第9話 元魔王であるという子供達(2)





 適温の湯の中で、絡まった毛を解すような手つきで洗われているようなのに、猫のヘルトルーデはパチリと目を覚ました。

 猫の時は人の時より入浴を楽しめない躰ではあるが、それでも今はとても心地が良い。


「(―――気持ちいい)」

「そう? 良かった。まだ血を落としているところだから、もう少し我慢して? 気持ちが悪いところがあったら言ってね」

「(うん。ありがとう)」

「気分は落ち着いた?」

「(うん。……ごめんね。取り乱しちゃった)」

「仕方のない事だよ。気にしないで」


 洗う手を休めないで、そんな風に優しく話し掛けてくれるのは、勿論、人型のローデヴェイクだ。

 彼は自然の中に湧き出ている湯―――温泉に自身も浸かりながら、ヘルトルーデの獣の毛についた魔獣の血を丁寧に落としてくれていた。


「石鹸をつけるよ?」

「(何の匂いのやつ?)」

「ヘルトルーデが大好きな花の匂いのだよ。肌に優しいのが売りの石鹸だし、今日はたくさん使って綺麗にしようね」

「(え? でも)」

「この先の目途が立ったよ。だから気にしないで大丈夫」


 ローデヴェイクが温泉の縁に置いてあった石鹸を手にする為に、背後を振り向いた。

 その動きによって、彼の上半身の大部分が湯から出て露わになる。

 良い匂いのする取って置きの石鹸をクルクルと手の中で転がしながら、ローデヴェイクは片眉を上げてヘルトルーデを瞳に映した。


「照れてはくれないの? 私は裸を見せているよ?」

「(うーん、上半身だけだし、それに今は人間同士じゃないしなぁ。所詮、猫と人っていうか。組み合わせ的に?)」

「人間同士、ね。……私は互いに人として君と対面したいよ。出会ってからのこの一年、必ずどちらかが獣であったしね」

「(……そうだね)」

「猫の君も可愛いけれど、人の姿で人である君に触れたい」


 泡立てた石鹸の泡を、ローデヴェイクが丁寧に猫の毛につけていく。

 時間がかかるのを良しとした洗い方に、ヘルトルーデは申し訳なさと同時に、あまりの気持ち良さに身を委ねた。

 気を許せば再び眠くなってしまうのを耐えて、ヘルトルーデは会話を続ける。


「(お互いが人として触れるかぁ。それはダンスにでも誘ってくれるという事? あ、でも王太子殿下の相手として男爵の娘はないか。役不足だよね。なんといっても貴族枠底辺だし、私)」

「うん?」

「(身分でいえば、平民のヴィリーの方が断然近い気がするしなぁ)」

「どうしてそうなるの」


 ローデヴェイクの声音が数段下がった。


「(あれ? 違う? えっと、じゃあ、剣の手合わせかな! ローデヴェイクは光の槍をたくさん放つのをよくやるけど、あれを剣で弾き返す訓練をやってみたかったんだよね! え、楽しみかも!)」

「……そういう意味でも無いからね。違うから。私が求めているものは、そんなものでは無いよ」


 泡で一通り猫の毛を汚していた魔獣の血を洗い終わったようだ。今度は温泉の湯をローデヴェイクは手のひらに掬い、ヘルトルーデに何度もかけていく。

 パシャリパシャリとした湯の音がヘルトルーデの心を落ち着かせた。


「この話は一旦ここまでとして、ヘルトルーデ、君が寝ている間に状況が進展してね。旅の同行者が増えた」

「(え?)」

「子供三人だよ。この後、一緒に温泉に入る事になっているのだけれど、その前に食糧を調達しに行ってくれている。そろそろ戻ってもよい頃合いだと思うのだけれど―――ああ、来たね。あの子達だよ」


 ローデヴェイクが指し示す方向にヘルトルーデが視線をやると、五歳くらいの子供が三人、三者三様な感じで此方に近づいてきていた。

 先頭を歩くのは、体に見合わない大きさの魔獣を軽々と持ち運ぶ、銀色の瞳をキラキラさせている淡い桃色髪の女の子。次いで金髪に印象的な赤い瞳の男の子で、その彼の背に隠れるようにして歩く黒髪の男の子が、紫色の瞳を此方に向けては逸らしを繰り返していた。


「(こんな森の奥深くに子供? だってこの森、魔王城があったとされている場所じゃ……)」


 湯を揺らしながら、ローデヴェイクが肩をすくめた。


「おかしくはないと思うよ? あの子達、見た目は幼子だけれど、元魔王だしね」


 分裂したみたいだけれど、と続けて、ローデヴェイクはヘルトルーデの目に入らないように猫の頭に湯を掛け出した。


「(……元魔王?)」

「うん。理由があって、魔力と身体能力、記憶と割ったらしいよ。あれを見る限り身体能力は女の子で、記憶が金髪だったから、黒髪の子が魔力だろうね」

「(……え?)」

「金髪の記憶担当の子が魔王本体で、身体は普通の人の子と同じ。あとの二人は、知能が見た目の年齢と同じらしいよ。ヘルトルーデもそのように接して」

「(う、うん。分かった)」

「まだあまり詳細は聞いていないし、今後の事を詰めてもいないのだけれど、魔王本体である金髪の記憶担当の子が解呪の方法を知っているらしい」

「(本当!?)」

「うん。だからあの子達と行動を共にするよ。魔王は魔王で探し人が居るらしくて、まあ、利害の一致というところかな」


 頭が洗い終わったようだった。

 ローデヴェイクは再び背後を振り向いて、今度はタオルを手にすると、ヘルトルーデの顔まわりの毛の水分を取るように拭い出した。


「(ローデヴェイクはさ)」

「うん、なに?」

「(あの子達を信用していいと判断したの?)」

「……そうだね、信用するにはまだ何も分かっていないけれど、でも少なくとも今直ぐ何かをしてくるようには見えなかったかな」

「(そっか。ローデヴェイクがそう思ったのなら、いいかな。分かった)」

「それでいいの?」

「(うん。私はローデヴェイクを信じているから)」

「嬉しい事を言ってくれるね」


 そう言って、ローデヴェイクは優し気に微笑むと、濡れて毛がしんなりした猫のヘルトルーデの鼻先に口を寄せた。


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