第108話 ロザリエールさんの1日 その4
厩舎へ行っていた麻夜が戻ってきた。やや遅れて辰馬がギルドから帰ってくる。
「おかえりなさい、おじさん」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
リビングの椅子に腰掛けて、温かいお茶をすする辰馬。
「ただいま。あー、帰ってきたなーって思うわ。ま、疲れてはいないんだけどさ、やっぱり精神的な疲労は残っちゃうよね」
今晩の
「ごはんがないのが残念なほど美味しいよね」
麻夜は朝食の場合パンが好きだが、夕食は米のごはんが食べたいと思っているのだろう。これだけ立派な魚料理だと、辰馬もごはんが恋しくなるのは同じだ。
「まぁね。この世界のどこかに、稲作があるとかないとか噂話は耳にするけど」
「まじですか?」
「けど、どこにあるかはわかんないのよ。ここってさ、一応『自由貿易都市』じゃない? だから商人さんを通じて情報だけは入るっぽいんだよ」
「ぬか喜びですかー」
「いや、悪素の解決と一緒で、可能性は十分にあるんだ。慌てないでゆっくり探そうと思う。俺もごはんは食べたいからね」
「ご主人様?」
「ん?」
「ごはんとは、これら料理のことを差す言葉ではないのですか?」
朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん。確かに辰馬は食事のことを『ごはん』と言うことがあった。だからロザリエールは少々混乱ぎみになっていたのだろう。
「あー、あのね、ロザリエールさん」
「はい」
「ごはんって言うのはさ、こっちで言うところのパンと同様。俺たち日本人にはお米っていうこれくらいの、麦粒と同じくらいの大きさのね、白い艶のある穀物を水で炊いたものを言うんだ」
辰馬は親指と人差し指で米の大きさを現してみる。
「うんうん」
ロザリエールはいまいちしっくりくる感じがなかったように見える。辰馬の説明も何か足りないのだろう。
「麻夜ちゃん、スマホにごはんの写真、残ってない? 俺のはないんだよね」
「んー、ちょっと待ってね。えっと……、あ、あった。ロザリエールさんこれこれ」
スマホで写真を表示する。麻夜の双子の姉麻昼が、茶碗を持って美味しそうに食べている姿が写っていた。その手元を親指と人さし指でピンチアウト。写真が拡大されて、お茶碗が大きく見えるようになった。
「この白い粒のような食べ物ですか?」
「そっそ」
「そっそ」
「確かに、あたくしも見たことはありません。これが本当に美味しいのでしょう。麻昼さんが美味しそうに食べていますものね」
夕食が終わって、辰馬が風呂から上がってくる。入れ違いに、麻夜が風呂へ。
椅子に座った辰馬の前に、よく冷えたお酒が出される。
「ありがとう――んーっ、冷えててうまい。暖炉の魔道具で暖かいここで、キンキンに冷えたお酒がとても贅沢だねー。……どう? ロザリエールさんも」
「よろしいのですか?」
そうは言うが、ロザリエールはグラスを両手で持って、辰馬の目の前にすっと出す。『よろしいのであれば、あたくしにも注いでくださいませんか?』と言わんばかりにぐいぐいと。
「やっぱりロザリエールさんはこうじゃなくちゃね」
「すみません。ありがとうございます、……んっ、んっ。くっはっ。うまっ――あ、申し訳ございません」
つい地が出てしまったロザリエール。下を向いた彼女の頬は、赤く染まってしまっているのだろう。『可愛らしいところもあるんだよね』と口には出さないが、そう思いながら辰馬は空いたグラスにお酒を注いであげる。
「んくんくぷっはっ。うまっ、ささ、ごしゅじんさまっ」
「おう、いい飲みっぷりだねっ」
