第21話 なりたかったもの

 時を少し遡る


 退院日のその日、病院を出るとペトロが待機していた。

 気が利くもんだと疑いもなく乗り込んでエンは激しく後悔した。向かった先は慣れ親しんだ部屋ではなく、領事局。それも局長の執務室だったのだから。

「やぁ、怪我の具合はどうだい?」

 げ、と声が出そうになるのをエンはすんでのところで押しとどめた。顔には、出てしまっているだろうが。

「気分最悪だ」

 常に胡散臭い笑顔を浮かべるフォルマがエンは苦手だった。ゼノが健在だった頃、彼は何かにかこつけて豊来に訪れていた。ゼノがフォルマを訪ねることもあった。だがその時話し込む二人の姿が少し苦手だったのだ。事実、ゼノが逝去したあとエンがフォルマとまともな会話をしたことはない。

「さて、まず今回の件だけど」

 エンの顔に影が差す。

 怒られることが分かって落ち込む子供そのものだとフォルマは思った。

「君が無事で良かった」

 自分に子供がいたならエンほどの年齢になっても可笑しくないのだ。ゼノには生前相談に乗ってもらうことがあったから、親戚の子程度には可愛く思っているの。だからこそ無茶も無謀も放っておけない。

「でも、自分から行ったっていうのは見過ごせないな」

 エンは拳を握る手に力を込めた。エンが自分から指定された場所に足を運んだのは誰にも言っていない。聞かれなかったから。否、言い訳だ。これほどの騒ぎを起こす事態になるとは露ほども思っていなかった。

「どうしてだい」

 フォルマの顔からは笑みが消えていた。虹色の虹彩がエンを射抜く。

「虎賂会にやり口に嫌気がさした」

 半分は本当のことだった。第三層の奥、掃き溜めの街の治安は第一層とは比べ物にならないくらいには劣悪なものだ。そこで暮らす人々のことをエンはどこか遠いもののように感じていた。感じようとしていた。自分が動いたところでどうにもならない問題なのだから、と。 

 だが、リタに出会った。記憶を無くしてしまうほど彼女を追い詰めた虎賂会に対して怒りが込み上げた。

「個人的な報復に楽園を使ったのかい」

 フォルマの視線が剣呑さを帯びた。誰かを傷つけるためにゼノは記憶を譲り渡した訳では無いのだから。

 違う、と頭の中で否定する。リタのために、と口にしそうになって慌てて手で塞いだ。リタは望んでいなかったのだ。なら、リタのためにと勝手に動いた行為は、選んだものは独りよがりの身勝手以外の何物でもない。

「悪いかよ」

 それだけ口にするとフォルマのため息が耳朶を叩いた。視線を上げると鋭い目付きの虹色と目が合う。

「悪いよ」

 息をすることすら憚られるほどの沈黙が降りた。

 つい半歩ほど後ろに下げた足を意地で前に戻す。動機も綺麗なものでは無い。考えが甘かったことも否めない。だが、自分の行動を後悔はしていない。

 エンは真っ向からフォルマの視線を受け止める。

 叱責したところで無駄なのだろう。そう理解したフォルマは表情を崩した。張り詰めた糸を切り、椅子の背もたれに寄りかかる。

「今回はギリギリセーフだったけどね」

 緩みそうな気を取り直してエンは考えていた疑問を口にする。

「なんでリタを寄越した」

「虎賂会の事情に詳しく、単独で動けるだけの器量は備えていた」

 ぴしゃりとフォルマが返す。

「包囲に時間がかかるし、取り逃す訳にはいかない」

 急を要したのだ。報道通りなら虎賂会はすでにエイジェンを経っていてもおかしくない。そうなれば追いかけるのは困難だ。その点、これ以上ないほどリタは適役だったのだ。自分はテジンのお気に入りだから居場所は目処がたつし簡単に懐に潜り込める。その言葉通り、単身でエンを連れ帰ってみせた。

