間違いだらけの僕たちは

第20話 動き出す歯車

 大虎事件。そう命名された事件より一ヶ月後。

 ボスであるテジンが捕まったことにより虎賂会は一気に瓦解した。

 違法薬物の工場を制圧。子供の誘拐・監禁場所への介入・保護。有力企業や宙船へのハッキング行為を行っていた指示役とマニュアルの確保。非合法な物品を取り扱う闇オークションの会場、及び名簿の没収。無許可で行われていた金融業と取り立ての禁止。などなど、叩けば叩くほど色々なものが出て来た。

 その対応に領事局は上へ下への大騒ぎらしい。

 もともと、虎賂会を叩くための準備は水面下で行われていた。十歳のリタが領事局の施設に入れなかったのも、捕縛した虎賂会の人間を片っ端から捕まえて収容していたからなのだそうだ。リタも改めて収容する案が出たらしいが、本人が無害そうであることとエンがついていることを理由に却下された。何より、テジンお気に入りの娘ならば記憶の有無に関わらずちょっかいをかけてくるのでは無いかと捜査上の囮に使われていた。

 結果は想定以上の釣果だった。

 最近のテジンの独裁体制に不満を抱く者も多くいたらしい。虎賂会で育ったリタの先輩や後輩のような元・子供たちはテジンに徹底的に服従するように躾られる。だが、勢力が大きくなるにつれて飲み込まれた組の反感を鎮めるには至らなかった。それぞれの思惑の中で保たれていたバランスが今回の亀裂をきっかけに一気に瓦解した。今回の件が無くともやがて起きる問題ではあったのだろうが。

 幹部の大半を捕縛、取り込まれていた組織が再結成。末端組員はその組織に入ったりとそれぞれらしい。虎賂会というまとめあげる組織が無くなったことで勢力争いなどが起こることが予想される。頭痛の種は結局ずっと残ったままだ、とはペトロの愚痴だった。

 ちなみにテジンはというと心神喪失の状態にあるようだ。うわ言のように繰り返される言葉を繋ぎ合わせて察するに、ヴィアとはもともとテジンの母親の名前であったと推し量れる。亜麻色の髪と空色の瞳を持つ、宙船の住人。盗難の罪に問われ地上に落とされた先で出会った男と一夜を共にしテジンを産み落とした。世間知らずだったのか、口車にのせられ薬物を売りさばき、自分自身も薬物を使用して中毒症状を起こして死んだ。

 ヴィアに薬物の売人をさせていたのが虎賂会であった。

 テジンは復讐心から上り詰め、自分が母を殺した組の頭になった。そして新体制を作り上げ、古参の幹部を処分した。復讐を遂げたテジンは目的を無くしてしまった。そんな中現れたのが宙船からさらってきたという、リタだった。 

 時折、思い出したように独り言を呟くばかりで普段は眠って過ごしているらしい。

 彼はそう遠くないうちに寿命を迎えて死ぬのだろう。

 君には知らせておこうと思って、とフォルマが顔を出しては捜査資料を残していく。おかげで事件後の虎賂会の全容を知ることが出来た。

 幹部はそのほとんどが検挙された。だがリタと同じくテジンの護衛役で直属の部下であった紫眼のギネット。娼館部門のヒガンはまだ捕まっていないらしい。ギネットはテジンに心から心酔していた。今頃はテジンの奪還作戦でも計画しているかもしれない。ヒガンは同じ女性幹部として認識していたが互いに忙しく話す機会は皆無だった。否、夜会のあとヒガンと対面した記憶が朧気にある。だが思い出そうにもぼやけてしまってはっきり思い出せない。

 何はともあれ、リタのような可哀想な子供たちはもう生まれないことだろう。少なくとも今の虎賂会にそんな力は無い。

 リタのしたことといえば虎賂会の拠点の位置を覚えている限りで教えたくらいだ。証拠の確保に大いに役立ったと聞くが、逆に言えば幹部のくせにその程度しか知らなかったのだ。

 今更悔やんでもどうしようもないことはわかっている。だが、時おり胸に黒いものが凝って渦巻く。虎賂会に背反しテジンに刃を向けたことが果たして正しかったのか。今でもそんな迷いが浮かんでは消える。悪夢にうなされる日もある。

 しかし、リタの鼓動はこうして脈打っている。それならば生きるしかないのだ。

 エンの目が覚めたと伝えに来たのはペトロだった。退院まで一ヶ月、完治まで更に一ヶ月と言っていたことを思い出す。今頃は退院している事だろう。罪状が決まり次第手紙を書くから渡して欲しいとペトロに頼むと彼は二つ返事で了解してくれた。

