第8話 第三層

 リタの手を取るとルーシィは慣れた足取りで商店街の奥へと進んでいく。「ここが港だってことは知ってるのよね?」

 港、とは宙船が停泊する柱がある場所に出来た街のことだ。ここエイジェンの他にも四箇所ほど存在するが交流は無いに等しい。

「領事局から扇の形に街ができてるの」

 柱から北側は植物が生えることの無い極寒の荒野になっている。そのため他の港とは異なり柱を視点にして南に扇状に発展してきた。

「一層二層だけで充分生活は出来るんだけど」

 領事局やエルダーやサヴォルは第一層に居を構えている。それ以外では民間の警備会社の事務所や病院学校など公共施設、工場や農業プラントがひしめき合う治安のいい場所である。

 第二層は第一層を勤務地としている者たちの住まいや、彼らが生活するのに必要なものを取り揃えた店が立ち並ぶ。ちなみに豊来が店を構えているのもここだ。

「ここが三層。熱狂溢れるティーンストリート」

「わ、ぁ」

 商店街とは通行人も店の雰囲気もがらりと変化した街並みだった。カラフルな看板は秩序も何も無く我が先と言わんばかりに主張しあっている。軒先に並ぶ品物も取り留めがない。良くも悪くも雑然としているが、不思議と胸が高鳴るような場所だ。

「あ、でも一人で来ちゃダメよ」

 ルーシィの声は彼女にしては珍しく真剣さを帯びている。どういうことかとリタは小首を傾けて尋ねた。

「危ないから、よ」

 曰く領事局が抱える警吏隊が駆けつけてくれるのはここ、第三層まで。物理的な距離から来る到着時間の壁は分厚いのだ。第三層の浅い部分ならまだ治安も良いが奥に進めば進むほど無法地帯になっている。窃盗や暴行にあっても基本的に自分でなんとかする必要があるのだ。そして領事局が存在を黙している事実上の第四層は反社会組織の縄張りとなっている。煌街と呼ばれる男女が夜の駆け引きを楽しむ街が境界線だ。だからこそ若者の火遊びに漬け込むのは容易く、犯罪の温床になりやすいここを安全な場所だと思ってはいけない。

 そう語るルーシィの口ぶりは深刻そのものだった。

「気をつけます」

 ふとリタは目を瞬かせた。少ない記憶の中で僅かに思い出せる記憶。男たちに囲まれた車内の正面から一時の方向に見えた建物が現在地の奥に見える。誘拐されてから便宜上の第四層に身を置いていたことになるのだろうか。それは、何故。

「リタちゃん?」

 我に返って顔を上げると心配そうな面持ちのルーシィと目が合った。

「怖がらせちゃったかしら」

「いえ、復唱してただけです!」

 ルーシィは息抜きだと言って自分を連れ出してくれたのだ。なら重苦しくなりそうな話はしない方が得策だろう。帰ってからエンに話してみよう、そう気持ちを切り替えてリタは口角を吊り上げた。

「じゃあ私のお気に入りのお店行きましょうか」

 怖がらせたお詫びだと言うとルーシィは先へと進む。

 その道中にもリタの目を引く店は沢山あった。一つ一つに立ち止まってはまじまじと品を眺める。何に使うのか分からない不思議なオブジェや、日の当たり方によって色を変えるペーパーウェイトなど。

「あれ、あれなんですか?」

「あれはねー」

 珍しいものを見つけてはルーシィに尋ねる。摩訶不思議な形状でも用途を聞けば最適な形だったり、機能性と見た目を兼ね備えたような雑貨に始まり、やっぱりよく分からない使い方と見た目のものが並んでいたりしていた。

「凄かったです、楽しかったです」

 いくつか店を回った後で、二人はルーシィの行きつけだという喫茶店に入った。どうやら市販の菓子の提供と自分でハーブティの調合ができる店らしい。

「あの、ルーシィさんは」

 桃色の花が浮かぶカップを揺らしながらリタが切り出した。

「なあに?」

「エンお兄さんとはどういう……」

 歯切れの悪いリタの瞳にルーシィは何かを察したようだ。意地の悪そうな笑みを隠してハーブティーをひと口すする。

「恋人同士」

「えっ」

「じゃないわよ」

 否定の言葉を重ねた瞬間リタは安堵の表情を浮かべたのだが、果たして本人は気づいているのだろうか。今指摘してもいいのだが、きっとリタが自分で気づいてこそ価値のあるものだ。そう結論づけてルーシィは話を続けた。

「豊来の先代オーナーのことは知ってる?」

「エンお兄さんのおじいさんですか?」

「その人に昔お世話になったのよ」

 ゼノは当時、宙船と港を繋ぐ空中回廊の警備責任者だった。訳あって地上から宙船へ渡航しようとしたのだが彼はその訳ごと解決し、手助けしてくれたのだという。その恩は今でも返しきれていないほどだ。

