第64話 お仕事あとの、ちょっとした。

 しばらくの間、顎を乗せられたり甘噛みしたり、色々遊ばれて。それでもずっといるわけにいかないから帰ることになって、名残惜しそうに見送ってくれたセントレナ。俺たちは厩舎を後にする。


「うちのダンナがね、外へ連れて行かなかったからかな? 君なら連れて行ってくれると、期待してるんだよ、きっとね」

「そうなんですか」


 高所恐怖症ってそこまで辛いのか。俺は楽しみなんだけどね。


 ギルドに戻ってくると、俺は昨日と同じように治療にあたる。その間、ロザリエールさんは調査に回ってくれてる。プライヴィアさんとリズレイリアさんは、この城下の現状などの打ち合わせをするという話。


 マナ茶を飲んで、『マナ・リカバー魔素回復呪文』をかけて、準備完了。治療を開始するなり、一番乗りはなんと酒場の店長さん。メサージャさんを含め、酒場の従業員さん全員を連れてきてくれたんだね。


「あ、昨日はどうもです」

「えぇ。こちらこそ、早々にお邪魔して申し訳ありませんね」


 店長さんの後ろに並んでるのは、メサージャさん。前に見た普段着で、手をふりふりしてる。はい、おはようございます。そういう感じに、笑えたかな? 俺。


「いえ。水仕事の多い人は進行が早いことがある、ということがわかったものですから、来ていただいて正解だと思っています」

「……やはり、そうだったのですね」


 店長さんは手袋はしてないんだ。男性なのに女性に負けずと、綺麗に爪も整えられてる。やはりこっちの世界でもさ、人前に立つ系の客商売はこうなるんだろうね。


「やはり、進行がやや早いですね」


 後ろに並ぶメサージャさんが、表情を暗くするんだ。


『「ディズ・リカバー病治癒」、「フル・リカバー完全回復」』


 小声で呪文を唱える。


「でも大丈夫ですよ。水仕事も多いでしょうし、客商売ですからね。手袋をするわけにもいかないでしょうから。はい、もう治りました」

「え? もう、ですか?」


 店長さん、指先見て驚いてる。気づかれないように、治療できたみたいだね。


悪素毒おそどく以外に、気になる怪我などはありませんか?」

「いえ、大丈夫です。本当に、ありがとうございました」


 店長さん、立ち上がって深々とお辞儀をしてくれる。それはもう、俺が初めてあの酒場に行ったときよりも、丁寧に、ゆっくりと。


「こうして喜んでもらえるのが俺、一番嬉しいですから」


 はいはい。メサージャさん。目に涙をためないためない。


「では、次の方、どうぞ」

「あ、はい」


 メサージャさん。すとっと座ったと思ったら、あぁあああ、もう涙がががが。インベントリからタオルを出して。もちろん、新品。


「はい。とりあえずこっち。これはあげますからね」

「あ、ありがとうございます」


 俺から受け取ったタオルでそっと目元をおさえる。膝上にタオルを置いたと思うと、俺が何も言わない状態でも手を差し出してくれる。あ、手袋はしてこなかったんだ。大丈夫なんかな?


「じゃ、失礼しますね。あぁ、ちょっとだけ、いや、うーん。前より全然マシです」

「え?」


 驚いてもらってる間に、さっきの。まだ無詠唱は『個人情報表示』しかできなくてさ。同じように、口の中だけで口ずさむようにして。


『「ディズ・リカバー」、「フル・リカバー」』


「ほら。もう消えた」

「えぇえええ?」


 いいよね。こう、驚いてくれるのって。それで指先見たら、本当に消えてて。


「あ、ありがとうございますっ」


 喜んでくれる。笑顔を見せてくれる。なんだろう? 技術系のサラリーマンだったときには、感じられなかった達成感。客商売とかそういうのって、こんな感じなんだろうか?


「はいはい。次がいるんですからね」


 後ろから同僚さんに急かされてる。


「ご、ごめんなさい」

「それじゃ、また」

「はい。またです。ありがとうございました」


 彼女も仕事のとき以上にしっかりと、お辞儀をくれた。次の人はメサージャさんの同僚さん。さて、頑張っていきましょー。


 ▼


 いやー、早くなった早くなった。『ディズ・リカバー』と『フル・リカバー』だけで治療が確実に終わるし、おまけに魔素が全然減らないもんだから、続けて治療しても無理してることになりゃしない。


 ふたりずつ入ってもらって、治療にあたったものだから、逆にジュエリーヌさんとエトエリーゼさんの受付のほうが間に合わなくなって、俺のほうが待ち状態になることもしばしば。『受付が終わった人に並んでもらって、俺が歩いて回ったほうが早いんじゃない?』って冗談を言ってしまったくらいなんだよね。


 そうこうしてる間に、1日で100人を超えちゃったんだよ。受付でふたりとも、疲れ切ってたから、『リカバー回復呪文』かけてあげたくなったのをぐっと堪えた。それじゃドーピングだからね。俺はよくやってたけどさ。けれど本当に辛そうなら考えてあげないとだね。


 その日の治療が終わって、宿へ帰る前のこと。ギルドを出て、帰り道とは逆を進むことにした。


「ロザリエールさん、寄り道してもいいかな?」

「どちらへ行かれますか?」

「うん。ちょっと、気になってることがあってさ」

「そうですね。……セントレナと、アレシヲンのところでしょうか?」

「わかっちゃう? やっぱり」

「えぇ。宿とは方角が逆ですものね」


 厩舎まで、ロザリエールさんと散歩みたいな感じ。上着も一枚増えて、前よりも更に寒くなってきた。けど俺はそんなに嫌いじゃないね。この冬場ってやつはさ。


 ロザリエールさんも、いつもの服装の上に、黒いショールみたいなのを羽織ってる。『また黒かいっ!』ってツッコミたくなるけど、『どこに隠していたんだろう?』というほうのが強いかな? 朝、羽織ってなかったから、多分宿に寄って持ってきたんだと思うけどね。


「ここだここだ」


 ほどなく厩舎に到着、なんだけど。


「あれ? 入り口が閉まってる」

「タツマ様、その明かりがあるところへ」

「あー、そういうことね」


 受付みたいな場所があるんだ。


「すみません」

「はいはい。あ、聖人様」


 ひょっこり顔を出したのは、30歳くらいの男性。


「ちょ、いや、夜分すみません」


 慣れてないんだよ、その呼ばれ方はさ。


 うん。この人もなんとなく覚えがある。黒ずみが手のひらまで進行してたから。牧場関係の番組とか見たことあるけど、それなり以上に水仕事もあるんだろうからさ。


「はい。どうしました?」

「あの、うちの走竜に逢いにきたんですけど」

「わかりました、今開けますので、少々お待ちください」


 ゴゴゴゴって、入り口が左右にちょっとだけ開くんだ。まるで、城門が開くかのようにね。うわ、厚さが30センチくらいありそうな扉だよ。すげぇ。


「はい。どうぞお入りください」

「ありがとう」

「お連れの方もどうぞ」

「はい。ありがとうございます」


 入り口をくぐって、通路を抜ける。一番奥にあった扉に到着。


「この鍵をこうしてっと」


 プライヴィアさんからもらった、ここの扉の鍵。夜はこうして鍵がかかってるんだってさ。おそらく、宿直の人が、あの人ひとりだからかもしれないね。


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