唐揚げ屋にて

島本 葉

唐揚げ屋にて(1話完結)

「よし、唐揚げだな」

 普段のお昼ごはんはお弁当だが、今日は奥さんが忙しかったため外食だ。いつも作ってくれるのはとてもありがたいけれども、こういった外食も悪くない──というか、すいません、めっちゃ浮かれています。

 朝から楽しみ過ぎてどこに食べに行こうかずっと考えていたため、午前中の仕事は殆ど手についていない。気がついたら検索ワードに、「大阪、ランチ、おかわり」とか入れて眺めてしまうのは、もう許してくださいとしか。

 その甲斐あって、本日のランチは唐揚げの美味しいお店に大決定した。ここの唐揚げは味は申し分ないし、ボリュームもある。そしてご飯がおかわり自由なのだ。テーブルに備え付けの辛子高菜は食べ放題。何その無限ループ。

 店内に入ると、程よく席が埋まっていている。案内された席は多人数で座れる用の大テーブルだった。テーブルにはすでに何人か座っていて、この時間は相席のようにして利用するのだろう。席につくと、流れるような動作でお茶とおしぼりが目の前に置かれる。

「唐揚げ定食で」

 周りを見ると、大半のお客さんが同じように唐揚げを頼んでいるようだ。ほのかに醤油と生姜のいい匂いが漂ってくる。辛子高菜のツンとした香りと、談笑しながら食事をする雑多な雰囲気。厨房から漏れ聞こえてくる料理人の声で、とても気分が盛り上がってきた。

 唐揚げを待ち焦がれていると、前の席に女性の二人組が座った。二人共に私服だが、プライベートというよりは、会社の休憩時間のような様子だ。一人は真っ直ぐな黒髪が肩くらいまでの大人しい感じの女性。もう一方は少しふんわりとした明るめの色合いの髪型。お二人とも清潔感があって美人さんだ。じっと見るわけにはいかないが、なんとなく嬉しかった。あるよね、そういうこと。

「おまたせしました」

 程なく、待ち焦がれた唐揚げ定食が到着した。

 メインの唐揚げは少し大きめのサイズで、一つの大きさが四からあげクン位あるのではなかろうか。それが六個も入っている。添え付けのサラダの横にはマヨネーズも標準装備で味変対応。お味噌汁もついていて、辛子高菜も取り放題。粒が立ってつやつやしたご飯はおかわり自由。もう、控えめに言っても神ではなかろうか。勝った。

 手を合わせる。唐揚げにいきたいところをぐっとこらえて、まずは添え付けのレタスを。血糖値が気になるからではない。眼の前の唐揚げに自らお預け状態にすることで、期待値を上げていくのである。うむ。ドレッシングも美味い。

 そして待ちに待った唐揚げだ。一般に唐揚げは薄い衣でカラリと揚げた物や、しっとりした衣の物など色んなタイプがあるが、この店の唐揚げはクリスピーっぽい衣をまとったザクザクした食感のものだった。そして中は───

 うっ、ま。

 柔らかいもも肉はふっくらとしていて、噛めば肉汁があふれてくる。しっかりと生姜が効いていて、香ばしい醤油の香り。やばいぞ、これが六個もあるとか。炊きたてのお米もつやつやしていて、ふっくら美味しい。何杯でも食べられそうだ。おお、おかわり自由だった。糖質と脂質の組み合わせはもは約束された勝利の味。抗えるわけがない。ごはん、おかわりお願いします。

 さて、言いようの無い満足感に浸りながら食べ進めていた時のことだ。目の前のお姉さんのスマホからトランペットの伸びやかなサウンドが鳴り響いた。黒髪の清楚系の方だ。

 流れてきた曲は数本のトランペットの細かなパッセージが忙しく入れ替わる、運動会でもおなじみの『トランペットの休日』だ。タイトルとはうってかわって、トランペットは休むまもなく鳴り響く。明らかに休日じゃないよね、これ。運動会でもかけっこのイメージだし。

