お母さんに似て美人ね

 終点に、海はなかった。


 電車を降りて歩道のない道を一時間ほど歩く。もっと前の駅で降りるべきだったのではという文句を飲み込んだのは、駅を確認しなかった私にも責任があると思ったから。

 重くなる私の足取りとは対照的な宇佐美くんは、歩くたびに色々な荷物を投げ捨てているようだった。足が痛い。普段から運動をしておくべきだった。宇佐美くんも鍛えているようには見えないのに、いくら歩いても涼しい顔だ。男の子なんだなと実感してから、彼の成長した姿を想像する。




「バニー、似合わなくなりそう」


「なにか言った?」



 振り返った宇佐美くんが眉をひそめる。



「まだつかないのかなって言ったの」


「もうつく。疲れた?」



 体力ねえなと余計な一言を付け加えた彼にムッとする。言い返そうとすると、彼はガードレールをまたいで脇道にそれた。



「ほら」


「え」



 手を差し出されて狼狽える。宇佐美くんに触れることをためらったのではない。スカートでガードレールをまたぐことが嫌だった。どこかに切れ目はないかと探したけれど、とても私が間を通れるような隙間ではない。

 諦めてガードレールをこえると、足下が軽く沈んだ。自分の体重のせいかと青ざめたけれど、宇佐美くんが踏みしめたところも同じだった。彼にも体重があるんだなあとぼんやり考えていると、そのまま手を引かれた。前日の雨でぬかるんだ地面が靴を汚す。なんと言い訳すれば学校に行っていたことになるだろうか。


 そのまま少し歩くと、立ち入り禁止のロープが張ってあった。それを気にとめることなく越えた宇佐美くんに続いて歩くと、すぐに小さな砂浜に出た。風が少し強くて肌寒い。砂浜と言っていいのだろうか。私が寝転がったくらいの幅しかなくて、両側を岩が塞いでいる。


 ここだけ別の世界みたいだ。



「あっち向いて」



 そう言った宇佐美くんは私が答えるより先にスウェットを脱ぐ。



「網タイツ、履いてきたの?」


「うるさい」



 電車に乗っている最中も、ここまで歩いてくるときも網タイツを履いていたのだと思うとなんとも言えない。網タイツを履いたまま体力がないなどと言ってきたのだろうか。私の複雑そうな表情を察したのか彼はそのまま着替え始めた。たくさんの傷跡と偽物の愛の跡。私が握った彼の弱み。

 着替え終わった宇佐美くんのバニーガール姿は、相変わらず可愛くて私の目に狂いはなかったのだと思わせる。



「似合うね」


「知ってる」



 もう何度繰り返したかわからない会話をすると、彼は海に向かって歩き出す。



「寒いと思うよ」


「いいんだよそれで」



 私の緩い制止を無視して進んだ宇佐美くんの足を容赦なく波が撫でる。想像より冷たかったのか、彼の肩が大きく跳ねた。うさぎみたいだ。小さなうさぎが波にさらわれそうになっている。



「入る気ないって言ってたくせに……」



 立ち入り禁止の海辺でバニーガールの格好をしたクラスメイトが自殺を図ろうとしている。

 どこから指摘すればいいのかわからない状態だけれども、その様子がなによりも美しかった。



「待って!」



 振り返った宇佐美くんが不思議そうな顔をする。何か言わなくては。彼を行かせたくない。けれども死なないでという言葉では陳腐だろう。それにこの感情は死なないでほしいというよりも。ずるい。そう、ずるいだ。



「わ、私も一緒がいい」


「なんで」



 間髪入れず、彼がさらに不思議そうな顔をした。まさかお前が止めるなんてとでも言いたげだ。

 止められたくないのなら私を連れてこなければよかったじゃないか。私を呼んだのは他でもない宇佐美くんだ。


 死なないでほしい、死なないでほしい。どうしてってそんなの、生きてほしいから。大それた理由なんてないけれど。


 そう伝えようとしたとき、ポケットの中が震えていることに気が付いた。すぐに震えは止まったけれど、またすぐに震え出す。無視しようとしたが、私が考えをまとめようとしている間も何度もそれを繰り返した。

