第11話 平穏な一時(2)
それは五人で一緒にローデヴェイクが作った料理を口にした時に起こった。
ローデヴェイクが氷の魔石を使って適温にした煮込みスープを、猫のヘルトルーデがペロリと舐めるのを目視していると、ミロスラヴァが無邪気な様子で話し出したのだ。
「これ美味しいね! ママ!」
「(でしょ? パパ、料理が結構上手なの。王太子殿下なんだけどね)」
「……僕も、美味しいと、思う。パパ、作ってくれて、ありがとう」
当然、この会話に喫驚し、口の中のものを噴き出したのは、ローデヴェイクとヴァルデマルだ。
ローデヴェイクとヴァルデマルはゴホッと咳き込み、口元を拭うと、
「……今の会話は何かな?」
「(え? ローデヴェイクの料理が美味しいっていう会話だったと思うけど)」
「そうではなくて」
「パパママとは何だと、こやつは聞いているのだ」
「(あ、それね!)」
此方の疑問を理解したらしいヘルトルーデが答えようとしたが、猫の口周りの毛についてしまったスープが気になったようだ。可愛い舌でペロリと舐める。
喫驚しながらもそれに気づいたローデヴェイクは、手元の布で直ぐに拭ってやった。
「(さっき温泉に一緒に入っている時にね、名前は何って話になったの。ミィちゃん、ラディ、ヴァルって三人の名前は分かったんだけど、二人とも、私とローデヴェイクの名前がどうしても言えなくて、で、結局、言いやすいパパママにしようって話で収まったって感じかな)」
「ミィちゃんね、ママとパパが欲しかったの!」
「……僕も。あの、パパって、呼んでも、いい? 駄目、かな?」
あれ、駄目だったの? そうか、やっぱり王太子殿下だし、と続けたヘルトルーデが心配そうな瞳を、ミロスラヴァが期待に銀の瞳をキラキラと輝かせて、ラディスラフが不安に紫の瞳を曇らせる。
そんな三対の瞳を向けられたローデヴェイクは流石に狼狽えるしかない。
「いや、駄目という訳ではないのだけれど。……少々驚いただけで」
そう言って、心を落ち着かせる為に手に持つ煮込みスープをスプーンでクルリと回すと、目尻を下げて、相手を安心させ、自身は無害だと示す事を意識した微笑みを作った。
王太子として、狐から狸、老獪から魑魅魍魎までいる王宮で培ったものの一つである。
「―――うん、いいね。私がパパでヘルトルーデがママか。むしろ是非それで呼んで?」
ローデヴェイクの言葉に喜ぶ三人を他所に、「なんの茶番だ」といった視線を向けてきたのは、勿論、ヴァルデマルであった。
*****
パチリパチリと焚火が音を鳴らしている。
―――夜。
陽が落ちて人型に戻ったヘルトルーデは、人用のブラシを手に、淡い桃色の髪を解かしていた。
獣用のブラシは今、ラディスラフが持ち、銀狼姿のローデヴェイクの豊かすぎる毛を一生懸命に梳いている。
ローデヴェイクは目を瞑り、ラディスラフの好きなようにさせていて、ヴァルデマルは何をするでもなしに夜空を眺めていた。
ローデヴェイクお手製の煮込みスープを食べた後、ローデヴェイクを中心に猫のヘルトルーデ以外が手早く片付けをして、直ぐにあの場を後にした。
目的地が王都に決定した。であれば善は急げで出発する事となったのだ。
ヴァルデマル達の旅の支度は特に要らないらしい。彼らの持ち物は、ラディスラフの魔法で作られた空間に収納しているのだとか。
此方の荷物も入れるか、と聞いてくれたのはヴァルデマルで、それにローデヴェイクは、それでは旅をする一行として不自然過ぎるから、と首を横に振った。
とはいえ、ヘルトルーデの持っていた荷物―――大半はローデヴェイクが持ってくれていたので少量ではあったが―――は、一部の除き、ラディスラフの空間にお世話になる事が決まった。
ヘルトルーデは一旦、膝の上にブラシを置いた。
ミロスラヴァの淡い桃色の髪を解かし終わり、次いで彼女の髪を編み込む為だ。
子供が好きそうな可愛らしい髪型にしてあげようと、ヘルトルーデは淡い桃色の髪を幾本かの束に分けた。
今夜の野営地はヴァルデマルの指定した場所に、人型のローデヴェイクが寝床だ何だと設置した。
