第4話 領事局へ

 建物からするとこじんまりとしたエントランスに出迎えられた。片方に受付案内、もう片方は掲示板として利用されている黒板が掲げられている。こちらに気づいたのか受付の女性が笑みを浮かべた。

「スンマセン、連絡した店のモンですが」

 そう言いながらエンはポケットからカードを取り出した。カードの情報を書き写すと女性は席を立つ。

「確認しますので少々お待ちください」

 奥に消えていく女性を見送りながらリタはエンの手元を覗き込んだ。

「さっきのはなんですか?」

「怪しいもんじゃないですよって説明するためのカードだ」

 エンが向けたカードには記憶屋・豊来の他にも番号や文字の羅列が印字されていた。エンの身分の証明と言うよりは店の代表としての証明証になるらしい。

 受付嬢は奥で何か話した後、首から下げるタイプのネームプレートを二つを持って戻ってきた。

「記憶屋・豊来のエン様、リタ様ですね」

 よく見るとネームプレートの紐がエンとリタで違うようだった。リタに渡されたネームプレートは黄色い蛍光色の紐と豊来の文字しかないのに対して、エンは赤い紐と顔写真とエンの名前が記されている。

「こちらのタグを首から提げて待合室でお待ちください」

 待合室は長椅子が十数脚は並べられているような規模の大きいものだった。時間帯のせいか人の声も賑やかだ。

「こっち座っとくか」

 曰く、担当部署の場所からの移動を考えるとここが一番見つけてもらいやすいのだという。エンに案内されながらリタは待合室の長椅子に腰掛けた。

「慣れてるんですね?」

 純粋な感嘆の言葉だ。だがエンは足を組みながら遠くを眺める。聞いてはいけない事だったのかと焦るリタだったが向けられた視線は静かに凪いでいた。

「まぁ、初めてではねぇな」

 何があったのか、聞いてもいい事なのか、戸惑っていると二人に近づく足音が耳朶を叩く。

「やぁ、こんにちは。いい天気だね」

 爽やかな挨拶と共にやってきたのはエンの背伸び一つ分ほど背が高い男だった。室内でも輝くような金髪は癖毛なのか動く度にふわふわと揺れている。お手本のような笑顔を浮かべる瞳は初夏の新緑を切り取ったような翡翠色。

 エンは目を瞬かせたあと苦笑気味に肩を竦めてみせた。

「なんだお前か」

 声を掛けられた男はと言うと心外そうに唇を尖らせる。

「お前が来るって言うから仕事押し付けられたんだぞ」

「そいつぁ災難だったな」

 どうやらエンとは旧知の仲らしい。軽口を叩きあっていることから相当仲の良い間柄なのだろう。しばらく軽口の応酬が繰り広げられたあと、翡翠の視線がリタに向けられた。

「君がリタちゃんだね」

 眩しい笑顔に気圧されながらリタが頷く。エンの笑顔も眩しいがこちらの方が照射力が強い。

「俺はペトロ。こいつの昔馴染みでここで働いてるんだ」

 確認するようにエンに視線を向けると肯定の意を示す首肯が返ってきた。ペトロに視線を戻すと彼も小さく頷く。

「よろしくお願いします」

 エンが信用している人物なら信用してもいいのだろう。軽い会釈を返すとペトロの笑みが深くなった。

「こちらこそよろしく」

 人懐こい笑みのまま立ち上がると奥の階段を示しながらエンとリタを振り返る。

「お話があるから一緒に来てくれる?」

 階段を登った三階に記憶屋関係の部署が存在するらしい。ペトロの先導で目的に向かう。案内された先にはバインダーを片手に持った女性職員が一人、壁際で屹立していた。こちらの視線に気づいて頭を下げる。リタが慌てて会釈をすると女性職員は笑みを深くして小さく手を振った。

