第8話 元魔王であるという子供達
切り裂き、喰い破った大型魔獣の開かれた体内で、未だ消えない闇の魔力が宿る血に身を浸しながら眠りについたヘルトルーデに、銀狼のローデヴェイクは、人型であれば眉根を寄せるような表情をした。
適度に湿る獣の鼻を鳴らす。
ザワリと体の根幹が騒めき出し、全身に蟲が這うような嫌悪を催す感覚に襲われた。
呪いが鳴りを潜め、次第にローデヴェイクの身が本来のそれへと変化する。
身を覆っていた獣の毛が消失した。
下方へ視線を向け、人の肌である事を確認する。
ローデヴェイクは怒りに拳を握った。
「―――遅い。陽が昇るのがもう少し早ければ、ヘルトルーデをこのような状態に陥らせなかった」
深く息を吸い、吐いて、ローデヴェイクは収まらない怒りを鎮めるよう努めた。
幾らか経ち、ローデヴェイクは魔獣の体内へと両腕を伸ばす。
ヘルトルーデをこのままにしておけなかった。
ローデヴェイクが人型に戻ったのと同時に、猫の姿へと変わったヘルトルーデは、クリーム色の柔らかい獣の毛の殆どを闇の魔力が残る血で濡らしていた。
ピチャリとした不快な血の音を立て、ローデヴェイクは猫の姿となったヘルトルーデを掬い上げる。
自身が更に血で汚れる事も厭わずに、今は眠りについているヘルトルーデをローデヴェイクは抱き締めた。
赤く濡れた猫の額に口づける。
「ごめんね。互いに身を清めようか。血塗れだしね。―――で、先程から其処で高みの見物とは良い趣味だね。強く濃い闇の気配を纏う者共よ。今の私は機嫌がとても悪いよ?」
ヘルトルーデから顔を上げて右方へ視線を向けると、容姿だけは愛らしい三人の子供が居た。
外見から推測する年齢は五歳程度。しかしそれはあくまで見た目の年齢であって、中身のではない。強く濃い闇の気配を纏っているのだ、実年齢はローデヴェイクより遥かに上である可能性は大いにあった。
三人の子供は男児が二人、女児が一人で、持つ色は各々違う。
男児の一人は黒髪に紫色の瞳。もう一人は金髪に赤い瞳で、女児の方は淡い桃色の髪に銀の瞳だった。
金髪に禍々しさを感じさせる赤い瞳を持つ男児が口角を上げ、子供らしくない表情と態度で口を開く。
「呪いを受けし者よ。なかなか見事な戦闘であった」
「……私は機嫌が悪いと言ったよ?」
言いながら鼻頭に皺を寄せたローデヴェイクに、金髪赤瞳の男児がクツリと嗤った。
それを視界の端に留め、ローデヴェイクは荷物の方へと足を進める。
今は全裸であるが為に、外套くらいは羽織ろうと思った為だ。
「お前が手にする者に繋がるものを視た」
闇の気配が濃い三人の子供を無視して荷物の方へ向かっていたローデヴェイクは、歩みを止めた。
「……どういう事?」
「その者に闇の力を吸わせ、足りなくば無理矢理に嚥下させて強制的に糸を繋げた。時の膜を無理矢理に突き破ってな」
「貴様っ」
「その者に直接的な害は無い。
金髪赤瞳の男児が一歩、また一歩とローデヴェイクに近づいた。
残りの黒髪の男児と淡い桃色髪の女児は動かない。
今の状況を理解していなそうな、年齢相応の表情をしていた。
「古の闇の陣で呪われた気配を感じ、其の方らに仕掛けた。悪質と判断したものについては我があれほど痕跡を消したのにも関わらず、まだ在るのかと」
「…………それで?」
「お蔭で、長き時を費やし探していた愚か者の尾の先を視る事が出来た」
「話が見えないけれど」
「手を組もうと言っているのだ、我は」
「何故、君と組まなければならない?」
ローデヴェイクはしゃがみ、姿勢を低くして、左腕に猫のヘルトルーデを、血に濡れた右手は金髪赤瞳の男児の細い首を掴んだ。
ギシリと骨が鳴る音がする。
金髪赤瞳の男児の眉根が寄った。
「この体は脆弱だ。人の子と変わらぬ。我は魔力を持たぬ。身体能力も持たぬ。それらは後ろの存在に今は割っている。我は長き時の記憶のみを保有している―――本体だ」
「結構な弱みを私に語るね」
「今はこの成りだが、嘗て我は魔王と呼ばれた存在だ。そう易々とはやられぬ」
「……封印されたのでは?」
首を強く掴まれているのに、少しの恐れも見せない金髪赤瞳の男児は、遠い過去を視るかのように禍々しさすら感じる赤い瞳を虚空へと向けた。
