第4話 ファースという街で (2)





 宿の部屋は二人用だった。

 簡素なベッドが二つ、小さな卓が一つ、がたつく椅子が二脚、服を掛けるハンガーが三つで、トイレは部屋を出て廊下の突き当りに在り、風呂は湯を張った桶を使い部屋で済ますスタイルだ。

 昼間はローデヴェイクが、夜間はヘルトルーデが出入りするので、一人部屋の選択肢は無かった。


 大衆浴場から戻ったヘルトルーデは今、小さな卓の上でグツグツと沸騰した湯の中で丸めた獣の毛玉を煮ていた。

 勿論、卓の上に直接火を置いたら宿全体が炎上してしまうから、小振りの金属板を置いて火を起こし、専用の土台と小さな鍋で湯を沸かしている。

 湯の表面に浮いてしまおうとする毛玉ボールを、ヘルトルーデは細い木の棒で突いて沈める。

 ベッドの上で狼的な寛ぎ姿勢のローデヴェイクが口を開いた。


「(ある程度煮たら、いつものように布を床に敷いて干しておいて。朝、私が回収するから)」

「うん、分かった。あのさ、やっぱりこの煮る作業はしないと駄目なの?」

「(獣の毛だからね。売った後に購入者がダニで体が痒くなったら、ヘルトルーデが気にするでしょ?)」

「あ、ダニ……そうだね。気になるかも」

「(適当なところで終わりにして早く寝た方がいいよ。明日、この街を発つから)」

「もう?」

「(うん。ヘルトルーデとの二人旅も正直捨てがたいのだけど、時間がそうある訳じゃないから。私の都合で悪いのだけれど)」


 これまでかなりのんびりと移動してしまったし、と銀狼姿のローデヴェイクは続けて言って、軽快な動作でベッドから降りる。

 そんな彼の言葉に、感じてはならない一抹の寂しさを誤魔化す為に、ヘルトルーデは努めて明るい調子を心掛けた。


「そうだよね、王太子殿下だもの。早く王城に戻らないと」

「(ヘルトルーデだって、いつまでも猫の呪いを受けたままでいい訳じゃないでしょ。君も男爵令嬢だよ)」


 銀狼姿のローデヴェイクが部屋の隅に置いてあった荷物から、一枚の紙を狼の口と大きな前足を使って器用に取り出した。

 それを毛玉を煮ているヘルトルーデのところに持ってきて、卓の上に広げようとする。

 器用だといっても所詮は狼の前足なので、その作業をヘルトルーデが引き取った。


「地図?」

「(そう。今いるファースという街は此処。王都が此処で、ヘルトルーデのコニングの領地が此処。私への刺客を撒くという理由もあって、これまで国中を不必要なまでにぐるりと回ってしまっているのだけれど、最終目的地は此処)」


 銀狼のしっかりした前足が、地図の上をヘルトルーデに分かりやすく移動した。

 そこまでは理解した事を示す為に、ヘルトルーデがローデヴェイクに頷いて見せる。

 ローデヴェイクが卓に乗せていたヘルトルーデの手の甲をペロリと舐めた。


「あれ、もう目と鼻の先?」

「(そうだよ。明日、ファースを発って十日程で到着かな。途中まではちょっとした街道が出来ているから行きやすいと思う。魔王城跡地とされている場所は観光地化されているから)」

「え、観光地なの!?」

「(途中まではと言ったでしょ? 道半ばから逸れるんだ。つまり、本当の魔王城跡地は別のところにある。私達の目的地は其処。森の奥地だよ)」


 毛に覆われた銀狼の前足がポフリと地図上のある一点を指した。


「(前に少し話したと思うけれど、此処に解呪への手掛かりがある……と信じたいんだ)」

「……うん。解呪の花、だっけ?」

「(そう。解呪の花、魔女の花、女神の花と色々と呼ばれているけれど、実際は一般的に想像する花ではないかもしれない。そこまでは王宮の記録に具体的には書かれていなかった。でも、何かしらはあるのではと私は判断したよ)」


 ローデヴェイクと話していて、どうしても寂しく思ってしまうヘルトルーデは、彼の銀色の狼の毛並みに顔を寄せた。

 湿った銀狼の鼻にチュッとキスを落とす。

 目的地に辿り着き、最終的に解呪が成されるという事は、この勇ましくも愛らしい姿の銀狼とのお別れを意味し、ヘルトルーデがまた一人、あの冷たさしか感じなくなってしまった屋敷に、いや、戻らず一人で生きていく事を意味していた。


「(ヘルトルーデ?)」

「なんでもないよ。話を続けて?」

「(そう? では続けるけれど、私が手掛かりがあると判断した理由はね、この場所こそが魔獣の発生源だと思うからだよ)」

「え?」

「(古の残滓の存在とされる魔獣だよ。魔獣はね、ヘルトルーデ)」


 ローデヴェイクが耳を垂らして獣の頭を上げ、本物の狼のように、顔を寄せていたヘルトルーデの顔を、顎に唇に、頬に目尻にとペロペロと舐めた。

 まるでヘルトルーデを慰めるような感じにだ。


「擽ったいよ」

「(じゃあ、今は止める)」


 そう言って、銀狼姿のローデヴェイクが少しの距離を置き、ヘルトルーデはそのタイミングで湯を沸かし続けていた火を消した。

 細い棒を使って、湯に沈む毛玉を少しずつ取り出す作業を開始する。

 取り出したそれを一旦、器に移して、冷めてから水気を絞る工程だ。

 それを視界に入れている様子のローデヴェイクが会話を再開した。


「(魔獣はあの場で生まれ、あの場に還る。過去の記録を見る限り、発生数も制限されているように読み取れる。調整されているんだ。意思を持ち、力のある者によってね)」

「どういう事?」

「(それを確かめに行くんだよ。本来なら危険性のある場に君を連れて行きたくないけれど、解呪の事を考えるとね)」


 そんなローデヴェイクの言葉にチクリと心が痛んだヘルトルーデは、毛玉の作業の手を止めて、銀の毛で覆われている狼の首に両腕を巻きつけた。


「連れて行きたくないなんて言わないで。解呪の事は確かにそうだけど、屋敷の皆に見放された私を助けてくれて、此処まで一緒に旅もしてくれた大切な仲間だもの、ローデヴェイクは。私、何処までもついて行くから」

「(仲間かぁ。まあ今はそれでもいいかな。でもね、今の言葉を忘れないでね、ヘルトルーデ。特に、何処までもついて行くから、というところ)」

「私の言葉に嘘はないよ!」

「(うんうん、そこは信じているよ。ヘルトルーデは可愛いよね、色々と)」

「今は猫じゃないし!」

「(そういうところがね、可愛いと言っているの)」


 分からないかなぁ、と人型であればクスクスと笑っている様子の銀狼ローデヴェイクに、ヘルトルーデは巻きつける両腕に更なる力を加えた。


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