入り江の洞窟と、あの日の約束

秋来一年

第1話

 少女が洞窟を見つけたのは、全くの偶然だった。

 海岸の端だと思っていた岩場の奥には、入り江が広がっていた。潮風に赤い髪をなびかせ、少女は恐る恐る、岩場の洞窟をのぞき込む。

 と、足元で影が動いた。蟹だ。

 比較的穏やかなこの田舎町にも、戦争は影を落としている。少女は、いつも空腹だった。貴重な食糧を逃すわけにはいかない。

 まだ見ぬ地への期待と、僅かばかりの不安に胸を膨らませ、少女は洞窟の中へと足を踏み入れる。洞窟の中は、不思議と明るかった。けれど、幼い少女はそのことに疑問を覚えることもなく突き進む。

 そして、

「だれかいるの?」

「きゃあああっ」

「うわあっ」

 突然声をかけられ、少女は思わず叫び尻餅をついた。少女の叫び声に驚いたのか、声の主も大きな声を上げる。

 尻餅をついたまま、少女は見た。目の前で同じように尻餅をつく、幼い少年の姿を。

 ふわふわとした金の髪。白い肌は新雪のようにきめ細やかで、大きな瞳は怯えの色に染まっている。

「あたしはメアよ。カニをおって、ここまできたの。あなたもカニさがし?」

 一足先に立ちあがったメアは、少年に手を差し出しながら言った。

 しかし、少年はその手を取ろうとしない。どうしたらいいか分からないとばかりに、首を少し傾げてその手をまじまじと見ている。

「ううん。ぼくは……」

 もしかしたら、あたしよりも小さい子なのかもしれない。そう思ったメアは、少年の両脇に手を伸ばし、抱き上げるみたいに立ちあがらせた。

「ぼくは――ここにすんでるんだ」

 今度は、メアが少年をまじまじと見る番だった。最初は聞き間違いかと思った。次に、なにかの冗談なのかと。

 けれど、少年に続いて洞窟の奥に進み、テーブルとベッドが見えたところで、少年の言葉が真実だと分かった。

「す」

「……す?」

「すっごーーーいっ!」

 メアの声が、洞窟内に反響した。大きな声に驚いたように、少年がびくっと身を竦ませる。

「ひみつきちみたい! すごい! すごいよ!」

 洞窟の中に住んでいる人がいるなんて思わなかった。メアは興奮して、何度もすごい、すごいと言っている。

 最初は驚いた様子だった少年も、褒められているみたいで嬉しいのか、頬を上気させていた。

「これはなに?」

 不意に、メアが訊ねた。メアが指した先には、箱を積み上げて人型にしたような、奇妙なカラクリがある。

「これは、おちゃくみにんぎょう47号だよ。ぼくがつくったんだ。47号、のみものよういして」

「かしこまりました」

 と、カラクリが動いた。足下に車輪がつき、キッチンらしき方向へと向かっていく。

「つくったの? すごい! このこのなまえは?」

「? このこは47号だよ」

 少年が、メアの問いに答える。しかし、メアは不満げだ。

「それはばんごうでしょ。そうじゃなくって、なまえだってば。ほら、あなたにもなまえはあるでしょ?」

 ここで、メアは気付く。そういえば、この少年の名前を聞きそびれていた。

「あなたのおなまえは?」

 メアの問いに、少年は口を開く。

「ぼくはG210ばん」

「ふざけてるの?」

「ふざけるって?」

 そう問いかける少年の顔は、とても冗談を言っているようには見えなかった。

「……まさか、ほんとにそんななまえなの? あなたのパパとママはかわってるのね」

 メアの言葉に、少年はまたも首を傾げる。きょとん、としたその表情に、メアはなんて言ったらいいか分からなくなった。

 少し考えて、メアは口を開く。

 思いがけずして、同じくらいの年頃の子どもと出会った。幸いにして、まだ日は高い。なら、言うべき言葉は一つしかないじゃないか。

「ニトくーん、あっそびましょー」

 無邪気に、メアは少年を遊びに誘う。しかし、返ってきたのはまたも、きょとん顔だった。

「もう。あそびましょーっていわれたら、いいよーってかえすものよ。あ、ちなみにニトくんていうのは、あなたのなまえね」

 少年は、瞼をぱちくりとさせる。

 そんな少年に、メアは続けた。

「だって、G210ばんなんて、いいづらいもの。2と10だから、ニトっておもったんだけど……もしかしてきにいらなかった?」

 メアの言葉に、少年は一拍遅れて、ぶんぶんと首を横に振る。

「ニト……ぼくの、なまえ」

 噛みしめるように、少年――ニトがつぶやく。

「うれしい?」

 訊ねたメアに、ニトは頷きを返す。

「うんっ!」

 その顔は、まるで朝焼けを反射した海のように、きらきらと光り輝いていた。

 その後、二人はお茶くみ人形が淹れてくれたお茶を飲み、洞窟の家の中で遊んだ。

 ほとんどの時間、メアが「これはなに?」と訊ねて、ニトがそれに答える、という形で過ごしていたが、メアはとても楽しかったし、ニトも不思議と楽しそうだった。

 途中、メアは日の高さを確かめるため、何度か洞窟の外に出た。あまり遅くなってしまっては、母親を心配させてしまう。六度目に外に出たとき、先ほどよりうんと海面に近づいた太陽を見て、メアは言った。

「あたし、もうかえらなきゃ! またあしたね!」

 メアの言葉に、ニトは本日何度目か分からないきょとん顔を浮かべている。そんなニトに、メアは言った。

「もう、またあしたね、っていわれたら、またあしたねってかえさなきゃ」

 弟が居たら、こんな感じなのだろうか。そう思いながら、メアは言った。メアの言葉を聞いて、ニトは口を開く。

「うん、またあした!」

 

