第11話 夏川瑞樹の独り言

 私の名前は夏川瑞樹なつかわみずき。株式会社ウィットキャットで、ゲームプランナーをしています。誕生日は八月十二日。年齢は、今年で二十六になりました。

 朝は八時に起床し、朝食をバナナと牛乳で済ませます。ゲームクリエイターという職業は残業をすることも多く、油断するとすぐに肌と腹部に影響が出ます。


 出社後はまず、メールのチェックから始まります。昨晩の退勤後に届いたデバッグ内容、実装の話、取引先との連絡などに目を通し、必要に応じて上司に相談を持ち掛けます。


「おはようございますー」

 噂をすれば、上司が呑気な顔をして出社してきました。彼はその、寝ぐせなのか地毛なのか分からないボサボサの頭を搔きながら私の背後を通り過ぎ、仕事の資料よりも私物のフィギュアや漫画が山積みのデスクに腰を下ろします。曰く、色々な物が目に入る環境の方がアイデアを思いつきやすいそうですが、たまにバランスを崩した娯楽たちが私のデスクになだれ込んでくることもあり、いい加減にして欲しい所です。


 役者も揃ったところで、十一時からは定例会議が始まります。今回は、好評発売中のシリーズ『ドラゴンミステリー』次回作についての企画会議です。会議室に移動し、私と上司以外にも、何人かのプランナーが集まって案出しを行います。ここに取引先の方が入られることもありますが、本日は私たちだけです。


「敵をテイムするのはどうっすか!」

 若手プランナーの鳴子海人なるこかいとくんが、真っ先に声を上げました。彼は物怖じせずに意見を述べることができる性格のようで、以前いたプロジェクトでは逆に、それが災いして上司から疎まれていたと伺っています。


「駄目です。面白くありません」

 上司がそれを突っぱねます。普通の会議では、と言うか普通のクリエイターは、このような否定の仕方はしません。否定の際には代替案を、というのが業界の鉄則です。しかし、彼の場合はそれがまかり通ってしまいます。彼の立ち上げたゲームが毎回ヒットしてしまうからです。


「だったら――」

 鳴子くんも負けじと食い下がりますが、全て「面白くない」「作品に合っていない」と返されます。鳴子くん以外のプランナーも沢山の意見を出しましたが、その殆どが、一言で上司に切り捨てられていきました。


「こういうのはどうでしょうか」

 全員の戦意が喪失した頃に、上司が一つの意見を提示します。その一言は、その場にいるクリエイター全員の心を折ります。なぜなら、ぐうの音も出ないほど面白い案だからです。頭ごなしに否定されることで蓄積したフラストレーションは行き場を失い、会議後に溜息や愚痴、あるいはタバコの煙になって吐き出されます。そんな風景を、私は何度も見てきました。


「テイムの案は、悪くなかったと思うよ」

 上司が踏み荒らした土地のアフターケアを行うのも、私の仕事の一つです。会議が終わった後に鳴子くんへ話しかけると、彼は自嘲気味に「ありがとうございます」と言って、肩を落としながらトイレの方に歩いて行きました。


 ああ、今度の子もダメかもね。


 私が配属したての頃、喫煙所を通りかかった際に先輩の方がそう話しているのを耳にしました。風のうわさで、私の前任者はストレスから転職したとも聞いたことがあります。

 当時の私は仕事に慣れるのですら精一杯だったことに加え、件の上司の元に配属されたものですから、毎日が周章狼狽でした。傍若無人な上司に付きそうストレスで、ニキビは増え、目にはクマができ、胃液が口元まで登ってくることも少なくありません。

 それでも私がこの仕事を続けられたのは、それもまた上司の影響というのは皮肉なものです。


「瑞樹さんは、目が素敵ですね」

 上司と出張に行き二人で昼食をとっていた時、突然上司からそんなことを言われました。いきなり何を言い出すのかと私が赤面していると、上司は次のように続けました。

「クリエイターは、少なからずエゴイストである必要があります。俺の方が優れている。私の方が面白い。そういった精神は、ある時に頭の回転よりも大切です。瑞樹さんの目には、その色が見えます。諦めない、強い目です」


 愛の告白ではありませんでしたが、私は弊社で働いていて、この時が一番嬉しかったです。普段は理屈もなく感性で物事を否定する彼が、ある部分では私のことを認めてくれていたと知った瞬間でした。


「今日は、十六時から高校での講習があります。その後は、二十時から役員向けのプレゼンです」

 そんな私でも、今では上司と肩を並べて仕事ができるようになりました。プロジェクトのスケジュール管理やデータ整理などが主な業務ですが、私の企画案が通ることも度々あります。


「やれやれ。素直な高校生たちへの講習は楽しそうですが、頭の固いオジサンからお金を貰うためのプレゼンは憂鬱ですね」

「それ、役員さんに聞こえる所では絶対に言わないで下さいよ」

 私が釘を刺すと、上司はデスクのフィギュアを触って、心底不思議そうな表情をしていました。

「言う訳ないじゃないですか? 何を当たり前のことを」

 カチン。この人は……。

「昨晩は、知らない子供に話しかけて逃げられたと仰っていたので、い、ち、お、う、注意したまでです」

「おっと。分かりましたから、怒らないで下さいよお」


「お疲れ様です! 飛鳥あすかさん、お時間いいっすか!」

 私たちが話をしていると、午前中の会議で意気消沈していた鳴子くんがノートPCを片手に現れました。その顔は、闘志が戻っているようにも見えました。


「この後は外出予定なので、あまり余裕はありませんね。何でしょうか?」

 対する上司はヘラヘラした表情を忽然と変え、真剣な仕事の顔になりました。長く行動を共にしていても、間近で見るこの変化には未だ畏怖の念を覚えます。


「早く済ませるよう頑張りますので、意見だけでもお願いします! さっき却下されたテイムの案ですけど、こういうのはどうでしょうか!」

 鳴子くんはノートPCを開いて、少ない時間で作り上げたであろう企画書を私たちに見せました。情報の配置などは煩雑でしたが、改善案とその要点がまとまった、良い企画書でした。


「……駄目ですね。テイムのためにゲームの難易度を下げたのでは、本来のコンセプトが崩れて本末転倒です」

 やはり、またしても鳴子くんの意見は通りませんでした。目に見えて、彼の表情からは希望が失われていきます。

「ただ、右下に小さく書いてある、テイムしたモンスターの特徴が武器に引き継がれるという部分は面白そうです。この方面で、もう少し掘り下げてみる価値はあるかもしれません」


 珍しく、上司の口から「面白そう」という言葉が出ました。この一言が聞けずに私たちの元を去って行ったクリエイターは少なくありません。鳴子くんの顔はみるみる赤みを帯びていき、どんよりとした目には再び光が宿りました。

「ありがとうございます! もう一度、検討してみます!」

 自身のデスクに戻って行く彼の後ろ姿は、先ほどの会議終わりとは違い、軽やかで活気に満ちていました。


「似ていますよね、彼」

 講習を行う高校へ向けて電車に乗っていると、ぽつりと上司が呟きました。

「何がですか?」

「海人くんと瑞樹さんの目です。彼もきっと、いいクリエイターになります」

「……そうかも知れませんね」

 もしかしたら、私も昔はあんな顔をしていたのかも知れません。私は一人、頭の中で鳴子くんの喜ぶ顔を思い出すのでした。

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