宝探し

インド・洋

第1話

僕は滲み出る高揚感で顔がニヤつかないように、ほっぺを抑えて大股で歩いている。みんなが学校への道を急ぐ中、僕はその反対方向を突き進んだ。錠前を閉め忘れたランドセルがカチカチと音を立てる。でもそんな音よりも、僕は僕の心臓の音で耳がおかしくなりそうだった。初めて学校をズル休みする。しかも親に内緒で!背徳感に溺れながら慣れた足取りで目的地に向かった。着いたのはこの町一番の大きな屋敷。でもお化け屋敷なんかじゃあない。ここは元々僕の親友の家だ。親友が一昨日引っ越してしまってからは空き家になっているけれど、ついこの前まで人が住んでいた屋敷だ。しっかりと掃除されている跡があったし、庭も綺麗だ。なんで親友のいない空き家に来てるかって?今から僕はこの屋敷に侵入するんだ。ズボンのポケットから、昨日郵便受けに入っていた手紙を取り出した。


あほへ

俺は引っ越すけど全然悲しくなんかないぜ

悲しいどころかすごいワクワクしてる

今、俺の広い屋敷の中に宝を隠した 屋敷中に手がかりを置いといたから 

興味があったら俺の宝を探してみな

お前が宝を見つけた時の顔を想像したら笑いがとまらねえ!

じゃあな

P.S. 裏庭の赤い柵から入りな 鍵が空いてるから


あいつはいつも悪戯が好きだった。僕もよく一緒になって悪さをしてたけど、あいつの悪戯好きには及ばない。あいつがどんな仕掛けを屋敷に仕込んでいるのかと思うと胸が高まった。

手紙にあった通り、正面から裏庭の方に回り、赤い柵から敷地内に入った。もうそこに何か仕掛けがあるんじゃあないかとビクビクしてたけど、何もなくて拍子抜けした。気を取り直して、目の前にある裏口のドアノブに手をかけた。ゆっくりとドアノブを回す。鍵は空いている。さあいよいよか。手汗をズボンで拭い音を立てないように屋敷の中に入った。


そこは物置だった。引っ越しをした後だったから屋敷に常備されているもの以外は何もなかった。物置の真ん中に手紙が置いてある。


あほへ

お前多分すごい緊張して入ってきただろ いつも臆病だったもんな

さあ宝探しのスタートです

同封されている写真持っていけな

次に行く場所は台所だ

じゃあな


手紙の後ろにあった写真に目を通した。そこにはキャバクラみたいな、赤い綺麗なドレスを着た茶髪の女の人が写っていた。お酒に酔っているのか、照れ臭そうにカメラの方を見て笑っている。誰だろう。謎解きみたいで楽しいな。もしかして、これからどんどん手に入れるヒントの頭文字とかで宝の在処がわかるとかかな。じゃあとりあえずこの写真はキャバクラのキャだな、うん。


そんなことを思いながら、入ってきた扉と別の扉を開いた。その先には長い廊下。ほとんど物もない広い屋敷はなんだか不気味。とりあえず、廊下を進む。行き当りを曲がると、大きな扉の向こうにリビングがあった。

ここから先は遊びに来ていたからよく知っている。何回見てもすごいや。やっぱりあいつ金持ちなんだな。リビングに入ると、暖炉や備え付きの大きなソファが置いてあった。思わずソファに飛び乗る。ホテルのベッドみたいにふかふかだ。しばらくトランポリンみたいにして遊んだ。その反動で、ソファの隙間から何かが出てきた。それが何かわかった瞬間、これが宝物じゃあないかと驚いた。


コンドームだ。


知ってるぞこれ。セックスするときに使うものだ。へえ、実物ってなんか薬みたいな袋に入っているんだな。僕はそのコンドームをバレないように(誰もそこにはいないのに)、ランドセルのチャックにしまった。


さあ、いい収穫もあったことだし、台所に向かおう。台所はリビングの先にある。手紙はわかりやすくIHの上に置いてあった。


あほへ

遅いな馬鹿

シンクと冷蔵庫の匂い嗅いでみな

次は二階だ 俺の母親の寝室な 多分すぐわかるよ

じゃあな


匂い?

