第10話 平穏な一時





 ドシンとなかなかに大型な魔獣が大地に下ろされた。

 毛は未だに濡れたままだが、血を綺麗に流し終わったヘルトルーデは、それをパチクリとした猫の目で見ているしかない。

 魔獣を下ろした淡い桃色髪の女の子は「ミィちゃん、頑張った!」と言いながら、ヘルトルーデの許に突進してきた。

 ローデヴェイクがそれを素早く避ける。


「危ないからね?」

「ミィちゃんも猫さんとお風呂に入りたい!」

「いいけれど、優しく触ってあげてね? 約束できる?」

「うん! ミィちゃん、約束できる!」

「そう。では湯に入る準備をしておいで。タオルは私の荷物の中に入っているから自由に使っていいよ。石鹸は此処にあるからね」

「ありがと!」


 淡い桃色髪の女の子はローデヴェイクの言葉に素直に頷き、荷物の方へと走っていく。

 そして躊躇いもなく荷物袋を開けると、ガサゴソとタオルを探し出した。


「(ローデヴェイク、あのモジモジしている感じの男の子にも声を掛けてあげた方がいいんじゃない?)」

「そうだね」


 先程から、金髪赤瞳の男の子の後ろから此方をチラチラと見ては視線を逸らしている黒髪の男の子の様子に、ヘルトルーデは人型であれば眉を下げる。


 淡い桃色髪の女の子が体にタオルを巻きつけて温泉に飛び込んだ。

 バシャンと水音を立てながらのそんな元気の良さに、ヘルトルーデは微笑ましくて、猫の髭をピクピクとさせる。


「(可愛い)」

「そう? ヘルトルーデは彼女ともう少し温泉に浸かっておいで。猫の身ではちょっと辛いかもしれないけれど」

「(大丈夫だよ。うーん、でも人型であれば、髪を洗ってあげたり出来たんだけどね。そこは残念)」

「本当!?」


 淡い桃色髪の女の子が銀の瞳を輝かせながら、バシャリバシャリとヘルトルーデらの許へ移動してくる。

 ヘルトルーデは女の子の方を、ローデヴェイクは黒髪の男の子の方に視線を移した。


「(獣化の時の私の言葉が分かるの?)」

「分かるよ! ねえねえ、あのね、人の時はミィちゃんの髪も可愛く結える?」

「(結えるよ。良かったら人の時にやってあげる。どうしても夜になっちゃうけど)」

「いいよ! わぁい! ミィちゃん、楽しみ!」


 淡い桃色髪の女の子が猫のヘルトルーデに手を伸ばす。

 ローデヴェイクが特に抵抗しなかったので、ヘルトルーデは彼女の腕の中に収まった。


「向こうで湯を楽しんでおいで。私はこれからあの魔獣を捌かないといけないだろうから。―――君も一緒に入っておいで」


 そう黒髪の男の子に声を掛けて、ローデヴェイクは温泉から出て大きめな布を腰に巻き、ヘルトルーデは淡い桃色髪の女の子によって、温泉の中心へと連れて行かれた。




*****




 そう大きい訳でもない温泉の中心から楽し気な声が聞こえる。

 主にヘルトルーデとミィちゃんと自分を呼んでいた女児の声だが、時折、黒髪の男児の声も聞こえた。


 ヘルトルーデと旅をしたこの一年では無かった光景に、ローデヴェイクはそれだけでも魔王と協力関係を結んで良かったのかもしれないと思ってしまう。

 ヘルトルーデとの二人旅はローデヴェイクにとってはとても楽しいものだったが、日常の平穏さとは無縁だった。

 たとえ仮初めでも、ヘルトルーデにはきっと必要なものだろう。


「君は入らないの?」

「アレらとか?」


 ほざけ、と金髪赤瞳の魔王本体の男児の声が聞こえた気がした。

 それに「そうだよね」と適当に返して、ローデヴェイクは溜息をつく。

 食料として調達された目の前の大型魔獣にうんざりしたのだ。


「これ、ちゃんと人である私達にも食べられるものなのかな?」

「当たり前だ」

「そう……。でも血抜きが大変そうなのだけれど」

「必要無い。我がその辺りを考慮に入れずに用意すると思うか? 抜かりはない」

「うーん」

「血抜きの必要は無いし、肉も美味い。極上の味と言っていい。我がそのように改良した」

「え? そうなの?」

「ああ。長きに亘りこの場に留まっているのに、何もせずに食料はどうする。我はあの二人を食わせねばならなかったのでな」

「魔王なのに食事が必要なの?」

「存在を割った弊害だな」


 金髪赤瞳の魔王本体の男児は、子供らしくない仕草で髪を掻き上げると、適当な大きさの岩場に腰を下ろした。

 ローデヴェイクはローデヴェイクで、荷物の中から獲物捌き用に使用している短剣を取り出す。

 血抜きの必要が無いのであれば、と首は落とさずに、肉が多く取れそうな部位に短剣を刺した。


「この森に居る魔獣の全ては肉の味が良いはずだ。知れば、人間どもがこぞって押し寄せるのではないか?」

「素材に価値が無く、魔石すら取れないのは、人を寄せ付けない為ではなかったの?」

「その理由も無くは無いが、それよりも魔石を埋め込むと一気に味が落ちる。まあ、魔石が無くとも魔獣として存在していられるのは、この森だからというのもあるが」


 遠い過去、この地は大勢の魔の者が深い眠りにつき、我の闇の魔力も染み着いている、と続けて、禍々しさを感じさせる赤い瞳につまらなそうな色を魔王本体の男児は乗せた。


「これからの事なんだけれど」

「ああ」

「君達と私達が一緒に行動するとして、まずはどう動くの? 正直に言うと、私には解呪にもうあまり時間を掛けていられない事情があってね」


 スッと魔獣の皮が簡単に剥げた。その辺りも改良したのかな? と思いつつ、ローデヴェイクは手早く作業を進める。とりあえず数日分の食料を確保できたら、また湯で身を清めたい。


