第11話
菊次は右手で杖をつき、淳美は菊次の左側に寄り添った。住宅街に広がる夕焼け色は、今や濃密に漂っている。小学校が近いこの区画は整備されているが、道路を一本挟めば田園風景が拡がっていて、連なる家々の隙間からは、夕景色に溶けてしまいそうなほど
菊次は、ゆっくりと歩いていた。淳美が歩調を合わせるのが難しいほどに、心の内側に何か格別の気がかりでも抱えているかのように、ゆっくりゆっくり歩き続けた。菊次が
「淳美ちゃんは、歩くのが速いねえ」
「……ごめんね」
「ああ、謝らんでいい。今のは、おじちゃんが悪かった。淳美ちゃん、おじちゃんはもう駄目だ。淳美ちゃんと一緒に、歩くこともできん身体になってしまった」
「そんなことないよ、歩けるよ、ほら」
淳美は、菊次の左手を握った。かさかさに乾いた手のひらは、思いのほか冷たくてどきりとした。血の巡りの悪さが、淳美に夏の暑さを忘れさせた。
「淳美ちゃんは、頼もしいねえ」
「そうだよ。私は頼もしいの。おじちゃんに憧れて、頼もしい私になったんだよ。ねえ、明日のお昼は何食べたい? おじちゃんの好きなもの、なんでも作るよ」
「そうかい、それじゃあ、冷たいスパゲティを作れるかい。佳奈子さんに聞いたんだ。淳美ちゃんは、冷たいスパゲティも上手に作れるって、嬉しそうに」
一瞬だけ、時が止まった気がした。
「……おじちゃん。先週のスパゲティ、
「ああ、もちろん美味しかったさ」
菊次は、浩哉によく似た曇りのない笑みで答えた。
「だけど、
「おじちゃんってば、矛盾してるよ。でも……ありがとうね……」
「礼には及ばんさ。ところで淳美ちゃんは、いつになったらうちに嫁に来るのかね」
屈託なく、菊次は笑っている。どんな言葉を聞かされても、驚くことはなかった。警察官の姿を見た時から、とっくに覚悟はできていた。鼻の奥がつんとしたが、淳美は上を向いて誤魔化した。見上げた茜色の空は、紫がかった黄昏色にどす黒く染まった雲ばかりで、ちっとも綺麗だとは思えない。そうやって認めないことで、守られる何かがあるはずだ。
「うん。そのうちね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます