衣装をつけろ

増田朋美

衣装をつけろ

梅雨空らしい、曇って寒い日であった。蒸し暑いというよりも、寒いというのが今年の梅雨空なのかもしれなかった。たしかに梅雨空で曇りや雨の日が多いのは、よくあることなのだが、それが寒いというのは、ちょっと悲しいことかもしれない。

そんななか、いわゆるリサイクル着物ショップと名乗っている、増田呉服店は、雨の日でも元気に営業していた。今日は雨だから、お客さんも少ないかななんて考えていたカールさんであったが、お昼すぎ、一人の女性が店にやってきた。

「いらっしゃいませ、お着物のご入用でございますか?」

と、カールさんがいうと、

「いえ、そうじゃないんです。この着物を処分したくて、それでこさせてもらいました。ただでも構いませんから、こちらを処分させてもらえませんか?」

と、女性はいった。

「はあ、買い取りですか。それなら、どんなものか、見せていただいても?」

と、カールさんがいうと、

「はい。これなんですが。」

彼女が取り出したのは、黒い本振袖であった。と言っても、そこらへんに売っている、安物ではない。黒に下半身のみ芝生と松竹梅を大きくいれた、いわば、昭和のはじめ頃の花嫁衣装であった。

「これは、亡くなった母が、嫁入り用にもたせてくれたものなんですが、なによりも古臭いし、私には似合わないと思うので、こちらで処分していただきたいんです。」

と、彼女はいった。

「そうはいってもね。」

カールさんは、困った顔で言った。

「これは、昭和のはじめ頃の、貴重な花嫁衣装です。こんなリサイクルショップで販売してしまうよりも、博物館とか、美術館に持っていったほうが良いと思います。」

「なんですか、こちらで処分してくださらないの?」

嫌そうな顔をして女性はいった。

「無理ですよ。これは、貴重な文化財ですから、こちらで買い取りはできませんね。そもそも、こんな貴重な着物を処分したいなんて思うことが間違いなんです。これは、富士市の博物館などで、展示したほうが良い代物です。」

カールさんが事情を説明すると、

「嫌ですね、買い取りたくないから、そんなこと言うんですか。これだから外国人嫌なんです。日本人なら、言葉とか、仕草とかで、わたしがどうしてもこれを手放したいことを、わかってくれるとおもいますよ。」

という彼女に、カールさんは、

「人種民族関係なく、このお着物は、大変貴重なものですから、はいそうですかと、買い取ることはできませんね。」

と、慄然としていった。

「まあ、ほんとに、ろくなことがない着物屋にあたってしまいました。あーあ、これじゃあ、せっかくのガラクタ処分もできないわあ。」

と、彼女はそんなカールさんに嫌そうな顔で言った。

「まったく、商品が増えて喜んでくれると思ったのに、こんなふうに断られるとは思わなかったわよ。」

「そうですけどねえ。これは、貴重なものですから、うちでどうのというものではないんです。それをするなら、先程も言いましたとおり、美術館や博物館に寄贈してください。それくらいこれは、価値があるものですから、博物館の人たちだって喜んでくれるのではないのですか?」

カールさんは嫌になってそう言い返したのと同時に、店の入口のコシチャイムが、カランコロンとなった。

「こんにちはあ。あれれ、お取り込み中だったかな?僕は腰紐買いに来たんだけど、お前さんは、着物の処分かな?」

と言いながら、店に入ってきたのは、杉ちゃんであった。車椅子に乗って、黒に白で麻の葉を入れた黒大島の着物を着た杉ちゃんという人は、ちょっと周りの人から見たら、異質な存在と思われる可能性もあった。

「一体どうしたの?なにか揉め事でもあった?」

カールさんが、そういう杉ちゃんに黒い花嫁衣装を見せた。そして、それを買い取ってくれと、彼女が主張していることも話した。

「はあ、見事な花嫁衣装じゃないか。これは、昭和の頭くらいの、当時の花嫁さんを知ることができる貴重な存在だ。こんな店に預けちゃうよりも、お前さんが大事に持っていたほうがいいよ。」

杉ちゃんが、着物を見てそう言うと、

「でも、そんな事言われても、私は、使い道がありません。もう結婚は無理だとちゃんと諦めましたし。」

と、彼女はつっけんどんに答えた。

「はあ。何だ、お前さんまだ独身なの?それじゃあ、使うことがあるかもしれないじゃないか。すでに、お前さんの顔から判断すると、お前さんは、30代を越している。それで結婚するんだったら、一般的な花嫁衣装じゃ、けばけばしすぎる場合がある。そうなると、そういう落ち着いた感じの衣装をつけるようになるわけだ。それなら、それでいいじゃないか。そのときに、使うんだと思って、とっておけば?」