「王太子という立場ではそうであろうな」

「知っているの?」

「先程、あの娘の記憶も直近のものだけだが読み取った」

「…………」

「此処まで来た者に対して言うのもなんだが、王都へ行く」

「……やはり解呪の陣は、呪いを仕掛けた者の居る場所で展開しないと難しい感じかな?」

「ああ。お前が先程、王宮の記録に解呪の花とあったと言ったが、花に例えるのは言い得て妙だ。あれは花の形に似ている。呪いを仕掛けた者と解呪する者、それを中心に陣を構築し、展開。強い光属性の魔力を持つ者が全力でその力を注ぐといった流れだ」


 ザクリと魔獣の肉をローデヴェイクは削ぎ落した。

 ある程度取ったら、ヘルトルーデや子供の口に合う大きさにしなければならない。

 その後、数日持つように光の魔法で保存してと、ローデヴェイクのやるべき作業は色々とあった。


「……随分と疲れそうだね」

「それだけならいいのだがな。陣の構築は我が担うとして、問題は広範囲に亘っての準備だ」

「準備?」


 金髪赤瞳の魔王本体の男児が眉根を寄せて、子供の容姿に似合わない表情を見せた。


「そこは少し考えさせてくれ。寄り道をせずに王都に向かいたいが……。まあ、陣が広範囲になる副産物としては、展開する陣の上に居る同じ者に呪いを掛けられた他の者らの解呪もついでに出来るという事だな。―――ああ、そうだ。あの娘の異母妹は今、何処に居る? 領地ではないだろうな?」

「王宮だと思うよ。私達が消えたのだから、コニングの領地に居る理由が無いもの。呪いを仕掛けた二人は一緒に居るよ」

「そうか」

「もう一つ質問していいかな」

「なんだ」

「もし解呪前に呪いを掛けた者が死んでいたらどうなるの?」

「解呪の陣は、中心に解呪する者と呪いを掛けた者を据える必要があるものだが、だがそれは、呪いを返す為では無い。解呪の陣は結局のところ浄化に近くてな。掛けた者の側で陣を展開する事で、解呪が必要な対象を陣に認識させる意味合いがある。故、もし解呪前に掛けた者が死んでいた場合は、様々な条件が合致した等価の者を探し出さねばならない。これがなかなか骨が折れる。広範囲に亘っての準備、陣を理解し構築できる強い光属性を持つ者、解呪には全ての条件を揃えなければならない」

「……そう」


 ローデヴェイクは魔獣を捌くのに使用していた短剣を手にしたまま、温泉に向かった。

 肉を適当な大きさまで切り終わったのだ。

 湯で短剣と自身の手を軽く洗い、水気を切ると、荷物袋の中から鍋をひとつ取り出した。


「あの子達は煮込みスープは食べる?」

「ああ。量を多く作ってくれ。ミィが大食いだ」

「分かった。……ところで、王都に向かうのに寄り道をせずにと言ったけれど、嘗ての魔王である君は転移魔法を使わないの? 闇と空間はお手の物だと思うのだけれど」

「使えない訳では勿論無いが、繋がりを持つ者に近づくのには使わない。我が介入した事を愚か者に悟られる恐れがある。ようやく尾の先を見つけたのに、隠れられては元も子もないからな」


 ローデヴェイクは鍋に肉を入れ、火の準備に取り掛かった。

 火やこの後に投入する水は、火属性と水属性の魔石を使って発生させる。

 残念ながらローデヴェイクの持つ属性は光のみで、火や水は無いから、こういった生活に必要な物は街などで購入するしかない。

 これがやはりというか、なかなかに良い値段がする。


 魔獣から採取した魔石ではなく、生活魔石に使われるのは人工魔石で質が悪く、小さい。

 作られたばかりの人工魔石は属性の色が無く、透明度も低く濁っている。

 それにしたる量ではない各属性の魔力を注ぐ事で魔石を模しているような代物だ。

 そのようなお粗末な出来の生活魔石は、光の属性の潤沢な魔力持ちのローデヴェイクにとっては納得のいかない価格であった。


 王太子として復権した暁には、この辺りの改善に力を入れようと心に決めている。

 これはヘルトルーデも同意見で、ローデヴェイクにとって、既にヘルトルーデの思いは絶対に近かった。


「……野菜が欲しいね。肉だけというのも」

「あるぞ。ラディスラフの維持する空間内に幾つか収納してある」

「ラディスラフ?」

「黒髪の子供の名前だ。桃色の名前はミロスラヴァ。王宮の記録にあったかもしれぬが、我の名はヴァルデマルだ」

「ミィちゃんというのは?」

「……あの二人は名の覚えが何故か悪くてな。ラディスラフはラディ、ミロスラヴァはミィ、我はヴァルと呼ばせている」

「成程」


 煮込む前に肉を炒め出したローデヴェイクが納得すると、金髪赤瞳の魔王本体の男児―――ヴァルデマルは、温泉の中心に向かって声を張り上げた。


「ラディ、野菜が欲しい。出してくれないか。―――ああ、なんの野菜が欲しいか聞いていなかったな」

「玉葱、人参、芋、出来たら豆も欲しいかな」

「……玉葱は無しだな」

「何故」

「我が食べられぬ」

「……私が思い描く魔王像を壊さないでくれるかな?」

「…………」


 ヘルトルーデ、ミロスラヴァ、ラディスラフが温泉から上がってくるまで、二人の間で微妙な沈黙が続いた。


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