ロザリエールはやや酔っているのか、面白い行動を取っている。『ささ』と言ってお酒を勧めるのではなく、グラスを出してくるのだ。
辰馬は辰馬で、笑顔でとぽとぽとお酒を注ぐ。彼はきっと、彼女の楽しそうな表情を見ることができて、心底嬉しいのだろう。
「あー、おじさん、ロザリエールさん。ずるいっ、お酒飲んでるー」
麻夜がお風呂から戻ってきたようだ。彼女はテーブルの前にしゃがんで、顎をちょこんと乗せて辰馬たちを見る。
「いいなー、麻夜も飲みたいなー」
『駄目?』という表情で伺ってくるのだが、辰馬は即答する。
「だめ。お酒は
「えぇ、そうれふよ」
やや呂律が怪しくなっているロザリエールも同じ意見のようだ。
「だってさー、こっちは成人が15歳でしょ? 麻夜18歳だから、いいんじゃないの?」
「んー、ここの家長さんは俺だから、俺が駄目と思うから駄目なのは駄目です」
「ごしゅりんたま、あれ、おねがいしまふ」
ロザリエールが両手を辰馬の前に差し出してくる。
「あー、あれね。『
辰馬は差し出された手の上に自分の手をそっと重ねて、解毒の魔法をロザリエールにかける。すると、丸まっていた背筋が綺麗に立つと同時に、半分溶けかかっていた表情もやや厳しいものになる。
「麻夜さん」
「は、はいっ」
麻夜は立ち上がり、椅子に座り直して姿勢を正す。
「お酒は逃げません。18歳はあたくしから見たらまだまだ子供。家長たるご主人様が
「嫌です。ここに住みたいです。ごめんなさい、冗談が過ぎました」
「わかればいいのです。麻夜さん」
「はい……」
「20歳になったら一緒にお酒を飲みましょう。ご主人様も祝ってくれるはずですからね」
「はい。わかりました」
「よろしい。いい子ですね」
ロザリエールはしらふで麻夜の頭を撫でる。こうして家族を可愛がり、愛する仕草は彼女の本質である。厳しいときは厳しいが、甘いときはだだ甘なのだ。
「ほら、麻夜ちゃん。これ、美味しいからさ」
辰馬はインベントリから、よく冷えた果実水を取り出して麻夜の前に置く。実はこれ、お酒の元になっている果実がそのまま使われていたりするのだ。だから実質、辰馬たちと同じものを飲むようなもの。
「ありがと。おじさん。んくんく、ぷはっ。冷たくて酸っぱくて、甘いくておいしっ」
そのあとは、辰馬とロザリエールはお酒を、麻夜は果実水をお代わりして、楽しく話を続けた。
ロザリエールはお開きになって、辰馬が寝室へ戻る際、もう一度『デトキシ』をかけてもらった。なぜなら、二日酔いになるのがわかっていたからである。お酒が覚めてしまうのは少々もったいない気もするが、そうは言っていられないのが実情。
辰馬も、ロザリエールが二日酔いになっているのを何度も目撃していた。だから苦笑してしまうのは仕方がなかっただろう。
お風呂に入り、身体を温める。この屋敷は、お湯を沸かし、循環させる魔道具があるから、いつでもこうして新しく温かい湯に浸かることができる。辰馬が、『黒森人族の宿舎とこちらの屋敷、どちらに部屋を持っても構わない』と言ったとき、この風呂が頭に浮かんで即答したくらい、大好きな空間の1つだった。
(んーっ、ふぅっ……。いつでもお風呂に入れるのは最高だよな)
湯船以外の部分は、麻夜がしっかりと掃除をしてくれている。どんな方法かはある程度予想はしていたが、それでも綺麗にしてあるのは感心するロザリエールだった。
洗濯して、皺を伸ばしてある明日身につける着替えを準備して、ベッドに身を預ける。
(おやすみなさい、ご主人様、麻夜さん、セントレナさん……)
こうして、ロザリエールの一日が幕を閉じるのであった。
ロザリエールさんの1日 おしまい。
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