第11話 カクシゴト
いつものように朝食を摂り、店の掃除をしてメレの確認を済ませて開店の準備を整える。それがリタの新しい日常になっていた。
今日は休憩時間に何を食べに行こうか、そう思案していた時だった。
「掃除終わったらあとは好きに過ごしててくれ」
突然の言葉にリタはしばらく言葉を失った。反芻して咀嚼して暇を出されたことに気がつく。豊来の休みは週に二日あるが今日はその曜日では無い。
「店は……」
「臨時休業にする。予約もないしな」
そう言いながらエンは出かける準備を整えていた。留守番を任されたのだとリタは一拍置いて思い至る。
「エンお兄さんはどこか行くんですか?」
その問にエンの動きが止まった。何か言いたげにリタのことを見つめて、やがてそれを覆い隠すように笑ってみせる。
「野暮用、夕方には帰る」
その笑顔がはぐらかす時の笑顔だとリタも分かるようになってきていた。だが、それは必要なことだからであると信じている。信じているからこそ、リタも表情筋を総動員して笑顔を作る。
「分かりました」
何か掴まるものが欲しくて、リタはモップを握る手に力を込めた。
「行ってらっしゃい」
「おう、行ってきます」
リタの見送りに手を振って応える。
豊来が遠ざかる頃にはエンの表情から笑顔が消えていた。向かっているのはサヴォルである。テオに頼んでいた情報が報告できる程度には溜まったから来て欲しいと電報が飛んできたのだ。リタを置いてきたのは他でもない。彼女の柔らかい心を必要以上に傷つけたくなかった。
記憶を手繰る度にあんなに怯えるくらいならいっそ。
そこまで考えて思考を中断させた。喉の奥で自嘲の笑い声を押し殺す。それは自分が判断していいことでは無い。リタがそれでも思い出したい、帰りたいと望むなら支援するのが仕事なのだから。
思考の海に潜りすぎたのか一度目的地を通り過ぎてしまった。テオに見つからなかったのは不幸中の幸いだ。
人払いしたのか、店内には閑古鳥が鎮座しているかのような静けさがあった。
「なんか分かったのか?」
エンの前に分厚い封筒が差し出された。書類がそのまま入る大きさの封筒で、握るとちょっとした写真集ほどの重さが手首を襲う。中身を確認しようと取り出すとテオが口を開いた。
「渡航歴からそれっぽい子を探したんだけど該当無し」
領事局から報告書が送られてきた時点でリタのファーストネームと両親の名前等、情報収集に必要そうなことは伝えていた。だが、名簿の中にリタの名前は見つけられなかったらしい。
「まぁあの子がリタとして渡航してない可能性と」
エンの柳眉が微かに跳ねた。
「人間として運ばれてないなら分かんないけど」
リタは攫われた、と口にしていたことを思い出す。口を塞がれて逃げようともがいた所で腹に衝撃を受けて意識を手放したのだと。
地上であれば誘拐犯が保護者を装って子供を運ぼうとするのはよくある手段だ。子供をダンボール箱やトランク、果ては麻袋に入れてさも貨物のように運ぶのもよく聞く話だ。だが、リタはもともと宙船の住人である。どうにも違和感が拭いきれない。
「目撃情報の話は」
報告書をぱらぱらとめくっていると写真が印刷されている紙が目に止まった。ちょうどいいとばかりにテオが一枚の写真を指差す。三層も最奥近く。エイジェンの港内ではあるが、ほぼその影響が及ばない区画。壊れる間際の防犯カメラが遺言とばかりに撮影した写真らしい。
「これが五年前」
出がけに見たリタの姿よりずっと幼いが、瞳が全く違った。空色は変わらないはずなのに暗い。表情は抜け落ちてしまったかのように空虚で、どこかへ一心不乱に歩いているようだった。
写真は一枚だけでは無いらしい。めくる度に成長しており、その度に今のリタから遠く離れていく。
「今日から数えておよそ一か月前」
そう言われて指した写真はエンも見覚えがある姿だった。身に纏っていたボロボロのドレスの色は鮮やかな赤。何かに怯えて蹲っている姿。この時点で既に靴を脱いでいたのか素足だ。
「多分、本人だな」