◇  


 次の日。メアは再び洞窟を訪れていた。

「ニトくーん、あっそびっましょーっ」

「いーいーよーっ」

 昨日と違って、すぐに返ってきた元気な声に、メアは嬉しくなる。

 洞窟の中にはニトが発明したという不思議な機械がたくさんあり、一日中居ても飽きなかった。

「ちょっと、おひさまをみてくるわね」

 メアが洞窟から出ようとしたとき、ニトが言った。

「メア、これ、あげる」

「これ……とけい?」

 ニトが差し出したのは、腕時計だった。

 メアにとって、あるいはこの時代の多くの人々にとって、時計とは時計塔についている大きなものを指した。こんなに小さな時計、メアは初めて見る。

「でも、いいの? こんなにすごいもの」

「うん。これがあれば、いちいちおそとにいかなくても、よくなるでしょ?」

「ありがとう! たいせつにするわね」

 メアの言葉に、ニトの頬が緩む。

 これがどれほど異常なことなのか理解するには、メアは幼すぎた。

 だから、洞窟の中には、子どもたちの無邪気な、嬉しそうな声だけが響いていた。



「ニトくーんっ、あっそびっましょー!」

「いーいーよーっ」

 次の日もその次の日も、メアはニトと遊んだ。

 ある時はメアが持ってきた初等部の宿題を、ニトが一目見ただけで解いたり、またある時は二人で洞窟の壁に絵を描いて遊んだ。

「ねえ、それはなに?」

 ある日、ニトが訊ねた。

「これはシーグラスのペンダントよ。あたしのしごとは、うみでたからものを探すことなの。それをおとなにわたしたり、うったりしてるのよ」

 興味深げにニトが聞いているのが嬉しくて、メアは語る。

「いちばんたかくうれるのは、てつくずね。こういうガラスは、きれいだけどあんまりたかくうれないから、こうやってアクセサリーにしてるのよ」

 いいことを思いついた、とばかりにメアが言った。

「ねえ、いまからいっしょに、シーグラスをさがしにいきましょう。それでね、おそろいのペンダントをつけるの!」

 メアの誘いに、ニトはぱあっと喜色を浮かべる。

「うんっ!」

 二人で手を繋いで、浜辺を散策する。いくつか手頃なシーグラスを持ち帰り、洞窟でさっそくペンダントにしようとした、のだが。

「……おもってたより、むずかしいんだね」

「ま、まあ、れんしゅうしたらうまくなるわよ!」

 メアがいつも作っているのは、紐をバスケットゴールの用に編んで石を包む、石包み編みのペンダントだ。これなら石に穴を開けなくていいから、工具無しで作ることができる。

 しかし、ニトはどうやらかなりの不器用らしい。ニトの前には、ぐちゃぐちゃに絡まった紐がいくつも落ちていた。

 腕時計を確認し、メアが言う。

「あたし、そろそろ行かなくちゃ! つづきはまたあしたね!」

「……うん、またあした!」


◇ 


 しかし、その明日は来なかった。