「何より楽園の事を知る人物はまだ少ないままにしておきたい」

 大半の市民は楽園のことをデマ、虚言だと思っている。そうなるよう情報操作もした。だが、何が起きるか分からないのも事実だ。

「あいつはそれに頷いたのかよ」

 エンが気にしているのはリタに手錠をかけた事だ。収容車に乗り込んだリタに慌てるような素振りはなかった。彼女なら大人しく従いそうだが、用意が整っていたことから事前に話が通っていたと考えるのが自然だ。

 エンの言わんとすることをフォルマも気づいたようだ。気持ちは分かると淡い苦笑を浮かべて一つ頷く。

「許可を出すや否や飛び出して言ったよ」

 エンを助け出すための交渉。そのカードにリタは自分の無罪放免を使わなかった。フォルマから差し出されていたのに、だ。自分の意思でそれを棄却した。

「そして拠点の場所だけ報告して音信不通」

 通信機から来た連絡は「エンを見つけた」というだけの端的なものだった。そしてそれを最後に通信機からの位置情報が途絶えた。急いで最短ルートと規制線の合流ポイントの層を厚くした。通信機の信号が途絶えてから規制線付近までやけに早いと思ったらまさかバイクを使っていたとは。

「あの子案外お転婆なんだねぇ」

 通信機を使ったのはたったの一回。短くなった髪に再起不能になってしまったバイク。いっそ潔いほど目的にがむしゃらな行動だ。

「それとも愛ってやつかな?」

 エンの表情は柳眉が微かに跳ねた程度だった。ポーカーフェイスを気取っているようだが、赤くなった耳にはどう言い訳するのだろうか。

 このままだどオモチャにされる。そう察したエンは話題の転換を試みた。

「楽園のことがあんな連中に漏れるなんてずさんな管理してたんだな」

 楽園の情報は宙船でも一般人には伏せられ、陰謀論でまことしやかに囁かれる程度だと聞いている。地上に至っては寓話扱いだ。

 だが、テジンは楽園はあると確信を得た上で動いていた。それが不思議なのだ。

「こればっかりはしょうがない問題でもあるんだよねぇ」

 地上は元々存在していた宗教の痕跡から繋ぎ合わせて独自のものを築いている。信仰宗教にのめり込んだとしてもシャボン玉のように膨らんで消えてしまう。あるいは風に乗って消えてしまうのだ。

 だが宙船は違う。広大とはいえ閉鎖空間に違いない。膨らんだシャボン玉は行く先もなく消えることもない。秘密裏に楽園の成り立ち、存在、価値を盲信している集団の存在が宙船で囁かれている。彼らが何かを画策している可能性が高いとフォルマは考えているのだ。

 だが、フォルマは地上の番人であって宙船にはツテもコネも対して無い。後手に廻らざるを得ないのが口惜しい。

「その辺の対策はしっかり考えるとして」

 ふと、フォルマの口角がつり上がった。こてん、と首を傾げてわざとらしく言葉を重ねる。

「君、ちょっと本当に楽園に行ってきてくれない?」

 エンは数回目を瞬かせた。言葉を理解しようと視線をさ迷わせて頭を抱えてため息を吐き出す。

「命令か?」

 フォルマは答えない。だが、ピクリとも動かないその笑みが一番の答えだった。

 脳裏にテジンの声が過ぎる。欲しいのは記憶であってエン《お前》じゃない。その言葉が胸の奥で重く沈む。

「回りくどいやり方せずに頭かっぴらいて奪えばいいだろ」

 虎賂会がそうしようとしていたように。

 エンを窘めるようにフォルマは姿勢を変えた。貼り付けたような笑顔ではなく、自分も含め楽園に踊らされる人間を嘲るような表情だ。

「楽園は理想郷じゃない。それくらい予想はついてるよ」

 ぴり、と先程と違う意味で空気が張りつめた。

「あんな連中は羽虫同然だ」

 楽園という言葉の聞こえは良いが、ゼノの所感はそんなものでは無かった。彼はあの場所を住処と言ったのだ。今を生きる人類の始祖ではあるが人間では無いもの、その住処だと。

