【短編】ノーカウント

たかしゃん

【本編】ノーカウント

 ――ピピピピ――


 いつもの通り、スマホに設定してあったアラームの音が鳴る。

 このうるさい電子音を聞きながら、そろそろか……と俺は身構えた。


「とりゃあああ!」


 叫び声と共に布団をはぎ取られる。

 こうなることは想定済みだが、温かな安楽の地を奪われたことには変わりなく、俺は反射で身を震わせる。


「さてさて、ちょっと失礼しますよーと」


 朝から喧しいヤツは、問答無用で俺のベッドの上に足を上げてカーテンを一気に開けた。

 途端に、鋭い光が部屋の中を照らし出す。


「うお――眩しッ」

「おやおや、これではまるでコウモリさんですなあ」


 あまりのまぶしさに目が眩みつつも、目蓋を押し上げると、ベッドの上で……というか俺の上でをしながらニヤニヤと見下ろすセーラー服姿の憎たらしい顔が見えた。


「おはようございます。お兄ちゃん」

「ああ、おはよう……」


 寝ぼけまなこを擦りながら、俺は上体を起こす。

 これまた憎たらしい笑みを浮かべたヤツは、満足げにうんうんと頷くと、ベッドから降りて、部屋のドアの前で立ち止まり……。


「朝ごはんはもう作ってあるから、顔洗ったらすぐ降りてきてね」


 と言い残して、部屋を出て行った。

 そのすぐ後に、階段の方からとんとんとん……と弾むような子気味の良い音が聞こえた。


(いつもながら、ごきげんなヤツだな)