「だからエンがここに来たばかりの頃から知ってるわ」

 ルーシィの脳裏には当時のことが鮮やかに浮かんでいた。ゼノから養子に取ったのだという少年を紹介された時のことだ。

「口数の少ない冷静そうな子だったのに今となっては」

 警戒を怠らず、弱腰になる訳でも無く。当時はまだまだ子供の年齢と背格好だと言うのに、臆することなく真っ直ぐな瞳で言われたのだ。じろじろ見てんなくそばばあ、と。もちろん、そのあとすぐに教育的指導をしたが。

「意外です」

「昔から色々なものをよく見てる子だったから」

 記憶屋の仕事もゼノの姿を見ていたためか物覚えが早く、十五の頃にはすでにゼノより仕事が的確で早かった。取り分け優れていたのは対人関係だ。面と向かって会話した人物の名前と顔を覚えるのが早く、合わせるのも難なくこなす。接客業としてはこれ以上ない才覚だ。

 一度心を開いた相手には尽力を惜しまないのも昔からだ。目の前で困っている人をついつい助けてしまうところも。

 ゼノがそうであったのが移ったのか、それとも本人生来の性質だったのか今となっては分からない。

「分かります」

 解けきった笑顔でリタが頷く。リタが記憶屋の手伝い中に困っていると、どこからともなく現れて手を貸してくれるのだ。ヘマをして落ち込んだ時だって欲しい言葉をくれる。

 楽しそうにエンとの生活をリタは語る。話を聞きながらルーシィは笑みを深くした。リタの表情を、仕草を見ればわかる。あの時の少年は女の子を大切にできる程度には男になったらしい。

「二人が仲良くできてるみたいで良かった」

「え、えと……」

 言葉以上の「仲良し」を指摘されたようでリタは言葉を詰まらせた。

「記憶が戻ったとしても仲良くしてくれたら嬉しいわ」

 ちり、と何かを思い出しかけた気がして反応が遅れる。なにより、家に帰りたい思いとこのままここで生活していたい思いのどちらも選びがたいことに驚いた。

「そう、ですね」

 ちゃんと考えなければならないことが沢山ある気がする。けれど、今は、今だけはこうしていたい。

「私もルーシィさんとまたお出かけしたいです」

 それから、また散歩と買い物に歩き回り荷物が両手いっぱいになる頃には日が傾きかけていた。

「そろそろ帰りましょうか」

 お互いに買いすぎたと肩を竦めて二人で帰路に着く。エンからのお小遣いでは足りなかった分はルーシィが財布を出した。というか、服同様買ってあげたいから買うといい行動理念を止められなかった。

 街頭に日が灯り始める頃。意気揚々と豊来の扉が開いた。

「おっ邪魔しまーす」

 突然の闖入者に慌てたエンが腰を浮かす。聞きなれた声音と大荷物にすぐに着席した。

「なんだお前か」

 ルーシィの後ろを遅れてやってきたリタと目がかちあう。帰りが遅いのを心配したが、リタの様子から楽しい時間が過ごせたのだろう。

「おかえり」

「ただいま、です」

 柔らかく綻ぶエンの表情にリタの言葉が詰まる。先程までのルーシィとの会話が過ぎったのだ。一つ咳払いをして気まずさを振り払うと同じ笑みを返す。

 そんな二人のやり取りを横目で眺めながら、ルーシィは戦利品の開帳を勝手に始めていた。

「これ、三層行ってきたからお土産」

 おもしろ文具や、どこで使うんだとツッコミたいオブジェ。地球上にある言語とは思えないほど読めない文字が並んだ古い本。全てを並べるとほんのり埃の匂いが漂う。

「また変なもん買ってきて……」

「え〜可愛いでしょうよ〜」

「これがぁ?」

 奇っ怪な合成生物のぬいぐるみのしっぽを掴んで持ち上げる。僅かな振動に反応して蠢くタイプのようで、ぬるぬると動いた後しっぽがちぎれて床に落下してしまった。どうやら縫合部分の劣化が限界を迎えたらしい。

「それは、なんかおまけだって」

「不良品押し付けられたな、これ」

 ちぎれたしっぽから中の機械を覗くと年季の入った外見のわりに新しい物が入っていた。そこはかとなく闇を感じる品物だった。

 変なことを教えこまないでほしいと思いながら嬉々として楽しんでいるルーシィとリタを交互に見つめる。胡乱気なその視線に気がついたのか苦笑を浮かべていたリタが一歩前に出る。

「この街のこと色々教わってて、楽しかったです」

 土産物が残念だっただけで街の散策自体は楽しかった。証拠と言わんばかりに食材が入っている袋を持ち上げる。

「今日のお夕飯、私に作らせてもらえませんか?」

 ルーシィに簡単な料理のレシピを教えてもらったのだ。豊来に来てからというもの料理は全てエンに任せっきりになっていたのだ。それはいけない、とルーシィに相談した所、いくつか簡単なものと必要になる食材を教えてくれた。

