どうしようもなく無知なのは
第7話 片鱗
記憶屋の商売とは記憶のコピー・抜き取りからなる買取業務と、体験・挿入からなる販売業務である。
コピーは被術者の体験を視覚・聴覚のみをメレと呼ばれる専用媒体に保存する形態だ。被術者にも記録は残るが、販売するにしても聴覚と視覚のみしか共有できないから金額も安い。ローリスクローリターンな買取である。
抜き取りとはコピーと異なり、視覚・聴覚以外に嗅覚・触覚・感情までもメレに保存する形態。読んで字のごとく、被術者から該当する記憶は無くなる。事実上の削除である。こちらは情報量が多く臨場感も味わえる為、買取価格は跳ね上がる。人気なものはそこに付加価値も加わり、一生遊んで暮らせる額を手にした者もいるほどだ。
販売業務はそうして入荷した記憶を他者に移植するのだ。
体験はあくまでも映画のように専用機器にメレをセットして楽しむ方法だ。物足りないと嘆く者もいるが値段は手頃でいちばん広く楽しまれている。
挿入はその記憶を購入者の頭に直接入れる行為である。あたかも自分が体験したかのような感覚に陥るため没入感が凄まじい。こちらは体験に比べて高額かつ様々な制約が存在する。現実と記憶の境界線が曖昧になり、犯罪に手を染めやすくなるのだ。
記憶のコピーや体験は機材さえ手に入れば無許可の無免許でも店が開ける。だが、被術者にとって負担が大きい抜き取りと挿入を行うには領事局が制定した試験に合格する必要がある。また、販売できる記憶に関しても細かい規約や免許が存在する。
ちなみに豊来の先代店主、じいちゃんことゼノ氏が持つ免許は一番階級の低い第三級記憶免許のみ。対してエンは第一級記憶免許と危険枠取り扱い許可証も持っている。
もちろん領事局が出す規約に乗っ取って経営しているため優良店の認定はあるが、領事局の協力店として厚遇されているのはエンの努力の賜物と言えるだろう。本人はやる気がないだけなのだが、「野心がないから安心して依頼できる」と逆に御用達扱いされているのは皮肉な話である。
そのため自然と機密性も重要性も跳ね上がる。慎重に扱わなければならないのにどんどん溜まっていくせいで処理が追いつかなくる悪循環である。
そんな中、飛び込んできたロストチャイルドの少女は物分りがよく素直で努力家。そんな働き手が馬車馬のようにこき使われるのは当然のことだった。
「黄色の棚イのファイル」
「はい!」
「テスター台の掃除」
「はいっ」
「ゴーグル充電」
「はい」
「店内掃除」
「はいぃ」
「このファイル元のところに片付けてくれ」
空のメレや消毒綿などの消耗品の在庫管理、機材や店内の掃除や来客の簡単な対応、その他のエンの細かい指示に応えることがリタの主な仕事だった。エンの丁寧な指導もあり、一つ一つは決して難しくないが立て続けに仕事が積み重なると大変だった。
「キミ可愛いじゃん、休憩いつ?」
「え、えっと……」
それ以上に慣れないのが常連客の他愛ない受け答えだった。記憶の試聴とメレのレンタルに訪れたこの男はエンの昔馴染みだという。失礼があってはいけないと返答に迷ってまごついているとエンが顔を向けた。
「従業員口説かないでくださーい」
「店長サン怖ぁい」
「うっせ、ホラーハウス特集見せんぞ」
そればかりは勘弁してくれと小さく呻くと料金を支払って男は店を後にした。さまざまな記憶をレンタルしていくがホラーと呼ばれるジャンルには全く触れないらしい。
「ありがとうございました」
太陽が中点から僅かに傾いた頃、客足が途切れた。午後からの来客は予約がほとんどらしい。
「仕事はともかく対応慣れねぇな」
「すみません……」
項垂れるリタに手を振って笑みを深める。細々とした裏方仕事を手伝ってくれるだけでも有難いのだ。見た目はともかく、ようやく二桁になったような年頃の少女にそれ以上を望むのは贅沢だろう。