似たような人物では、と疑いたくなるものも混ざっているが写真はほとんど本人と思っていいだろう。
「それから」
テオの眉根が一段と寄る。自然、エンも身を乗り出し次の句を待つ。
「一週間前、煌街の外れで車が一台見つかった」
煌街とは、三層の一角に存在するいわゆる風俗街の事だ。きな臭い場所だがその特性から半ば黙認されている。
黒塗りの車がずっと停車している、ノックしても応答がないと近くのホームレスが交番に訴えに来たらしい。応援を呼び、その車を開けると中にはいかにもチンピラといった風体の男たちの死体が四体。既に腐乱を始めた状態で座っていた。その状態から死後一ヶ月程度は経過しているとの判断が下った。身元の調査にも一応乗り出したものの場所はほとんどスラムと化した地域だ。得られた情報は身元不明の不良グループということだけ。
「車内には長い亜麻色の髪が数本と、その近くで撮られた写真がこれだ」
その写真には一段と暗い目をしたリタが車があると思われる方向を睥睨していた。手首や足には手型のアザがくっきりと浮かんでおり、ドレスの裾も無惨に破れている。よくよく見れば赤いドレスの所々に違う色の赤が滲んでいた。店に訪れた日に確認した時は本人の血だと思っていたが、まさか。
「普通の女の子の手際じゃないね」
遺体は首や心臓など急所を一撃で捉えていた。周辺に残っていたのは持ち手の無い、折れたアーミーナイフの刃が一つ。遺体の中に鞘のみ携帯している男がいたことから恐らく奪い取られたのだろう。付着していた血から凶器であることは明確だが、持ち手がないから犯行に及んだのが一体誰なのか分からない。
毛髪のDNAの検査結果は、まだ出ていないらしい。
リタが豊来に駆け込んできた時期、車内で襲われたとの証言。繋いだ線は彼らの命を奪ったのはリタであると容赦なく語っている。
けれど、不審な点はいくつもある。
「仲間割れなんてやらかす連中がそんなことできるか?」
宙船の比較的治安のいい場所からリタだけをさらって渡航し、最低でも五年の間、匿っていたことになる。彼らが
「無理だね」
二人揃ってばっさりと切り捨てる。だが、テオの方には何か心当たりがあるらしく難しい面持ちのままだ。
「
口の中で反芻してエンは瞳を瞬かせる。存在自体は昔からあったが、風の噂によく聞くようになったのはここ十年のことだ。
「麻薬とか人身売買とかで警察から逃げ回ってる?」
つまりは裏社会に深く深く根を張る反社会的暴力的犯罪集団の一つだ。頭領が代替わりして以降、他組織を貪欲に喰らい続け今となっては一大組織となっている。
「ヤツらが一枚噛んでる可能性がある」
彼らほどの組織力があればなるほど、少女ひとりさらって手篭めにすることなど造作もないだろう。
「人身売買は十八番だもんなぁ」
椅子に背中を預け、盛大に仰け反る。天井のシミを眺めていると疑問が浮かんだ。反社会組織に攫われ、数年ほど身柄を確保し、つい最近売りに出した。それならとっくの昔にリタの身柄を寄越せと下っ端が押しかけてきていいはずだ。なにより商品にしようとしていたのなら深層意識的に男性へ恐怖心を抱いていいはずだが、リタに拒絶された記憶がエンにはない。
極めつけは、だ。
「なんで今なんだ?」
リタを誘拐したのが十歳だとして、現在彼女は十八歳。記憶が無くなるほど衝撃的な出来事が最近あったとしてもその間の足取りが不明瞭過ぎる。リタの記憶が消されたにしても何故八年間分の記憶だけ消して放逐したのだろうか。
「チャイルドボムって分かるか」
「分かりたくねぇ」
別の言葉に直すと子供爆弾。あまりにも笑えない名前だが、苦虫を噛み潰したような顔でテオは言葉を重ねる。
曰く、様々な場所から子供をさらってきては教育を施しているらしい。
「しつけ中に死んだ子供は臓器売買へ」
あるいは言葉巧みに誘導し、爆弾を持たせ標的の元へ走らせる。標的の護衛に止められたなら護衛ごと、懐に入れるような慈悲深い人物なら爆心地に。火炎を纏わされた小さな体は証拠の一切ごと旅立つ。
「生き残った子供で適性があれば幹部に取り立てる」