おかしなことを指示するんだなあ。言われた通りにシンクの匂いをまず嗅ぐ。少し鉄の匂いがする。綺麗なのに、どこか酸化しているのかな。次は冷蔵庫を開ける。嗅ごうとする前に、嫌な匂いが鼻に入ってきた。何かが腐ったような匂い。でもそこには何もない。なんだか気味が悪い。

すぐに冷蔵庫のドアを閉め、台所を出て階段を登った。階段を駆け上がる自分の音が僕のことを追いかけているようで少し怖かった。


階段を上がると、いくつかある扉のうちの一つだけが開いていた。多分あそこがあいつの母親の寝室だろう。入ってみると、何もなかった。あるのはあいつの手紙が床に1通。手に取って読んだ。


あほへ

どんな匂いがした?

この前はあの匂いがマジでひどかったんだよ 俺だけが嫌な思いするなんて嫌なんでお前にも嗅がせました

ババアのクローゼットの中に次の手がかり置いといたから まあ見たくなかったら見なくてもいいぜ臆病者

次の場所は父親の部屋な

じゃあな


クローゼットを開けると、熊のぬいぐるみが座っていた。持ち上げると、想像した以上に重い。ぬいぐるみの下のところに滑り気がある。不思議に思い、ぬいぐるみが座っていた場所に目をやると、赤黒い何かが広がっていた。


血だ!


慌ててぬいぐるみを落としてしまう。


ドスン!


なんなんだこのぬいぐるみ。後退りをして萎縮し、ぬいぐるみを見つめながらしばらく固まった。自分の手に何か冷たい感覚がある。恐る恐る手を目の前に持ってくる。


血だ!


頭が真っ白になり、勢いよくその部屋から飛び出した。やばいやばいやばい、なんだか知らないけどとりあえず血はやばい!気が動転して、向かいにあるトイレに入ってしまった。


ドアを閉めトイレに腰をかける。僕の心臓が大きく脈を打っている感覚が足の指先にまで伝わる。

あのぬいぐるみに付いていた血はなんなんだ。血に濡れた自分の手を見て考える。まだ乾いてなかったということは、まだ新しい血なのか。あのぬいぐるみの重さはなんだったのか。動悸が収まるのを待ちながら、考えを巡らせた。


しばらくすると、とても近い位置からドアの開く音が聞こえた。はっと声が出そうになり手で必死に抑える。手の血が頬に纏わりつく。ううっ血の匂いで頭がクラクラする!音の主はずしんずしんと床を振動させながらさっきまで僕がいた部屋に入っていった。


「あ゛っ」


声の波を感じられる程野太い声が聞こえた。背筋が凍る。自分でも気付かないうちに、ジーンズをおしっこで濡らしてしまった。


「駄目じゃあないか」


多分これは僕に言っているんだ。このままだと殺されてしまうかもしれない。いや絶対に殺される。僕は何かルールを破ってしまったんだ。この宝探しのルール。この屋敷のルール。何かわからないけれど、少なくとも今あいつの母親の部屋にいる男を怒らせてしまったんだ。どうしよう。正直に罪を告白して謝ったら許してくれるのだろうか。それとも、地獄の果てまで追いかけてきて許されることもなく殺されるのか。僕の顔はもう涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃになってた。男の行動の意味を汲み取らないと。次に男がする行動によって僕の未来は決定する。逃げ出したくなる衝動を必死に抑えて、僕は男の発する音に耳をすませた。


「ああそこに居るんだね」


男がそう言った瞬間、僕は死を覚悟した。男の床を鳴らす足音が僕のいるトイレに向かってくる。最悪だ。なんでこんなことになった。だって僕はこの男か屋敷のルールを破っただけで何にも悪いことはしてないんだもの。空き地に侵入しちゃったのは少し悪いかもしれないけど、それはあいつが誘ってきたことだ。僕は何も悪くない。そう、悪くないんだ。悪くないはずなんだ。


