第2話

 近くに人の気配を感じる。だが何も音は聞こえない。しばらくしてようやく聖女の声が聞こえてきた。その声は以前に比べて少しやつれているような印象を受けた。


「ごめんなさい。また遅くなってしまって」


「本当はこんなこと、あなたに伝えるべきではないのかもしれない」


「だけど一人で背負っていける気がしないんです。臆病な私を、どうか許してください」


「ここを離れてから色んな事がありました。順を追って説明します」


「私はもう一度国王様のところへ行きました。どうにかお話をしていただけるよう頼みましたが、国王様は取り合ってはくれませんでした。それどころか私を罪人として捕らえようとしたのです。国王の命令に背き反逆を企てているのだと、そのように言われました。どうにかここまで来ることはできましたが、もはや国王様の誤解を解くことはできないでしょう」


「もう誰も私の言葉には耳を貸そうとしません。この封印や結界は勇者様が施したもので、裏切り者となった私が魔王を復活させようとしているという噂すら流れています。私を孤立させるために国王様がそう扇動したのです。民衆からも私は悪に堕ちた魔王の手先だと思われています」


「教会にも助力を請いましたが無駄でした。私は聖女失格だと、そう伝えられました。ずっと家族のように思っていた人たちにも見捨てられて……もうどこにも私の居場所はないのです」


「きっと人々は今でも魔王を恐れているのです。そして勇者様が亡くなってしまったことで、心のよりどころを失ってしまった。その恐怖に打ち勝つためにはより強い感情が必要です。……だから皆、私のことを憎むのです。使命を果たすこともできず、一人生き延びてしまった私を……」


「だとしたらきっとこれは私に与えられた罰なのでしょう。甘んじて受け入れるしかありません」


「……でも不思議ですよね」


「教会を破門されたにも関わらず、私にはまだ聖女としての力が残っているのです。いえ、それどころか前よりも力が増しているように感じます」


「それは、私にはまだ残された使命があるからだと、そう思うんです」


「私の力は誰かを救いたいと思う強い気持ちから生まれるものなのだと教わりました。ですが今の私にはもう国の人々を救いたいという気持ちはありません。……ただあなた一人を救いたいのです」


「だからあなたがいる限り私は聖女であり続けます。そしてこれからはあなたのためだけにこの力を使います。例え世界中のすべての人を敵に回しても、絶対にあなただけは救ってみせます。それが私の覚悟です」


「直に国王は私からこの場所を奪い取るために軍隊を動かすでしょう。国王は追い詰められた私が他国と手を組んで攻め入ってくるのではないかと思っているのです。なぜそれほどまでに愚かな考えができるのか、私には理解できません。私はただあなたを救いたいだけなのに……」


「もしこの場所が国王の手に渡れば、あなたの想いや覚悟が踏みにじられることになる。そんなことだけは絶対にさせない……! だから私は戦います」


「心配はいりません。これでも世界最強の勇者パーティの一員ですから。軍隊と言ってもたかだか数千人、一瞬で蹴散らしてみせます」


「優しいあなたはきっとこんなことを望んではいないでしょうね。私にもわかっているのです。ですが私は彼らを許すことができません。この世界はあなたの犠牲の上に成り立っているというのに、その事実を知ろうともせず口先だけの平和を掲げる彼らには……相応の罰を与えなければいけないのです」


「……誰にもあなたは渡さない」


 今すぐ封印を解いて、聖女を引き留めたかった。だがそうすれば魔王が封印から解放され、今度こそ世界は滅んでしまうだろう。俺はただ彼女の無事を祈ることしかできなかった。




「ただいま戻りました。……安心してください、敵はすべて片付けました。これでもう誰も、私からあなたを奪おうなどとは考えないでしょう」


「この聖なる力で人を傷つけることがどれほど罪深いことなのか……自覚はしているつもりです。ですが私はもう覚悟を決めました。多くの罪を犯し魔女と罵られようとも、私の意志が揺らぐことはありません」


「一国の軍隊であっても私には勝てないことが証明された今、人々は一刻も早い魔王討伐を望むことでしょう。随分遠回りすることになりましたが、ようやく新たな勇者の選定が始まることになりそうです」


「魔王が倒され、あなたの封印が解けたその時には、私は自分の犯した罪を償うつもりです。どんな事情があったにせよ、私のしたことは許されることではありません。その罪を清算しないまま生きていくことには、聖女として耐えられないのです」