現在の頭領がそばに置いている側近の多くはそうやって叩きあげられた元子供たちであるらしい。
「適性試験に落ちた子供は奴隷以下の扱いを受けるそうだ」
男であれば肉体労働、女であれば煌街で春を売る。邪魔になるようであれば記憶を奪って支配する。自分からか、奪われたかは分からないがリタも被害者であることは確かなのだろう。
「なぁ、あの子は本当にロストチャイルドなのか?」
テオの疑問ももっともだ。記憶を奪われていたのなら、年端も行かない少女が隙をついたとはいえ男四人を瞬殺できるものだろうか。もしくは咄嗟に体が動いてしまうほど人を殺す手段が身に付いてしまっているのか。あるいは記憶が無いのは全て彼女の演技で何らかの目的でエンやその周辺の人物に近付こうとしているのか。
「わからないんだ」
全てが疑おうと思えば怪しく見えてくる。信じたいという思いすら、彼女の術中に嵌っていることになるのだろうか。
「確認はしてないのか?」
その疑問にエンは深々と長いため息をついた。
「本人の混乱が激しすぎてなんとも」
得体の知れないものに怯える姿を思い起こす。あれが演技なのだとしたらリタは相当の女優だ。そのくせ、殺そうと思えばいくらでも機会はあったはずなのに自分はこうして五体満足でいる。情報を聞き出したいのだとしたら相当下手だ。
「八年の間にリタに何が起きたかはこの際置いておく」
テーブルに着いた頬杖にしなだれかかる。考えてもしょうがないことは考えないことにした。聞きたいことがあればリタ本人に正直に聞くことにしよう。
「目下の問題はあいつが家に帰れるかどうかだ」
気を取り直して報告書を眺める。項目にリタの両親についての項目があったことを見逃してはいない。
「両親のことは分かったのか?」
雑なのか男気があるのか分からないエンの態度にテオは肩を竦めて見せた。
エンがそう決めたのなら一介の情報屋である自分は観測に努めよう。そんなところだろうか。
「永住希望で一ヶ月前に降りてきてる」
またか、とエンの顔が酸っぱいものを食べた時の顔になる。
「全てを捨てて探しに降りてきたのかぁ?」
「どうだかね」
テオも違和感に気づいたのかなんとも言えない笑みで笑い飛ばす。
リタを探しに来たのであれば、なぜもっと早く降りてこなかったのだろうか。二度と宙船に戻りません、という宣告でもあるのが永住希望だ。リタが下で生きているという確かな証拠でも掴んだのだろうか。何故なぜづくしだ。
「まぁゴカテイノジジョウってやつだからなぁ」
リタの両親の動向に対して思うところはあるが、ここで呻いていても仕方がない。領事局が呼びかけているのだから早く迎えに来て欲しいものだ。最悪の状況が頭を過ぎるが外れていることを切に願う。
「二人暮しはどうだい?」
テオの表情が僅かに和んだ。心配が半分、もう半分は面白がっている。
見た目と中身のギャップに驚くことはあるが、基本的に真面目で一生懸命でよく泣きよく笑う少女だ。共に生活していて、打てば響く相手がいるというのは生活に刺激が得られる。素直に答えるのは非常に癪だが。
「結構、楽しい」
「良かったじゃないか。充実してるならいい事だ」
他人事として楽しまれている。苦言を呈したかったが何を言ってもかわされることはわかっているので押しとどめた。代わりにため息を零す。
「引き続き頼む」
「はいよ」
そしてしっかり情報量を請求するあたり抜け目がない。こういった所はさすがと賞賛するべきか。
資料を小脇に抱え帰路に着く。人気の少ない路地を選びながら歩いていると複数の視線に気がついた。地元の住人しか分からないような小道を抜けて相手との距離を詰めていく。途中から向こうも誘い込まれていることに気がついたのか身を隠すのを諦めたようだ。
行き止まりにたどり着いたエンは笑みを浮かべながら振り向く。
「あぁ、悪い」
視界に写った男は三人。だが気配がもう一つある。慎重派なのか姿を見せる気は無いようだ。
「尾行のつもりだったのか?」
エンの言葉に男たちがにわかに殺気立つ。背中にかいた冷や汗をハッタリで誤魔化して目を細めた。
「あんまりにも熱い視線だったから」