コンコンコン


トイレのドアがノックされる。僕は何をするべきなのかわからなくなっていた。焦る僕の目に冷静に飛び込んできたのは鍵をかけ忘れたドア。見つけた瞬間、ドアの鍵を締めた。


カチッ


鍵のかかる音で血の気が引いた。しくじった。これじゃあ僕がトイレの中にいるって知らせたようなものではないか。もう終わった。死んでしまう。


「・・・・・・」


なんだ、やけに静かだな。


「・・・・・・」


何も聞こえない。僕はドアに耳を押し付けた。


「・・・・・・」


何も言わないどころか、気配すらない気がする。僕は音を立てないように頭を地面に近づけて、ドアの隙間から人の影がないか確かめた。


「ない・・・・・・」


不気味だ。急に現れて急に消える。まるで幽霊じゃあないか。

何もできなくて、トイレの中で立ち尽くした。すごい長い間だったと思う。自分の脈動がそれを教えてくれた。

時間の経過と共に、僕は胸の不安の味を忘れていく。膨れ上がったのは好奇心。もし僕があいつなら、今ここで尻尾を巻いて逃げるようなことはしない。二人で悪戯をする時、あいつは僕を試すかのようにわざと危険で非道な行いをする。

学校のサッカーボールの空気を全て抜かした時には、あいつは異変に気づいてやってきた警備員の頭に向かって壊した南京錠を投げつけた。投げる瞬間、あいつが僕の方を振り向いて乾いた笑いを浮かべたのを覚えている。僕はそれに応えようと、倒れた警備員を跨いで逃げる際にわざと転けたようにして腹を力一杯蹴ってやった。そうすると、あいつはいつも変な引き笑いをする。僕を見て、あの細い目で、お前、最高だなって。ひーっひーっひーっ。その笑い声がグラウンドに響いていた。ひーっひーっひーっ。僕はその笑いを少し真似してみた。そうだ。これはあいつからのメッセージ。これを見てお前はどうする、と僕を試しているんだ。いいぜ、やってやるよ。今回はお前の想像の斜め上をいってやるからな。僕はゆっくりとドアの鍵を回した。


父親の部屋はトイレの隣の部屋だった。ドアは開いていた。本や資料などが乱雑に積まれている部屋の中央にポツンとビデオカメラが置かれていた。手紙は見渡しても見つからなかった。

うーんどうしよう。とりあえず、ビデオカメラを手に取り、再生のボタンを押す。すると、画面に映し出されたのはあいつの母親の姿。ひどく疲れた顔をしていて、目は泣き腫らしていた。

「ええー、このビデオは、えー、私の旦那の不倫の、証拠として、証拠を撮るために、これから一部始終、全て、旦那だけじゃなくて、私が不倫を暴くためにする行動全ても、証拠として、えー、撮ります。えっと、とりあえず今からは、今日探偵の方と会う約束をしているので、そちらにね、向かいたいと思います」


次に映ったのは探偵らしきスーツの男。

「すみません、ここの場のお話も証拠として使いたいので、撮影しても大丈夫ですか」

「ええっ、ええっと、ええまあはい、大丈夫ですよ。あの、はい、大丈夫です。・・・・・・、ええと、旦那様の不倫に関してのご相談ですね」

探偵は少し困った顔で本題に入る。そして手前のコーヒーを忙しく啜った。

「はい、そうなんです。一年ほど前から何かおかしいなと思ってたんです。よくテレビのドラマとかであるような異変だったんです。途端に夜の誘いも無くなりましたし、だんだんと週末も家にいない時が増えたんです。仕事の関係上しょうがないのかなと考えていたんですが、1ヶ月ほど前、友達からメッセージが来まして。ああ、お構いなく」

母親は差し出されたお菓子を断った。

「友人からは何度か旦那が知らない女性と昼に街中を歩いているのを目撃したということを伝えられました。最初は日中だったので仕事かなと思われたそうなんですが、明らかに女の服が違うのと、何度も二人で歩いているのを目撃して、これはもしかしてと私に知らせてくれたんです。確か明るい茶髪に綺麗めのドレスのような服装を着ていたらしいです。・・・・・・、あの、ここ日差しが強くて、席移動しても差し支えないですか」