「それでもあなたはきっと私に寄り添おうとしてくれるでしょう。……あなたは優しい人ですから。ですが私はそんなことは望みません」


「怒りと憎しみに流され咎人とがびととなった私とは違い、あなたは正真正銘の救世主です。私なんかが側にいていい存在ではないのです」


「新たな勇者と一緒に、あなたが魔王なき平和な時代を築いていくんです。私のことなんか忘れて、幸せになってください。それが、あなたにとって……最良の選択なんです」


 聖女は震える声で、それでも言葉を続ける。


「私の願いは、あなたと共に歩む未来はもう叶わない。どこで間違えてしまったのか、今となってはもうわからない。それでも、ただあなたが幸せでいてくれるなら、それだけで私は生きていけるんです」


「ずっと聖女として使命に縛られてきた私にとって、あなたはとても自由に見えた。勇者様や騎士様とも違って、あなたは与えられた使命ではなく、自分自身の意思で動いているんだと、そう感じました。そんなあなたの側にいると、私も少しだけ自由になれるような気がしたんです」


「だからあなたには、私に縛られて欲しくないのです」


「すべてを失った私にはもうあなたしか残っていない……。自分の中で日に日にあたなに対する執着が強くなっているのがわかるんです。このままだと私はきっと、あなた以外のすべてを拒絶するようになってしまう。……いえ、もうそうなってしまっているかもしれません」


「だからこそ私はあなたといるべきではない。きっとあなたやその周りの人たちを傷つけてしまうから」


「あなたが悲しむところを見るくらいなら、一人で孤独に耐えていた方がましです。こうしてあなたが世界のために、ずっと苦しみに耐えていたように」


「……暗い話ばかりしてすみません。あまり先のことを考えても仕方がないですよね。今はあなたを救うことを考えないと」


「まずは国王と停戦交渉をしてきます。それから新しい勇者の選定にも協力するように頼んでみます。今度はきっとうまくいくはずです。あちらも私には逆らえないという事がわかったでしょうから」


「そして魔王が復活する危険はないという事を全世界に伝えます。これでやっとあなたの望んだ平和な世界が訪れるはずです」


「それでは行ってまいります。あともう少しの辛抱です」


 聖女の気配が遠ざかっていく。俺はいったいどうしたらいいのだろうか。答えはわからなかった。




 ゆっくりと足音が近づいてくる。理由はわからないが、なんだか不吉な予感がした。


「……どうして、こんなことに」


 聖女はかなり憔悴しているようだった。それでも彼女はゆっくりと俺に語りかける。


「世界は今、大変な状況になっています。私たちが目指していた場所とは真逆の方向に進んでしまっている。私は、あなたにそれを伝えるのが恐ろしい」


「……それでも私は自分が見てきたものすべてをあなたに伝えます。あなたはどんな時も決して現実から目を逸らしたりはしなかったから」


「私と戦ったそのすぐ後に、王国は隣国からの侵略を受けて滅びました。王国の軍隊が私によって壊滅させられたのを好機と考えたのでしょう。そしてその侵攻をきっかけにして各地で争いが起こっています。どれも人間同士の争いです」


「今までは魔王という大きな脅威に対抗するために、世界中の国々は互いに協力し合っていました。そうしなければ生き残ることができなかったからです。しかし魔王という共通の敵がいなくなった今、人々は再び自国の利益のために争いを始めました。魔王の存在によって一時的に平和が保たれていたという側面もあったのです」


「戦争の火種はいたるところでくすぶっています。こうなってしまっては私一人の力では対処しきれません。ですがこうなるきっかけを作ってしまったのも私です。誰も私には協力してくれないでしょう」


「もしかしたら国王様はこうなることをわかっておられたのかもしれません。だからこそ魔王の脅威を完全に消してしまってはいけないと考えた。……もしそうだとしたら私は大きな過ちを犯したことになります」


「だけどそれでは、世界は救われてもあなたは救えない……! 偽りの平和のために、愚かな人々を守るために、あなたは永遠に苦しみ続けることになる。そんなこと絶対に許さない! そんな世界なんて絶対に認めない!」


 聖女の荒い息が聞こえる。だいぶ情緒が不安定になっているようだった。だが今の俺では彼女に言葉をかけてやることすらできない。


「私たちはただ世界を救いたかっただけなのに……何も間違ってなんかいなかったはずなのに……。どうして誰も手を差し伸べてくれないの……? 仲間の命も、私の未来も、あなたの自由も……全部犠牲にして、それでも守ろうとしたのに……」


「私にはもうわからないんです。これでは魔王を倒したとしても、もう平和な世界は訪れない。それなら私たちは何のために戦っていたんでしょう? あなたは何のために犠牲になったのでしょう?」