ヴァルデマル達がいる時点で、魔獣は寄って来ないらしい。
バチリと薪が大きく爆ぜた。
寝床の上に座り、ミロスラヴァの髪を編み込んでいるヘルトルーデは、この一年、いや、アンシェラが現れた三年前から感じる事が出来なかった、ほんわかとした温かさに満ちている。
ローデヴェイクとの二人旅は、人から魔獣まで襲撃は何度もあったが、ヘルトルーデにとっては楽しいものだった。たとえ猫になる呪いを掛けられていたとしてもだ。
コニングの屋敷での心の痛みを、一時的にでも忘れさせてくれたのはローデヴェイクだ。
凄く感謝していた。
そして今。
正体こそ嘗ての魔王が分裂した存在だとしても、今は警戒する様子を見せずにヘルトルーデに背中を向けているミロスラヴァは、とても可愛い。
一生懸命に銀狼の毛と格闘しているラディスラフも、我関せずの姿勢を見せるヴァルデマルも、ほんの僅かな時間で心の隙間に入ってしまった可愛い子供達だ。
手放したくない、というのがヘルトルーデの正直な気持ちだ。
ローデヴェイクも、魔王な子供達とも離れたくない。
でも、解呪は必要で。
ヘルトルーデにとっては、解呪は望むものだが、同時に彼らとのお別れも意味していた。
呪いが解けたら、どうしよう。
冷たい場所になってしまったコニングの屋敷には帰りたくない。
変わってしまった人達を見て、もうこれ以上、傷つきたくもない。
領地の鍛冶屋のヴィリーのところはコニングの屋敷に近く、無事であった事の報告とお礼はしたいが、滞在先としては望ましい場所では無かった。
―――王都、かな。何処か住み込みで働けるところを探して、王城を見て、ローデヴェイクとの旅を思い出しながら過ごすのも悪くないかも。
いつか侍女として働く事があった時の為にと練習をしていた事を、淡い桃色髪で成果を出して、ヘルトルーデは編み込んだ一部の髪のクルリと丸めた。
次いで、それを留めて固定しようと、今現在、一番動き易そうなヴァルデマルにヘルトルーデは声を掛ける。
「ヴァル、悪いんだけど、荷物の中から髪留めを出してもらっていい? 出し忘れていたの」
「―――どれだ」
文句一つ言わず、夜空を眺めていたヴァルデマルが立ち上がった。
赤い瞳がヘルトルーデに向けられ、視線で、ヘルトルーデの荷物袋か、ローデヴェイクの荷物袋かを問うてくる。
それに「私の方」と答えて、ヘルトルーデは取り出して欲しいものを具体的に指示した。
「ミィちゃんには飾りがいっぱいついた可愛い髪飾りが似合うと思うから、そういうのを出してくれる? 確か、毛玉ボールが幾つもついていて、その先に滴型のビーズで飾ったものがあったはず」
「(―――あれね。ヴァル、赤い色のビーズだよ。中心にも君の瞳の色に似た大きめのビーズがあしらってある。花の形だよ)」
「分かった」
ヴァルデマルがヘルトルーデの荷物袋を開けた。
そして直ぐに彼は眉根を寄せる。
その様子にヘルトルーデは首を傾げた。
荷物袋の中に、眉根を寄せられるような変な物は特に入っていないはずだからだ。
「どうしたの?」
「これはなんだ」
そう言って、ヴァルデマルが幾つか取り出したのは、ローデヴェイク製の毛玉御守りと毛玉髪飾りだ。
有り余る銀狼の毛と猫の毛を専用ブラシで梳いて採取した後、丸めて、煮て、乾かして、ローデヴェイクによる細工で締める工程を経た路銀の糧の商品である。
ファースの街で完売してから細工の時間があまり取れなかった事もあり、品数は数個と極少量だが、普段は潤沢に用意していた。
光源が焚火と夜空の星々だけという夜の森の中で、それら―――毛玉は淡く光っている。
ヴァルデマルが毛玉を見極めるように触れた。
「それはね、私達の獣化の時に抜ける毛で作った毛玉の御守りと髪飾りよ。ローデヴェイクの光の魔力を注いだご利益のあるものなの。しかも、暗くなると仄かに光るから失くさなくていい特典つき」
「光る以外の効力は?」
「(……そこは聞かないで)」
ローデヴェイクが罰の悪そうな声音を出した。
「どうしたの? あ、でね、これを道中で売って旅の資金にしていたの。結構売れたのよ?」