確かに、探偵の男は逆光でほぼシルエットになっている。男は周りを見渡す。

「はい、もちろん大丈夫です。すみません気付かなくて。あの奥の方の丸い机に移動しましょう。ああ、それは私が運びますのでお構いなく」

画面が線になる。ゴトッという音と共に男と母親が向き合って座る様子が映し出される。

「ええと、そしてですね、旦那の仕事用の鞄をこっそり調べたんです。ええー、そこにですね、コンドームが入っていたんですよ。仕事用の鞄にですよ?最近の旦那の様子、友人からのメッセージ、そしてコンドーム。これは怪しいと思いまして伺いました。コンドームの動画は携帯で撮りました。こちらです。確認してください」

母親はあらかじめ携帯の画面を用意していたようで、手際良く男にその動画を見せつける。

「ああ、そうですねええ」

男はまじまじとその動画を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。

「浮気調査をするにあたりまして、旦那様の日頃の行動範囲をお伺いしてもよろしいですか」

「ええ。旦那は市内の三野商事に勤めています。2年ほど前からは市内の勤務でしたが、それまでは転勤を繰り返していました。北海道と大阪とシンガポールです。私は着いていきませんでした。子供が転校ばかりになると可哀想でしたし、私海外のお水が合わないんです。結婚の時、転勤の場合は単身赴任にしようということは夫婦で話し合っていました。まあ、そうですね、女はどうやら市内にいるそうですし、旦那の行動範囲は会社の周辺と自宅の周辺、そして友人が何度か見かけた一曲輪(いちがわ)あたりでしょうか」

男は頷きながら母親が話したことを紙に記した。

「わっかりました。ええ、それではこちらの方で精査しますので、また後日の面談の際にご契約させていただくという形でよろしいですか」

「今日すぐ契約したいのですが」

「んー、そうですね、精査して調査可能な案件か、調査方法、そして値段などの見積もりも決めなくてはいけないので。一回のご面談で即契約になるお客様は少ないですねえ」

母親は無言で手前のコーヒーを初めて啜った。

「んー、そうですね、少々お待ちください」

男はそう言って立ち上がると、カメラの前を通りどこかに消えた。母親は背筋を伸ばし、目の前の景色をじっと見つめて待っていた。二分ほどして、男が駆け足で戻ってくる。

「奥様、ええ奥様、今回の件ですが、夕方の六時くらいまでに精査して契約できるようにしときます。なので、また六時ごろにお越しください。はい」

母親は深くお辞儀をした。

「申し訳ありません。ありがとうございます」


次のビデオはその契約の動画だった。画面いっぱいに映し出される契約書、流作業のように過ぎていく男の説明、そして母親の力強い筆圧。全てが終わる頃にはもう窓の外は薄暗くなっていた。母親はまた深々と挨拶をして、そしてそのビデオは終わった。


次のビデオは母親が独自に進めていた調査の報告だった。目の前のリビングの机にビデオカメラ3個とボイスレコーダー2個が置かれていた。

「これは家の中に仕掛けた隠しカメラとボイスレコーダーの証拠です。もしも、旦那にばれて削除されたり壊されたりした時のための保険です。まだ、私は中を確認していません。今から、撮ったビデオと音声の中に浮気の証拠がないか調べます」

母親は一番右のビデオカメラを手に取る。親指がゆっくりと再生ボタンの上に重なる。

「・・・・・・、これは私がパートに行った直後の11時ごろですね。少し早送りします。・・・・・・12時・・・1時・・・2時・・・3時、あ、ちょっとここ・・・・・・あ・・・・・・」

その小さな画面にはリビングに入ってきたあいつの父親と母親ではない女性が映っていた。その女性はさっき言われていた疑惑の女とは少し違っていた。髪は明るい茶髪だが、服装はジーンズにボーダーのTシャツに深い緑の羽織。まるでそこら辺にいる主婦のようだった。そういえばこの服装、どこかで見たことがあるような・・・・・・。僕はこの後の展開が気になってより一層画面を目に近づけた。

「あっ・・・・・・」

その瞬間、画面は真っ暗になった。ちぇっ。僕は鼻でため息をついて次の動画が始めるのを待った。


「・・・なの。だから誰なのって聞いてるのっ。・・・・・・何度も言わせないでっこっちは探偵からの証拠も家の中の隠し撮りもあるんだからね、言い逃れはもうできないから早く説明してよ!」

