第9話 まちがいさがし
記憶屋の仕事は人の心を助ける素敵な仕事だ。
エンの仕事ぶりを眺めながらリタはそんな感想を抱いた。嗜好を満たしにやってきた人は笑顔で帰っていくし、医療機関から処方箋を片手にやってくる患者は憑き物が落ちたように晴れやかな表情で帰っていくのだ。エンがこの仕事を続けている理由が何となくわかった気がする。
「ありがとうございました!」
今日も弾んだ足取りで店を後にする客を見送る。最近では仕事を楽しむ余裕も出来ていた。
「記憶屋って素敵なお仕事ですね」
あどけない笑顔でリタは素直に感嘆する。豊来に駆け込んだ時の今にも消えてしまいそうな薄幸さはなりを潜め、薔薇色の頬でよく笑うその様子は看板娘と言っても差し支えないだろう。
「そう、だな………」
対するエンの反応は歯切れ悪く、居心地の悪そうなものだった。言葉を探すように唇が開閉を繰り返している。結局音になることはなく噤まれてしまった。
何か的はずれなことを言ってしまったのだろうか。リタは不安げにエンの背中に視線を送る。しばらくして振り返った彼は何かを決意したような眼差しだった。
「明日、ちょっと出かけるぞ」
明日は定休日の日だ。どこへ出かけるのかと尋ねるとエンは先程ファックスで送られてきた書類を見せる。
書類に書かれている名前は記憶屋・アレキサンドライト。第一層に店舗を構える、エイジェンで最も大きな記憶屋からだった。
「注文してたメレが入ったって連絡だな」
豊来では記憶専用保存媒体であるメレを宙船の生産企業に注文している。領事局から認可を受けて記憶屋を開いている店は大体そうなのだが、その港で一番大きなメモリーショップを仲介役として利用しているのだ。
注文していた数を渡せる準備が出来たから店に来て欲しい。そう連絡がきたのだった。
翌日、二人は第二層の家庭的な喧騒とはまた違う賑やかさの通りを並んで歩く。
遠目に領事局を眺めるオフィス街にその店はあった。一階は一般客用の商品が賑やかに展開されている。平日だと言うのに複数ある受付は満席になっていた。その脇をエンは一瞥もくれずに歩いていく。いわゆる業者用の商品は二階に展開されているのだ。
階段を使って目的地にたどり着くとエンは最奥のカウンターへ進みでる。
「どうも、豊来です。荷物取りに来ました」
受付の男性は顔見知りのようであった。エンの姿に気づくと親しげな笑みを浮かべる。
「エンさん、お久しぶりです」
その視線が後ろできょろきょろと物珍しげにしているリタに向けられた。
「そちらは?」
「………、ツレです」
二対の視線を向けられたリタがはっと姿勢を正す。気まずさを誤魔化すためにとりあえず笑ってみた。
「こんにちは」
魂胆が見え透いていたのか受付の男性に人懐こい笑みを返される。
「こんにちは」
後は仕事の会話になるため好意に甘えてリタは中を見て回っていた。記憶介入装置のカタログには豊来と同じ型の最新版が出ているようだ。それ以外にも試供用の再生機器や、デコレーションを可能とした最新式のメレなど目新しいものが数多く陳列されている。
「じゃ、お世話になりました」
エンの声につられてリタが顔を上げる。用事が終わったらしい。
「いえいえー、お疲れ様です」
エンの会釈に続いてリタも同じように頭を下げる。注文していたメレはエンの肩幅より少し狭いくらいのダンボール箱に入っているらしかった。相変わらず持たせては貰えないのだけれど。
「あの、今日は………」
なぜ、自分を連れてここまで来たのか、そうリタが訪ねようとした時だった。
「よぉ、にいちゃん」
二人の視線が声の主に向けられる。相手は三、四人の男たちのグループだった。オフィス街に溶け込める身なりではあるが、格好から仕事を励みに来ているような雰囲気では無い。
「可愛い彼女連れてるじゃねぇか」
エンに視線を送ると苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
「君可愛いね〜、俺らと遊ばない?」
彼らの視線はリタに向けられているようだ。髪をきちんと梳かし、格好を整えたリタは記憶を無くしているがゆえの頼りない仕草も相まって男好きのしそうな美少女に仕上がっている。
「リタ、行くぞ」
「は、はい」
後ろに庇いながらナンパ集団から距離を、取りたかったのだが。
「シカトこいてんじゃねぇぞ!」
暴力に訴えるほどリタの容姿は彼ら好みであったらしい。
エンの腕を掴み、もう片方の腕を振りかぶる。対処しようとしたエンだが、視界の隅に亜麻色が飛び込んできた。
「ぐあ!」
悲鳴が上がる。エンに殴りかかった男が地面にうつ伏せに抑え込まれているのだ。片腕を背中に回して動きを封じられた状態で倒れていた。エンは屹立したままだ。
取り押さえているのはリタである。
「離せ、クソアマァ!」
男の声に我に返ったのかリタがすぐさま飛び退く。
思わぬ反撃を食らった集団は怖気付いたらしく文句を吐きながら帰っていった。
「今の、私がやったんですか?」
鳩が豆鉄砲を食らった顔というのを体現したような表情でリタはエンを見上げる。
「そうみたいだな……?」
状況だけを見ればリタのお手柄である。だが、本人は半ば無意識で行動を起こしたらしく自分の手のひらを眺めて小首を傾げていた。
リタの行動のおかげで痛手を被ることは無かった。礼を言おうと口を開くが、その視線が一点に引き寄せられる。視線の先には先程のナンパ集団がアレキサンドライトに入っていく背中があった。
「リタ」
「はい?」
きょとんと上目遣いで目を瞬かせる。瞬間、どこかを鋭い目付きで見つめていたエンの瞳がふっと和らいだ。
