第10話 想いの在処
リタの起床時間が安定してきた頃、領事局から一通の封筒が届いた。中身を確認したエンの双眸が剣を帯びる。リタの身元調査と血液検査の結果だ。
「リタ、ちょっといいか」
「はい?」
テーブルの掃除をしていたリタが不思議そうに振り返る。
人が少ない時間だったのが幸いした。手早くクローズの看板をかけ念の為鍵をかける。リタにソファに座るように促し、エンもその向かいに腰を下ろす。
「こないだの調査結果が出てたから確認な」
リタの背筋が伸びた。張り詰めた面持ちでエンの言葉を待つ。
「リタ・アーマメント、現在十八歳」
幸いにも病気などは発見されなかった。栄養失調の兆候が見られるが、採血時から今までの経過を見ていれば心配はいらないだろう。
「母親はシャーリー、父親はティタン」
僅かにリタの瞳が揺らぐ。エンの口から紡がれたその名前は紛れもなく両親の名前なのだ。握る手に力を込めて堪えると、聞き漏らすことがないよう身を乗り出す。
「住所は宙船の第三区画ロガッツ地区」
これはリタが宙船について尋ねた時点で薄々察しが着いていた事だ。地上のこと、宙船のことを知らないのはその中で生きてきたからである可能性が高い。極めつけは彼女の容姿だ。強い紫外線に弱い宙船の住人は色素が薄いのだ。
そうなると別の問題も発生するのだが。
エンはリタの様子を一瞥すると資料の読み上げを続けた。
「八年前に行方不明者として捜索依頼が出ているが当時は発見ならず」
このことからリタは誘拐されてすぐ地上に降りてきたことが明確になった。宙船の範囲は地上よりずっと狭く、閉鎖空間に違いないため逃げ場がないのだ。政府機関の重要人物が携わっていない限り発見できなかったという結果はありえない。
「シャーリー、ティタンは一ヶ月前に地上に渡航、その後連絡が取れず」
リタが鋭く息を詰めた。頼りなげに揺れる空色が痛々しい。
あくまでも淡々とエンは資料を読み上げていく。
「親族も引き取りを拒否」
報告書の大まかな項目はそこで終わっている。
引き続きリタの世話はエンが行うこと、また親族が呼び寄せない限りリタが宙船に帰ることは出来ないことが無慈悲に記さていた。
だが、リタが何よりも衝撃を受けたのは親族の事ではなくその一つ前。
「連絡が取れないって……」
両親がこちらに来ていることにも驚いたが連絡が取れないとはどういうことだろうか。
リタの問に答えるようにエンは封筒の中から一枚写真を撮り出す。
写真に写っている女性はリタによく似た面差しの赤毛。男性の顔は見えないが二人の距離感と亜麻色の髪からおそらく父親だろう。
「間違いは、無いみたいだな」
写真を握るリタの手が震える。写真に写っているのは間違いなく両親だった。記憶のものより僅かにシワが増えて表情も影が差すが、流れた月日を考えれば当然だろう。
「第三層の方に歩いて行った防犯カメラが最後だな」
「そこにパパとママがいるんですかっ?」
リタが弾かれたように顔を上げる。今にも駆け出していきそうな肩を押しとどめて、座るよう言外に告げた。
なおもいい募ろうとしたリタだったが、見た事の無いエンの気迫に息を飲む。
「現在領事局が捜索中だ」
「私も」
「行ってどうすんだ?」
間髪入れずにエンがぴしゃりと言い含める。
領事局が捜索すると言ったのならば大人しくしておくのが得策だろう。不用意に動いて万が一捜索の邪魔になってしまえば現場が混乱し、逆に時間がかかる可能性がある。最悪の場合は死人すら出かねない。
なにより、今のリタは十歳の女の子だ。
「お前が無茶して怪我する方が悲しむだろうよ」
エンには親心というものは分からない。だが、弟妹の面倒を見ていたころは怪我一つ、病一つに気を揉んだものだ。
静かな、けれど強かなエンの訴えにリタは小さく瞠目した。エンの言うことも分かる。けれど、胸が痛い。叫び回りたい、じっとしていられない。
そんなリタの心情を汲んでかエンがすっくと立ち上げる。
「出来ることはやっていくぞ」
「出来ること、ですか?」
「まず、お前の記憶の再確認」
記憶の切除ができるのだからその前段階の閲覧も可能だ。だが、これまではリタの正確な年齢が分からなかった。始点が分かっても終点が分からない状況だったのだ。その中で記憶をスキャンするとエラーを起こしやすい。当然脳への負担へも大きくなる。そのためこれまでは二の足を踏んでいたのだ。