母親の枯れた叫び声がビデオカメラから響く。父親が台所で母親に問い詰められている。

「・・・・・・すまない」

「今欲しいのは謝罪じゃなくて説明ですっあなたはいつからこんなことをしていたのずっとここでしてたのバレないとでも思ってたの今までどんな面さげて私とあの子の前で家族ごっこしていたの!」

「・・・・・・実は、ここだけじゃあなくて、赴任先でも何度か・・・・・・」

「信じられない。・・・・・・信じられない。気持ち悪い、もう離婚するって決めてるからっ弁護士の先生も私お願いしているんですからねっ。気持ち悪い気持ち悪いなんで私の服をあの女に着させていたの気持ち悪いっ!」

僕ははっとした。あの女性が着ていた服は母親がよく着ていた服だ。遊びに来た時とかによく見たはずだ。怒鳴られた父親は床の一点をただ見つめていた。しかしその拳は血管が浮き出る程強く握られていた。

「気持ち悪いのは君の方じゃあないか。」

「はあ?」

「気持ち悪いのは君の方だよ。僕は我慢したんだよ。今も我慢している。僕は心の底から君が好きなのに君が段々と君じゃあなくなるからダメなんじゃあないか。最初の北海道の時は不倫はしていないよ。僕は君のところに帰れる時を楽しみに毎日頑張っていたんだ。君は23であの子を産んだばかりだった。心配だった。産んだばかりなのに一人にしてしまって申し訳なかった。早く君の元に帰りたかった。でも、でもついにその時が来たら、君は君じゃあなくなっていたんだ。歳をとったんだ。顔は疲れていて体も心もその前と比べ物にならないほど衰えていた。久しぶりに家に帰ってきて出迎えてくれると思っていた美人の妻がどこかの婆さんに変わっていた僕の気持ちはわかるか。そんな婆さんを抱かなくちゃあいけなかった僕の気持ちはわかるか」

「・・・・・・そんなこと、思ってたの」

「それでも僕の心はまだ君のものだった。僕の妻、健気な妻、まだ愛していた。抱く時、毎回ほんの一瞬思っていたんだ。ああ、この人が愛おしいって。だから大阪の時も最初の方は君のために頑張っていた。でもそこで僕はわかっちゃったんだよ。あの頃の君が街で歩いてたんだよ。1人目はただ見た目が似ている程度だったけど、2、3人目は見た目はもちろん、仕草、性格、体も君にそっくりだったんだよ。君って意外と普遍的な人だったんだね。世の中にはあの頃の君がまだ存在するんだ。そう気づいた瞬間、心の霧が晴れたというか、とにかく僕の天気は明るくなったんだよ。本当に」

「・・・・・・え、じゃあ私に似ている人とってこと」

母親の声は震えていた。

「大阪から帰ってきた時、僕の楽園は消え去った。君がいるんだ。君だけど僕の求めている君じゃあない。君そのものももう気持ち悪かったけど、君は君なのに君じゃあない感覚が本当に耐えられなかった。帰ってきてからシンガポール行きが決まるまでほんの数ヶ月だっただろう?僕が志願したんだよ。もう無理だった。君じゃない君と過ごす日々が地獄だったんだ。シンガーポールでは、」

父親の言葉を遮って玄関のドアの開く音とパタパタという軽い足音が響く。2人は固まり、音のする方向を見やる。


「ただいまー」

「お邪魔しまーす」


あいつと僕の声が聞こえた。間延びしたやる気のない声が、さらに二人の緊張を高めた。

「こっちに入らないで!2階に行ってて!」

母親がすかさず僕らに指示をした。僕らの楽しげな声が遠のいて行く。しばらくの沈黙の後、母親が言った。

「あの子は私が引き取りますから」

「構わないよ。ああ構わないさ。あの子は悪い意味で変わらない。子供の純粋で真っ直ぐな悪意がそのまま育ったような子だ。昔はそれで可愛いかったけれど今はもう恐ろしいよ。ああ、気持ち悪い」

そう父親が言った瞬間、母親は手に構えていたビデオカメラを父親に向かって投げつけた。一瞬、父親の驚いた顔が映った後、カメラは父親のおでこにあたりそのまま床に叩きつけられた。