 手で宇佐美くんを制止してからスマホを開き、大量の着信を確認して今度は私の時が止まった。



「うううう宇佐美くん! どうしようっ!」


「え、な、なに、なにかあった?」



 私のただならぬ様子に、宇佐美くんがざばざばと音を立ててこちらに戻ってくる。



「顔真っ青じゃん、どうした?」


「親のふりして電話してくれるって言ったくせに!」


「あ……忘れてた」


「ど、どうしよう、お母さんからたくさん電話きてる。なんて言おう。ああもう宇佐美くんのバカ!」


「バカっ? お前も忘れてただろ!」


「そうだけど……っ!」



 足から力が抜ける。私は、私が思うより真面目なのかも知れない。しゃがみ込んだ私に宇佐美くんはわかりやすく狼狽えた。

 ああもう、すべて滑稽だ。


 学校をサボったことがバレて慌てている私も。私が悲鳴をあげたらすぐに自殺を中断する宇佐美くんも。宇佐美くんが着ているバニーの衣装も。バニーガールというものを初めて知ったお母さんの昔の写真も。お父さんと似て可哀想だと言われる私も。女親に似たせいで犯される宇佐美くんも。全部全部。



「はあ……ねえ宇佐美くん」



 見上げた彼は、やっぱり私のお母さんに似ている。だから宇佐美くんに殺されたかった。



「なんだよ」


「一緒に怒られてくれる?」



 私の問いに心底嫌そうな顔をした宇佐美くんが隣にしゃがんだ。



「お前、やっぱ死にたくないんじゃん」


「そうだったみたい」



 知らなかった。


 ずっと、自分は死にたいのだと思っていた。けれども実際は学校をサボったくらいで大慌てだ。こんなことでは自殺なんてしたらショックで倒れてしまうのではないだろうか。死んでいるから倒れようがないけれど。



「帰るか?」


「その格好で?」


「人が優しくしてやってたらお前……」



 スウェットに着替えた宇佐美くんがバニーガールの衣装をくるくると丸める。なにをするのかと眺めていると、そのまま大きく振りかぶった。



「あ……!」



 水を吸った布は綺麗な弧を描いて着水した。ぼちゃと鈍い音が聞こえて、すぐに波がそれをさらう。



「もういらないだろ」


「せっかく作ったのに」


「あれがあるとお前、死にそうだし」



 それはちょっと、たしかに否定できないかもしれない。


 でも、それでも。



「頑張って作ったのに……」


「あー、他の服作ってよ。俺が日常で着られるやつ」



 そういって私の頭をかき回した宇佐美くんのスウェットは所々ほつれていた。冷たい風が吹いて、湿っていない場所の砂が舞う。家に帰ってシャワーを浴びたらきっとじゃりじゃりしているはずだ。


 宇佐美くんは私の回答を待ちながら少し気まずそうにしている。なんだか、同じ人間みたいだ。天使で彫刻で作り物で美しくて可愛い宇佐美くん。



「宇佐美くんってさ、人なんだね」


「はあ? 最初から人だけど」


「なんか、綺麗すぎるから別の生き物みたいで」



 私はブスだし、と呟くと宇佐美くんが私の両頬を手で挟んだ。冷たくて心地いいなんて思う間もなくぎゅっと顔の幅が狭まる。首を絞められることには慣れたのに、顔を触られるのは初めてで肩に力が入った。



「お前がブスなのは顔じゃなくてその陰気な表情のせいだから」


「い、陰気っ?」


「もっとちゃんとすれば俺に似てるはずだけどな」


「なによそれ!」


「で、服は?」



 言い返す私を宥めながら、宇佐美くんが強引に話を戻す。



「はあ、大学生になっても着られるようなやつね」


「大学かあ……」


「だから今年は留年しないようにしないとね、宇佐美先輩!」



 先ほどのお返しにわざと意地悪な言い方をすると、彼は露骨に不機嫌になった。これではどちらが年上かわからない。


 来た道を戻って、車道に出る。二人だけの世界から現実に戻ったようだった。私たちを発見した車が少しスピードを下げて通り過ぎている。生きてここにいる実感を覚えて、ぶるりと体が震える。


 綺麗な手を見ても、顔を見ても、もう殺してほしいと思わない。私の幼い願望だけが波にさらわれたみたいだ。



「ねえ、宇佐美くん。お母さんに怒られると思う?」


「驚いて声が出ないかもよ」



 一目見たらわかるもんね、と返すと彼は返事の代わりに私の手を握って、少しだけ歩くスピードを緩めた。


 宇佐美くんは、まるで生き写しだから。


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殺してバニーガール 入江弥彦 @ir__yahiko_

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