「リタちゃんはあのお姉さんのところでお話聞くからね」

「分かりました」

 リタが頷いたのを確認すると休憩スペースに向かおうとするエンの腕をがしと掴む。そんなペトロの表情はと言うと、苦々しげなエンの表情にも屈しない笑顔を浮かべている。

「お前はこっちで事情聴取な」

「濡れ衣だー冤罪だー」

 エンの抗議には抑揚がなく遠くから聞いたとしても棒読みだろう。だが、内容が内容なだけにペトロの表情が曇った。

「やめろ、俺が怒られる」

 親しげな様子は少年らしさもあり微笑ましい。小さく肩を震わせてるとエンと目が合った。こちらに軽く手を振りながら個室に連行されていく。しばらく躊躇ってから手を振り返すと女性職員の方へと向き直る。

 目が合った女性職員は朗らかに微笑んでいた。

「初めましてぇ」

「は、はじめまして」

 どこか間延びした独特な話し方だ。だが不思議と嫌な感じはない。

「今回リタさんの担当になりましたぁ、ミアといいまぁす」

「よろしくおねがいします」

 チョコレート色の髪に銀色の双眸の女性はそう名乗ると柔和な笑みを浮かべる。目を引く容貌ではないが、朗らかな雰囲気は自然とこちらまで穏やかな気持ちになりそうだ。

 簡単な自己紹介が終わると窓辺に設置された長椅子に案内される。

「こちらでお話聞かせてくださいねぇ」

 窓から差し込む麗らかな日差しが差し込む場所だ。眠ってしまわないだろうかと別の意味で心配しながら腰を下ろす。

「リタさんのお話、聞かせてねぇ」

「はい!」

 ミヤは早速持っていた書類をパラパラとめくり、胸のポケットからペンを取り出した。

「リタさんは十歳からの記憶がないと聞きましたがぁ」

「はい」

 そこから先はエンに説明したことの繰り返しだった。二回目だからかエンの時よりも詰まることなく話すことが出来た。ともすると今の方が細部まで説明できているかもしれない。

 リタの話に時折手を止めながらミヤはバインダーの書類に何か書き記している。時々、痛みを我慢するような表情もしていた。今は大丈夫だと言う代わりに笑みを深くするとミヤはくしゃっとした笑みを返す。

 そんなやり取りは不思議と嫌いではなかった。

 リタが話を終えるとミヤは書類とにらめっこを始める。横顔を眺めていると不意に目が合った。

「じゃあ次は採血するからこちらに来てくださぁい」

 採血はリタにもわかった。両親の元にいた頃も何度か受けたことがある。

 つまるところは

「注射………?」

「血液検査っていろいろなことが分かるのよぉ」

 リタの脅えた気配を察知したのかミアが慌てて言葉を続ける。

「リタちゃんが無くしちゃったものが少しでも拾えるかもしれないのぉ」

 血液からは様々な情報が得られる。その中にはリタが記憶を無くしてしまった理由や正確な年齢などが分かるかもしれない。そう説明するミヤの表情は真剣そのものだ。拒否する理由は痛いから嫌だくらいのものだろうか。

「できそう、かなぁ?」

「………、はい」

 リタの覚悟を受けたミアが微苦笑を浮かべている。安心させるように手を握ると正面のドアをノックして開けた。既に手筈は整っていたのか器具を整えた職員が手早くリタの腕にバンドを巻く。

「はーい、ちくっとしますよー」

 鋭い痛みを誤魔化すようにミアの手を強く握る。

 小動物のように小刻みに震えながらも逃げようとはしないリタをミアと職員の二人が微笑ましく見守っていたのはまた別の話だ。

 消毒と絆創膏を受ける頃、エンとペトロが別室から出てきた。二人ともどこか浮かない顔である。

 ミアが駆け寄りバインダーを見せながら、何やら真剣に話し合っている。

 採血担当の職員はそうこうしているうちに努力賞の飴玉を置いて帰って行った。

 口に含むと苺の甘酸っぱい香りが鼻に抜ける。舌の上で戯れていた飴玉が小さくなる頃、制服の二人と視線が合い笑みを返された。ややあってエンがリタに気付いたのか顔を綻ばせる。