「死ねっ!」


もうビデオは何も写していない。その場の音を拾っているだけだ。

「ほら、そういうところだよ。昔の君はそんな言葉は吐かなかった。心が荒んでしまったんだ君は。一応言っとくけど、シンガポールでは全く浮気はしなかったよ。あっちの人はなんだか、君っぽい人もいるんだけど、日本人じゃあなかったし君はいなかったんだ。正直、シンガポールの滞在で僕の底から湧くそういう欲は一時的に収まった。無くなったわけじゃあないけれど蓋がされたんだ。だから帰ってきた時も今の君を拒絶せずに済んだ。どこかで妥協できていたんだと思う」

「じゃあこの写真の女は誰なの。また不倫を繰り返したんでしょう?」

「その子は、僕の、妻だ」

「は。」

「僕の、妻だ。12年前、結婚した当初から変わらない僕の妻だ。いや、誤解しないでくれ。僕の頭は正常だ。君と籍を入れている状態だというのは理解している。だけど僕の心はこの子を僕の妻だとして認めているんだ。上司と一緒に行ったキャバクラで会ったんだ。ほら君、会ったばかりの頃は茶髪だっただろう?派手で笑顔で弾力があって・・・・・・この子に会ったその時、僕もあの頃の僕に戻ったんだ。そんな感覚は初めてでさ、蓋をしていた欲が今までにない程に増幅した。この子に君の服を着させるとひどく興奮した。君と妻が混ざり合って一つになる。叶わなかった理想が現実になった。ああ、これでこそ君だって。僕がずっと探し求めてきた君なんだ。」

「全く、理解できないわ・・・・・・・」

「はあ・・・・・・残念だけど、僕らはここで終わりのようだね。残念な気持ちに嘘はないさ。悪魔で僕がずっと愛してきたのは君なんだから」

「とにかく、すぐに私はあの子を連れてここを出て行きます。それ以降の連絡は私の弁護士に伝えて。この家はいらないので好きにして頂戴。でも今は出てって。私たちがここから出るまで何処かで野宿でもしてなさい。もうあなたと会話もしたくない。さよなら」

「ねえ」

「触らないで!」

「君は、離婚したら、別の男と再婚したりするのかな」

時計の秒針がはっきりと聞こえるほどに重い時間が流れた。

「なんで、今そんなことが聞けるの・・・・・・」

ビデオはここで終わった。


僕はしばらくしゃがんだ姿勢のまま放心した。今見せられたのは、あいつの母親と父親の離婚するまでの一部。なんであいつはそんなもの僕に見せるんだろう。だって、僕はあいつから親が離婚するなんて話1回も聞いたことがない。引っ越しする時だって親の転勤についていくとか言ってたしこのビデオと辻褄が合わない。そうだ、これはあいつがあいつの両親に頼んで作ったビデオだ。内容は嘘っぱち、僕を驚かせるために作ったんだな。なるほど、ついつい真剣に捉えちゃったじゃあないか。流石だぜ。みんな迫真の演技だったなあ。特に父親の方。君って連呼してたし本当にキチガイって感じの演技だったなあ。まあ、あとは手紙を見つけて次の部屋に行くとしますか。僕はもう一度部屋を見渡す。

「ええと手紙手紙。」

「やあ。」

全身の筋肉が硬直した。目の前で僕を見下しているのは

―――――あいつの父親だ。手には血まみれのぬいぐるみ。爛々とした目が僕を獲物の如く見つめている。僕はライオンに睨まれるうさぎのようだった。


「こんにちは。」

父親は街でたまたま僕と会ったかのように挨拶をしてくる。

「ごめんね。驚いたよね。いや、わざと驚かせてる部分もあるんだけどね。」

手に持っていた血まみれのぬいぐるみを傍に置いて、父親は僕の側まで歩いてきた。

「初対面だよね。よろしく。でも聞いていた通りだ。僕が求めていた通りだ。良かった良かった。あの子の友達だね。」

血の滑りのある手で強引に握手をさせられた。力が抜けて、抵抗ができなかった。

「今までの君を見させていただいたよ。理想のあの子だった。一見臆病そうに見えて内にある好奇心を抑えきれず危険を冒す。しかし他者に対しての悪意はその行為には感じられない。そして他者のために行動を起こす健気さも見られる。内気で大胆。利己的で自己犠牲的。それも良い塩梅だ。あの子のように悪意のナイフを持っていない。君がだったらどうしようかと思ってたけどそれも杞憂だったみたいだね。今日急いで計画したことだけど、これで僕は理想をやり直せる。よかった、ああ、よかった」


