第18話 断ち切る時

 地の底から轟くようなテジンの絶叫と物音から何かが起きたことは明らかだった。拠点に控えていた組員たちが何事かと集まってくる。

 彼らの目の前に広がっていたのは風を孕んではためくカーテンと、その下で煌めくガラスの破片。そして倒れた家具の中で血を流すテジンの姿だった。

「テジン様!ご無事で……」

 真っ先にテジンに駆け寄った組員の手を払い落とすと窓を指し示す。

「俺のことはいい、ヴィアを追え!」

 テジンのそばに侍っていた従順な娘、ジルヴィアが反旗を翻すなどとは誰も思っていなかったのだろう。だが、テジンの前から捕虜を連れて逃げおおせる器量を持つ者もまた限られているのだった。

 数人が二人の追跡のため窓を飛び越えて追いかける。

 遅れてやってきた部下に治療を許しながら、テジンは呻いた。

「許さねぇぞ」

 治療に当たっていた部下の顔から血の気が引く。

 殺気などと生易しいものでは無かった。怨念、妄執とでも呼べそうなモノ。一般人がその気迫に呑まれれば容易く命を落としてしまうだろう。

「お前が俺から離れるなんて出来ねぇんだよ」

 呪詛は放たれた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 バイクでの夜のドライブは実に順調なものだった。覚悟していた追っ手は今のところ影も見えない。

「よく俺が拉致られた場所が分かったな」

 周囲を警戒しながらエンは思ったことを口にする。先程までいた場所は似たような建物が多く、全て虎賂会の関連施設だったのだ。テジンとエンの二人がいる場所をピンポイントで探し当てることは容易ではない。

 言わんとすることを察したリタが複雑そうに目を細めた。

「一応、あの人の側近だったので」

 実を言うと候補を虱潰しに当たったのだ。三つ目でようやくエンが捕らえられている建物にたどり着いた。エンがいる場所をフォルマたちに信号を送って伝えると通信機を壊して痕跡を消した。その後、テジンに呼び出されるとは分かっていたが、さすがに二人が揃って同じ部屋にいることは想定外だった。

「頑張ったな」

 ヘルメットがなければ頭を撫でてやれたのに。

「格好良かったよ、お前」

 ジルヴィアとしての冷えきった声音はエンも惑わされた程だった。テジンが騙されてくれたおかげで結果としては大きな隙に繋がったのだ。長い髪が短くなったことはもったいないが、リタの雰囲気にはそちらの方が似合っているかもしれない。

「本当はもう少し我慢するつもりだったんです」

 テジンとエンが同じ建物にいたことも同じ部屋にいたこともリタにとって想定外ではあった。だが、その後の展開はもっと想定外だったのだ。

「エンお兄さんが倒れてたし」

 エンが暴行を加えられたことは誰の目にも明らかだった。まずは駆け寄りたいのを堪えてテジンが立ち去るのを待つ。その後警戒が緩められた時にこっそりと出ていくつもりだったのだ。

「触られて、気持ち悪いと思ってしまいまして」

 今までならどうということはなかった。テジンの言うことを否定しないだけで上機嫌になったし、反応すればするだけ面白がるから無抵抗の方が早く済む。だが、記憶を取り戻して改めて対峙すると嫌悪感が先立ってしまったのだ。ただでさえ、助けに来たはずのエンは立てない程度には痛めつけられて、ご機嫌な様子のテジンにべたべたと触られる。リタは怒りを思い出して、テジンへの反抗を開始したのだった。

 もごもごと歯切れ悪く言葉を並べ立てる背中に堪えきれなかったエンが吹き出す。

 豊来でテジンと対面した時、リタは震えていた。その娘が相手を気持ち悪いと言い切るのは実に気味が良い。

「なんでそんなに笑うんですかぁ」

「悪い悪い」

 リタの顔を覗き込むと唇が尖っていた。

「安心したんだよ」

 もう少し抗議したかったが、楽しそうなエンの声音に絆されてしまう。どうやらすっかり調子を取り戻したらしい。そうでなければ困る。調子が狂ってしまいそうだったから。

「安心するのはまだ早いですよ」

 逃避行は順調のように見えた。だが、追っ手が来ないという希望的観測はやはり希望でしかなかったのだ。

 目の前に人影が数人、横一列に並んでいるのが見えた。

「止まれ!」

「あいつ…………!」

 真ん中にはテジンらしき人物が銃を構えている。突破して駆け抜けるのは難しそうだった。 

「好き勝手してくれやがったなぁ!ヴィア!」

 テジンの姿にエンは違和感を覚えた。何かが違う。だが、考えがまとまる前にバイクを停車させたリタがヘルメットを下ろす。

「退いてください」

 髪の短くなったリタにテジンは驚いたように目を瞬かせた。

「あなたは違う」

 目の前のテジンは無傷だったのだ。脇腹にリタが与えたはずの一撃が確認できない。お粗末な変装。否、緊急事態で情報の伝達が上手くいかなかったのだろうか。

「やっぱりバレるか」

 観念したように肩を竦める。その声はテジンの声ではなかった。

 次の瞬間には顔の皮を剥が剥ぎ取られ、素の痩せこけた顔の男が現れた。テレビを乗っ取った時にエンの顔をしてテジンの隣に居た男だ。変装の名人・ヤグル。リタにとってはテジンの次に馴れ馴れしく接してきた男だと記憶している。