杉ちゃんは彼女にそういうのであるが、

「でも、あたしには、もう結婚できそうな相手はいませんよ。」

と、彼女は言った。

「はあ、なぜそう思うの?」

杉ちゃんが聞く。

「だって、出会いはいつあるかわからんぞ。偶然ぶつかっただけのことが、大恋愛に発展することだって、あるんだぜ。そんなものをもう無いなんて、諦めちまうほうが、虚しいな。お前さんは、結婚はできないと思った理由があるの?容姿に自信が無いとか、そういうことでもなさそうだし、その硬いメイクをやめれば、男が寄り付かないということも無いと思うよ。なんで、結婚できないと思うんだ?言ってみな?」

「まあ、失礼な事言うんですね。そういうことを、言ってみろだなんて。」

彼女は憤慨するが、

「いやあ、だって、女でも男でも、いつまでも一人でいるのは、悲しいなと思うことは、あるよ。人種民族関係なくね。」

と、杉ちゃんは言った。

「お前さん、きっと、容姿だけでは無いだろう。なにか、結婚を諦める重大な理由がある。違うか?例えば、ちょっと体とか心とか病んでて、社会に出れなくなったとか。」

杉ちゃんに言われて女性は、小さくなってしまった。

「図星か。大丈夫だよ。親御さんに苦労をかけるなとか、そういう事言われるんじゃないかと思ってるんだろ?安心しな。それを言われることが本当に辛いって、僕もカールさんも知ってるからさ。それよりも、明るく前向きに生きろよ。結婚できないって諦めていちゃだめだよ。出会いなんて、本当に身近なところから、転がってくるものだってある。それに、親戚とか、かかわり合いのある誰かが、倒れちまうことだってあるんだから。それで、また状況が変わることだってあるかもしれない。だから、人生なにがあるかわからないんだ。それは、諦めてしまわないほうがいい。何もできないって気持ちになって、行動範囲が限られてしまうのが一番良くない。」

杉ちゃんが、カラカラと笑って、そう言うと、彼女は、

「本当にそうでしょうか?私、さんざん好きな人を、見つけましたけど、いずれも受け入れてもらえませんでした。やっぱり、体の弱い女を奥さんにしてくれるような男性は、いないんですね。だから、私は諦めてしまったんです。」

と、小さくなって言った。

「だったらさ、この着物を処分しないで、ずっととっておいてもいいと思うよ。きっと、お前さんの母ちゃんか、おばあちゃんが、残してくれたものだろう。それなら、これは、お母ちゃんがお前さんの人生を応援してくれる着物だと思って保管してくれればいいんじゃないかな。きっとお前さんのご先祖だって、そういう意味でこの着物を持っていたと思うんだ。それを、お前さんがもういらないって処分しちまうのは、酷すぎるぜ。」

「そうですね、、、。やっぱり、とって置こうかな。そういうメッセージが込められているんだったら、簡単に捨てることなんてできませんよね。母とは、生前、親孝行も何もできないで、いつもケンカばかりしている、不仲な親子でしたけど。そんな母でしたけど、そういう気持ちを残していってくれたんだったら。」

彼女は、そう考え直してくれたようで、小さくそう呟いた。

「すみません。失礼な事して。私、やっぱり、この着物は、捨てないでおきます。母が私に残してくれたメッセージであるのならなおさらです。それをないがしろにしてはいけないですよね。本当にすみませんでした。」

「いやあ、それは、僕達に謝られても困るなあ。それより、この着物に謝ってもらわないと。」

杉ちゃんに言われて彼女は、すみません、ごめんなさいと頭を下げた。

「まあ、良かったな。お母ちゃんの形見、大事に使ってくれよ。それから、もし、自分を変えたいとか、そういう思いを持っているんだったら、着物を着てみるといいよ。着物には、自分に自信を持たせてくれる要素もあるようだぜ。和裁屋として、それは保証する。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は和裁士さんなんですか?と驚いた顔をした。

「資格を持っているわけじゃないですけど、杉ちゃんは着物の仕立て屋なんです。だから、うちでも買い取った着物で、修理が必要なものは、皆彼に頼んであるんです。」

と、カールさんがそう言うと、

「そうだったんですか!道理で着物を着ていらっしゃるんだ。ごめんなさい、そんな失礼なこと言ってしまって。和裁の先生だったなんて、全く気が付きませんでした。すごいですね、こんな着物を縫えるんですから。」