「人間ってのは不思議な生き物でな」
人間には忘却という機能が備わっている。使わない必要のない記憶を消す場合ももちろんあるが、中には思い出したくないから忘れる記憶もある。忘却とはその記憶にたどり着くための道を消してまうことだ。それはだいたい無意識のうちに行われてしまうところが厄介だが。
「じゃあ、何かあって自分で記憶を消したってことですか」
リタの表情が目に見えて曇る。真面目なリタのことだ。そんな大事なはずの記憶を自ら消してしまった、その可能性があることに驚き怯えているのだろう。
不安を振り払うようにエンは首を横に振る。
「可能性の話だ」
瞳を伏せ、リタは自分の空白の期間に思いを馳せる。予感は、あった。
十歳頃の記憶しかないはずなのに刃物が簡単に使えるのだ。素材や用途によって刃の入れ方や力の込め方、絶対に向けてはいけない方向。それらがなんとなく解る。それから学校で習っていないはずの計算も簡単に答えが弾き出せた。なにより、一人で屋台を食べ歩いたときの記憶。
掴み取れなかった靄に手を伸ばした。指先が何かに掠ったような感覚に襲われる。
「っ、あ……!」
途端に濁流が押し寄せてきた。ぱたり、とリタの手のひらに滴が落ちて跳ねる。
正面を見つめたリタの瞳が、唇が、わなわなと震える。噛み合わない歯の根がぶつかり合って空虚な音をたてた。青ざめた顔色も滲んでは滑り落ちる汗も明らかに異常だ。
「リタ?」
エンの声に答える余裕は既に消えていた。悪寒を押さえ込むようにリタは自分を抱き締めて耐える。
頭の中を見たこともない映像がよぎっては消える。同い年ぐらいの子供たちがたくさんいる学校のような風景。血の滲んだ自分の手足と這いつくばっているような景色。怯えてうずくまる子供へ鞭を振るう大人とそれを不思議なほど無感情に眺める自分。
目をそらすなと声がする。
もうやめてと悲鳴が上がる。
こんなの知らないと言えば即座に知っているはずだと叱責された。
痛い、怖い、苦しい、体にこびりついた覚えのない痛みに襲われる。
仕方がなかった、当たり前だと弁明する一方でこんなのおかしいと疑う。
生きるために自分を殺せ、感情を表に出すなと脳を揺さぶられる。
それでも抑えきれなかった感情が色とりどりの硝子になって胸に突き刺さる。
「……タ、リタ!」
エンの声が思考を鋭く裂いた。肩を揺さぶられて、リタはようやく呼吸を思い出す。肩から伝わる体温が心地いい。手を伸ばして全てを委ねてしまいたい衝動を堪えてうつむく。
「ごめんなさい、ごめんな、さ……っ」
気持ちが落ち着くと今度は情けなさで胸がいっぱいになった。視界が滲む。
「……、も、しれないんです」
震える声で紡いだ声音は空中に簡単に溶けた。喉に力を込めて思ったことをなぞる。
「私、自分で無かったことにしようとしたのかも……」
語尾が掠れる。まとまらない思考のなかで懸命に言葉を紡ごうとするリタを妨げたのは他でもないエンだった。
「心当たりがあるんだな?」
「はっきりとは言えないんですけど」
リタの顔色は落ち着いたとはいえ決していいとは言えない。なにより、この状態の人間の記憶をいじるのは危険が残る。これは記憶屋の店主としての警報だ。
「分かった」
唐突に打ち切ったエンを不安そうにリタが見上げる。
「じゃあこの話は保留な」
「え、でも」
思い出さなければいけないことがある。その予感だけでリタはエンに追い縋った。
視線がかち合う。
静かに凪いだ漆黒に言葉が吸い取られてしまうような、そんな錯覚がリタを冷静にさせた。
「記憶をいじる時は被術者が落ち着いている必要がある」
自分は冷静だと言いかけてエンの瞳の中にいる自分と目があった。
「今回みたいな件は特にな」
もちろん鎮静剤を使えば錯乱しようが暴れようが関係なくなる。けれど制約というのは厄介なもので鎮静剤を用いた記憶の参照は領事局の許可が必要なのだ。承認にも事件が絡まない限りは一ヶ月近くかかる。何より、薬で人の、リタの記憶を無理やり抉り出すような真似はしたくないというのがエンの本音だった。
「すみません……」