「小腹減ったろ」
「え、と……」
何事かと戸惑っているとエンが近くのベーカリーに入っていく。店内の香ばしいバターの香りで心配事は頭の隅に追いやられてしまった。
品物を選んで店を出ると、近くに手頃なベンチが複数並ぶ公園があった。エンがホットドッグ、リタはクロワッサンを購入しそれぞれかぶりつく。少々お高めな値段設定であったが納得の味わいだ。出来たてというのもポイントが高い。
「出てきたな」
空になった手のひらに満腹感とほんの少しの寂しさを感じていると、エンが声を上げた。
顔を上げるとナンパ集団が記憶屋から出て来るところだった。思わず身構えるとエンに力強く頭を抑えられる。狼狽えるリタの耳にエンの吐息がかかった。
「視線は送るなよ」
顔を上げるとエンの向こうでナンパ集団がまた新たにカップルに声を掛けているようだ。
「なるべく視界の隅で見てろ」
指示に従いなるべく一点に集中しないように彼らの様子を眺める。
声を掛けられたカップルの男性の方、ナンパ集団の発言がその逆鱗に触れたのか胸ぐらを掴んで何か言っていた。声までは聞き取れないが蜘蛛の子を散らすように集団が退散していく。カップルが死角に入ったのか、当たりを見回しながら記憶屋に入っていった。
そして彼らはまた繰り返すのだろう。
「あいつらこの辺でたまに見かけんだよ」
そう言いながらエンは彼らが縄張りにしているのであろう場所を睨んでいた。
彼らはこうして失敗しては記憶を消し、同じことを繰り返しているらしい。
「記憶屋やその技術は便利だ」
豊来は第二層、家族で暮らしている住民が多い場所に店を構えている。だから客は基本的に予約を入れてくるし、飛び入りで来たとしてもそれは記憶を買いに来る客だ。
だが、こういったオフィス街には仕事のミスで落ち込んで記憶を消しに来る者、社内で痴情をもつれさせた者が駆け込み寺のように入店する。そして、自分の過ちを何度も繰り返して時間を浪費していくのだ。
「だから時々ああいう連中が湧く」
アレキサンドライトはそういった客を受け付け、問題が起きないよう工夫して商いを行っている。その戦略が功を奏し店を大きくできた。
「こっちも仕事だし、金になる以上は止めないが」
豊来にもその手の客はやってくる。相手にすれば実入りはいいが、余計な問題事も発生しかねない。だから回数制限などで工夫する店が多い。それでも結局はその場しのぎにしかなっていないのが根の深さを際立たせている。
「光ばっかりじゃ無いってことだ」
リタは膝の上で手を握りしめた。記憶屋の仕事への憧れに恐怖が滲む。
「それでも記憶屋をやりたいなら、親御さんに相談してみな」
そう言うとエンは手を差し出した。
「帰るぞ」
促されベンチから立ち上がる。
視界の隅でナンパ集団が視線を向けていることに気がついた。彼らから逃げるような足取りでエンの背中を追う。
人間は考える葦だ、そう学校の担任教師が言っていたことを思い出す。考えるということは試行錯誤を繰り返し、困難に立ち向かうことだと教わった。それはとても尊く素晴らしいことだと思う。
だが記憶を操作できるということは学習したことの積み重ねを一瞬で消し去れるということだ。光の面にばかり目を向けていたから気が付かなかった。
なんと恐ろしい技術なのだろうか。
記憶を無くした今の自分は同じ間違いを繰り返してはいないだろうか。
リタの顔から血の気が引いていく。ふと顔を上げるとエンの背中が遠のいてしまっていた。
エンも同じタイミングでリタの姿が小さいことに気がついたのか、振り返りざまに足を止める。
「ご、ごめんなさい」
「歩くの早いなら言え」
追いついた矢先に手が差し出された。エンの顔色を伺うとリタが後ろにいなかったことに驚いただけで怒ってはいないようだ。
「はい」
おずおずと手を繋ぐと再び前を向いて歩き始める。今度は少しだけ歩く速度を落として。握る手には力がこもっているが痛みは全くない。
リタの胸に疑問が浮かび上がる。
「エンお兄さんは消してしまいたい記憶とかありますか?」
そう尋ねてエンの表情を覗き込んだ。軽く一瞥されたが、視線はすぐに前を向く。
「ある」
エンの脳裏には幼い弟妹たちと母の顔が蘇っていた。ゼノに褒められる度、街で家族連れとすれ違う度に、今はもう手が届かない家族の思い出が過ぎる。
「けど、それがあるから今の俺がある」
何度も消そうとしたし、実際ボタン一つだけで消せるところまで操作を進めたこともある。その度に考えてしまうのだ。彼らの生きた証を知る自分が、守れなかった自分が、もう一度死なせてしまっていいのか、と。何度も後悔を繰り返して、それでもここまで来た。
「だったら一緒に生きていくしかないんだ」
エンの横顔は痛みを知る、大人の横顔だった。生きていく中で出会った全てを、大事に抱えて生きていく強い瞳だった。
「やっぱり格好良いです、お兄さん」
そんな大人になりたい。憧憬と目標を抱いてリタは目を細めた。
虚を突かれたように瞠目すると、照れくさそうに鼻先を掻く。そしてエンは少年のように笑うのだ。
「褒めても夕飯が外食になるくらいだぞ」
その日の夕飯はエンの行き付けだという大衆食堂だった。家庭的な料理と賑やかな店内で楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
記憶屋を目指すかどうかは一度保留にするとしても、エンの手伝いをする今の日常はリタにとってかけがえのない時間になっていたのだった。
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