彼女は杉ちゃんに言った。

「まあねえ。でも僕、称号が嫌いなんでね。資格とか、そういうものは持ちたくないね。それより、着物をもっと気楽に着てほしいなと思ってる。もしさ、一人で着られないとか、そういう不安があるんだったら、着物を二部式に作り直したり、おはしょりを縫って紐をつけることもしてあげるから、心配しないで。ちょっと、工夫すれば着物は誰でも着られるようにできているんだよ。」

杉ちゃんがまたそう言うと、

「そうなんですか。すみませんでした。私、着物のことについて全然わからなかったですけど、そうやって工夫すれば、着物も着られるんですね。本当に驚きです。あたし、名前を、鳴沢繁代といいます。もし、よろしければ、着物を私でも着られるようにしてくれませんか?」

と彼女は名前を名乗った。

「鳴沢繁代。なんか聞いたことある名前ですね。」

カールさんがその名前に聞き覚えがあるような顔でそう言うと、

「ええ。若い頃、ほんの端くれですが、女優をしていたこともあったんです。それで通行人役とかそういうものですけど、テレビに出ていたこともあったので。ちなみに母は、鳴沢正代で、多分この名前なら聞いたことがあるのではないでしょうか?」

と、繁代さんは言った。

「ああ、鳴沢正代さんね。確か、女郎上がりで、のど自慢大会で優勝して女優になった方ですね。その娘さんだったんですか。それなら、なおさら着物を捨てないほうがいいな。鳴沢正代さんは、歌も上手かったし、女優としても優秀でしたよ。それは、僕達もテレビなどでわかりますよ。」

カールさんは、感心したように言った。

「はい、そういう仕事をしていたので、私の事は、ほとんどかまってくれなかったけど、でも、この着物を残してくれたので、きっと私の事を愛してくれたんだと思います。良かったです。今日は、母の気持ちも確認できて嬉しいです。本当に、ありがとうございました。あのよろしければ、先生の名前を教えていただけませんでしょうか?」

「いやあ、先生なんて言うもんじゃないよ。僕の名前は影山杉三、でも、名前で呼ばれるのも好きじゃないから、杉ちゃんって呼んでよ。」

繁代さんが嬉しそうにそう言うと、杉ちゃんは、照れくさそうに言った。

「いいえ、お和裁の先生ですもの。すごいことだと思いますよ。あの、私、母が残してくれたきものを、これ以外にも持っているんですけど、私でも着られるように、直していただけませんか?先程おっしゃった、二部式に作り直すとか、してほしいんです。」

繁代さんは、嬉しそうに話を続けた。

「いいですよ。なんぼでも、持ってきてくれよ。こんな狭い店では、採寸できないから、もっと、広い場所で、お前さんの寸法を図らせてもらおう。お前さんさ、もし着物をなんとかしてほしいと思うんだったら、製鉄所と呼ばれている建物に来てくれ。そこだったら、敷地も広いし、他のメンバーさんもお前さんのことを偏見を持たずに、接してくれることだろう。」

杉ちゃんが話すと、繁代さんは嬉しそうに、

「ありがとうございます。母が残してくれた着物を着られるなんて夢のようです。本当に、嬉しいです。ありがとうございます。」

と、何回も杉ちゃんに頭を下げるのであった。カールさんが、よろしければどうぞと製鉄所の住所をメモ用紙に書いて彼女に渡した。彼女は、とてもうれしそうに、頭を下げて、それを受け取った。

「ありがとうございます。それでは近いうちに、そちらへ着物を持って伺いますので、よろしくおねがいします。今日は本当にありがとうございました。」

と、彼女は嬉しそうに言って、黒の花嫁衣装を持って、車に戻っていった。杉ちゃんとカールさんは、一人でも着物を着られるやつが出てくれて嬉しいな、と呟いて彼女を見送った。

それから数日後。

その日も、相変わらず梅雨でジメジメした天気であった。こういうときに、水穂さんのような人は、居づらいものだ。しばらく眠っているかなと思ったら、数分で咳き込みだして、中身を出すという発作を起こすのである。それが、気道に詰まったりしたら、大事である。だから、誰かが、吐き出すのを手伝ってやらなければならない。その日は、仕事が休みだったので、由紀子が、製鉄所に来訪していて、水穂さんが咳き込むたびに、背中を擦ったりして、吐き出しやすくしてやっていたが、そばにいた、フェレットの正輔くん輝彦くんまでが、心配そうな表情をしているほど、水穂さんは、よく咳き込んでいた。