ライオンを目の前にしたうさぎは一体どんな行動を次に取るのだろう。必死に自分の命のために逃げる選択をするのだろうか。どうせ十分後には終わってしまっているその命。その行動に意味はあるのだろうか。あいつの父親が僕を担ごうとする。僕はされるがまま、いや、無意識に父親にしがみついていた。僕は賢いうさぎだ。わざわざ逃げるなんてことはしない。しかし、死を受け入れたわけでもない。僕にはこの迫り来る死の恐怖に耐えうる精神がない。だから、早くこの恐怖を終わらせるために自ら殺されに行くのだ。僕はそういううさぎだ。僕はそういううさぎなんだ。


「どうしたんだい、元気がないね。可愛いよ。ああそっか、突然色々言ってしまってすまない。まずこれを言うのを忘れていたね。君はこれから僕の息子になるんだ。息子と言っても新しい息子じゃあない。僕の妻が12年前お腹を痛めて産んでくれた正真正銘の僕の息子。」

「む、すこ?」

「ああそうだ。僕は君のお父さんだ。あっ君の目元、僕の妻にそっくりじゃあないか。やっぱり親子だなあ」

僕の脳はもう働いていなかった。父親の言動を分析する余裕がなかった。ただ、気持ち悪い、そう思うので精一杯だった。


「そうだ、僕も君と同じ悪戯好きでね。こういう悪戯をした後はいつも相手に種明かしをしているんだ。今日の宝探しの種明かしをしてあげよう。君も悪戯好きの仲間として、聞きたいだろう?」

父親は僕を抱えたまま窓に背を向け部屋の椅子に座った。逆光で父親の表情がよく読めない。そして赤ん坊をあやすように、優しく語り出した。

「最初に。この宝探しは全部本物だ。写真、匂い、ぬいぐるみ、そしてあのビデオ。これらの存在は現実のシーンの切り取りだ」


ちょっと待てよ。種明かしってなんだよ。なんでお前が種明かしをするんだ。これはあいつが僕のために作った悪戯なんでだよ。なんでお前がこの宝探しは終了みたいな雰囲気出してんだよ。あいつが出て来て僕を笑うまでこの宝探しは終わらないはずなんだ。終わっちゃいけないんだ。うるさいな黙れ。黙れよ。


「順を追って話そう。まずあの写真だ。これは単純に、僕が妻の美しい姿を写真に収めたかっただけさ。綺麗だったろう?そしてあの匂い。実はあのビデオの後、僕はあの女を殺した。いや、誤解しないでくれ。確かに殺しは推奨される行為では無いけれどこれに関しては正当防衛並みに仕方がないんだ。あの女、再婚するかどうかの質問に答えなかったんだ。答えないと言うことは否定できない気持ちがある。しかしあの女は再婚をしてはいけない。あの女は変わってしまったが、元々は僕の理想の妻だった。僕の妻という肩書きを持った者が他の輩と恋に落ちるとどうなるか。それは不倫に値する。決して僕は許さない。あの女は一生僕のもので無いといけないんだ。だから命をそこで終わらせた。うん、自分でも懸命な判断だったと思うよ。君もそう思うだろう?」


知らねーよ。そう言ってこいつの鳩尾を蹴ってあいつを探しに行こうと思った。でもできない。僕の見せかけの脳がそう考えても、心の深層で僕は殺されたがりのうさぎだ。こいつが僕のそういう行動を制止しているのではない。僕自身がこのキチガイに殺してくれと懇願している。


