異かい國下街
深めのフードを被った少年が、まるで松明でも掲げるようにライトを持っている。スキニーパンツ、後ろ腰辺りから下げたストラップにモールドが過剰に彫り込まれたナイフのようなモノがぶら下がっている。
少年は細い体を少し揺らして、ビルの群れのなかを歩いた。室外機の異常な回転音が木霊する。深くその反響を辿るように進むと、やがて異変が起こる。ビルの外壁が、少しずつ脈を打つかのように、血管が通っているかのよう、血肉を孕んでいるみたいにうごめいていた。ざらついた無機質さ、鋼の骨格に生きている感触を次第にまとわせてゆく。だが、少年にとってはさほどのことではないみたいだ。フードで影を作った顔には、恐怖や不安などを感じさせる雰囲気がない。
「はぁ」微かに息をする。少年の眼が、ビルの切れ目から見える夜空に向けられた。生きているモノから伝うような熱よりも、もっと突き放された熱帯夜が、やがて凍えるような、なにもない闇へと切り換わる。そこにスイッチがあって、誰かが有無を言わずに換える。シンプルで身勝手なやり取りがそこにはあった。ここには、正常がない。それだけがルールになってる。そして唐突だ。ビルの合間に、洗濯紐が伸びている。干されているモノを見上げると、上部に幾つかの穴がある。月明りがその部分を照らす。仮面に見えたがそれは違った。人間の頭、その皮だった。まるでヘビの脱皮のように、綺麗に切り取られている。それが洗濯ばさみで、さも当たり前のようにドライな姿見を揺らしていた。
等間隔で干され、人種も性別も分からないような仄暗さがネオンの光すら否定し、中身のない皮がその光に揺れている。その中に、不思議なきらめきを持った皮があった。うろこのような外皮、少年は少し手を伸ばせば届きそうなソレを再度確認し、
「封じられた井戸、せき止められた水源、雨を落とさぬ雲」そう詠唱した。瞬時、イタチのような生き物が数匹、絡まるように群れた状態で数m先に目を光らせていた。
≪ああ、【wizzard-魔法遣い-】≫流ちょうな台詞を言う。まるで反響しているかような、静かな夜に似合う声。数多の年齢が重なったような声だ。聖堂に響く荘厳さがあった。
「月夜の万事屋、空いてますか?」少年がそう聞くと、≪ああ、大事ないよ≫と言って群れたまま曲がり角をゆく。
≪さあ、悪しきは角を曲がれない。【wizzard-魔法遣い-】、今日も魔がさしていないことを願おう≫数匹、ケタケタと笑うと曲がり角の先へと消えた。不自然に垂れ幕が掛かっていて、風もないのにはためている。少年はなんのためらいもないまま中へ入った。
無音、自分の呼吸すら聞こえない。足音、心音が聞こえない。それは、生きていないことに近かった。垂れ幕のこすれる音、遠くから聞こえるざわめき。たった一歩、その地面を踏みしめたとき、粒子が加速したかのように見えた。
きらびやかな間接照明が、闇を照らしている。幾つもの露店が一本の大通りを介して立ち並んでいた。“永遠に続く”、そう言われたら納得するほど、その大通りは真っすぐに地平線へと続いている。少年は迷いなく、一つの露店へと向かった。周囲にはスーツ姿、会社員に見える人や異形な佇まいの存在がいて、異界の判別が付きにくい。薄い悪夢を、もっと希薄にしつづけたような空間だった。漂う空気に、色褪せた違和感が膜を張っている。
「ごめんください」少年がそう口にすると、一間おいて抑揚のない動きで能面みたいな顔をした店員が店の奥から出てくる。「蛇の外皮はありますか?」少年は店員しかいない露店に向かって言った。
「ああ、見本を見たのですね?よく看破されました。扱える人を限定していますので、術を使っているのです。いやいや、本当にお目が高い」店員はそう言って、スッと店の奥へと消えた。少し待つと、ビニルに圧縮された長方形のパッケージを渡された。
「一度拝見してください。古い蛇の王の外皮です。年月はあまり経っていませんが、いにしえの力が宿っています。呪いなどはありません。珍しく、悔いのない亡骸だったので」店員の手からパッケージを受け取り、表面をなぞった。歪な鱗が、確かな剛性を持って返って来る。
「無論、防御力も高い」店員は笑うでもなく、嬉々として言った。だけど違和感があった。異質なモノに、違和感があるとしても、現世になれた存在には分からない。
「この外皮の主は、どうして自殺したのですか?」僕が鱗を見ながら言う。店員は僕の顔を覗き込むような体勢になる。「あなた、名のある方ですか?」店員が能面の眼球を宝石みたいに輝かせている。サインが欲しいと眼が語る。特異なモノが描く字や絵は呪物になる。個性を持った呪物として。
「いえ、僕は大層な者ではありません。ただこの外皮には、大きな魔力と微量な願いが視えます。その願いに、過去の出来事が混じってる。死に際です。かなりの年月が経っているのに、それが視える」
「この外皮は、添い遂げるはずだった存在と死別しました。その出来事に耐えかねて、自死したのです。死ぬことが出来た。未練のない世界を抜けることが出来たのです」店員はそう言うと少年のサインが入った羊皮紙と幾ばくかの光る宝石を手に深々とお辞儀をした。少年はストラップからナイフを取り出し口ずさむように言った。
すべてを識る屍者の眼球、落ちることのない水滴、空白を統べる言葉。少年の前に垂れ幕が降りると、するりと眼の前を通りなんの変哲もないビルの路地裏に出た。後ろにあるのは壁だけだ。目的の素材は手に入った。仕上げに向かう。
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