3.「ありえない写真」

 画面に表示された「俺とMIHOが楽しそうに食事する」写真。

 それを見たとき、俺は自分の目を疑った。

 震える手でスマホを操作し、一旦その画像を閉じ、また開いてみる。しかし、そこに映し出されるのは同じ「写真」だった。

 俺は混乱を抑えるため上を向き、大きく息を吸い込んで吐き出し、もう一度スマホ画面に目をやった。


 相変わらず、そこにはレストランで楽しそうに食事する俺とMIHOの姿があった。だが、俺はその写真から微妙な違和感を感じていた。


 なにか変だ。


 俺は二本の指でピンチし、写真を拡大してみた。そして、違和感の正体に気付くと、声を出して毒づいた。


 「くそっ! 脅かしやがって」


 拡大して見ると、写真は明らかに合成だった。いつだか俺が送った自撮り画像から顔の部分を切り抜き、別の画像に貼り付けているだけだ。

 その証拠にその写真は、俺の「顔」部分だけが妙に浮いたようになっており、大きさも微妙に合ってない。よくよく見ると、顔と首の境目も明らかにズレている。

 ひと昔前、ヌード写真にアイドルの顔を貼り付けた“アイコラ”が話題になっていたが、要はその要領だ。この場合、MIHOは自分と誰かが食事している画像を加工し、その誰かさんの顔の上に、輪郭を切り抜いた俺の顔を貼り付けのだ。

 ただし、その技術はネットに氾濫していた“アイコラ”たちとは比べ物にならないほど稚拙なものだったが…。


 「…勘弁してくれよ」


 今までもMIHOは、インストールした画像編集アプリで自撮りにフレームをつけたり、セリフを入れたりといった加工を施してくれていた。今回の写真も、アプリを使えば誰でも簡単に作れてしまうだろう。今は「ありえない写真」でも簡単に作れてしまう時代なのだ。

 とはいえ、メッセージを返さないことへの当てつけにしては手が込んでいる。


 こんな気味の悪い女だったのか…。


 恐ろしくなった俺はそのまま「ミートゥ」を落とし、スマホを放り出してベッドへ潜り込んだ。


***


 その日から、俺はMIHOからのいっさいのメッセージを既読無視した。

 いや、無視せざるを得なかった。

 なぜならMIHOからの“合成写真付きメッセージ”は、日を追うごとにエスカレートしていったからだ。


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 MIHOです。

 昨日の夜景はキレイでしたね。

 あんな所に連れていってもらったの、初めてかも。

 感動しちゃった。

 今度、お礼に手料理をご馳走しますね。

 好きなもの、教えて。

 こう見えても料理は得意なんだから。 

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 メッセージに添付された画像を開くと、夜景をバックに微笑む俺とMIHOの姿があった。


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 こんばんは。MIHOです。

 男の人と手をつないだのなんて、もう何年ぶりだろ?

 思い出すと、いまだにドキドキしてしまいます。

 こんなのっておかしいですか?

 キライにならないでくださいね…。

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 このメッセージには、手をつなぐ俺とMIHOの写真が貼付されていた。


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 こんばんは。MIHOです。

 昨日はごめんなさい。

 急なことだったので、びっくりしちゃって…。

 でもイヤだったわけじゃないんです。

 むしろ…嬉しかった。

 それだけはわかってください。


 また、会ってもらえますよね?

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 添付画像は、俺とMIHOがキスをする写真だった。もっとも、かなり強引に合成されていたので、これは一目でそれと分かるクオリティだったが。

 こんなまったく身に覚えのないことばかりを送られてきて、どんな返事をしろというのだろうか。


 冗談じゃない! 俺はお前と会ったこともなければ、電話で話したこともない。なのになんでこんな写真を送ってくるんだ? お前はなんなんだ! だいたいこんな写真、嫁に見られたらどうするんだ!


 俺は叫び出したい気持ちだった。MIHOの妄想デートはどんどんエスカレートしていき、ついにはこんなメッセージがやってきた。


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 …ありがとう。

 好きです。

 大切にしてくださいね。

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 添付されていたのは、ホテルと思しき部屋でシーツにくるまった、俺とMIHOの写真だった。


 その画像を見た瞬間、俺の中で何かがはじけた。俺はそのメッセージに、返信を書き始めていた。


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 いいかげんにしてくれ!

 お前はいったい何者だ?

 俺はお前と会ったこともなければ話したこともない。ただメッセージをやり取りしていただけだ。

 第一、俺には妻も子供もいる。気持ち悪いことはやめてくれ。

 自分がしてることがおかしいとは思わないのか? これ以上、お前の妄想に付きあっていられない。


 もう二度とメッセージを送ってこないでくれ!