項垂れたリタの背中は細く、頼りなげだ。振れようと伸ばしかけた手をエンは自分の後頭部に回す。
「こっちこそ、踏み込んじまって悪いな」
「そんなこと!」
エンの言葉に改めてリタが食いついた。
「夜遅くまで調べてくれてるの知ってます」
リタの部屋からトイレまでの通り道にはエンの部屋がある。眠れなくて起きる度に部屋から光が伸びているのを知っている。仕事の合間、休憩時間の合間にエンが真剣な眼差しでリタの記憶を調べているのを見ている。
「私が、ちゃんとしてないせいで……」
リタの瞳が目蓋の裏に隠れていく。そんなリタの額に伸びる手があった。
「あうっ」
額に衝撃を受けてのけぞる。鈍く痛む箇所を押さえエンに何故だと視線で訴えた。そんなリタの視界のど真ん中をエンの人差し指が占領する。
「お前は子供だ。子供は子供らしく大人に甘えてればいいんだよ」
子供じゃないと言いたいが、体がそうなだけでエンから見たら子供で間違っていないのだ。けれども、と反論の言葉を一生懸命探すが適した言葉が見つからない。
リタが悔しそうに唇を尖らせる。
調子を取り戻したことを確認してエンは仕事道具をいじり始めた。
「そういや、お前記憶観賞したことあったっけ?」
そういいながらエンがカウンターから引っ張り出してきたのは営業用の簡易再生機だった。
「いえ……」
埃取りやセットするメレの管理は経験があるが実際に使ったことはない。
首を横に振るリタにエンは得意気に微笑んで見せた。
「じゃあそこ座れ」
ソファに改めて腰を落ちつけたリタの手にゴーグルが乗る。ゴーグルと言ってもヘッドフォンと融合したような見た目のものだ。安全装置である手袋をはめ、手首からわずかに下の位置にある留め具を止める。
「ゆっくり息を吸って、吐いて」
ヘッドフォンからエンの穏やかな声音が聞こえてくる。その指示に合わせて息を吸って、吐く。ゆっくりと目を開けた瞬間、視界に広がったのは空すら埋め尽くすほどの淡い桃色だった。
その花にリタは覚えがあった。両親につれていってもらった場所だ。よくよく見ればおそらく同じ場所であろう痕跡がいくつかあった。リタの記憶より鮮やかな色合いの看板に真新しいベンチ。
だが、桃色の花弁が枚散る様は変わらない。
『綺麗!』
それは記憶の持ち主の声ではなかった。持ち主が視線を腰ほどのところに滑らせると五、六歳ごろの少女が飛び出す。そのまま遊歩道に駆け出し両手を広げたかと思えばスカートを広げてくるくると踊りだした。
かわいい、とリタ自身も眦を和ませる。
少女に続くように持ち主の傍らに誰かが並んだ。
『凄いな、こりゃ』
持ち主の夫か父親か。見た目からは判別がつかないが持ち主が一瞥で済ませたことから近しい間柄の男性なのだろう。
二人が並んでいることに気付いた少女が駆け寄って持ち主に抱きつく。僅かに身を屈め少女の頭を撫でた。
『桜っていう花なんですって』
そうだ、思い出した。昔存在したとある国を象徴する花だ。その国にしか咲かない種類だったが、世界中が見惚れるほど美しい花だったと聞く。あるものは自国にその花を持ち帰り、あるものはその国に足繁く通いその花が咲きこぼれるさまを愛でた。
いいことを聞いたとばかりに少女は顔を輝かせ樹の一本に駆け寄る。
『ささらー!』
絶妙に言えていないのがなんとも可愛らしい。持ち主と傍らの男性が笑い声をこぼす。
『本当にいい天気』
持ち主が空を見上げた。青い空と白い雲、穏やかな風が花弁を巻き上げては宙を舞う。可憐な花なのに散りゆく様には迷いがなく、ただあるがままの美しさを示している。
『おかーさん! おひめさまのやつ作って!』
『はいはい』
白いクローバーの花が咲いている箇所を見つけた少女が記憶の持ち主を呼び寄せる。おひめさまのやつ、とは花かんむりの事だった。持ち主が作るさまを見て父親と思しき男性も見よう見まねで同じものを作る。持ち主が作るものの方が綺麗だが、少女を想って作られた花かんむりが二つ。そのどちらも大事そうに抱えて家族は花見を楽しんでいた。そろそろ帰ろうかと三人並んで帰路に着く。そこで視界から色彩が失われ闇に戻った。
どこにでもありふれているからこそ眩しい家族の光景だった。
「今のは……」
ゴーグルを外したリタが呆然と呟く。