 メアがいない洞窟は、静かだ。

 静かで、広い。

 灯りをつける気にもなれず、薄暗いままの洞窟で、ニトはお茶くみ人形に声をかける。

「47号くん、あっそびーましょ」

「よく、分かりませんでした。もう一度言ってください」

 当然だ、だって、このロボットはニトが設定した言葉以外は話さない。 

警報の音が、遠くから微かに聞こえた。 



 メアが再び洞窟を訪れたのは、それから何日も経ってからだった。

「メア?」

 ニトの声に、目の前の少女が顔を上げる。

 メアは、泣いていた。

 何日泣き暮らせばそうなるのだろう。両の目はぱんぱんに腫れ、兎のように赤くなってしまっている。

「ママが、しんじゃったの」

 メアが、零すように呟いた。

「ひこうきがきて、ばくだんがたくさんふって」

 生命力の塊みたいだったメアが、いまは吹けばそのまま飛んでいってしまいそうに見えた。

「ねえ、ニト。あたしもひとりぼっちになっちゃったわ。パパも、おにいちゃんも、もうずっとてがみのへんじがないのよ」

 どうにか、してあげたかった。いつもみたいに、げんきなメアにもどってほしかった。でも、ニトはどうしたらいいのか分からない。

「メアは、ひとりじゃないよ。ぼくがいるもの」

 気がつけば、ニトはそう言っていた。メアが、ニトの胸に飛び込むみたいに抱きついてくる。

 ニトの言葉に、メアは少しだけ口元を緩めて、そのあと、わあっと泣いた。



 メアの母親が亡くなってからも、二人の生活は変わりなかった。メアはどうやら、今は親戚の家に身を寄せているらしい。

「きょうも、たからさがしにいきましょう!」

 メアは、前にもまして元気だった。じっとしているのが、耐えられないみたいに。

「ねえ、メア、すごいのあったよ!」

「だめよニト! エイにはどくがあるのよ!」

 メアに言われ、ニトは抱えていた大きな魚をぱっと手放す。 

「ほんとに、ニトはあたまはいいのに、なんにもしらないのね」

 いつものようにメアが言う。

「だから、あたしからはなれちゃだめよ? ひとりだとあぶないんだから」

「うんっ!」

 二人で手を繋いで、洞窟に戻る。

 ニトのペンダント作りは、その日も失敗に終わった。



「ニトくーんっ、あっそびっましょー」

「いーいーよーっ」

 季節が一巡した頃、ニトが言った。

「ねえ、メア聞いて!」

 きらきらとした瞳。なんだろう。いい知らせだろうか。

「ぼく、軍で飛行機をつくることになったんだ! きのう、軍のひとが迎えにきて」

 パシン、と、高く乾いた音が洞窟に鳴った。

 目の前には、なにが起きたのか分からないといった表情で、呆然とこちらを見詰めるニト。

 右の掌がじんじんとしびれていて、メアはやっと気付く。

 平手打ちしたのだ。自分が。ニトを。

 なんで。なにが起きた。ニトはなんと言っていた?