 フォルマは記憶こそ受け継がなかったが積み重ねてきた会談で楽園が何であるかを聞いていた。

「僕が警戒してるのは上」

 上とは、現在も大気圏を航行中の宙船のことだ。

「宙船の挙動がここ十年でおかしい」

 おかしい、とはどういうことだろうか。エンが胡乱げな視線で見つめるとフォルマは僅かに声音を潜めた。

「彼らは楽園の情報を持っているはずなのに、技術も情報も降りてこない」

 言われてみればそうである。楽園にたどり着き生還した小隊はそのほとんどが宙船に招かれた。彼らを擁しているのだから宙船が楽園に辿り着くのは容易なはずである。

 楽園に秘されたものも回収し放題。それらを用いて更なる発展を遂げてもいいものだ。そして旧世代になってしまった物を港が譲り受け研究する。そうやって循環してきた。だが、その進歩は目覚しいものがある訳でもない。

 なぜ今になって探すような真似をしているのだろうか。

「なら、こっちも調査に乗り出しちゃえってね」

 急に声音が変わった。この掴みづらい話し方もエンが苦手とする点の一つである。

「今の君がここに居るのは危険なんだよ」

 テジンが大々的に報道したせいで事件直後、領事局やテレビ局へ問い合わせの電話が絶えなかった。豊来の電話も例外ではなかったのだ。巡回に向かった職員が電話線を引っこ抜いてくる程度には。

 一度エンが豊来に戻ってから呼び寄せることも考えたのだが、安全面を考慮して直接迎えを寄越した。

 そういえば、とエンは病院を出る際何人かの物言いたげな視線を感じたことを思い出す。

「しばらく離れてて欲しい」

「ついでに楽園へ行っちまえば合理的って?」

「うん」

 魂胆が見えた。楽園の利用ではなく調査であれば断る理由もない。

「行ってその所在と価値を君に見てきて欲しい」

 楽園はゼノが訪ねた時から変化はないか、その周囲で不穏な動きはないか。記憶を受け継いだエンだからこそ行く価値があるのだ。

「店は休業せざるを得ないだろうけどその間の保全と警備は保証しよう」

 やたら具体的に計画が組まれているところを見るに、エンが断るとは最初から考えていないらしい。見通されているような感覚がどこかむず痒い。

 小さく呻いているとフォルマが一際意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

「報酬もある程度は融通を効かせてあげるよ」

 悪魔の笑顔のようだとエンは思った。容貌だけなら天使じみている分、むしろ悪魔よりタチが悪いかもしれない。

「リタの無罪放免」

 気がついたらそう口にしていた。

 リタのことだ。弁護士などと気の利いたものは立てないだろう。捜査協力と言っても彼女の言葉や記憶がどこまで役に立つかは分からない。最大限役に立ったとしても監獄への収容は免れない。

