魔王を道連れに自分ごと封印した俺に聖女の君だけが語りかけてくれる

鍵崎佐吉

第1話

 ふと気が付くとそこは暗闇の中だった。体の感覚もない。ただ周囲の音だけは聞くことができるようだった。


「私の声が、聞こえますか?」


 その声は聖女のものだった。だが返事をすることはできなかった。


「……わかっています。これが、あなたの覚悟なんですよね」


 聖女は静かに俺に語りかける。


「魔法は成功しました。今、あなたの魂は魔王と共に封印されています。例え魔王と言えどもこの封印を破ることはできないでしょう」


「あなたは、世界を救ったんです」


「……勇者でない私たちには魔王を倒すことはできません。勇者様が倒されてしまった時点で私たちに勝ち目はなかった。だから次の勇者が現れるその時まで、魔王を封印し続ける……そういうことですよね」


「あなたはいつもそうです。目的のためなら自分を犠牲にすることも厭わない。そうやって損な役回りばかり引き受けている」


「そうしていつも、あなたのことを大切に思っている人を悲しませている。悪い人です、本当に」


「世界が救われたって、あなたがいなかったら何にも意味がないじゃないですか」


「勇者様も、騎士様もいなくなって……私は、どうすればいいんですか」


「皆、私のせいで……」


 押し殺すような聖女の泣き声がわずかに聞こえた。


「……わかっています。まだ終わったわけじゃない。私にはしなければならないことがある。だからここで立ち止まって泣いているわけにはいかない。そうですよね」


「もう触れ合うことはできないけれど、あなたは死んでしまったわけじゃない。今もかすかにあなたの存在を感じるんです。私に宿る聖なる力が、そう教えてくれるんです」


「だから私はあなたが帰ってくると信じています。誰に何を言われようと、私だけは信じ続けます」


「いつの日かきっと封印された魔王を打ち倒し、あなたもこの封印から解き放たれる日が来るはずです。そしてそのためには新たな勇者を探さなければなりません。だから……」


 聖女は少し言葉を詰まらせた。使命感と後悔の間で揺れ動く彼女の表情が目に浮かぶようだった。


「……本当はずっとここにいたいです。あなたと離れたくない。だけど私が立ち止まってしまったら、あなたの残してくれたものも無駄になってしまう。だから……私は行きます」


「薄情な女だと、そう思っていただいても構いません。怒りも憎しみも、それがあなたから向けられたものであれば、私はすべてを受け止めます。私がここまで歩んでくることができたのは、あなたのお陰なのですから」


「あなたにはそんな自覚はないかもしれませんね。だけど私にとっては間違いない事実なんです。もしあなたがいなかったら、私は使命感や責任感に押しつぶされてしまっていたでしょう。あなたのかけてくれる何気ない言葉や、その真っすぐな瞳に、私は何度も救われてきたんです」


「そして今も、あなたがその身を賭して希望を繋いでくれたからこそ、私は再び立ち上がることができるんです」


「この周辺には結界を張っておきます。封印された魔王を復活させようとする者がいるかもしれませんから。ここには誰も近づかせません」


「しばらくしたらまた戻ってきます。道のりは長いですが、私は諦めません。だからあなたも希望を捨てないでください。信じる限り必ず救われる道はあります」


 聖女の気配が少しずつ遠のいていく。それと同時に俺の意識もゆっくりと沈んでいった。




「ただいま戻りました。……遅くなってしまってすみません。色々とやることが多かったもので」


「まずは国王様に事の顛末をお伝えしてきました。勇者様と騎士様が亡くなり、ついに魔王討伐は果たせなかったこと。そしてあなたが人柱となることで魔王の封印に成功したこと」


「国王様は酷く心を痛めておいででした。きっとお二人は英雄として後世に語り継がれることでしょう。そしてその身を犠牲にして世界を救ったあなたのことも」


「お二人はこの場所で私が弔っておきました。これでも聖女ですから、それくらいのことはできます」


「お二人とも強くて優しくて……まさに救世主と呼ぶにふさわしい方たちでした」


「本当は私たちが勇者様をお守りしなければならなかったのに……」


「悔やんだってしょうがないのはわかっています。ですがこうしてあなたと向き合う度に、自分の無力さを思い知るのです。私に授けられたこの力は誰かを救うためのものだったはずなのに、結局私だけが生き残ってしまった」


「あ……すみません! あなたはまだ亡くなったわけではないのに……。どうかお許しください」


「あなたが今どのような状態にあるのか、私では想像することもできません。だからこそ私はあなたに語りかけるのです。それが今の私にできることだから」


「ですが心配しなくても大丈夫です。魔王の脅威を完全に排除するため、国王様も新しい勇者を探す手伝いをしてくれるはずです。今世界にひと時の平穏が訪れ、魔王の恐怖に支配されていた人々も再び手を取り合おうとしています。これもすべてあなたのおかげです」


「……でもあなたがこの世界を救った救世主様だなんて、なんだか不思議な気分です。初めてあなたにお会いした時も、立派な人のようには見えませんでしたから。あなたはいつも自然体で、気負った様子もなかったですし。そういうところがあなたの良いところでもあるんですけどね」