 ニトの言葉を思い出す。理解できない。したくない。わけも分からぬまま、メアは叫ぶ。

「ニトなんてだいっきらい!」

 衝動に身を任せて、メアは洞窟を飛び出す。そのまま、行く当てもないのに走った。

 洞窟の中で、ニトは独り、立ち尽くしていた。



 次の日、メアは洞窟を訪れていた。

 昨日は頭がいっぱいになって、思わずニトを叩いてしまった。謝らなければ。謝って、ニトの話をきちんと聞かなければ。

「ニト……?」

 洞窟の中は、いつもと違って薄暗かった。

 小さく声をかけるも、返事はない。

 もしかしたら、怒っているのかもしれない。きっとそうだ。だからちゃんと、謝って、仲直りをして。

 洞窟の奥にたどり着く。しかし。

――そこには誰もいなかった。

「ニト……? ニト!」

 誰もいない。ニトも、お茶くみ人形も。

 それだけじゃない。ニトが作った発明品も、ベッドも、机も、何もかもが。

 まるで、自分がここでニトと遊んだのは、全部夢だったかのように、洞窟の中は空っぽだった。信じられなくて信じたくなくてメアは洞窟の中を歩き回る。

 何かに脚を取られ、無様に転んだ。

「いっ……」

 何に引っかかったのか確認し、メアは目を見開く。

 そこにあったのは一枚の紙と、不器用なシーグラスのペンダント、だった。

 紙には文字が書いてある。手紙だ。ニトから、きっとあたしへの。

 奪うように拾って、メアは手紙に目を通す。

 

「メアへ

 きのうは、メアのことを泣かせてごめんなさい。 

 ぼくが飛行機をつくれば、そのぶん、戦争がすぐにおわると思ったんだ。そうすれば、メアのお父さんとお兄さんもすぐに帰ってくるって、もうメアがかなしまなくてすむって、そう思ったんだ。ごめんなさい。いつもいつもなにも知らなくてごめんなさい。メアをかなしませてごめんなさい。

 メアがぼくをだいっきらいでも、ぼくはメアのことが」

 続く文字は、読めなかった。視界が滲んで。

 昨日、ニトはなんと言っていた?

――軍で飛行機をつくることになったんだ!

 軍需工場はこの街にない。海辺の田舎町であるここから工場を目指すならきっと。

 遠く、汽笛が鳴る。

 きっと、ニトが乗ってる!

 メアは駆けだした。洞窟をぬけ、岩場を越え、浜辺を駆け抜けていく。 

 途中、砂浜に脚を取られる。転ぶ。膝がすりむけて血が滲むけど、構わなかった。

 ニト。ニト……!

 祈るように船着き場に向かう。辺りは船を見送る人でごった返している。敬礼する大人たちの合間をぬって、メアは先頭に飛び出した。

 船は、ちょうど出港したところだった。甲板に、見慣れた、一番会いたかった顔を見つけて、メアは叫ぶ。

「ニトーーーーーーーーー!」

 ニトが、メアに気付いた。目が合う。

「だいっきらいなんて言って、ごめんなさいっ! あたしも、ニトのことがだいすきーーーーーーー!」

 ニトの瞳が潤む。そういえば、ニトが泣いたところは今まで見たことがなかった。あたしが悲しまないように、気を遣ってくれてたのかなと、今更気付く。

 ニトが、口を開いた。

「こんど会ったら、ペンダントづくり、おしえてくれる?」

 叫ぶ。船のエンジン音に負けないよう、大きな声で。

「おしえるわ! ニトができるようになるまでなんどでも! やくそく!」

 小指を掲げてメアが言うと、ニトが微笑む。

 その拍子に、ニトの目尻から大粒の滴が零れた。

「うん、やくそくっ!」

 船が遠ざかる。その船が見えなくなるまで、少女は手を振り続けた。


 やがて船が見えなくなり、見送りにきていた人間みんなが帰った頃、少女は密かに決意する。


――飛行機なんてしょうもないものは、あたしがつくる。


――ニトみたいな、天才なのに不器用で、そして誰よりもやさしい男の子が、のんびりペンダントづくりの練習でもできるように。



 戦いは、長きに渡った。

 入り江に、一人の女性が立っている。赤毛の女性だ。肩からコートを羽織り、洞窟の中へと入っていく。

 後ろから、足音がした。だが、女性は振り返らない。

「戦争の形を変えた英雄が、こんなところに居ていいの?」

 あるところに、一人の天才がいた。その天才は、戦争の形を変えてしまった。

 彼が開発したのは新種の神経毒だ。その毒を吸ったものは手脚が麻痺し、動けなくなってしまう。しかし、この神経毒のすごいところはそこではない。

 後遺症が、一切残らないのだ。

 悪辣な化学兵器の使用は、戦時条約で禁じられている。だが、後遺症の一切残らないこの神経毒は、使用しても問題が無い。

 長きに渡る戦いを終わらせたのは、その神経毒の開発によるところがかなり大きい。

「英雄っていうなら、きみも同じだろ」

 声変わりして低い声。知らないはずの声が、懐かしすぎて涙がこみ上げる。

 本当は、今すぐにでも振り返って、抱きつきたかった。けれど、できなかった。こわかったから。振り返ったら、消えてしまいそうで。これは、自分の幻聴なんじゃないか。それに。