 今日も絶好調らしい妹……玖美くみのおてんば加減に呆れながら、俺はスヌーズ状態になっていたスマホのアラームを切った。



   ☆



「じゃじゃーん。目玉焼きー」


 顔を洗って、制服に着替えた俺を待っていた玖美が、テーブルの上に並ぶ何とかのパン祭りでもらったドデカい白い皿を見せてきた。


 またかよ……。これで一週間連続の目玉焼きだ。


「お前、いっつもこれだな」


 思わずいて出た言葉に、玖美はぷくっと頬を膨らませる。


「なに? 文句あるの?」

「いや。文句はない。だが、バリエーションは欲しい」

「バリエーション……? はあ」


 もう、面倒くさいなあ……とか言いながら、冷蔵庫を漁り……プチトマトとサラダを加えた。


「お兄ちゃん、料理下手なクセに贅沢なんですなあ」


 小言を言いつつ用意してくれた妹。


「ありがとう。玖美」

「どういたしまして。ささ、早く食べよ。冷めちゃう」


 玖美の言葉に俺は頷き、ふたりしていつもの定位置に座った。


「「いただきます」」


 俺は早速目玉焼きを、一口食べる。

 うむ。いつものお味だ。

 少し焦げてる。


「カロリーオフ仕様です」

「嘘つけ」


 単に油を敷き忘れただけだろ。


「実は、ついついフォワードの練習を……」

「調理中にテニスの練習は止めろ。危ないぞ。てか、よく卵飛ばなかったな」

「ちょっと飛んだけど、それはバックハンドで何とかボレーしました」


 俺の追及に、玖美はさっと敬礼を返した。

 いや、ボレーしちゃったら普通吹っ飛ぶだろ。

 まあ、こうして無事に食べれてるから良いけど……。


「そういや、おばさんは? 最近見ないけど」

「泊まり込み。記者は張り込みが命! だってさ」


 玖美は何の真似か小さく力こぶを作って見せた。


「そっか」


 両親がいない俺たち兄妹の面倒を見てくれているのに、色々と忙しいみたいだ。

 妹の玖美のことも頼まれているし、俺がちゃんとしないと。


「ごちそうさまー」


 俺が思いふけっている内に玖美は手を合わせて、自分の食器を持ってすぐさま立ち上がった。


「おい、もう少しゆっくり食べろ。健康に悪いぞ」

「今日は友達と朝一緒に行く約束してるの。そもそも、お兄ちゃんが悪いんだよ。朝起きるの遅いんだから」


 玖美は大変不満そうに口早でそう言った。


「じゃ、お先にいってきまーす」


 中学校指定の通学鞄を持ってリビングを出ようとしていた久美だったが、


「おう」


 何の気なしに相槌を打った俺の声に「あ、そうだ」と足を止めて、こちらへ振り向いた。


「食べ終わったら洗っといてね」

「……ああ、分かった」

「お皿割らないように気を付けてね。お兄ちゃん不器用なんだから。じゃ、次こそホントに行ってきます」


 念を押され、俺に手を振ると、玖美は今度こそ中学校に向かった。


   ☆


 朝食を食べ終えると、俺は素早く洗い物に着手した。

 慣れた所作で、すぐに皿を洗い終える。

 水で濡れた手を軽くタオルで拭って、冷蔵庫の中を確認。

(やっぱり、卵が余分に減ってるな)

 恐らく、玖美がどこかにボレーしちゃったんだろう。

 サラダやミニトマトもすぐ傷みそうだったから、玖美が出すように促したが正解だったかもだ。

 今日帰りに新しいのも買っておかないとな。

 それだけ確認し終えると、遅刻しないうちに俺も高校へ向かった。


   ☆



 高校の教室に入り、自分の席に着く。


 すると、


「おはよう。恵也けいや。今日もギリギリだね」


 同じクラスで、小さな頃からの友達――ヒロが、これまた気さくな挨拶をしてきた。

 相変わらずのイケメンだ。


「おはよ、ヒロ。まあな。でも間に合ったからセーフだ」

「それは……そうだね」


 紘はしばし苦笑すると、何か思うことがあるのか俺をまじまじと見つめてきた。


「なんだよ。俺の顔に何かついてるか?」

「いや、何も。ただ、最近少し寂しいなって」


 ガタ――! じろ――!