「道中? どのくらいの期間、どの範囲で? 数は?」
ヴァルデマルに具体的に問われ、ヘルトルーデは「うーん」と考えながらローデヴェイクに視線を移す。
ローデヴェイクがその先の説明を引き取った。
「(期間はヘルトルーデと旅を始めたこの一年程。範囲はこの国全体。私に放たれた刺客を巻いての移動だったからね、仕方なく。数は相当数。抜ける獣の毛が豊富すぎてね。あと、価格を安く設定したから、数を捌かないと、ある程度の纏まった額にならなかったのもあるよ)」
ヘルトルーデにひもじい思いをさせる旅なんてしたくはなかったからね、とローデヴェイクは続ける。
「売り捌いた全てにお前の魔力を注いだのか?」
「(そうだよ。ヘルトルーデに対して御守りという意味合いを見せなければならなかったし)」
「―――成程。それは重畳」
ヴァルデマルが満足そうな笑みを見せた。
*****
「でーきた!」
「わぁい! ラディ、魔法で闇壁だして! ミィちゃんが映るように鏡にして!」
「……いいよ」
淡い桃色の髪を幾つか細く編み込んで、それをヴァルデマルに取り出してもらった毛玉髪飾りで留めて。ミロスラヴァは子供だからと編み込まなかった残りの髪はそのまま流し、ふんわりとさせた。
―――うん、可愛い。
ミロスラヴァの可愛さを引き立てた出来に、ヘルトルーデは大満足して微笑む。
ヴィンとした音を立てて出現した鏡のような闇壁に、ミロスラヴァは右を向いて、左を向いて、正面を向いてと忙しい。
そんなミロスラヴァに、闇壁の魔法を使ったラディスラフがモジモジとした様子で口を開く。
「……ミィちゃん、似合う。可愛い」
「本当!?」
「……うん、本当」
「可愛いって言われた! ママ、ありがとう! ミィちゃん、とっても嬉しい!」
闇壁に映る自分の姿を見ていたミロスラヴァが、ヘルトルーデに抱きついた。
ぎゅっと子供の短い腕をまわし、ヘルトルーデの胸に顔を埋めてくる。
そんな幼い彼女にヘルトルーデも腕をまわした。
可愛かった。知り合って、ほんの短い時間でしかないのに愛おしさが湧いてくる。
ヘルトルーデは淡い桃色の頭にキスを落とした。
解呪が成されても別れたくなかった。温かい存在を失いたくなかった。ミロスラヴァもラディスラフもヴァルデマルも。
そして、ローデヴェイクと。
本当は誰とも別れたくなくて。でも、わがままは言えなくて。
ミロスラヴァに腕をまわしながら涙が出そうになるのを必死に堪えた。
そんな時、「(もう寝ようよ。明日も移動だし、ヘルトルーデも子供も寝る時間だよ。そうだよね? 子供のヴァル君)」とローデヴェイクが言う。
ヴァルデマルが眉間に皺を寄せて「は?」と返したけれど、ヘルトルーデは助かったとミロスラヴァにまわしていた腕を解いた。
「今夜はどうやって寝ようか?」
「ミィちゃん、ママと一緒に寝る!」
「……僕も」
「私、いつも銀狼のローデヴェイク、えっと、パパを枕にして寝るんだけど、それでいい?」
「うん、いいよ! パパ枕!」
「……僕も」
「そっか。じゃあ、もう寝よう? おいで」
いつもの就寝体勢になるべく、ヘルトルーデが銀狼のローデヴェイクに近づくと、気づいた彼が枕の体勢になってくれた。
三人でローデヴェイクを枕にして横になり、用意してあった掛布をかけると、ヘルトルーデはヴァルデマルに声を掛ける。
「ヴァルもおいで。一緒に寝よう?」
「……我はいい」
「でも」
「(今夜は少し冷えそうだし、人の子と変わらない体の君は辛いのではないの? さぁ、元魔王のヴァル君、私を枕にするといいよ)」
ローデヴェイクの言葉に冷たい視線を投げたヴァルデマルだったが、ヘルトルーデは「そうだよね、風邪を引いたら大変」と起き上がってヴァルデマルの腕を引っ張り、無理矢理に横にさせる。
そして「おやすみ」と皆に声を掛けて、銀狼のローデヴェイクに顔を寄せると、モフリとした豊かな毛と、彼の体の温かさに、ヘルトルーデは安心して眠りにつく事が出来た。
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