「……私は彼らのことが憎いです。あなたの想いを裏切って、身勝手な争いを続ける彼らのことが……。そしてそんなどす黒い感情が膨れ上がるたびに、私の中の何かが囁くのです」


「罰を与えよ、と」


「人は皆、咎人……決して裁きからは逃れられない。すべての罰は、罪を償い救いへと至るためにある。そうであるならしかるべき罰を与えることこそが、愚かな彼らを救済へと導く唯一の手段なのです」


「私は聖女として、自らの使命を果たします」


「世界が正しい在り方を取り戻せば、きっと新たな勇者が現れるはずです。今はただその時を待ちましょう」


「……最後に一つだけ、言わせてください」


「例えどんなに歪んでしまっても、あなたへの気持ちは変わりません。私にとってあなたは何よりも大切な、かけがえのない人なんです。それだけはちゃんと伝えておきたかった」


「……では、行ってきます」


 俺はただ、彼女を救いたいと思った。




「お久しぶりです。お待たせしてしまってすみません」


「ですがそれも今日で最後です」


「やがてここに勇者がやって来ます。封印された魔王を倒し、世界に真の平和をもたらす新しい勇者です。……真っすぐな良い目をしていました。彼ならきっと使命を成し遂げてくれるでしょう」


「そしてようやく私の使命も終わりを迎え、罰が下される時が来ます。それでいいのです。いつだって罰は他者から与えられるものですから」


「あれから数えきれないほどの人に罰を与えてきました。人々は私を恐れ、争いは徐々に減っていきました。今の私は『断罪の魔女』と呼ばれているそうです。そして私の存在が魔王に匹敵するほどの脅威となった時、ついに勇者となる資格を持つ者が現れたのです。勇者は道を違え悪に堕ちた私を打ち倒そうとしています」


「もちろんやすやすと負けてやるつもりはありません。無知が罪である以上、彼もまたれっきとした咎人なのですから。それに私ごときに敗れるようでは魔王を倒すことなんてできないでしょう。彼が真の勇者足る者かどうか、最後に私自身が見極めます」


「……ここまで来るのに多くのものを失ってしまった。私に残されているのは数多くの罪とあなただけです。しかし今、私に後悔はありません。これでやっとあなたを救うことできるのですから」


「あなたが封印から解放されればすべての真実が明らかとなるでしょう。私は道を誤った聖女として、そしてあなたは救世主として語り継がれる」


「……私のことはいいのです。どうせあなたと共に生きることはできない。しかるべき罰を受け、そして滅びゆくのもまた運命です」


 その時、どこか遠くで何かが砕けるような音が聞こえた。


「ああ、ついに結界が破られたようですね。勇者がすぐそこまで来ています」


「……あなたと過ごした日々は私にとってとても幸福な時間でした。このような最期になることをどうかお許しください」


「私はいつまでもあなたのことを愛しています」


 その言葉は俺の理性を引きちぎるには充分だった。魔王も世界も、もうどうでもよかった。そして、ただ君を守りたいと願った。


「……え? これは、まさか……!?」


 眩い光があたりを包み込む。聖女は俺が封印される前とほとんど変わらない姿でそこにいた。その目にはわずかに涙が浮かんでいた。


「……どうして? どうしてですか!? ずっとあなたは耐えてきたのに……! あと少しで救われるのに……! どうして封印を解いたんですか!?」


「……今更そんなこと言われたって、もう手遅れなんです! 私は断罪の魔女、魔王と同じ人類の敵です……。未来など望んではいけないんです。あなたが許しても、きっと世界は許してくれない」


「許されなくてもいいって……そんなこと、言ってはだめです……。あなたにまで私の罪を背負わせるわけにはいかないんです……!」


 その時地面が大きく揺れ、邪悪な気配があたりに満ちるのを感じた。


「早くここを離れてください。封印が解かれた今、魔王が復活するのは時間の問題です!」


「一緒に戦おうって、そんなこと……」


「……それが私にできる最大の償いだという事ですか。本当にあなたという人はどこまで優しいんだか」


「そうやってまた、誰かのために自分を犠牲にするんですね。例え何度裏切られたとしても……」


「……仕方ないですね。ここであなたに死なれては、今日まで生きてきた意味がありませんから。それにしてもあなたは自由過ぎます。勇者がいるからといっていきなり封印を解くなんて……もっと救世主としての自覚を持ってください」


「ああ、勇者たちになんて説明したらいいんでしょう。最期の言葉まで考えていたのに、これじゃ台無しです」


「こうなったらちゃんと責任取ってくださいよ? ……私の救世主様」

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魔王を道連れに自分ごと封印した俺に聖女の君だけが語りかけてくれる 鍵崎佐吉 @gizagiza

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