「ごめんね。少し話が逸れた。兎に角、台所であの女を殺した。死体が腐らないように冷蔵庫に入れた。ここからは悍ましい話なんだ。君の友達だったあの子、あの子があの女の首を切断してぬいぐるみに詰めたんだ。あの子がどうしてそんなことをしたかって?それは君のためさ。あの子がこの宝探しをセッティングしたんだよ。写真も匂いもビデオも手紙も、あの子がこの家中を探して見つけた材料さ。でもあの子は君を驚かせるにはまだ足りないと思ったんだろう。そんな時ちょうどあの女の死体を見つけた。早く冷蔵庫も移動させるべきだったな。まあそれであのぬいぐるみを作ったんだよ。最後のビデオはまあ見てわかる通り、あの女が僕の不倫を突き止めるために実際に撮り溜めてたものをあの子が編集したのさ。同じく、君のためにね」


驚かなかった。あいつが人間の首を切断している所なんて容易に想像できる。例えば、あいつが首を切断している途中、僕が気になって声を掛ける。おい、何やってんだよ僕にもやらせろよ。そしたらあいつはまた細い目を浮かべて引き笑う。ひーっひーっお前もやるか?僕は頬を紅潮させて小刻みに頷く。早く、そのノコギリ貸せよ。あいつからノコギリを受け取り僕はあいつが切っていたものを目の当たりにする。しばらくは驚きと恐怖で動けない。そうしていたら、あいつが僕の手を取り一緒に切断し始める。ひーっひーっお前変な顔していたぜ。ひーっひーっひーっ。その声を聞くと僕はなんだか嬉しくなって笑い出す。ひーっひーっひーっひーっひーっ。あいつと僕の声が重なっていく。ひーっひーっひーっ、ひーっひーっひーっ、ひーっひーっ。


「まあこの宝探しをより面白くしようとぬいぐるみに血をつけたり君を怖がらせたのは僕だけどね・・・・・・。どうした、眠たいのかい。まだ話の続きだ。お父さんの話は最後まで聞こうね。」

父親の声で遠のいていた意識が戻った。

「あの女を殺した後、何日かあの女の無断欠勤が続いたとか言ってあの女の上司が電話を寄越してきた。これは、バレるのも時間の問題だと思い、僕と妻は仕方なくあの子を連れて一昨日急いで引っ越した。その時に僕は気づいたんだ。あの子があの女の首を切断し宝探しをこの家でしようとしているということにね。堪忍袋の緒が切れた。いくら悪戯とは言え、人間の首を切断するなんて。信じられない。だから今日、決めたんだ。あとで君にも見せてあげよう」

父親は突然立ち上がった。

「その前に、会わせたい人がいるんだ。」


父親は床を鳴らしながら二つ隣の部屋に移動した。そこには、下着姿の女の人がぐったりと倒れていた。よく見なくても分かる。この女の人はあの写真の女の人だ。

「君のお母さんだ!」

父親は揚々と言い放った。まるで、クリスマスの朝、サンタからのプレゼントを親に見せる子供のように。

「これで家族三人集合だな!」


――――――――――気づいたら、まだ父親に抱えられていた。長い廊下。見慣れた廊下。よくこの廊下を使ってあいつと鬼ごっこをしたっけ。向かっているのはあいつの部屋。歩く父親の足音は軽いが、それに反比例して僕の心は沈んでいく。抱きついて、抱きついて。早くこの悪夢を終わらせたいんだと父親にしがみつく。ガチャっ。ドアが開く。あいつの部屋。ここでよく悪戯の作戦会議をしていた。大きな窓に勉強机。ベッドの足元にはテレビもある。他には漫画や雑誌、そしてあいつが大量に作っていた自作のおもちゃ銃などが床に散乱している。

僕は咄嗟にしがみつくのを辞めた。窓の前の椅子に誰かがこちらに背を向けて座っている。

「おお暴れるな。間近で見たいのなら下ろしてやるから。ほら」

父親が僕をそっと下ろした。父親から離れ、僕は慎重にその椅子の人物に近づいた。静寂の中、僕の心臓の音だけがこの部屋に響く。生まれたての赤ん坊を扱うように、恐る恐る椅子を回転させる。


―――――――――――――――――――――――――――ひーっひーっひーっ


その時、夕日が僕の笑顔を照らした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宝探し インド・洋 @c0ch1n0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る