 黒髪さんが鳴りっぱなしのスマホを取らないのでそれだけでも視線を集めていたが、おそらく皆の頭にあったのは「あの曲、聞いたことある」だろう。急き立てられるように鳴る着信。いつ取るのかと横目で見ていたが、結局スマホを一瞥しただけで手を伸ばすことはなく、やがてトランペットは唐突に鳴り止んだ。黒髪さんに注目していた人たちもそれぞれの食事に戻り、何事も無かったかのように、元の賑やかさに戻っていく。

 しかし、私だけは今見た光景が衝撃的過ぎて、一人取り残されていた。

 見間違いか? いやそんなことは無い。

 辛い。辛子高菜を無意識に口に放り込んでいた。ご飯をかきこむ。

 先程彼女がちらりと見て、電話を受けることのなかった画面ディスプレイには信じがたい発信者の名前が表示されていたのだ。決して人のスマホの表示を覗き見たいという事ではなかったのだが、目に止まってしまったのだ。不可抗力である。何が表示されていたのかを聞くとご納得いただけるだろう。

 画面にはこう表示されていたのだ。

 う○こ(自主規制)、と。

 いや、ちょっとまて。ご丁寧に着信音を設定していて、それが『トランペットの休日』だというだけでもツッコミどころが満載なのに、そのアドレス帳の設定はなんだというのか?

 こちらの動揺をよそに、眼の前の黒髪さんは何事もなかったように美味しそうに唐揚げを頬張っている。お友達のふんわりさんも特に気にしていないということは、この『うん○』さんの着信をスルーするのは、彼女たちにとっては日常なのだろうか?

「出なくていいの?」「うん」みたいな会話があってしかるべきなのではなかろうか。おかわりのご飯を受け取りながら観察するが、二人の様子はあまりに自然体だった。

 アドレス帳にわざわざこんな名前を設定するのだから、そこにある感情はおそらくネガティブな方向だろう。嫌な上司とか、そういう方向で。『うんち』ならワンチャンプラス査定もあるが『う○こ』ではそれも望めまい。そう考えるとこのせわしない着信音は、口うるさかったり急き立てられる感じの人なのだろうか。だがそれにしてもワードのチョイスが破壊的すぎる。

 一見大人しそうに見えていた女性の裏の顔を覗き見てしまったみたいで、なんだか落ち着かなかった。お友達とおしゃべりしている清楚な黒髪さんの口元がなんだか悪い笑みを浮かべてるように感じられてきた。

 すると、また黒髪さんのスマホの画面が光った。すわ、またあのトランペットが鳴り響くのかと思ったら、今度は静かな曲だった。聴いたことがある。

 しっとりと流れた曲はショパンの『ノクターン』だった。そして注目のディスプレイに表示された発信者の名前は『ちゃん』だ。

 ちゃん。

 このロマンティックな調べとハゲちゃんは彼女の中でどのように消化されているのか。普通に考えれば、この着信を選んでいただける名前ではない。口の中に肉汁がじわっと広がった。うまい。情報が錯綜していて、うまく処理できない。

 ノクターンは素敵なピアノの調べを響かせている。黒髪さんは今度も電話を取らないのかと思ったら、画面をふと眺めて逡巡し結局取らなかった。するともう一方のふんわりさんがニヤニヤと笑った。

「出たらいいのに」

「いや、今はいいよ」

 先程のう○こ氏のときは完全にスルーだった二人だったが、今度はふんわりさんのからかうような口調に、黒髪さんは若干照れたように返していた。

 なんだ?! ここは照れるシーンなのか?

 確かに、嫌な人の電話に、あんなに素敵な旋律の曲は似合わない。彼女の様子を見ても、かなり好印象の人物のはずだ。名前も「ハゲ」ではなく「ハゲちゃん」と愛嬌があるではないか。う○こ氏には感じなかった愛を感じる。

 彼女のお盆の脇に置かれたスマホは今は沈黙している。

 今にもう○こ氏かハゲちゃん氏から再度着信があるのでは無いのか?

 その時彼女はどうするのだろうか? 

 いや、あるいは、新たな人物が登場するのかも知れない。

 その人は一体どんな名前をつけられて、どんな曲を与えられているのか。

 もう気になって、スマホから目が離せない。

 


 そうこうしていると、唐揚げはあと二個になっていた。

「おかわりお願いします」

 その時、黒髪さんのスマホが───


 

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唐揚げ屋にて 島本 葉 @shimapon

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