「おい、誤解を招くようなことを言うな」


 変なことを言うからクラス中の皆がこちらを一瞬見たぞ。

 特に女子が。

 お前は自分が美形であることの自覚を持ってくれ。


「誤解? 別に誤解なんて何もないよ。君が部活を辞めちゃってから、何だか味気なくてね」

「別にテニスが嫌で辞めたわけじゃないぞ」

「分かってるって。玖美ちゃんのためだろ?」

「……まぁな」


 紘には、ある程度事情を話している。

 両親が交通事故で亡くなって、俺たち兄妹は、親戚であるおばさんの家に引き取られた。


 俺はおばさんの手を煩わせまいと、妹の面倒をひとりでも見られるように、家事や洗濯、掃除や買い出し、あらゆる主夫スキルを習得した。


 ――それも、妹に隠れながら。


 玖美は……両親が亡くなってから精神が大きく不安定だった。

 いつもはしゃいでいた笑顔の絶えない妹が、鬱屈な泣き顔ばかりを見せる日々は、みているこっちもかなりキツかった。


 でも、何がきっかけなのか、俺の世話を焼くようになってからは、生来の明るい玖美に戻ったのだ。


 バレたら、きっと……。

 だから……絶対バレちゃいけないんだ。


「うん。恵也が決めたことだから仕方ないと思う。けど……無理はしないようにね?」


 紘はそんな俺の思いを察してか、どこか心配げなさわやかスマイルを俺に向けた。


「ああ」


 と頷いたところで、HRのチャイムが鳴った。

 さて、今日も勉学に励みますか。



   ☆



 放課後、俺は今朝妹の玖美がボレーしちゃったらしい卵と、その他の食品を補充するため安いと評判な近所のスーパーに来ていた。


 無駄なものを買わないようカートは使わず、カゴを手に提げて……さて、さっそく買い物を――


「あ! 恵くんじゃん!」


 と女の子の声。


「ホントだ。今日は買い物かい?」


 と今朝聞いた声。


沙織さおりにヒロ……お前ら、今日は部活あるんじゃないのか?」


 制服姿の幼なじみたちが自動ドアの前に立っていた。

 いつもならこの時間帯は絶賛部活中のはず……。


「いいや。今日は休みだよ。最近火・木は休部になったんだ」


 マジか。最近行ってないから知らなかった。


「今日は買い物かい? 大変だね」

「そうでもないぞ。慣れれば楽しく感じるもんだ」

「そっか、ならいいんだけど……無理はしないようにね」

「分かってる」

「もー。恵くんわたしのこと無視してない? こうやって三人揃って会うの久しぶりなのに」


 しびれを切らしたのか沙織がふくれっ面で紘との間に割って入る。

 こいつらとは、田舎の狂キャラトリオとかいう不名誉な命名をされたくらい小さな頃からの付き合いだ。扱いには慣れている。


「無視ってない。ただ話すことがなかっただけだ」

「それひどくない?」

「まあまあ……さっちゃんもそれくらいで。――あ。僕たちも今から買い物があるんだけど、恵也も一緒にどうかな?」

「分かった。どうせだから一緒に回ろう」

「うん。そうしようか。ほら、さっちゃんも機嫌直して」


 ヒロが未だご機嫌斜めの沙織を宥めつつ、三人でスーパーを回る。

 俺は狙い通りの品、安売りの卵パックを手に取った。


「卵?」


 と、紘が呟いた。


「ああ、朝妹が卵をボレーしちゃったらしくてな。今在庫がないんだ。傷みかけで朝食べちまった野菜も補充する予定」


 野菜を手に取り、鮮度が良さそうなのをカゴに入れていく。


「へー。さすが。恵くんは昔から何でもできるもんね」

「いいや。良さそうなのがあっただけだ」


 カゴをのぞき込む沙織を手で押しどける。


「たぶん、それは嘘だね。恵也は小さい頃から用意周到で、何でもできるヤツだったじゃないか。運動はまずまずだったけど、家庭科の実習なんかは得意だったろ。テストの点も良いし。なのに……君は見かけによらず器用なやつだよ」

「何だよ、見かけによらずって。だから、それは――」

「――ああ、分かってるよ。玖美ちゃんのためだろ?」

「まあ、そうだな」


 俺が器用かどうかは分からないが。

 玖美のために、あくまでサポートするだけだ。


「え? どういうこと? くーちゃんがどうかしたの?」


 くーちゃんとは沙織がつけたあだ名だ。


「それは……そうだな、さっちゃん向けに説明すると『恵也は玖美ちゃんのために、ちょっと頼りないお兄ちゃんを演じている』ってところかな」

「ふーん、よくわかんないけど大変だね」


 などと話していると、俺は突然、背筋が凍った。


 少し買い込んでしまいそうだからカートを取りに入り口の方へ振り向いたとき――



 カートを押すいま一番いてほしくないと、ばっちり目が合った。



「あ、玖美ちゃん……」

「お、噂をすればくーちゃんじゃん。げんきー?」


 対照的な反応を見せる幼なじみを前に、玖美は何も言わず、カートを置いて走り去った。


 あの反応――さっきの会話を聞かれた!


「あれ、どうしたのかな?」


 事態を呑み込めていないらしい沙織が不思議そうに呟いた。


「ごめん、恵也。早く玖美ちゃんを探そう!」

「あ、ああ!」

「ほら、さっちゃんも」

「う、うん。分かった。なんか知らんけどヤバそうだし、手伝うよ」


 すぐに追おうとしたが紘から「会計は僕がしておく。後から僕も行くから」と言われ、俺もそれに甘えて、急いで玖美を探しに行った。

 


  ★


 

 スーパーから飛び出して、玖美を探す。

 しばらく辺りを探ってみるが……いないな。


 もしかしたら、帰っちまったのか?


 そう思って、スーパーからの帰路を辿っていく。


 ふと思いついて、道中にある公園へ立ち寄った。

 俺らがまだ小学生だった頃によく遊んだ場所だ。


 ――いた。


「玖美……」


 ブランコに腰を下ろした妹の名前を呼ぶ。

 無視するでもなく、妹は俺を見上げてきた。


「買い物、行ってたんだ」

「……ああ」


 いざ、見つけたは良いものの、なんて話したらいい?

