第6話 スイートブレイクタイム

 結局、エルダーで買ったものはエンが持っておりリタは手ぶらそのものであった。

 何か話題をと言葉を探すが結局ろくに口も開けないまま目的地にたどり着いてしまった。看板にはカフェ&バー・サヴァルとある、落ち着いた雰囲気の店だ。両手が塞がっているエンのためにドアを開けようと半歩前に出る。

「いらっしゃいませー」

 自動ドアなのであまり意味がなかったようだが。

 ウェイトレスの女性に軽く会釈するとエンは真っ直ぐにカウンターに向かった。

「よぉ」

 来客に気がついたのかカウンターでカップを磨いていた男が顔を上げる。

「いらっしゃい」

 褐色の肌に鮮やかな瑠璃の瞳が際立つ、ダンディという言葉が似合いそうな男だった。カウンターにいることとエンの態度から彼がテオなのだろう。

 テオはリタの姿を認めると片目をすがめた。

「お前がガールフレンド連れてくるなんて珍しいな」

「仕事だよ、しーごーとー」

 恒例になりつつある言葉をきちんと訂正するあたりエンも真面目である。

 カウンター席ひとつを使って荷物を置くとその隣に腰掛けた。

「こんにちは、お嬢ちゃん」

 仕事、という言葉から何となく事態を察したのだろう。テオの声音は穏やかなものだった。

「こ、こんにちは」

 店の雰囲気に気圧されたのか、そろそろとエンの隣の席に腰掛ける。物珍しそうに店内を見回すその姿は確かに幼い。

 懐かしいものを見たかのようにテオは頬を緩ませる。

「お嬢ちゃんジュースは好きかい?甘いお菓子は?」

 ジュースに反応したのか、はたまた甘いお菓子か。リタの瞳がおもむろに輝いた。

 テオは一度奥に下がるとカトラリーを整え始める。凝った意匠のグラスにクランベリージュースが注がれる。照明を反射してまるでルビーのように輝きを放っていた。ホールのチョコレートケーキを少し大きめに切り出すと白い皿に鎮座させる。どっしりと重厚感のあるケーキの傍らに王笏代わり金色のフォークを添えてジュースと共にリタの前に置く。

 エンに一瞥を向けると謎にうやうやしい首肯が返ってきた。食べてよしの許可と判断したリタがケーキの前に手を合わせる。

「い、いただきます」

「召し上がれ」

 差し込んだフォークがすんなりと入っていく。スポンジに染みたコーヒーの苦味を甘めのクリームが中和して舌の上で絶妙なハーモニーを奏でた。クランベリージュースの爽やかな香りと濃厚なチョコレートの香りが混じりあって鼻に抜ける。

 先程の疲労や浮かない顔はどこへやら。まっしぐらにケーキを頬張る頬にココアパウダーが付いている始末だ。

「うまそーに食うなぁ」

 すっかり虜になっているリタを横目で見ながらエンが呟く。

 テオはというと自慢げに瞳を伏せて、エンのいつものことサヴァルのオリジナルブレンドを鼻歌交じりに準備している。

「ケーキはサービスにしてあげよう」

 リタやエンの返答も待たずに提供したものだ。良心的といっていいのかどうかの疑惑は残るが有難いことには違いない。

「じゃあ俺にも」

 サヴォルオリジナルケーキの評判はこの街で知らない人が居ないほどだ。仕込みにも時間がかかるため提供は昼間がメインで夜間は数量限定。甘党の酒飲みの悲鳴も合わせて有名なのである。

「お前は有料だ」

「なんでさ」

 便乗チャレンジはエンの敗北に終わった。

「記憶屋も大変だな」

 記憶屋のオーナーがロストチャイルドを連れて歩くことはそう珍しいことでは無い。ただ彼らの場合、弟のように可愛がっているエンが可愛らしい女の子を連れ歩き、気にかけている光景が珍しいのだ。茶化したいと微笑ましいが半々で見守っているのだが、幸か不幸か二人とも気がついていないらしい。

「まーぼちぼちってとこだ」

 提供されたコーヒーを一口含んでため息を零す。無料で提供されるクッキーを一枚齧ってもう一口啜る。

 ひと心地付いたのか、エンは声を潜めて瞳に剣を宿らせる。

「仕事の依頼をしたい」

 テオは情報屋だ。表にも裏にも精通する彼の情報収集能力は時折領事局もあてにする程である。宙船とリタの体調関連は領事局に任せるのが安牌であり早い。だが、きな臭さを感じる情報に関しては領事曲を待つより個人で情報屋を頼った方が早い。ちなみに、その情報料は正当性が認められれば領事局がいくらか負担してくれる。条件は厳しいが有難いことだ。

