第56話 こういうことがあるのか。

 俺より年下だと思われるお兄さんの腕は、俺なんかよりも太くて、筋骨隆々っていうのか? こういう場合。身長も俺より拳一つ大きいから、おそらくは軽く、180は超えてるんだろう。


 『痛みがない』と言ってた割に、手袋を外すその手つきはおっかなびっくり。『何が彼をそんな風にさせたんだろう?』と思ったよ。


 おそらく彼は、エトエリーゼさんの治療を見てたからわかるんだろう。けどさ、俺が両手を広げて『さぁ手を乗せなさい』みたいに待ち受けてると、何やら気恥ずかしそうにしてるんだよね。


「あのね。これは治療なんだから、恥ずかしがっても仕方ないでしょうに? 俺だって好んで男性の手を握りたいわけじゃないってば。ま、慣れたけどね」

「は、はい、すみません」

「いいって。慣れるもんだよ。百人、二百人、どれくらいだったかな? というくらい握ってるとね……」


 つい、遠くを見てしまいそうになるのをぐっと堪えて、彼の手を見たんだけど、こりゃ駄目だろう?


「おい」

「は、はい」

「いや、すまない。これ、どういうことだ?」

「どうと言われても、困るんですけど?」


 指先から数えて、第二関節手前くらいまで真っ黒なんだよ。さっきのエトエリーゼさんだって、爪から数ミリ程度だったんだ。


「痛いだろう? 痛くて眠れないだろう? 酒でもかっくらってぶっ倒れてたのを、寝たつもりでいたりしないか?」

「……確かに、そうですけど」

「なんでもいい。『ディズ・リカバー』、1回で消えるか? なんとか消えてるっぽいな。ちょっと待っててくれるか?」

「は、はいっ」


 俺はそのまま受付に走った。俺の表情を見て、何かを感じ取ったんだろう。


「ジュエリーヌさん、すまないけど何でもいいから、湯船の熱さくらいのお湯をもらえないか? 両手が浸かるくらいの、あのときみたいに」


 若干支離滅裂になったけど、きっと彼女ならわかってくれるはず。


「はいっ。エトエリーゼちゃん、ここ、お願い」

「わかりましたっ」


 カウンターの奥へ引っ込むジュリエーヌさん。俺は振り向いて、連れの女性を見る。俺を見てびっくりしてる。驚かせちゃったみたいだな。


「予想外なことが起きたもんだからつい、驚かせちゃったね。怖くないから、ちょっとこっちおいで」

「は、はいっ」


 俺は手招きをして、彼のいる場所へ。俺が座ってた椅子を彼の横に並べてから。


「悪いけどそこに座ってくれる?」

「何かしたの?」

「いや、さっぱりわかんない。それよりもほら、もう痛くないんだよ」

「え? あの話って本当だったの?」


 二人は何の話をしてるんだろう? 『あの話』ってどういうことだ?


「話し中ちょっとごめんね。君も悪いけど、こっちに手を出してくれる?」

「はい。どうぞ」


 前に出してくれた、手袋をした右手。腕に軽く触れてすぐに魔法を詠唱。


「『フル・リカバー』。これでどうかな? まだ痛む?」

「え? え? どうしちゃったのこれ?」

「だろう? それだけでもう痛くないんだよ」


 痛みは一時的に治まってるみたいだ。


「ちょっと悪いね」


 俺はそう言って、彼女の手袋を外し、手のひらを上にして指先を見た。


「うわ。やっべぇ。なんでこんなになるまで……」


 彼女の指に見える悪素毒の黒ずみは、手のひらの手前まで進んでたんだ。


「いえ、その。ごめんなさい……」

「いやいやいや、そうじゃなくて。別に怒ってるわけじゃないんだ。『ディズ・リカバー』」


 一瞬とまではいかないけど、お酒を飲んで赤くなる反応よりは早く、黒ずみがなくなっていった。


「え? あれ?」

「だろう? 俺も驚いたんだ」

「はいはい。驚いてるだけじゃ終わんないから。『フル・リカバー』。……これでしばらくは大丈夫だと思うけど」

「タツマさん」

「お、ありがとう。テーブルの上に置いてくれるかな?」


 ジュリエーヌさんがどこからか、タライのようなものを持ってきてくれた。そこには、軽く湯気があがるくらいのお湯。俺はインベントリからタオルを取り出しておいた。


「二人とも、ここに片手をつけてくれる?」

「はい」

「はいっ」


 十秒、……二十秒は経ったかな?