「それ以外に要求は無い」

 自分のためだ。後でいくら罵られようと構わない。それ以外にエンが心から望むものは無いのだから。

「いいよ」

 フォルマの返答はあっけらかんとしていた。

「ただしそれは成功報酬だ。構わないね?」

 楽園の調査から生還しなければ適応されないらしい。我儘を通すための対価としては妥当だ。文句は無い。 

「分かった」

 これで話は終わりとばかりにフォルマは机の上の冷めきったコーヒーを啜る。

「あぁ、でも出発するなら顔を出して欲しいかな」

 意図を問いただしたかったが、口を開きかけてやめた。フォルマ直々の司令である以上、出立日を明確にしておく必要があるのだろう。

 浅く頷いてエンは執務室を後にした。

 ペトロも忙しいらしく領事局から豊来までは別の職員の送迎だった。

 久方ぶりの我が家は耳が痛いほどの静寂を称えていた。こんなに寒かっただろうか、と思案して自嘲気味に苦笑する。

 ここを一人で使うのは久しぶりだった。

 軽く荷解きをしてベッドに横たわる。脳裏に浮かぶのはゼノが亡くなる数ヶ月前の会話だった。


 ◇ ◇ ◇



 その日、人も少ない時間だったためエンは店内の掃除に勤しんでいた。ゼノはカウンターに座り、外の景色とエンを眺めている。

 ちりとりでゴミを慎重に回収していた時だった。

「お前、男に興味があるのか?」

「はぁっ?」

 取り落としたごとゴミが散乱する。

 何の話だと言葉を失っているとゼノが言葉を続けた。

「お前もいい歳だってのに浮いた話一つねぇだろうが」

 この時のエンの年齢は二十五歳を数えたばかり。個人差はあるがまだまだ自分の興味や娯楽に浸っていてもいい年齢だ。ひとつ例外を述べるなら、異性との交友はエンにとって娯楽ではなかった。

「ペトロのガキんちょはもう一年になるってのに」

 ペトロはこの時公務員学校に通っていた。帰省の時に遊ぶことはあるが試験が忙しいのか最近ではほとんど会っていない。ゼノはどこから情報を仕入れてきたのか。

「ダチのそんな事情興味ねぇよ」

 ペトロとゼノの両方に呆れながらエンは散らかしてしまったゴミをまとめる。

「誰かを愛するってのはいいもんだぞ」

「くだらね」

 処理する記憶の中には異性に関するものも沢山あった。

 好きで好きで忘れられないから消したい。思い出すだけで気持ちが悪いから消したい。この記憶のせいで結婚に踏み切れない。痴情のもつれにトラウマ、ストーカーなどなど。

 異性を知らないエンからすればどうして他者に期待し、あてが外れたら怒るのか理解ができなかった。

 作業に没頭したいのに視線の矢につつかれて気が散る。

「なんだよ」

 憮然とした態度で尋ねるとゼノは眦を下げた。

「お前が心の底から愛してぇって思うヤツが現れたら言え」

 真意はなんだと怪訝な顔でゼノの言葉を待つ。

「そいつにお前の小便臭かったガキ時代の話をたんまりしてやる」

「やめろよ!」

 嫌がらせの中でも精神的ダメージが大きそうな部類のものだ。間髪入れずに声を上げるとゼノは満足そうに笑った。

「そんなもん俺は絶対関わらずに生きてやる!」

 そう悪態をつくとゼノはまた楽しそうに笑い声を上げた。

「お前にゃ無理だよ」


◇ ◇ ◇ ◇


  その後また悪態をついて、ゼノがなんと返したのかはよく覚えていない。

 あれから数年。一人でどうにかやってきたが、話し相手がいないせいか自分の考えに耽ることが増えた。

 自分はどうしてここにいるのか。やりたいことが見当たらない、分からない。なんのために生きているのかも分からない。幼い頃は何に憧れていたんだっけ、と。

 どこかへ行こうにも楽園の記憶がある以上、簡単にエイジェンの港を離れることは出来ない。そこまでして行きたい場所もない。

 日々を積み重ねる事に色あせていくような心地さえしていた。

 だから初めてリタを見た時、思ってしまったのだ。この少女を救えたら少なくとも彼女にとっての英雄ヒーローにはなれるだろうか、と。

 どこにも行けない自分が何かになれるような気がした。

「無理、だったな」

 リタは強かった。自分の言葉で話せる、自分の足でどこまでだって行ける。それが羨ましくて寂しい。鮮やかすぎて眩しい。いっそリタとの記憶を消してしまおうかと考えたこともある。 

 自分が薄情者になれたなら月光の下の笑顔を、細い肩を抱きしめた時の温もりを、触れた唇の柔らかさを、未練ひとつなく忘れることが出来たのだろうか。

 ベッドの軋む音がやけに大きく響いた。


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