「宙船の渡航歴の中にリタがいないか」

 本来、宙船から降りてくる人間はほとんどが犯罪者か技術者だ。だが、ごく稀に観光目的の若者が降りてくる場合がある。きっかけとしては豊来を出てすぐのリタの質問だった。地上で暮らすものなら頭上をはしる宙船のレールを見たことがあるはず。だが十歳のリタはそれを知らなかった。可能性は二つ。レールを視認できない都市に住んでいた可能性と、宙船そのものに住んでいた可能性。

 宙船の人間の個人情報は厳重に管理されており領事局は教えられない仕組みになっている。だが必要に応じて抜け道の利用が許可されるのだ。値は張るが情報屋に依頼するのが一つ。後ろめたいことがないものはだいたいそれで事足りる。

「それと昨日以降の目撃情報」

 昨日リタをベッドに運んだ後、エンはライブラリで彼女のと思しき記憶を探していた。

 記憶屋が被術者から記憶を抜き取る理由は大きくわけて二つ。医療用と嗜好用だ。

 医療用とは、被術者がなんらかの精神疾患を抱えており治療行為として大きな要因である記憶を消去する行為だ。始点と終点を決めてトラウマとなった出来事を消し去る。と言ってもその場合は記憶屋が病院まで赴いて施術するか患者が病院から処方箋を持ってくるかである。そのためリタのケースからは考えにくい。稀に悪質な業者が処方箋にある期間以上の記憶を奪うことがあるが、それにしても医療機関への受診記録が残るはずだ。しかし領事局の調べでは該当する診断記録はなかった。病院の医療体制が杜撰なせいもあるかもしれないがその先はエンの管轄外だ。領事局に頑張ってもらうしかない。

 ちなみに切除した記憶は患者次第で嗜好用に売り出すことも可能だ。売上のいくらかは患者に渡り、社会復帰のささやかな応援金になる。

 そして嗜好用だが、こちらは医療用より単純だが闇が深い。記憶屋という商売が成立するのだから貴重な経験というのは金になるのだ。そのため、わざと危険な場所に行ったり犯罪行為をしたりと危ない橋を渡る者が後を絶たない。ハイリスクハイリターンの極地である。こちらは医療用と違い公的機関に記録が残らない。また悪質な業者に引っかかる可能性も飛躍的に上がる。

 リタの話を聞くに後者である可能性が高い。なら記憶屋が閲覧出来るメモリーライブラリにあってもおかしくないと思ったのだが生憎空振りだった。全年齢用にないということは成人用になっているか、もしくは何かしらの犯罪組織に巻き込まれて記憶を削除された可能性も考えられる。