「あたしはなにもしてないわ」

 少しでも手助けがしたかった。そのため軍に入隊し、必死で頑張ってきたけれど、できたのは精々飛行機製造を少しばかり効率化することくらいだった。

「きいてるよ。ぼくの神経毒を撒いたのは、きみが開発した飛行機だろう?」

 女性の軍人は珍しい。海辺の街出身で赤髪の女が、なにやら技術部で成果を上げているらしいという話は、軍の中では少しばかり有名だった。

 答えない彼女に構わず、彼は「それに、」と口を開いた。

「ずっと、考えてたんだ。あの日、どうしてきみを泣かせてしまったのか」

 ずいぶん時が経ちすぎてしまって、その答えは彼女自身にも判然としない。

あるいは、自分は単に彼と離れるのが嫌だっただけかも知れない、と女性は思う。

 自分と離れて飛行機を作ると彼は言う。なのにどうしてこんなに嬉しそうなんだろう。

 あの日手が出てしまったのは、そんな幼稚な思いからではなかったと、否定することは難しい。

 それなのに、彼は言う。誰よりも優しい彼は。

「ぼくは、無神経だった。きみは、空襲で母親を亡くしているのに。だから、思ったんだ。人を殺さずに、戦争を終わらせられないかなって」

 大人になって、人づてに聞いた話だ。軍はどうやら、天才児と言われる子どもたちを〝飼って〟いた。

 最初は施設で教育を施した。だが戦況が悪化し、都市部や基地では襲撃の恐れがでてくる。だから、人里離れた場所に一人ずつこっそりと、隠した。

 道具と食糧だけをあたえ、天才と思われる子どもたちの才能が開くのを待った。定期的に観察し、時が来たと思えば、軍の技術部に迎え入れた。

 物心ついたときから、そんな生活をさせられていたのだろう。かつての彼はちぐはぐだった。とんでもなく頭が良いのに、あまりにも無知だった。それがどうしてなのか、分かったのはずっとあとのことだ。

「ねえ、どうしてここに来たの?」

 彼は言う。


「だって、やくそくしたもの」


 子どもみたいな言葉。ずっと、覚えていてくれたんだ。潤む瞳を、必死で堪える。

「ねえ、ぼくにペンダントづくり、教えて?」

 振り返りたくない。言いたくない。だって、あたしはもう。

「……ごめんなさい。それは、もうできないの」

 ゆっくりと、振り向く。彼の顔が見られなくて、視線は自然と下を向いた。噛みしめた唇から、鉄の味がする。

「メア……腕が……」

 あたしが振り向きたくなかった理由、それは、もう彼との約束を果たせないからだ。

 あたしの右腕は、終戦間際の空襲によって、肘から先が吹き飛んでいる。

 戦いは、長きにわたった。あたしたちはもう、無邪気に遊んでいられた、幼い子どもじゃない。

「ねえ、メア」

 優しく、両の頬を包まれた。かと思うと、ぐい、と上を向かされる。

 この日初めて、あたしは彼の顔を見た。

 金の髪。きめ細やかな白い肌。顔立ちは精悍になっていたけれど、優しげな瞳は昔のままだ。

 ふ、と笑って、ニトは言った。

「ぼくを誰だと思ってるの? 腕なんて、すぐにどうとでもしてみせるよ」

 視界が滲む。

 ずっと、会うのが恐かった。あたしはもう、ニトとの約束を果たせない。だから、もしニトに会うことができたら、謝って、それで、お別れなんだと思っていた。

 零れそうになる雫を、親指で拭われる。あの日はあたしより小さかった手が、今はこんなにも大きくて力強い。

 だからさ、とニトが言った。

「メーアーちゃん、あっそびーましょ」

 何もかも変わってしまったのに、あの日のままで。

 そんなこと言われたら、こう返すしかないじゃないか。

「……いーいーよ」

 滲み、揺れた言葉が、二人だけの洞窟に響いた。

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入り江の洞窟と、あの日の約束 秋来一年 @akiraikazutoshi

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