「充分やってくれてるよ」
だが、とエンの眼差しが真剣なものに変わった。
「客と二人っきりにはならないようにしろよ」
先程の客はあくまでも日常会話の一つとして女性を口説くタイプだった。本人が本気でない以上、店員側も軽く躱すくらいでちょうどいいのだ。なによりエンの旧知であるから何かあった時も対処しやすい。厄介なのは人畜無害そうに見えたり見るからに怪しい客である。
覚えのあるリタは真剣に頷き返した。
その表情で危機管理の大切さは伝わったらしい。エンは安心したように嘆息すると頬を綻ばせる。
「だがまぁ助かってるよ、ってことで」
そう言いながらカウンターの引き出しから巾着を差し出した。リタは反射的に両手で受け取る。しっかりと重みを感じるそれは色々と詰め込まれているようだった。
「たまには息抜きしてこい」
中には通話のみの通信機器に首から下げる笛、それからマグネットで留める小さなポーチの中にはお金が入っていた。
「小遣いな。日が暮れる前には帰ってこいよ」
決して大金では無いがこの辺りの十歳くらいの子供に渡す小遣いにしては十分な量だ。
「人がいない道は通らない」
人通りの無い道は何かあった時に気づかれにくく犯罪に巻き込まれる可能性がある。リタの容姿はしっかりと美人な部類に入るのだ。本人の健脚ぶりは移動距離からも分かるが、万が一を考えると警戒するに越したことはない。
「店に入る時はなんの店か確認して極力一人で入らないようにしろ」
外見と実際売っているものが異なる店もある。菓子屋と思って入ったら家具屋だった、程度なら可愛いものだが雑貨屋と思って入ったら危ない薬を無理やり買わされた被害もあるのだ。客が一人であれば質の悪い店員の格好の餌食になる。
「食いもん買うなら出来れば屋台のを買うように」
屋台の飲食物は客の前で調理することがほとんどだ。不自然な真似をされればすぐ気づくことが出来る。また屋台を出す店は客の評判に大きな影響を受けるのだ。売上を上げるために客に不誠実な真似は出来ないから安心して購入出来る。
「なんかあったら叫ぶか鳴らせ」
叫ぶ時は助けを求める言葉ではなく「火事だ」と叫ぶように指導するのも忘れない。ちなみに笛は中に液体が入っているものだ。笛としての使用もできるし、そこまでの余裕がなかったとしてもペンダントトップの金具にもなっている栓を抜いて投げれば不審者にマーキングができる。子供に持たせるアイテムの鉄板だ。
「約束な?」
「はい!」
エンが出した約束事は十九歳の少女にしてはだいぶ過保護なのだが、中身が十歳なことを考えれば妥当なものだった。従業員が纏うエプロンを畳んで部屋に置いてくると肩掛けの鞄に巾着ごと入れる。
「行ってきます」
「気をつけてな」
エンに見送られてリタは街へと繰り出した。賑やかな商店街へ続く道を歩く。
「わ、あ」
ここまで人でごった返す光景は見たことがない。意を決して前に進む。
「串焼き、焼き立てだよー」
「肉汁染みた巻き焼きはいかがー」
「山査子、林檎に、いちご飴〜」
肉を味付けして火で炙ったもの、もち米と白米を混ぜて串に巻き付け、更に肉で巻いて焼いたもの、一口サイズに整えた果物を色とりどりの飴でコーティングしたもの。それ以外にも出来たての惣菜や菓子の店が軒を連ねて威勢のいい呼び込みを投げかけている。
人の波をかき分けながらリタは辺りを見渡した。空腹だが欲しいものを端から買う訳には行かない。お金にも胃袋にも限界はあるのだ。端から端まで歩いて決めたのはピロシキというものを売っている店だった。一つ一つが安価で色々な種類があり食べ歩きに向いていそうだ。
「一つください」
「まいどー」
