第3話 アフター9
1時間後、俺は彼女のマンションにいた。6帖くらいの1DK。俺が40過ぎまで住んでいたような間取りだった。でも、賃貸だから作りが安っぽい。きれいに片付いているけど、30代半ばでそんなところに住んでいたら、もう一生浮かびあがれない気がしてくる。
でも、彼女自身が一番そう思っているだろう。
俺は現実を見たくないから、恥ずかしがっているふりをして電気を消してもらった。彼女の口は酒臭かった。時間がないからシャワーも浴びずに始める。ものすごく落ちぶれた感じがした。スナックの客を引っかけて部屋に上がり込んでる俺。50歳なりに、女のレベルが落ちている。前だったら眼中にもなかったような女性とやってる俺。
クソ過ぎるけど、やることをやったら、もう、その人に用はなくなってしまった。
気まずい空気が流れる。思わず2万円を渡して帰りたくなる。やっぱり、売春って必要な職業だと思う。俺みたいに、時間がなくて今すぐという要望がある人には。
「子どもが待ってるから帰らないと・・・」俺は時計を見ながら言った。
「結婚してるの?」女は非難するように言う。
「独身だよ。それは本当」
「じゃあ、何で子どもがいるの?」
「親戚の子を預かってるんだよ。本当だよ」
「じゃあ、ちょっとだけ付き合って」
女は裸のままキッチンに歩いて行った。そんなに魅力的でもない裸。
年と共に艶を失った肌。垂れたお尻。
彼女は冷蔵庫から水色のカクテルを持って来た。女性が好きそうなやつだ。
彼女はグラスにそれを注いで、俺にも勧めた。
禁酒してるけど、面倒だから1杯だけのつもりで飲んだ。別に酒に弱いわけじゃない。俺はすぐアル中みたいになってしまうから禁酒してるだけ。
それから、急にだるくなって記憶がなくなった。
どうも薬を盛られたらしい。
(*フルニトラゼパムという、一番強い部類のベンゾジアゼピン系の睡眠薬は、レイプドラッグとして使用されるため、青色の着色がされている)
***
目が覚めると隣に女が寝ていた。俺は今すぐ家に帰らなきゃと思った。子どもが待ってる。女を起こさないように、部屋を出たかったけど、服はともかくスマホがどこにあるかわからない。スマホとパンツだけあれば、あとはもう上半身裸でもなんでもいい・・・。
でも、暗くて見えなかった。
女を起こしたら何をされるかわからない・・・。薬を盛るような女だから、刺されたりするかもしれない。俺は明るくなって部屋の様子がわかるようになるまで、じっと待った。すると、Lineの通知がなった。場所がわかったから、慌てて取りに行く。女もそれに気が付いたみたいだ。
「俺、もう帰るわ・・・」
俺は電気をつけてそそくさと服を着た。
「また、会えない?」
「じゃあ・・・スナックで・・・来週金曜日に行くから」俺は咄嗟に嘘をついた。
「うん」女は裸にバスローブを羽織って玄関まで見送りに出て来た。
このまま駅前の交番に駆け込もうか・・・。
面倒なので俺は躊躇する。
そのまま意味もなく歩き続けた。
どこに向かっているかもわからなかった。
段々、周囲が明るくなって行き、もうすぐ朝日が昇る頃だが、何時なのかもわからない。
でも、そんなことは意味がなかった。今日が何日でも、何時でも、どうでもよかった。これからは、日付も曜日もない人生を送る俺。自分が寝ている間に、体を弄ばれたという虚脱感。羞恥心で地面に潜ってしまいたい。川か電車に飛び込みたい。
その恥ずかしい現実を。
俺は受け入れられなかった。
俺は途中でタクシーを捕まえて家に帰った。
会社のパソコンは駅のロッカーに入れっぱなし・・・。
取りに行かなくてはいけない・・・
でも、完全に忘れていた。
「朝帰りするなんてひどいよ」
同居人は早朝にも関わらず、玄関まで出て来て俺に文句を言った。
「実は俺、薬を盛られた・・・」
俺は同居人に言った。
「大丈夫?」
それからは責められることはなくなる。むしろ良かったんだろうか?
***
月曜日になると、また会社に行かなくてはならない。添田さんが普通に話しかけてくる。
「江田さん、ダメだよ。スナックであんなにガツガツしちゃ・・・。下ネタばっかり言ってたって女の子が言ってたよ」
「あ、そう・・・ごめん、ごめん」
俺は添田さんには言えないと思う。
でも、彼も気をつけないといけない。65だから大丈夫だろうか?
「でも、女の子がまた来てって」
あのおばさんに手を出してなかったらなぁ・・・と、死ぬほど後悔する。
それから数か月後、その店はひっそりと閉店していたそうだ。理由はママの健康上の理由。あの空間がもうあの場所からなくなってしまったのはちょっと寂しい。
あの夜の出来事がどうか夢でありますように・・・。
スナック 連喜 @toushikibu
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