「リタ」

 エンの手招きを受けて三人に駆け寄る。

「君のことを話してたんだけどね」

 ペトロは困ったように眉を下げた。それだけで状況が芳しくないことはリタにも伝わったようだ。

「君のパパとママのこと、まだ分からなかったんだ」

 予想はしていたことだ。ちなみに、行方不明届も該当するのが見当たらなかったのだという。俯きそうになった視線を半ば意地で持ち上げる。

「普段ならこの近くのお家で暮らしてもらうんだけど……」

 ペトロの語尾が揺らいだ。確認するようにエンに視線が向けられる。それに気付いたエンが苦笑気味に肩を竦めた。

「リタちゃんの部屋を用意できなかったんだ」

 曰く、普段であれば領事局付近の更生施設に入ってもらうのだが別件で使っているのだそうだ。既に入所してる者はそのまま、受け入れだけ止めているらしい。

「だからパパとママに連絡がつくまでエンのところで過ごしててくれるかな?」

 質問の体を取っているがほぼ決定事項である。エンに視線を向けると気まずそうに書類を見つめながら頬を掻いている。

「まぁ、お前が嫌っていうなら別の……」

 言葉が終わってしまう前にリタの手がエンの服の袖を掴んだ。

「エンお兄さんと一緒がいいです」 

 精一杯の勇気を振り絞って口にするとエンのきょとんと見開かれた瞳と目が合う。ぼろぼろだったリタに手が汚れることも厭わず手を差し伸べてくれたのはエンだ。よっぽどの不都合がない限りは手を離したくない。

 しばらく見つめあっているとふっと短い吐息が降ってくる。

「そっか」

 傾いた横顔を深緑の髪がさら、と滑った。

「改めて、しばらくよろしくな」

「はい!」

 落ち着くところに落ち着いた、というやつである。

 咳払いをひとつすると仕切り直しとばかりにペトロが口調を改めた。

「エン殿、リタ嬢のことを頼みましたよ」

「わーってるよ、管理官殿」

 ちなみに、共謀の可能性も鑑みて記憶屋の店主と記憶喪失者を離しての事情聴取は規則になっているようだ。領事局の寮の措置も一ヶ月ほど前からになるらしい。話が来た時点で入所不可能は確定していたのだ。そのためエンとペトロの話は記憶喪失者の身元保証に伴う支援金の手続きがほとんどだったらしい。ペトロから封筒を受け取ったエンはそのままポケットにねじ込む。

「ちなみにこの後の予定は?」

 その問を受けたエンは視線を一度リタに向けた。小首を傾げるリタのつむじからつま先を眺めてペトロに向き直る。

「服と情報と飯かなぁ」

 それを聞いたペトロの柳眉が跳ねた。

「何か分かったらこっちにもまわして欲しい」

 そう口にする翡翠の瞳は真剣なものだった。何事かとエンの表情を伺うと彼もまた剣呑な面持ちで頷き返す。

「了解」

 鼻腔に残っていた甘酸っぱい香りはいつの間にか掻き消えてしまっていた。無意識に息を飲むと表情を固くする。

「リタ」

 急に名前を呼ばれたリタが弾かれたように顔を上げた。決して芳しいとは言えない表情にエンの眉根が寄る。

「どうした?」

 聞きたいことは山ほどあった。だが、リタにとって必要な情報ならエンは説明してくれるはずである。それが無いと言うことはエンはまだ話すべきではないと思っているのだ。そう言い聞かせることにしてリタは首を横に振った。

「あ、えっと、なんでもないです」

 ここでの手続きの類は終わりらしい。ペトロとミヤは既に見送りの姿勢でいるし、エンに至ってはもう踵を返して階段に向かってしまっている。

「また何か分かったら連絡しますねぇ」

「よろしくお願いします」

 深々と頭を下げてからリタはエンの背中を追いかけたのだった。

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