「どう? まだ痛む?」


 彼と彼女は目を見つめ合ってすぐに、抱き合って喜ぶんだよ。


「いいえ。痛みません。嘘みたいです」

「はい、全然痛くないんです」

「そっか、それはよかった」


 それでさ、二人の話を聞いたところ、彼らは三日ほど前にここ、ダイオラーデンについたばかりなんだって。なるほどどうりで状態が酷かったわけだ。


「ダイオラーデンのギルドには、聖人様がいるって噂があって」

「それでもしその話が本当なら、私たち助かるかもしれないって、ダメ元で向かったんです」


 なるほど。元々は、別の国か町のギルドで生計を立てられているほど、安定した腕を持つ冒険者なんだろう。


「ですが、強いお酒を飲まないと眠れない。それでは貯まるお金もありませんから」

「今夜、久しぶりにゆっくり眠れそうです、……あ、でも」

「何かな?」


 心配そうに俺を見る二人。


「本当に、銅貨10枚でいいんですか?」

「あぁ、嘘は言わないよ。元々俺は、これで稼ぐつもりはなかったんだ。ギルドのルール『個人情報ひみつを守る』を守ってくれるならね」

「もちろんです。俺たちはギルドに10年以上お世話になっていますから」

「はい。守ります」

「ところで君たちは元々、どこにいたんだい?」

「はい。マイラデルン公国という小さな国です」

「山の麓にある国で、魔獣が多く出て忙しいところでしたけど」


 公国ってことは、王様じゃなく大公、お貴族様が治める国ってことでしょ? 小国には多いって聞いてるけど、あのミートボールパスタが出てくるアニメみたいに。


 男女の冒険者さんは、しばらくはここにいて、このギルドに恩を返そうと思ってるって、そう言って宿に戻っていったっけ。ゆっくり眠れるといいね。ほんと……。さて、次だ。俺はお湯の入ったタライを持って行き、受付で状態の酷い人がいたら優先的に来るようにお願いした。


「わかりました。一通り聞いてみますね」

「そういえば、エトエリーゼさん」

「はい」

「お兄さん、セテアスさんはどうなの?」

「はい。水仕事が辛いとは言ってましたね」

「そっかぁ。この後来るように言ってもらえるかな?」

「いいんですか? ジュリエーヌ先輩」

「いいに決まってるでしょう? ほら、ここは私に任せて、エトエリーゼちゃんのところは、ギルドとも長い付き合いなんだから。遠慮したら駄目」

「すみません。では、呼んできますね」


 ギルド職員と、今日来ていた冒険者の皆さんが治療を終えたあたりで、セテアスさんが来たんだ。もちろん、エトエリーゼさんは入れ替えで、宿の受付をみていてくれてるってさ。


「これはこれはお元気そうでなによりです。『昨夜もお楽しみでしたね?』」

「あははは。昨晩は酷い目にあったよ……」


 お貴族様閣下の一件は、俺の中でも重大事件のひとつだったからね。


 セテアスさんの指は、前にここで治療をしてたとき、エトエリーゼさんと一緒に一度治したんだ。それでも今見ると、2ミリくらいの黒ずみがあるんだよ。それこそ、水仕事が多いから、水に触れる時間が長いからなんだろうか?


「よし。これでしばらくは大丈夫だと思うよ」

兄妹きょうだい揃って、お世話になりました」

「いえいえ。どっちにしても、ここの水が何もされていないって疑惑、濃厚になってきたな……」

「その話ですね。昨年末から、そのような噂が流れていましたから。ギルドからも注意がそれとなく」

「そうだったんだ。俺、知らなかったよ」

「いえ。ソウトメ様はまだダイオラーデンへいらして、日が浅いではありませんか?」

「そりゃそうだけどさ、知らなかったでは、俺の気が済まないっていうかなんというか……」

「本当にお優しいですよね、何気に私には厳しいですけど」

「そうだね、あははは」

「えぇ。困ったものです」


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