえ、失態という程では決して」
「おばさん、貴女に関係ないじゃない!」
「関係あるさ。近所の茶飲み友達の娘が聖職者に絡んでいるんだ。幾ら教会内で力の無さそうな兄さんであっても、聖職者に粉を掛けては駄目さ。あんたが白い目で見られるんだよ」
正論だった。
女神シルフィアを信仰するスヴォレミデルは、聖職者の婚姻や恋愛を良しとしていない。
禁止とまではなっていないから、皆無という訳では無かったが、そういった場合は大抵、隅へと追いやられる。寂れた教会への左遷だ。
女性全般が好きでは無さそうなローデヴェイクが聖職者と偽って旅をするのも、それが理由ではないかとヘルトルーデは思っている。
「それにね、聖職者様の連れの子供に悲しい思いをさせては駄目さ。相手は子供だ。それを気遣えない人間になってはいけないよ。あんたの母さんも悲しむ」
「……でも」
「分かるよ。この聖職者様はとてもいいオトコだからね。でも駄目さ。―――聖職者様、すまなかったね」
「いえ、本当に。元はと言えば私に非がありますので」
「そう言って貰えると助かるよ。―――ほら、あんたは謝りな」
若い女性は下を向いた。
そして少しして、彼女は顔を上げると力なく眉を下げる。
「ごめんなさい。……あの、これ少ないですが、子供達と美味しい物でも食べて下さい」
そう言って、懐から一食分には十分な額の金を出すと、しゃがんで、ラディスラフの服のポケットに入れた。
その際、ラディスラフがビクリと体を震わせて、怖がらせたと思ったのか、若い女性が再び謝罪を口にする。
「それは受け取れません」
「謝罪の気持ちです。貴方というより、貴方をパパと呼ぶ彼女を怒らせてしまったから」
「しかし」
「聖職者様、受け取っておきな。これで上手く収まるんだからさ。子供達にこの街の美味しい物でも食べさせておあげ」
ローデヴェイクが拒否の言葉を連ね続けても、彼女達は引かないだろう。
それを素早く悟ったローデヴェイクが、申し訳なさそうな色を瞳に滲ませた。
「ありがとうございます。御加護がありますように」
その言葉を合図に女性達が去っていった。
ローデヴェイクが深く息を吐いて、猫のヘルトルーデごとミロスラヴァを抱き上げる。
「……どうにも参ったね」
ローデヴェイクの言葉に反応したのはヴァルデマルだ。
「大方、その容姿を利用して、詐欺まがいの商品を調子に乗って売り捌いていたのだろう。身から出た錆だな」
「…………」
まあ、お蔭で我々は服を買ってもらえる訳だから何も言う事は無い、とヴァルデマルは続け、今度は先陣を切って歩き出した。
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