 情けなく言葉が出ないでいると、


「私、お母さんやお父さんが事故で死んじゃったとき、すぐ近くにいたのに……何もできなくて……苦しくて……辛かった」


 玖美が気持ちを打ち明けてきた。

 俺たちの両親は、玖美と買い物に出かけた際に交通事故で亡くなった。


「でも、お兄ちゃんのお世話をしてるときは、私でも役に立ててるって、そう思えたんだ。でも、お兄ちゃんにとっては……邪魔だったよね。嘘をつかれてまで気遣われるくらいなら、私は――!」

「――違うんだ」


 もう嘘をつくのはやめよう。


「母さんと父さんがいなくなって、男の俺がちゃんとしなきゃって、思ってた。……昼夜逆転して、朝起きられなくなるくらい……思えば思うほど追い詰めてて……でも、そんなときに、お前が無理やり起こしてくれた。それから、お前が料理とか色々するようになって、世話を焼いてくれて。お前の前では、ちゃんとしてなくても良いんだって思えて。気が楽になったんだ」


 馬鹿正直に、言った。


「ヒロには、玖美のためって言ってたけど、俺は、本当は――お前に甘えたかった」


 妹に隠していたのも、最初はただダサいと思ってたからだ。

 でも次第に、甘えるようになっていった。

 俺が守らないとって思ってた玖美が、両親を失ってまいっていた俺の心を守ってくれたんだ。


 そのまま二人して、見つめ合う。


 少し経つと、後ろの方から紘たちの声が聞こえた。


「恵也―! 玖美ちゃんは見つかったかい?」

「恵くーん! なんだかよく知らないけどくーちゃんいたー? ……って、おわっ!」

「ちょ、うわー!」


 そそっかしい沙織がこけたらしい。

 その拍子に前にいた紘の背中を押して、その紘が俺の背中に手をついた。

 俺も前にいた玖美を押し倒す勢いで手をついた。


 そのとき――


「「え?」」


 何の因果か、俺の口が、玖美のそれと……触れた。

 これが俺のファーストキスだった。



   ☆ ★



 気づいたら朝になっていた。

 あのあと、どうやって帰ったかも覚えていない。

 いまは玖美と朝食で顔を合わせているけど……何を話していいか分からない。


 けど……やっぱり謝らないとな。


「昨日のは……ごめん」

「嘘ついてたことは、私にも責任があると思うし、ゆるす……よ」

「は、はい」


 よかった。

 でもきっとそれは、家事全般こなせることを黙っていた件についてだ。


 あと、もうひとつのことも……謝らないと。


「それと……キ――」

「――あと、あの……ことは、その……ノーカン。ノーカウントってことで」

「ホントごめんなさい」


 俺は深々と頭を下げる。


「……でも、なかったことにはしないからね! もろもろ反省はしてくださいな」

「はい。でも、それで朝食がゆで玉子だけは……」


 やっぱり、かなり怒っていらっしゃるのでは……。


「ところで、お兄ちゃんってフランス語と英語できる?」

「できるわけないだろ。高校生にそこまで求めるな」


 突然何を言い出すんだ。


「なら、勉強しておいたほうがいいですぞ。花の元テニス部なんですからな」


 玖美はにやり。


「なんだそれ」


 終始、意味不明な妹だった。



   ☆ ☆ ☆



 朝、教室に着くと、すぐに紘が近づいてきて両手を合わせてきた。


「ごめん。昨日、僕が余計なこと言わなければ……」

「大丈夫だ。気にしなくていい。何とか、仲直りできたからな」

「そうだったのか、よかった。それと……さっちゃんに押されたからとはいえ、その……あんなことに……なってしまって。これも謝るよ。すまなかった」


 今度は頭まで下げてきた。


「ああ……あれはノーカンらしい。朝ごはんはゆで卵だけだったけど」

「ノーカン。ゆで卵……」

「元テニス部ならフランス語と英語も勉強しろってさ。全く意味がわからん」

「……そうか」

「ヒロは分かったのか?」


 ヒロがなぜか腑に落ちたような顔をしたので聞いてみるが、


「いいや、何でもないよ。でも、いいかい? この話はここだけにしよう」


 これまた意味不明なことを言ってきた。


「おい、それどういう意味だ?」

「いいから。これは僕たちの秘密だ。時が来るまで、ね?」


 意味深な言葉に、クラス中にどよめきが走る。


 後に、俺がテニス部に復帰したことで一部では『愛の告白』なんてボヤかれているけど……これはノーカンに違いないと思う俺だった。



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