 そうなると有効になるのは地道な情報収集だ。テオも仕事柄その手の調査は慣れているので二つ返事で承諾する。

「何か分かったら連絡する。代金はその時に請求するよ」

「頼んだ」

 注文はそれで終わるはずだった。静かになった隣をエンが一瞥するまでは。空になった皿をリタが物足りなさそうに見つめている。

「あと、もう一個ケーキ。こいつに」

 辛気臭い顔での帰路が嫌なだけだ。そんな言い訳がましい言葉を胸の内に押し込んでリタから視線を逸らした。

 新しく出てきたケーキはチョコレートケーキではなくこの店でいちばん高いフルーツタルトになっていた。このマスターやりおる。

「い、いただきます……!」

 フルーツタルトもリタのお気に召したらしい。精神年齢相応の無邪気な笑顔でタルトを頬張る姿はまさしく小動物である。

 その様子を眺めていたエンの視線とテオのが重なる。瞬間、含んだ笑みを浮かべるテオを睨みつけた。

 なおも言葉を言いかけるエンであったが、これ以上はテオを楽しませるだけだと悟って押し黙る。

「美味いか?」

「はい! とっても!」

 笑顔が眩しい。出会ってから一番の笑顔かもしれない。スイーツおそるべし、女性の不機嫌には甘いものが覿面だ、とエンは記憶にしっかり刻んだ。

 口数の少ないエンにリタは眉根を下げる。

「エンお兄さんは食べないんですか?」

「俺はべつに……」

 途端にリタの表情が曇った。皿の上には一口程度の大きさのタルトが残っている。

 一時の恥と帰り道の気まずい空気の二択。熟考の後、選ばれたのは一時の恥だった。

「じゃあ、ひとくち」

 リタの表情がぱあ、と輝く。待ってましたとばかりに、いそいそとフォークで刺してエンに差し出す。あーん、の状態だ。

「良かったなぁリタちゃん」

 嬉しそうに頷くリタと気まずそうな視線と共に咀嚼するエンの対比が面白い。

「ごちそうさまでした」

「またおいで」

「はい!」

 買い物袋はエンが二つ、リタが一つ持ってサヴァルを後にした。

 見覚えのある街並みから豊来の近くまで帰ってきていることがわかる。それまで沈黙を保っていたリタが隣を歩くエンの顔を覗き込んだ。

「あの」

「ん?」

「記憶屋ってなんなんですか」

 リタの問はある意味もっともなものだった。むしろここまでよく我慢した方である。

「あーっと……」

 どこからどう説明したものかとエンは言葉を探した。

「その昔、人の寿命は百年程度のものだった」

 それは百年大戦と呼ばれるもの、その末期までの話である。戦争終結から徐々に寿命が伸び始めていることに人々は気づいた。最初は百年が当たり前になった。その後容姿の変化に気がついた。二十歳を超えてから老化が始まるまでの期間が伸びたのだ。理由はいまでも様々な説が考えられている、順当な進化である、戦争中に使用された生物兵器への免疫または副作用、あるいは突然変異。ただ一つ明確なのは、百年大戦が分水嶺になったこと。

 飛躍的に伸びた寿命に真っ先に悲鳴を上げたのは精神だった。長すぎる寿命の中でいい思い出だけが積み重なる訳では無い。そのために癌となる記憶を切除する研究が始まった。その研究の中で自分とは全く違う経験に一部の研究者が虜になった。

 貴重な記憶を娯楽として楽しむ文化の発祥である。

 記憶屋は専門器具を正しく扱うための技術を備え、人生を豊かに幸福なものにさせる手伝いをする仕事だ。

「どうして、エンはこの仕事を?」

「もともとじいちゃんの店だ」

 それは最初にも聞いた言葉だった。エンは二代目で開業したのはエンの祖父なのか。

 エンの告白にリタは瞠目する。気遣わしげな視線をよそにエンは淡々と言葉を続けた。

「そして俺を拾って記憶屋を始めた」

 エンは拾われた。その事実にリタは目を瞬かせた。祖父がいるならエンを産んだ母親や父親がいるはずだ。その二人の話がないということは。

「じゃあお兄さんのお父さんやお母さんは………」

「おふくろは真っ先に死んだ」

 海沿いの街でエンは母親と四人の弟妹たちと暮らしていたらしい。末っ子が流行病にかかり薬を求めて駆けずり回る中で無理が祟ったのか同じ病にかかり亡くなった。抵抗力が落ちた末の弟も程なく息絶えた。一つ年下の弟はいい人とやらについて行って行方不明。三つ下の妹は遊んでいるさなかに傷を負ってその傷が悪化して死んだ。賑やかだった家族はあっという間にエン一人になってしまった。

「親父は知らねぇ。知りたくもねぇ」

 リタにはその言葉だけで済ませたが、実際のところ兄弟たちの父親はそれぞれ違っていたように思う。下の弟妹はよく似ていたが自分とは似ていなかったし、末っ子はそもそも肌の色が違った。母親は自分を売って日銭を稼いでいたから望まぬ子供たちだったかもしれない。

 頭を振って朧気な記憶を隅に追い立てる。実際、じいちゃんと過ごした時間の方がエンにとっては長いのだ。

「じいちゃんが死んだのは三年前かな」

 じいちゃんは本名をゼノという。健康的な小麦色の肌に淡い翡翠の瞳。すっかり額が後退して白くなってしまったが元はリタと同じ亜麻色の髪だったはずだ。

「俺を拾った時点でじいちゃんだったからな」

 僅かにいろを取り戻したエンの言葉にリタが食いつく。

「どんな人だったんですか?」

「声でかいしガサツだし色んな面倒事に首突っ込むし」

 どうやらエンの世話焼きで快活なところはゼノ譲りであるらしい。愚痴混じりに言葉を連ねていくエンが少し幼く見えて、リタは目を瞬かせた。会ったこともない人物だが、きっと今日出会った人達のように優しくて暖かい人達なのだろうと想像できる。

「どうした?」

 ようやく愚痴タイムが落ち着いたのか、リタの微笑に気づいて訝しげに目を細めた。

「いい人だったんですね」

「俺とは大違いだ」

 自嘲を含んだ笑みにリタは自分の胸がザワつくのを感じた。さっきと同じ笑い方だ。そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。

「エンお兄さんだっていい人ですよ」

 ムキになったリタの言葉尻には怒気が滲んでいた。

 不機嫌になった理由は分からないがお世辞のつもりは無いようだ。エンはリタの頭にてのひらを乗せる。

「ありがとな」

 照れくささで仄かに紅潮したエンの頬を夕日が覆い隠した。つられたようにリタも笑みを返す。

 夕暮れに染まる街の中で二人の影が長く伸びていくのだった。

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