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 そこまで一気に書くと、送信ボタンをタップする。


 「メッセージを送信しました」


 ディスプレイに浮かんだ表示を眺めながら、俺は大きく息を吐きだしていた。


***


 あれから二週間。


 俺は高速道路を猛スピードで飛ばし、東京に向かっていた。

 向こうに残してきた妻と娘のことを思い、後悔の涙を拭うこともできないまま。



 怒りの返信を送って以来、MIHOからの妄想メッセージはパタリと届かなくなった。

 俺は数週間ぶりに平穏な日々を送っていた。


 今回のことで懲りた俺は、スマホから「ミートゥ」や画像加工アプリをアンインストールし、MIHOと送り合った画像たちもすべて削除した。


 “そのメッセージ”を今日になって発見したのは、「ミートゥ」をスマホ版に移行して以来テーブルで埃を被っていたノートパソコンを立ち上げたからだった。

 平穏な週末の夜、俺は久しぶりにNetflixで映画でも観ようと思い立ったのだ。

 OSが立ち上がると、聞き慣れた電子音とともにデスクトップ画面の右下にポップアップが滑り出てくる。見るとPC版「ミートゥ」のメッセージ通知だった。


 そうか、パソコンの方もアンインストールしなきゃな。ていうかアカウントを消した方がいいのか。危ない危ない、忘れてた。

 そんなことを考えながら、不用意に通知をクリックする。そのままアプリが立ち上がり、見慣れたメッセージの受信一覧画面が表示される。

 リストの一番上に表示されているのは、案の定MIHOからのメッセージだ。太字になっていることが未読であることを示している。


 変な写真を送ってくる前はいい子だと思ったんだけどなぁ。

 アカウントを削除する前に少しだけ感傷的な気分になっていたのか、ついMIHOとのメッセージ画面を開いてしまった。

 届いていたメッセージは1件だけで、日付は昨日の夜10時46分となっていた。

 うわ、まだ諦めてないのかよ…。

 俺は不気味に思いながらも、そのメッセージをクリックして開いてみた。


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 裏切ったのね…。


 許さない…。


 絶対に許さない…。

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 簡単な文面に、俺は少しホッとしていた。許さないったって、どうしようもないだろう。こんな言葉で済むなら、まぁ助かった。


 しかし、なんだって二週間も経ってからわざわざこんなメッセージを?

 その点に少し違和感を覚えながら、もう一度モニターに目をやると、画面の右下に向かってスクロールバーが延びていた。これはつまり、メッセージに続きがある、ということを表している。


 ゴクリ。


 唾を飲みこむ音が頭の中にやけに響く。俺はマウスホイールを操作して、画面をスクロールした。


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 ・

 ・

 東京都足立区梅島…

 サンコーポ302

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 「うわぁ!」


 思わず声をあげ、パソコンの前から飛びすさった。

 長い改行の果てに表示されたそれは、俺の家の住所だった。妻と娘の住む、東京の家の。


 なぜ、なぜあの女が、この住所を?


 そう考えながらも、見開かれた俺の目は、もう一つの事実に気付いていた。

 そのメッセージには、画像ファイルが添付されていることを示すボタンが付いていたのである。

 心の奥で、イヤな感じがした。心臓をざらざらした手で直接なでられたような、そんな感覚。正直、見たくなかった。しかし頭のどこかで「見ろ! 見ろ!」という声がする。


 俺はマウスに齧り付くようにして、震える指でそのファイルを開いた…。


***


 深夜の高速を走る俺のアタマには、一つの場面が焼き付いていた。


 真っ赤に染まった見慣れたダイニング。血溜まりに倒れた妻の、おかしな風に折れ曲がった体。首のない子供を抱え、写真の真ん中で微笑む女…MIHO。

 モニター上に浮かんだ、合成や加工というにはあまりに鮮明で、現実感のある写真。


 ありえない! ありえない! ありえない! あんな写真はありえない!


 そう自分に言い聞かせても、とめどなく溢れてくる悔恨の涙が前方の景色を滲ませる。

 あのとき、マッチングアプリなんかに登録しなければ。

 あのとき、あの女にメッセージさえ出していなければ。

 あのとき…あのとき…あのとき…。


 俺は狂いそうになりながら、東京を目指して、車を走らせるしかなかった。

 「ありえない写真」のあの情景が「現実」であることをわかっていながら…。


(了)

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ありえない写真【短編】 樋田矢はにわ @toitaya_828

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