「勇者か。人でしかない存在に魔の王である我が封印できたとでも? そのように仕向け、偽っただけだ。あの者は剣を振り回すしか能が無かったからな。周囲の協力者らも、我よりだいぶ質の劣る魔法を得意げに放っていた阿呆も居たし、あの当時の聖女も出来が悪かった」
女神シルフィアの声が聞こえないなどとほざきおった、と続け、森の木々から覗く空に向けていた赤い瞳がローデヴェイクへと戻された。
「偽った理由は」
「我の存在は必要悪であったとはいえ、強大で在り過ぎた。本体である我が、本来の姿で居続ける限り、魔の者は暴虐の限りを尽くし、魔獣は際限なく生まれる。何もせずとも人は滅びの道を進むしか無かった。―――手を放せ。流石に苦しい」
か弱いと言って過言では無い子供の力で腕を叩かれ、ローデヴェイクは忌々しさを吐き出すように息とつくと、魔王の本体であるという金髪赤瞳の男児の首から手を放した。
今は眠ったままの猫のヘルトルーデを抱え直す。
「それでも人の為に我が何かする必要があるのかと思うていた時も勿論ある。だが、理由が出来た故、決断した。我という存在を割ったのだ。魔力、身体能力、記憶の三つにな」
「後ろの子達が?」
「そうだ。あれらの知能は子供のそれと変わらぬ。そのように接せよ」
「……勇者が封印したとある記録から随分と年月が経っているようだけれど」
「探している愚か者を見つける事が出来なかっただけだ。深い眠りについていたのだろう。手負いであったからな」
金髪赤瞳の男児が歩きだした。
向かう先はローデヴェイクの荷物がある場所だ。
金髪赤瞳の男児に、残りの二人もついて行く。
ローデヴェイクは瞳に諦めの色を滲ませ、子供らの後を追う。
どちらにせよ、外套が欲しかった。いつまでも全裸なのは避けたい。
「お前達が此処まで来た理由は、解呪についてを知る為だろう?」
「そうだよ。知っているかな? 王宮の記録には、解呪の花、魔女の花、女神の花と呼称はそれぞれで書いてあったけれど」
「どこまで
「そういう存在があるとだけ」
「そうか」
野営地としていた場所についた。
まず、ローデヴェイクは荷物袋の中から柔らかい布を取り出して、腕の中で眠る猫のヘルトルーデを包む。
次いで彼女を一旦、作ってあった寝床に置き、ローデヴェイク自身は軽く血を拭った後に外套だけを羽織った。
聖職者の服は着ない。
汚しては今後にまだ支障があるからだ。
金髪赤瞳の男児が一連の作業を目にしながら、口を開く。
「予想がついていると思うが、花とは生物の花ではない」
「……そうだよね」
「古の光の陣を花に例えているのだろう」
「そのような記録は無かったよ。かなり必死に探したけれど」
ローデヴェイクは野営地の片付けに着手する。
早く温泉地を見つけ、血を洗い流したかった。
特にヘルトルーデを。一刻も早く彼女を綺麗にしてあげたい。
「我が古の闇の陣の痕跡を消した際に、必要の無くなった其れらは忘れ去られたといったところだろうな」
「……ではもう解呪不能だと?」
「いや、解呪の陣は我が覚えている」
「本当!?」
思わぬ朗報に、ローデヴェイクが金髪赤瞳の男児の方へと振り向くと、子供姿の元魔王は人のように肩をすくめてみせた。
「ああ。光の力が強そうなお前ならば可能だと思うが、だが、発動条件がな。色々と面倒なんだ」
「面倒?」
「その辺りは追い追い説明するとして、どうだ。お前達は解呪の為に、我らは愚か者を探し出す為に、協力関係を結ぼうではないか」
「……少し考えさせてくれないかな」
「分かった。まあ、まずは酷く汚れた身を清めよ。自然に湧いた湯の場所まで案内する。そこで考えるといい」
「ありがとう。それは助かったよ。此処から近い?」
「近い。―――お前達、今から湯のある場所に行く。ついでだ、お前達も身を清めよ」
温泉情報に片付けの手を早めたローデヴェイクの横で、金髪赤瞳の男児が他の子供に声を掛けた。
それに黒髪紫瞳の男児はモジモジとした様子で、淡い桃色の髪に銀の瞳の女児は目をキラキラさせて返事をする。
「……はい」
「はぁい! ねえ、猫さんも一緒に入る?」
「ああ」
「わぁい!」
先程まで大物魔獣を相手にしていた緊張感が一気に消えるような子供達の声を耳にしながら、ローデヴェイクは荷物袋の紐を引き結んだ。
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