見せつけるようにテオから預かった資料を地面に放り投げる。男たちの瞳に動揺の色はなかった。
「ついこんなとこまできちまったじゃねぇか」
意地と根性で平静を保つ。彼らの狙いはリタの資料ではなくエン自身なのだ。何より、一番警戒していた気配が動いた。
「アニキ!」
男たちが小判鮫に見えてしまうような大柄の男だった。オールバックの髪は黒く濡れたように光を反射している。サングラスから僅かに覗く瞳は悪魔のような輝きを放つ紫。
名乗るつもりすら無いのか男はエンの前まで来ると笑みを浮かべた。何もしないと言わんばかりに胡散臭く両手を広げる。
「試すような真似をして悪かった」
奥歯を噛み締めたエンが足に力を込めた。虎賂会の構成員と思しき写真に映っていた男なのだ。見計らったようなタイミングだ。
「俺たちはボスからお前の足止めを命令されたんだ」
背筋が凍る音がした。
彼らの狙いは店で帰りを待つリタだ。押しのけて今すぐにも帰りたいところだがその余裕すら与えてくれないのだろう。流石のエンも拳銃や警棒を揃えた男たちを素手で突破する強さは無い。
「アイツはお前らのボスの愛人か何かかよ」
口を突いて出た言葉はシンプルな嫌味だった。
だが
「嫁候補らしい」
「その割に随分粗末に扱ってんじゃねぇか」
リタが豊来に飛び込んできた時も彼らは黙って見ていたのだろうか。そもそも嫁候補と言うなら何故記憶のない彼女を放逐したのか。
赤くなる視界の中で唇を三日月に歪める。
「女は男に黙って従えって? 随分古臭い頭してんだな」
怒りを顕にするエンの言葉を男は余裕のある微笑で受け止めた。
「お前の方こそ」
サングラスの下の瞳が細められる。
「焦りが顔に出てるぞ」
殴りかかろうとする拳をエンはすんでのところで耐えた。死ぬ気でかかれば無力化くらいは出来るだろう。だが、その背にはこちらの様子を伺う部下がいるのだ。
くっ、と喉の奥で笑うような声がした。
「ボスが要らないなら俺が引き取りたいくらいだ」
そう皮肉混じりに言うと剣呑な空気を纏うエンの前で悠然と煙草をくゆらせる。片眉を釣り上げて煙を吐き出した。
「ひとつ屋根の下とは羨ましい」
反射的にエンは男の胸ぐらを掴んだ。そのまま拳を振り上げられたならどれほど良かっただろうか。だが、男は笑うのだ。そんな度胸なんてないだろうと。あからさまな挑発だ。
「で、どうする?」
しばらく睨み合うが紫色の瞳は相変わらず静かに凪いでいた。舌打ちとともに突き飛ばすような勢いをつけて手を離す。
拳銃を構える音が揃うが男は片手で下ろすよう制した。
「口封じじゃなくて足止めなんて生ぬるいとこなんだな」
「殺すなって言われてるからな」
どこまで知っている、そう言いかけた問いが飛び出す前に噛み砕く。
だが、その問すら想定の範囲内なのか鼻で笑って見せた。
「二人とも来てくれるなら歓迎するぞ」
「誰が行くか」
刹那、男は胸ポケットから通信機を取り出した。耳を傾け、エンには聞こえない声で二言三言交わして再び仕舞う。
「二人揃って頑なだな」
そう言って肩を竦めると踵を返した。
「お前ら引き上げるぞ」
本当に足止めだけだと思っていなかったのか部下が食い下がるように男へ視線を向ける。
「ですが……!」
「ボスの判断だ」
地を這うような低い声だった。これ以上食い下がるとなると彼らの禁忌にでも触れるのかそれ以上声を上げようとはしない。
「いつでも待ってるぞ、継承者サン」
肩越しに不敵に微笑んで男は部下たちと共に帰って行った。
忌々しげに舌打ちすると彼らが去っていった方向とは別の道を駆ける。彼らは「二人揃って」と言ったのだ。豊来がもぬけの殻ということはないのだろう。だが、リタが無事である保証は無い。
握り締めた拳は力を込めすぎたのか血が滲んでいた。汗が滲んで痛み出す。その痛みを堪えながらエンは帰路を駆け抜けた。
曇天の向こうで燻る雷鳴の音が不安を駆り立てるようだった。
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