第6話 魔王城跡地がある森(2)





 夜の暗い森の中をシャッシャッとした音が響く。

 ヘルトルーデらが乗合馬車から降りて三日後。

 今夜の野宿地とローデヴェイクが定めた場所で、ヘルトルーデはこの一年で半ば習慣化した銀狼のブラッシングに勤しんでいた。


 換毛期である大きな狼の躰から抜ける獣毛は大量で、二、三回梳いては、ヘルトルーデはブラシに付着した銀の毛を取り集めて丸める。

 毛玉ボールを保管する小袋は既にパンパンになっていた。


「(……なにも此処まで来て、毛玉を作る必要は無いと私は思うんだよ)」

「うーん、でもさ、この森を無事に出られたら、また必要になるかもしれないし」

「(それは何の手掛かりも無かった時を想定して? 解呪が叶ったら、路銀の心配をする必要は無くなるよ? 私にも一応、王太子としての蓄えはあるからね)」


 寧ろ帰城した暁には光の槍で全員突き刺して、アレらの財を毟り取ろうと思っているよ、そうしたらヘルトルーデにあげるね、と続けて、ローデヴェイクは銀狼の大きな後ろ脚を伸ばした。

 どうやら其処を梳いて貰いたいらしい。

 ヘルトルーデは希望を叶えるべく、ブラシを逞しい銀狼の後ろ脚に当てた。

 再びシャッとブラッシングの音が夜の暗い森に響く。


「解呪の手掛かりがある場所まであと少しなんでしょ? 急がなくていいの? こうやって野宿する時間が勿体なくない?」

「(夜は休まないと駄目だよ。寝不足なんて判断が鈍るし、強行したら、まず私より先にヘルトルーデの方が参ってしまう。それに暗く深い森をヘルトルーデの足で進んだところで幾らも距離を稼げないよ)」

「そうかなぁ」

「(そうだよ。此処は私の言う事を聞いて? どちらにしても、もう少し森の奥へと進めば、休みたくとも休めない状況に陥るかもしれないよ。乗合馬車の女性が言っていた荒くれ者らに出会うか、放たれた刺客が私を見つけるかもしれない。なにより可能性が高いのは、力の強い魔獣との遭遇だね)」

「力の強い魔獣……」

「(うん。出来れば私が人の時に―――)」


 ヘルトルーデがブラシを森の大地に放り投げ、後ろ脚を伸ばしていた銀狼の豊かな毛に覆われた躰に抱きついた。


「私、頑張るね! 魔獣いっぱい倒すから!」

「(だから私が人の時に……いや、狼の時でも倒せるから)」

「それだと口周りがいつも血だらけになるじゃない。銀狼ちゃんの毛並みが真っ赤に汚れるのは嫌!」

「(だけど、)」

「それに猫化の時の私は全く役に立たないし! 物凄い大物魔獣を仕留めて、ローデヴェイクに少しでも腕を認めて貰えるよう本当に頑張るから!」


 ヘルトルーデは腕に囲う銀狼の大きな躰に、毛がつくのも厭わずに顔をグリグリと擦りつける。

 ローデヴェイクに自分が役に立つところを見せたかった。

 もしかしたら、ほんの少しだけ、解呪した後にお城の片隅に置いてもいいかなと思ってもらえるかもしれないというヘルトルーデなりの打算があった。

 一人きりになるのは、出来るだけ避けたかった。

 愛犬のヘニーがもう居ない。

 家族も冷たい存在になってしまった。

 寂しいのは嫌だった。

 孤独は、もう耐えられそうにも無かった。




*****




 深い森の中という特に代り映えのしない道程を人型のローデヴェイクが進み、ヘルトルーデは彼に用意された安全地で野宿をするという日々が四日ほど続いた時、変化が起こった。

 異変に最初に気づいたのは強い光属性の魔力を持つローデヴェイクで、次いで、注意を促されて気づく事が出来た魔力を殆ど持たないヘルトルーデだ。


 時は夜。

 銀狼ローデヴェイクと人型のヘルトルーデという組み合わせだ。

 ヘルトルーデが腰に下げていた剣を抜いた。


「魔獣?」

「(うん。少なくとも人ではないね。闇の魔力の気配が強い)」

「どのくらい?」

「(この一年間で遭遇した事がないくらい。気を引き締めよう)」

「大物魔獣だね! 頑張るっ」

「(頑張ってくれるのはいいのだけれど、今の私は銀狼姿である事を忘れないで、ヘルトルーデ)」


 ジャリとヘルトルーデが大地を踏みしめて剣を構えた。

 ローデヴェイクと同じ方向を睨み据える。

 ここまでくると、魔力感知能力が乏しいヘルトルーデですら気配で近づいてくるのが分かる。

 ヘルトルーデの持つ剣がキュインと音を鳴らし、淡い光を放った。


「(とりあえず生ける屍が出現しても切れるようにしたよ。あのね、ヘルトルーデ。何回も言っているけれど、銀狼姿では闇の陣に邪魔されて人型の時とは比較にならない程に私の魔力は弱い。それでも出来る限りの付与をするけれど、致命的な傷は決して負わないで。陽が昇るまでは治癒ですら制限されるからね)」