 そして今日は判決が下される日。

 独房の中でリタの罪状が淡々と並べられた。裁判官のバッジを付けた男がリタを見下ろす。

「違いないか」

「間違いありません」

 リタは淡く微笑むと恭しく頭を垂れた。

「リタ・アーマメント。貴女を懲役三七年の刑に処す」

 決して短い期間ではなかった。リタは現在十八歳。出所できる時には百を超える。街も人も様変わりすることだろう。エンはそんな自分でも会ってくれるだろうか。名前を呼んでくれるだろうか。

 それが少し、怖い。

「が、捜査協力等情状酌量の余地ありとして局長より提案がある」

 どういうことかと視線を向けると詳細は裁判官も聞いていないのか首を横に振った。

 ややあって足音と話し声が近づいてくるのがわかった。鉄製の扉がゆっくり開く。

「やぁ、ごめんね。会議が長引いちゃった」

 顔を見せたのは局長、ことフォルマだった。

 話はお終いとばかりに裁判官は退出し、入れ替わりでフォルマの部下が入ってくる。

 彼らはリタの前に座ると提案の中身を話し始めた。

「とある人物の護衛を頼みたくてね」

 護衛ならリタでなくともいいのではないだろうか。そう思ったがとりあえず話を聞くことにした。フォルマは基本的に話したいことを話し終わってから質疑を受け付けるタイプの人間だから、という理由もあるが。

「少し危ない場所に行ってもらうんだ」

 危ない場所というと第三層から奥のことだろうか。それともエイジェンの港町から外になるのか。

「一人でも大丈夫だと思うんだけど、生きて帰ってきてもらわないと困るから」

 ますます要領を得ない。

 詳しく問いただしたいが、フォルマの笑顔は底知れない。

「私がその方を殺すとは考えないのですか?」

 癇に障ってしまったせいかリタの声には苛立ちが滲んでいた。

 その声色の変化もフォルマには意味をなさなかったようで、鉄壁の笑みが崩れることは無い。

「君は殺戮自体は好まない性質だろう?」

 それは質問と言うより確認だった。

 リタは言葉を詰まらせる。

 自分を研鑽するための戦闘訓練は嫌いでは無い。ただ、実際に命のやり取りを行うのはリタにとっては指摘の通り苦痛だった。怪我を負えば痛いし、痛そうな顔を見るのも嫌いだ。

「君に彼は殺せない」

 そう言いながらフォルマは書類を渡してくる。

 どれほどの筋肉逞しい人物かと思いきや資料の中の顔写真は線の細い青年だった。深草色の髪に黒曜石のような瞳。目つきは悪いがどことなく愛嬌を感じる顔立ち。

 行先は禁書に付された書物に記される「楽園」。

「まぁ、あくまでも保険だからね」

 つくづく、フォルマはいじわるな人だと思った。

「ここで服役するか護衛か選んでいいよ」

 フォルマにはリタがどちらを選ぶかなど、とっくにお見通しなのだろう。これはあくまで確認。拒否権を設けてはいるがそれだけで半ば強制ではないか。

 望んでも許されないと思っていたのに。

「わ、たし……」

 鼻を啜り、涙を少し乱暴に拭って顔を上げる。

 今のリタでも大好きな人のために出来ることがある。それだけで命をかける価値がある。

「私は、―――……」




 ◆ ◆ ◆




 リタの刑罰確定から数日後。

 独房で一人過ごしていると面会希望者が来ているとの報せがあった。面会室に通されるとしばらくしてぱたぱたと軽快な足音がした。それが部屋の前で止まるや否や豪快に扉が開く。特徴的なすみれ色の髪がふわりと舞い上がって背中に着地した。

「リタちゃん!」

「ルーシィさん!」

 リタも思わず腰を浮かしてアクリル板に近付く。

 そういえば爆発は一層の方でも起こったと聞いた。面会理由は分からないが無事なのが確認できて何よりだ。

 椅子に着席して落ち着くとリタが嬉しそうに口火を切る。

「来てくださったんですね」

 テオの店はどうなっただろうか。街はもう復興を始めているのか。エンはどうしているのか。聞きたいことは山ほどあった。

 どれから訪ねようかと思案していると、僅かに空いたアクリル板の穴からルーシィの手が伸びてきた。

「髪、勿体なかったわね」

 ナイフでばっさりと切り落としたリタの髪は不揃いで不格好だった。不憫に思った心得のある職員が整えてくれたのだ。肩に触れる程度の長さの髪がさら、と揺れる。

「でも、スッキリしました」

 それはリタの心からの本音だった。

「もともとあの人に言われて伸ばしてただけですし」

 訓練生時代のリタの髪は短かったのだ。短い方が好みだからそうしていたのだが、テジンに見出された際伸ばすよう厳命されてしまった。久しぶりに風通しの良いうなじに、軽くなった頭が清々しい。