 鼻息荒く意気込む姿にエンが目を丸くする。視線をルーシィに滑らせると彼女は得意気に胸をそらせた。何か仕込んだらしい。他のことは心配だがホテルのシェフを夫に持つルーシィなら少なくとも食べられるものが出来るだろう。

「楽しみにしてる」

「はいっ! 頑張ります!」

 元気に意気込んでリタはキッチンに駆け込んで行った。大きな独り言と道具を探す物音が聞こえてくる。

 閉店準備を始めようとしたエンがふと一点を見つめる。

「で、お前はいつまでいるんだ」

「やーねぇ、もう帰るわ」

 ソファでくつろいでいたルーシィが腰をあげた。買ったものの整理が終わったのか幾分袋がスッキリした気がする。

「今日はアイツのことありがとな」

 三層のことを教えなかったのは宙船にいつか戻るリタにとって行く必要のない場所と思っていたからだ。だが、彩度を増したリタの表情からもいい刺激になったことが伺える。さじ加減の難しさを改めて思い知らされた。

「どういたしまして。また連れ出してもいいわよね」

「リタがいいならと予定が無ければだな」

 二人の会話が聞こえてきたのかパタパタと廊下を走る音が聞こえた。料理を中断してきたリタが顔を出す。

「あの、今日はありがとうございました」

 奮闘しているのかエプロンには細かい野菜くずが見て取れる。律儀に顔を出してくるリタに熱く抱擁したくなるのを堪えて口角を釣り上げる。

「こちらこそ。またね、リタちゃん」

 しゃんと伸ばした背筋眩しルーシィは店を後にした。その背中をしばらく見送っていたリタだが、キッチンからけたたましく鳴り響くタイマーに諭されて奥に引っ込む。

 一瞬で騒がしくなって静かになった店内を見渡してエンは目を細めた。リタがやってきて数日、生活音が増えたことに安心している自分に内心驚いている。足るを知りて不足を知るよろしく、寂しかったことを知る。もうしばらくこのままでいいかと思ってしまっていることはリタには内緒だ。

 心持ちゆっくり閉店準備を整え、クローズの看板を下げる。その頃には空腹を誘ういい匂いがキッチンから漂ってきた。

「どうぞ」

 リタが作ったのはトマトベースのソースがかかったパスタとゆで卵が添えられた簡単なサラダにベーコンと何かの野菜のコンソメスープ。見た目だけならどこに出しても恥ずかしくない品ばかりだ。

 リタ自身それをよく理解しているのか、瞳孔が思いっきり開いている。

 器用にパスタを巻き取って口に運ぶ。アルデンテより少し柔らかいのはご愛嬌だろう。トマトベースに違いは無いがバターと合い挽き肉の味が絶妙に組み合わさって美味だ。食感のアクセントのナッツも楽しい。

「美味い」

 一言そう告げるとひと口またひと口とフォークが止まらない。

 飾り気がないシンプルな言葉ほどこれ以上ない褒め言葉だ。安堵の笑みを浮かべていたリタが真剣な表情になる。

「これから、夕飯私が作ります」

 これまで家の事の大半をエンが行っているのだ。少しは生活に慣れて余裕が出来てきた。いつまでも任せっきりは良くないと思い始めたのである。

「朝はまだちょっと起きれないですけど……」

「夜、ちゃんと眠れてんのか?」

「はい、ただ、その……」

 リタの視線が気まずそうにさまよう。

「二度寝、しちゃってて」

 目覚まし時計をセットしているのだが、気がついたら寝ているのである。セットした時間に起きて、消して、また眠る。その記憶がある時はまだいい。問題は目覚まし時計を止めて二度寝する、その記憶が無いときである。起ききっていない分、二度寝から起きるまでの時間が伸びてしまうのだ。

 リタとて出来ることと出来ないことの判断はつく。その中でこれなら手伝えると意気込んでの進言なのだろう。気にしていないが、せっかく本人がやる気を出しているのに水を差すのも良くない、そう結論づけてエンは顔を上げた。

「じゃあそういうことで、明日から頼むぞ」

「はい! 頑張ります!」

 意気込み新たにスープを一口含んだリタが小首を傾げる。

「嫌いなものってありますか?」

 リタに習ってスープに手を付けたエンの手が止まった。

「セロリは……あんまり入れないでくれ……」

 苦悶に満ちたか細い呻き声だった。それでも懸命に器を空にしようと努力している姿が微笑ましい。

「はぁい」

 ルーシィに教わった料理にセロリが多く含まれているのはささやかな嫌がらせだったのか。なるべく代用品を使うようにしよう。そう意気込みを新たにするリタであった。

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