今となっては宙船にしか咲かない花だと聞く。この家族は、否、母親は何故この記憶を売りに出したのだろうか。
「お前は実物見たことあるか?」
「連れて行ってもらいました」
桜の花が咲いている区画は宙船でも有数の景勝地だ。年四回ほどある季節変動機の中でも人気の季節にしか開演しない地なだけあって人気は高い。人が多すぎるためリタは一度しか行ったことは無いが、自分の肉眼で見た分鮮やかさも一入であった。
「凄いんですよ! 風が吹いた時なんかさらわれちゃいそうで!」
記憶の中の少女のようにリタも桜並木に向かって駆け出したくらいだ。強い風に巻かれて視界が桜でいっぱいになった思い出がある。両親と離れすぎたせいでこのまま攫われてしまうのではないかと不安で泣き出しそうだったところでちゃんと見つけてくれた。
ふと、最近その時の安堵と似た気持ちになったことを思い出す。あれはエンが手を差し伸べてくれた時だ。見上げると優しい目で見つめられていることに気がついた。
「どうしてこれを見せてくれたんですか」
気まずくなって逸らした視線を緩やかに滑らせてエンの言葉を待つ。
「俺の好きな記憶なんだ」
他にも何かあるのかエンは機器を弄りながら微笑んだ。その瞳は懐かしむような慈しむような、それでいて少しだけ寂しそうな色が滲んでいた。
「ずーっと売れ残ってるんだけどな」
幸せな記憶は売れ残りやすい、とエンが付け加える。記憶屋に求められるのは普段の生活では得られることの出来ない刺激だ。ありふれた日常ほどつまらないものはないらしい。
「お兄さんは買わないんですか?」
購入すれば機器を使わずとも自分の頭の中で好きに再生することが出来る。リタの問にエンは顎を掴んで考え込んでしまった。
「考えたこともなかったな」
少しだけ、エンの言葉の意味を理解してしまった。怖いのだ。穏やかな記憶をいつか自分が体験したものだと、自分の記憶だと勘違いしてしまいそうになる。あんまりにも穏やかで暖かいからこそ、他人の記憶であるからこそ、美しいと思えるのだから。
「綺麗な景色でした」
ほんとうにきれいな
何度も思い出して支えにしたいと思えるほどに。
「お前の過去に何があったとしても、最後まで付き合ってやるから安心しろ」
リタはエンが自分を元気づけようとしていたことに気がついた。冷えきっていたはずのリタの手は、いつの間にか体温を取り戻している。さっきまで胸中に渦巻いていた不安をあっという間に溶かしてみせたのだ。ありがとう、その言葉をリタが口にしようとした時だった。
「他にも廃墟探索マニアの奴とか、夜間警備員の記憶とかあるぞ」
なんだその明らかに、夜にトイレにいけなくて布団の中で耐久レースが始まってしまいそうなタイトルは。
エンの表情がいたずらっ子のようにキラキラしているものだから余計にタチが悪い。
「英国女王の王配の秘書官のいとこの孫の嫁の記憶とか」
「それほぼ他人じゃないですか……」
関係性を反芻してようやくそう気付くぐらいだからなおずる賢い。聞けばそう言ったタイトルで誤魔化しにかかる記憶もあるらしい。
明らかに、夜中に二重の悲鳴が響きそうなオカルト物も大きな主題で誤魔化しにかかる記憶も人気が高いのだ。どちらも視聴後の感想欄が高評価と低評価の両極端で埋め尽くされているという情報も妙に生々しい。
「有名な宝石商の記憶や大図書館の司書の記憶もあるぞ」
こちらは女性人気が高い記憶なのだそうだ。例に漏れずリタの好奇心がぐらつく。
見たい、と顔に書いてあるようなリタの表情にエンは笑いをこらえることが出来なかった。機器をリタの方向に向けリストを見せる。
「試聴分は好きに見たらいい」
宝石商の記憶や司書の記憶の他にも写真家や動物園の飼育員の記憶など興味をそそられる内容ばかりだった。リストを最初から最後まで眺めたリタがふと顔を上げる。
「エンお兄さんのおすすめが知りたいです」
「えぇ、俺のかぁ」
口では嫌そうだが動作は機敏なあたりが本業らしさを際立たせる。エンはリタの向かいから隣に移動した。悩みながらもリストの中からオススメを選出していく。
そのチョイスに胸を踊らせながら、僅かに隣に寄ったのは内緒だ。
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