「リタちゃん」

「はい?」

 不意に名前を呼ばれ、リタが小首を傾げる。

 記憶が戻ったため、仕草のほとんどが年相応の女性のそれになっている。だが、ルーシィの声に耳を傾け、次の句を今か今かと待つその挙動はどこかあどけない。

「やっぱり、あなた可愛いわね」

 唐突な褒め言葉にリタが大きく目を見開く。赤みの差した頬を隠そうとルーシィから視線を逸らした。

「そんな……ことは……」

 軽やかに笑うルーシィの表情に空元気は感じられない。

 気恥ずかしさを覚えながら姿勢を正す。

「領事局から話は聞いているわ」

 一瞬、どきりと心の臓が冷えた。

 ルーシィの口ぶりでは、減刑のためにリタは局長の計らいで遠くに行かなければならなくなった。その準備のため必要になる衣類や小物類などを領事局が発注した先がエルダーだった。突然領事局から発注されたものにルーシィが訊ねると使うのはリタだと言うことが分かった。なら、仕事にかこつけて会いに来よう。というのがルーシィの魂胆だった。

「リタちゃんここから出られないでしょ」

 荷物を入れるバックパックのデザインや色、寝袋やテントの素材などリタが申請したものとはまた別に調べてきてくれたらしい。

「色とか、どういうのがいいかしらって思って」

 そういえばブランドや大まかな様式は指定したがカラーバリエーションのことを忘れていた。

「私は何でも………」

 支給される側なのだからわがままを言ってはいけない。黒や茶色などで全然構わない。そう付け加えるとルーシィがつまらないとばかりに唇を尖らせた。

「自分が好きな物の方がテンションあがるじゃない!」

 言われてみれば確かに汚れが付着しないものならピンクや白の小物の方が嬉しいかもしれない。

 ルーシィの言うことも一理ある。気を張り詰めてばかりの道中になることも予測される。少しは癒しというものも必要になるだろう。

 なにより、眩しい笑顔で誘惑されてしまったら負けるしかない。

「そう、ですね」

 リタが頷くとルーシィは待ってましたとばかりにカタログを広げていく。あっという間に机の上が鮮やかになった。

 迷う時間もなかなか楽しいもので。あれやこれやと選んでいる間に日は傾き面会時間を大幅に過ぎてしまった。

「出立はいつになるの?」

「はっきりとはまだしていないみたいで」

 同行者の準備が整い次第、出立になるとは聞いている。明確にいつとはっきりしている訳では無いらしい。

 彼の場合、黙っていなくなりそうだなとリタは思っていた。それが一抹の不安だ。許可さえ出れば追いかけるつもりだが。

「そう」

 そう呟いてリタの手に触れるルーシィの金色はどこか寂しそうだった。

 ルーシィにもたくさん優しくしてもらった。お礼も出来ないまま遠くに行かなければならないのは気がかりだ。

「じゃあ手渡しの時でも」

 微かに塩っぽい空気が、日差しを受けて黄金に色づく。

「ハグしてもいいかしら!」

 はて、とリタは目を瞬かせた。そういえば最初にエルダーに踏み入れた時も抱きつかれたことを思い出す。真剣な眼差しのルーシィに気圧されて反応が遅れたが、拒否する理由は持ち合わせていない。

「時間に余裕があれば……」

 そう答えると金の瞳がきらきらと輝いた。普段はきりりとしたアパレルショップの店主なのだが、時折子供っぽさが垣間見える。そこが彼女の魅力でもあるのだろう。

 姉がいたらこんな感じだったのかもしれない。想像するもしもは案外楽しそうだった。

「それじゃあ、またね」

 そう言いながらルーシィは思いっきり手を振り仰いだ。

 二度目がある。もしかするとそれ以降も。

 それはとても、とても素敵なことだと感じる。

「はい、また」

 自然と緩んだ頬もそのままにリタも片手を振って答えた。

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