「長い旅の中で色んなことがありましたね。苦しい時もあったけれど、そんな日々も今は懐かしく感じられます。使命感からすぐに突っ走ってしまう勇者様と、それを抑えるしっかり者の騎士様。そして二人のやり取りを見て静かに笑っているあなた。ずっと神殿の中で暮らしていた私にとって、とても刺激的でにぎやかな旅路でした」


「気づけばあなたの隣にいるのが当たり前になっていて……。あなたを失ってしまった今だからわかるんです。私にとってあなたはかけがえのない人だったんだって」


「……本当はそんな自分の気持ちに気づかないふりをしていただけなのかもしれません。私たちには魔王を打ち倒すという使命がありましたから、それを成し遂げるまでは恋なんてしてはいけないという自戒の念があったんだと思います」


「だから新たな勇者が現れて魔王を倒し、あなたの封印を解くことができた日には……もう一度あなたと旅がしたいです」


「今度は誰のためでもなく、ただ自分たちの気の向くままに世界を見て回って……そうしてあなたと同じ景色を見ていたい」


「王国の西にある港町に行った時のことを覚えていますか? 水平線の向こうにゆっくり沈んでいく夕陽がとても綺麗で……私、もう一度あの夕陽をあなたと見てみたいです」


「それがいつのことになるのかはまだわかりません。ですがきっといつか叶えてみせます。だからもうしばらく待っていてください」


「それからあなたを封印しているこの魔法についても調べてきました。強力な封印ですが、外からであれば封印を解くのはそこまで難しくないのですね」


「でも安心してください。前にも言いましたがここには私が結界を施しています。勇者様や魔王がいなくなった今、私の結界を破ることができる者はおそらくいないでしょう。……大丈夫ですよ、これでも私、聖女ですから」


「それでは私は行きます。新しい勇者候補を探さなければいけませんし、国王様からもお話があると言われているので」


「次ここに来るときはあなたに良いお知らせを伝えることができるよう、精いっぱい頑張ります。それではまた」




「……申し訳ありません。また、遅くなってしまって」


「あなたにお伝えしなければならないことがあります」


「国王様はこの場所のことや封印のことは公表せず、国の管理下に置きたいと考えておられるようです。あなたのことも魔王との戦いで命を落としたと、そう発表するつもりのようです」


「国王様のお考えはわかります。もし封印のことが世間に知られれば、魔王の力を悪用しようとする者が現れるかもしれません。そういった事態を危惧されるのは、国を動かす者として正しい判断だと私も思います」


「だからこそ私もこの場所に結界を施して人が近づけないようにしました。しかし国王様はそのことをあまり快く思っておられないようなのです」


「国王様は私に対して、結界を解き、二度とこの場所に近づくなと、そうお命じになりました。……私は今、国王様の命令に背いてこうしてあなたに会っています」


「もし魔王が再び世に放たれれば、世界は恐怖と絶望に支配されることになります。勇者のいない今、魔王を倒すことはできないからです。つまりこの地を管理下におき、いつでも封印を解くことができるようになれば、それはすべての国に対して何よりも強力な脅しとなる。きっと国王様はそのような事態になることを恐れているのです。……そして同時に、自分たちがそれを手にすることを望んでいるのだと思います」


「私の判断が正しいのか、まだ確信は持てていません。ですが万が一にでも封印が解かれるようなことがあれば、勇者様や騎士様の死、そしてあなたの覚悟も無駄になってしまいます。そんなことは絶対にさせるわけにはいきません」


「人間とは過ちを犯す生き物です。今まで聖女として多くの人々の懺悔を聞き届けてきた私にはわかるのです。そしてそれは国王様であっても決して例外ではない。だからあの方にここの管理を任せるわけにはいきません」


「……そして何より、言葉を交わすことすらできなかったとしても、あなたと離れ離れになりたくないのです」


「あなたはまだ生きているという私の言葉を、国王様には信じていただけませんでした。それどころか私があなたを手にかけたのではないかと、そのように疑っておられるのです」


「国王様は勇者様のことをとても気に入っておられました。きっと勇者様を失った悲しみで真実を見る目が曇ってしまっているのでしょう」


「ですがやっぱり……辛いです。命を懸けて魔王と戦ったのに、守るべき人たちに裏切られてしまった。そんな風に感じるんです」


「それでも私に対する非難の言葉は甘んじて受け入れるつもりです。私が仲間を守れなかったのは事実ですから。ですがあなたの行いを愚弄するような言動はどうしても許すことができません。あなたは今もこうして世界のために一人苦しんでいるというのに……!」


「どうして誰もそれを理解しようとしないの……? 皆あなたのことを魔王を封じるための道具としか考えていない……! そうであるなら、私たちはいったい何のために戦っていたのでしょうか?」


「あなたが犠牲になるくらいなら、いっそこんな世界なんて……」


「……すみません。聖女がこんなこと言ってはいけないですよね」


「安心してください。私はまだ諦めたわけではありません。正しい心を持っていれば、いつか必ず誤解は解けるはずです」


「例えそれが叶わなかったとしても、新たな勇者が魔王を打ち倒してくれればすべては解決します。国王様の助力が得られるかはわかりませんが、引き続き勇者候補を探すことにします」


「またあなたを一人にしてしまうことをどうか許してください。次こそはきっとあなたを喜ばせられるような報告をしてみせます。どうか、もうしばらくお待ちください。……それでは」


 聖女の足音が次第に遠ざかっていく。俺には彼女を呼び止めることも励ますこともできなかった。

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