「分かった!」

「(……本当に? 少しの傷も負って欲しくはないけれど、喉を切られるとか、身体の欠損は特に駄目だと言っているんだからね? 出血が酷かったら、陽が昇るまで間に合わないのだから! 相手の力が私を上回っていたら、いくら強い付与をしたところで完全回避は出来ないと言っているんだよ!?)」

「だから分かってるって! ヘルトルーデ、行っきまーす!」


 なんだか色々と言っている銀狼ローデヴェイクの言葉を、何回も聞いてるし、と軽く流して、ヘルトルーデは気配のする方へと走り出した。

 先制攻撃をするのだ。

 実はヘルトルーデ、本人に自覚は無いのだが、猪突猛進なところがあった。

 銀狼の躰から光の魔力が迸る。


「(ああ、もうっ! 絶対に分かっていないよ! それにどうして敵が何なのか判明していない状況で突撃するの! ―――女神シルフィアよ、その御力の片鱗を我に与えたまえ。対象はヘルトルーデ・コニング。身体強化。体力増強。防御力最大増幅。状態異常無効。物理攻撃絶対回避。魔法攻撃完全反射。治癒自動展開。光の陣を構築、守備範囲を最大値に―――)」


 ビリビリとした禍々しく感じる前方の波動に突進しているヘルトルーデは、背後からバンバンと自身に向けて付与が放たれるのに、それに安心を覚えるというよりも、いつも思うのは、


 ―――光の魔力が制限されていてこの数の付与が出来るローデヴェイクって、神国スヴォレミデルの総本山に居る教皇様並みの力の保持者なんじゃないの?


 であった。




*****




 ―――硬い。


 ローデヴェイクによって身体強化を付与されているはずのヘルトルーデの斬撃を持ってしても、敵の外殻に傷の一つ付けられなかった。

 ヘルトルーデは切りつけた剣を引き、一旦、敵から距離を取って剣を構え直す。

 その間にローデヴェイクが光の槍を三本ほど出現させて魔獣に向かって放っていたが、やはり外殻に傷を付けられずに霧散していた。


 ローデヴェイクはきっと悔しさに歯噛みしている事だろう。人型であれば、光の槍をそれこそ無数に出しているのを見た事がある。それだけではない。彼は自身の光属性の魔力と周囲に在る光を収束させて練り合わせ、光線のようなものを放出して対象を消滅させたり、同じように光球を作り出しては爆発させたりと、結構、無茶苦茶な強さを持っていた。


 それが呪いの発現中という闇の陣に影響を受けた状態では、この程度の攻撃しか出来ないのだ。

 呪いを受けた者が如何に本来の力を制限され、縛られるのかを証明していた。


 やはり私がやるしかない、とヘルトルーデは気合いを入れ直す。

 敵である魔獣は、硬い外殻で頭部から尾まで覆われていた。

 大きさは成人男性三百人を一纏めにしたくらい有り、見た目は伝説の竜と獅子と百足むかでを合わせたような感じだ。目は頭部に無数。

  醜悪の一言しか無い。が、敵の魔獣は百足のように所々に節があった。


―――剣を差し入れられそうなのは其処しかないかな。


 ヘルトルーデは大地を蹴った。

 可動の為に比較的隙間が有りそうな節の場所は、首元に一つ、胸部に一つ、腹部に一つに尾の付け根に一つだ。

 狙うは首元か胸部。素材に価値が無く、魔石も持たないと言われる魔獣に部位切断など意味が無い。

 一撃で仕留められなくても、節に剣を差し入れて体内への隙間を少しでも広く空ければ、今度はローデヴェイクの出番だ。

 ヘルトルーデはその切っ掛けを作ればいい。


「私だけの力で倒してローデヴェイクに認めて貰いたかったけれど、これは仕方ないっ! ローデヴェイク、胸部を狙うよ!」

「(ヘルトルーデ、待って!)」


 剣で敵の攻撃を弾き返しながらヘルトルーデは全力で走った。剣では対応しきれない魔法攻撃は、ローデヴェイクの付与が飛ばし散らす。

 魔獣の懐に入った。胸部の節に剣を差し入れる為に、大地を思いっきり蹴って勢いをつけて飛び上がり、魔獣の腹を足掛かりにして剣の間合いに入れる。

 少しの逡巡も無くヘルトルーデは振り被り、目的の場所へと剣を叩き込んだ。

 ぐにゅりとした感触が剣を伝ってヘルトルーデに教えた。それに思わず身震いした瞬間、ぶわりと黒い靄が剣を差し入れたところから勢いよく噴き出す。


「―――え?」

「(それを吸わないでっ、ヘルトルーデ!)」


 ローデヴェイクの焦りに満ちた声が耳に入った。

 けれど黒い靄は容赦ない速さで広がり、ヘルトルーデを包み込む。

 黒い靄を吸い込んでしまった事が原因なのか、次第に意識が朦朧としてきたヘルトルーデを、胸部の節の隙間から飛び出してきた蠢く無数の触手が絡む。

 ビキリと外殻が縦に割けた。

 ぬちゃりとした感触を伝える無数の触手は、ヘルトルーデを魔獣の体内へと容赦無く引きずり込む。

 そして傷一つ付けられなかった魔獣の硬い外殻は、ヘルトルーデを取り込むと、その裂け目を閉じた。


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