悩んだ末に野菜がぎっしり詰まったものに決めた。手の中で湯気を立てるピロシキにかぶりつく。思ったより皮が薄く、野菜のスープが紙の中に溢れてしまった。細切りの人参に独特な辛みのあるザワハという葉物野菜、細かく砕かれた肉。それぞれの旨みがいがみ合うことなくふかふかした皮にくるまっている。一つ問題があるとするなら、出来たてを頬張ると口の中を火傷しそうになる点だろうか。焼きたてゆえの味わいとアクシデントにだらしなく緩んだ頬を自覚しながら頬張る。
「おいしい」
自然と綻ぶ頬には皮の欠片がくっついていた。ひとつが小さいためあっという間に食べてしまう。もちろん口の端の欠片もきちんと食べた。
「ずっと、食べてみたかった………?」
満腹感に目を細めなら口を突いて出た言葉。それは言葉尻に疑問を残して消えていった。初めて見て食べたもののはずだ。だが、不思議と満たされている胸は何故だろう。しばし逡巡するが納得のゆく答えは出なかった。
腹ごなしにとリタは商店街の散歩を続けることにした。フルーツジュースを片手に商店街をぶらついていると、リタの横を幼い笑い声が過ぎった。同い年くらいの子供たちと商店街を駆け抜けている。この辺りの子供だろう。賑やかな喧騒の大通りでも微かに聞こえてくる笑い声は楽しそうだ。
「いいなぁ」
ぽつりとこぼれた言葉を落とすまいと慌てて口を塞ぐが遅かったようだ。思い出しかけた何かを追いかけても煙のように掻き消えてしまう。泣きたくなるような灰色の思い出が目の前の鮮やかさに塗りつぶされた。
「とんがらしー、ぴりりと辛いとんがらしー」
「恋人へのプレゼントにいかがですかー」
「新作メモリー入りましたーお試しお買い上げ早いもん勝ちですよー」
途端、景色を見て涙がこぼれそうになった。じんわりと滲んでくるのは決して悪い感情では無い。でも、その気持ちがどこから来たものか分からない。
道の端っこで立ちすくむリタにすみれ色の人影が近づく。
「リタちゃんじゃない」
「ルーシィさん」
ルーシィはリタの元に駆け寄ると笑顔を咲かせる。
「やっぱりその服似合うわね」
今日来ている服もルーシィが悩みに悩んで選んだ服装だ。一通り着まわしてみたがこの格好が一番動きやすく気に入っている。鏡の前で確認した時、気持ちが弾んだことを思い出す。
「あの、これ可愛くて着心地良くて好きです」
目の前でくるりと身を翻すリタをルーシィは眩しそうに見つめる。
「可愛い子に来てもらえて嬉しいわ」
最初に比べてリタの表情はだいぶ自然なものになっていた。若干の疲労は見られるが血色も良く、痩けていた頬は少しづつ年相応の柔らかさを取り戻している。
「こっちでの生活には慣れた?」
「大変だけど、楽しい、と思います」
両親に関する情報の集まりが芳しくないのは気がかりだが、土産話が増えていると思えば決して悪いことばかりでは無い。
「ルーシィさんも休憩ですか?」
「私は今日はお休みなの」
言われてみれば、エルダーでのルーシィはメリハリのある大人っぽい服を着ていたが今は華やかなスカートを着こなしている。
「よかったらこの辺案内させてくれない?」
エンはどうせ必要最低限の場所しか案内していないだろうとのルーシィの指摘は的を射ていた。
魅力的な誘いにリタの心が揺らぐ。
「日が暮れる頃には帰ってこいって言われてて」
「じゃあそれまで」
エンは一人で行動するのは控えろと言っていた。ルーシィは信用出来る人物だから反対されることは無いだろう。
「行ってみたい、です」
声音は硬かったが、瞳は好奇心に満ちていた。
「決まりね」
通話機器でエンに仔細を説明すると二つ返事で許可が降りる。
羽目を外しすぎるなとエンからの伝言を伝えるとルーシィが頬を膨らませてしまった。その後の意味深な笑みの理由は聞いたらいけないと直感的に思ったリタだった。
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