「エンお兄さん、物陰に隠れててください」

 リタの言葉に素直に従う気はなかった。相手は複数、しかも全員が銃を持っているのだ。いくら戦闘能力が高いとはいえ、女の子一人に任せてしまうのは気が引ける。

「お前一人でどうにか出来るのかよ」

 だが、リタは悠然と笑って見せた。

 ヤグルの部下たちは情報収集に長けた青服だ。一を聞いて十を理解する能力は高い。

 対して、リタは戦闘能力を鍛え上げられた黒服出身なのだ。ヤグルとその部下程度なら敵では無い。

「大丈夫です」

 エンの気遣いは分かっている。だが、これが最後なのだ。好きな人に格好いいところを見せたいのは何も男性に限った話では無い。

「上手に踊れたら褒めてくださいね」

 そう言うと、毅然とした態度のままリタはヤグルの前に立ちはだかる。

 ヤグルはというと戦う気がないのかトリガーに指を掛け、くるくると回しながら口角を釣り上げる。

「なぁ、ヴィア。俺お前のこと気に入ってんだぜ?」

 リタが緩やかに殺気を纏い始めた。細められた目は決して笑みを称える訳ではなく、いかに迅速に目の前の敵を沈黙させるか考えているように見える。

「まだ間に合う」

 帰ってこいとヤグルは言っているのだ。

 不思議なほど感慨も湧かない自分は冷たい女なのかもしれない。リタは胸中で自嘲しながら戦闘準備を始める。

「いいえ、間に合いません」

 リガントレットのつまみを捻り、収納式の短剣を両手に展開した。その切っ先からは液体が滴り押している。特注品である格納式の双剣は両の手首部分に薬品を注入できるのだ。ガラス玉に溜められた薬液は双剣を伝い、一閃でも当たれば人を殺せる殺傷能力を持つ。

 だが、滴の滴る双剣を構えながら屹立する姿は泣いているようにも見えた。

「私が虎賂会にいたのはいつか両親のもとへ帰れるかもしれないと思っていたから」

 リタの姿に恐怖を覚えたのか組員の一人がリタに向かって銃弾を放つ。発砲音を認識する前にリタの姿が消えていた。

「ぐ、あ」

 双剣が先走った組員の足に突き刺さっている。それだけで戦意を失わない程度には鍛えられているはずのヤグルの部下は呆気なく地面に伏した。

「今となっては虎賂会は私の仇です」

 血払いをする動作まで実に慣れた動きだった。リタの瞳に交渉の余地など残されてはいない。

 本当に、本当に歯がゆそうにヤグルは瞑目した。

「そうか」

 次の瞬間、全員の銃口がリタへと向けられる。

「なら、虎賂会の幹部としてお前を殺す」

 銃口を向けられているというのにリタはに慌てる様子は無い。ぐるりと視線を一周させてなおもトリガーを引けないヤグルを鼻で笑い飛ばす。

「一体一で私を倒せないくせに、何をイキがっているんですか」

 それがゴングの代わりだったのかもしれない。

「お前がぁあ!」

 一つの感情に支配されたものほど御しやすいものは無い。

 深く踏み込んでヤグルの銃を跳ね飛ばす。空虚な破裂音が空を割いた。麻酔薬の染み込んだ刃で逆袈裟に切り上げる。

 頭は抑えた。

 ゆったりと振り返るとヤグルの部下たちから戦意は消えていなかった。

「怯むな! かかれ!」

 銃という有利な飛び道具を持っていながら数人が徒手空拳で殴りかかってくる。

 こういう時黒服なら叱責されたものだ。有利かつ有効な武器を持つ味方がいるのならその味方の邪魔にならないような立ち回りを心がけろと。現に混戦状態になっており、銃を構えた部下たちが同士討ちを避けて発砲できないでいるではないか。

 リタにとっては好都合だが。

 右フックを左手でいなし、体勢を崩したうなじに手刀を叩き込む。崩れ折れる背中を踏み台に、銃を構えていた後方部隊へと飛びかかった。交差したダガーで銃を切断し、懐に滑り込んでアッパー、ではなく顎裏を麻酔薬の染みた鋒でつついてやる。追いついた徒手空拳組の肩を踏み台に残りの銃撃兵に絡む。リタの後ろに味方がいるせいで案の定銃は撃てない。