その時も、正輔くんたちが、キュンキュン!と鳴いていたので、由紀子が四畳半に行ってみると、水穂さんは横向きに寝たまま咳き込んでいて、内容物が、畳を汚していた。由紀子は、何も文句も言わないで、水穂さん苦しい?と声をかけながら、背中を叩いてやるなどしてあげたのだが、

「あーあ、またやったのかあ。いくらやったら気が済むんだろ。もう畳の張替え代がたまんないよ!」

と、でかいこえで杉ちゃんが言った。

「そんな事言わないであげてちょうだいよ。苦しいんだから、勘弁してあげてよ。」

由紀子はそういうのであるが、杉ちゃんの言う通り、畳の汚し方はひどかった。とりあえず、薬を飲ませて、咳き込むのを止めてもらう。薬は、眠気をもたらす成分もあるようで、水穂さんは静かに眠ってしまうのである。ここまではいいのだが。

「本当は、病院に連れて行ったほうが良いのではないでしょうか。こんなに頻繁に発作を起こすようでは、可哀想ですよ。」

と、由紀子がいい出した。

「ああ、それはやめときな。どこの病院行っても、診察を断られてたらい回しにされるのが落ち。それで当たり前なの。だから、病院には行かせない。」

と、杉ちゃんが言うが、由紀子は、柳沢先生などに相談したいといった。でも、杉ちゃんは、いくら医者でも、こればっかりは、変えられないよ、と平気で言っていた。

「そんな事、言わないで。あたしたちでは、できないことだってあるんだから。お医者さんでないとできないことだってあるのよ。」

由紀子は急いでそう言うと、

「無理無理。医者なんて、少数民族みたいな人を馬鹿にするように作られているんだから、絶対ムリだ。無いものを数えるより、あるものを数えて、少しでも水穂さんが楽になってもらうようにしてあげることが、僕らの仕事だろう。それをわざわざ医者に見てもらうなんて、そんな危険なことをさせらませんね。」

杉ちゃんは、真面目な顔をしてそう言うのだった。由紀子は、でも見てもらいたいと主張したが、杉ちゃんは無理だ無理だという言葉を繰り返した。

杉ちゃんと由紀子がいつまでたっても結論のでない会議を続けていると、

「こんにちは、あの、こないだ、増田呉服店でお会いした、鳴沢繁代です。」

という声が聞こえてきたので、びっくりする。杉ちゃんがとりあえず、玄関先に行き、

「来てくれたんだね。せっかくだが、今日は、ちょっと動けないやつがいて。」

と、彼女に詫びるが、

「そうですか。動けないやつとは、どういう方ですか?なにか、事情があるのでしょうか?」

繁代さんは、そういうことを言った。なんだか、繁代さんの態度もこないだとは変わってきているようである。そんなふうに明るくなってくれた彼女の意思を曲げさせるようなことは、できないなと杉ちゃんは思って、じゃあ中に入れと彼女を招き入れた。そして、とりあえず、縁側に繁代さんを連れて行き、着物を見せてくれといった。繁代さんは、持ってきたたとう紙をほどいた。ピンク色に、桜の花が大きく入れられた小紋の着物だった。繁代さんは、これを私でも着られるようにしてくれといった。杉ちゃんはとりあえず繁代さんに着物を羽織ってもらって、寸法を確認すると、二部式に作り直して、着られるようにしようと言った。

「何をしているの!水穂さんのことがまだ終わってないでしょう!」

いきなり、女性の金切り声がしたので、杉ちゃんも繁代さんもびっくりする。声の主は由紀子である。それに対抗するように杉ちゃんが、

「だから、水穂さんのことは、医者に見せるなんて、無理なことはできないんだよ!」

と言い換えした。繁代さんが、それに興味を持ったようで、

「あの、水穂さんとは、誰のことなんでしょうか?」

と、言ったので、杉ちゃんはふすまを開けた。そうすると、布団で眠っている水穂さんと、吐いた血液で汚れてしまっている畳が繁代さんの目に飛び込んできた。

「わかりました。私が普段通っている、富士山病院だったら、無理がきくかも!」

繁代さんが言った。

「母が、体調を崩して、密かに入院していたときに、あの病院でお世話になったんです。だから、多少無理なことを言っても聞いてくれるんです。多分きっとすぐやってくれると思います。急いで行きましょう。」

そう言って、繁代さんは、水穂さんを背中に背負った。私も一緒に行きますと由紀子が彼女に付き添っていくことになった。急いで玄関先に向かっていく三人を見て、杉ちゃんは、

「いつの間にか、繁代さんもヒーローになっちまった。本当に、人間、考え方が変わると、人間も変わるんだな。」

と呟いたのであった。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

衣装をつけろ 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る