 ヤケになった一人がナイフを片手に突っかかってくる。それを弾き飛ばして脇腹を撫でてやると呆気なく傾いた。その首根っこを地面に着くまえに掴んで後ろに放る。銃の存在に気付き始めたようだが、使う余裕はやはり無さそうだ。

 銃を構える前方の二人に狙いを定めると軽く跳躍して距離を詰める。姿勢を低くして足元に滑り込み、太ももを一閃。前方に体を傾けて側転、そのまま銃を蹴り飛ばし顎を蹴った。隙を突いて腕に一太刀。

 これで残ったのは頭に血が上りやすい五人ほどに絞られた。

 ようやく銃を構え出すが、狙いは酷くお粗末だ。避けるまでもない。

「なんで当たらねぇんだ」

 リタの動きは決して俊敏では無い。だが、当たらないのだ。蝶のようにひらひらとすんでで躱される。距離を詰めるリタに対応してじりじり後退させられているのだ。

 ふわりと、その傍らに極楽蝶が舞い降りた。

「下手くそだからじゃないですか?」

 リタに殺す気があったなら首が跳ね飛ばされていただろう。だが現実として首は繋がったまま夢の中に放り出された。

 後は一般人とほとんど変わりない。

 全員寝かしつける頃にはエンから随分離れてしまっていた。彼の前で血生臭く人を殺したくはなかったとはいえ、時間をかけすぎてしまったかもしれない。

 慌てて戻るとエンの傍で何かが動いた気がした。目を凝らすと撃ち漏らした一人が背後から襲いかかっていく。

「エンお兄さん!」

「もらったぁ!」

 エンは後方からの敵に気付いていないはずだった。だが、彼は一瞥するとほんの少し体を傾けさせて避けた。

「な、にっ」

 着地点を考えていなかったのか盛大にこけてすっ転ぶ。

「はい、残念賞」

 どこから持ってきたのかエンの手には拳銃が握られていた。仰向けに倒れた男の額を殴打し強制的に夢に送り出す。

「リタ、借りたぞ」

 反射的に自分の腰元に手をやるとそこに愛用のものがあった。ではエンの手に握られているのはというとバイクに置き忘れていた予備のものだ。

「え、あ、いえ…………」

 リタが知りたいのは拳銃の出処ではなく、エンが先程見せた身のこなしのことなのだが。考えてみればエンの身のこなしは緩い。油断しきっているゆるさでは無く敵、自分を害そうとするものからの攻撃を自然体で避けて跳ね返すための緩さ。

 知ったつもりがまた一つ分からなくなってしまった。

「店のカウンターの一番上の引き出し、あっただろ」

 迷子のようなリタの表情から何を気付いたのか、エンは豊来の鍵穴のついた引き出しの話を始める。

「入ってんだぞ、同じタイプのやつ」

 エンが拳銃を扱えることは分かった。

 だが、リタが驚いたのはそこではない。そこではないのだ。

 拳銃を返そうとするエンの手をリタは押しとどめた。これから先、何があるか分からないのだ。護身用に持っていて欲しいと言うとポケットにしまいこむ。

 ガントレットを収納しているとエンの手がリタの頭に伸びた。そういえば上手くやったのなら褒めろと言ったのは自分だった。くすぐったい気分のまま顔を上げると、エンの耳が僅かに赤くなっているのを見てしまった。

 しばらくするとリタの頭にはエンの手ではなくヘルメットが覆い被さる。

 気を取り直してエンジンをふかし、バイクを風に乗せた。

「おじいさんから戦闘訓練を?」

 エンの養父は軍人だったことを考えれば、エンの身のこなしが妙に熟れているのも理解ができる。そう思って尋ねるとエンは首を横に振った。

「んや、そんな余裕無かったし」

 片手を離し、こんこんとヘルメット越しにこめかみを突く。

「受け継いだ記憶の中にな」

 どうやら楽園の記憶の他にも戦闘に関する記憶を見せられたらしい。その結果、戦闘経験はほとんどないのに立ち振る舞いだけ堂に入った佇まいが身についたのだという。

「手足は折られなかったのが救いだな」

 規制線まで残り数キロメートルのところまで気がつけば近づいていた。

「お医者様に見てもらってくださいね」

 平気な顔をしているが、エンはテジンに暴行されたのだ。煙草を押し付けられた手の甲などは痕がしばらく残ってしまうだろう。

「あと少し……」

 ふと、遙か前方で何かが撥ねた。加速のついたバイクはすぐに到達し、何がはねたのか理解する。

 こぶし大の大きさの楕円形。ピンが抜かれたその形はよりレモンの形状に近かった。

「リタ!」

 咄嗟にリタを抱えてバイクを足蹴に後方に飛ぶ。

 まぶたの裏すら灼くような閃光に、鼓膜が破れそうなほどの爆発音。爆風に吹き飛ばされたエンはリタを抱えたままコンクリートに叩きつけられた。

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