第16話 思い出は潮風と共に
鮮明に覚えているのは六つか七つかの頃の記憶からだ。弟のカイと妹のナチの二人と一緒に外から帰ってくると、母親と末の弟のオルカが静かに横たわっていた。二人の体は冷たく、息すらしていなかった。
「にいちゃん、どうしよう……」
特有の紫の腫瘍に覆われた母の体と、小さな弟の遺体。
先に感染したのはオルカだった。免疫力のない赤子では病の進行も早く、母が付きっきりで看病をしていた。だが、母も疲労が溜まっていたのか、あっという間にオルカと同じように紫斑を体に浮かべて息絶えた。
家にしていたあばら家を後にして弟妹たちと共に新たな家を探しに行く。この病は伝染るのだ。抵抗力のない弟妹が長くいると感染してしまうかもしれない。
「行くぞ」
「うん……」
項垂れるカイと対象的なのはナチだった。今年四歳になるナチには死というものは難しかったのだろう。
「ナチ、どこ行きたい?」
「おしゃかなたべたい!」
「そうか」
弟と妹を連れて各地を点々とした。
最初は兄妹三人身を寄せあってそれなりに上手くやれていた。だが道中出会ったやけに優しい大人にカイが懐いてしまった。
「兄ちゃんも行こうよ! ナチも一緒にさ」
何度目かも分からない誘いだった。だが、カイが言ういい人たちの目がどうにも信用出来なかった。特に彼らがナチに向ける視線だ。母親に似て整った顔立ちのナチは幼さも手伝って目を引く。そんな大人たちについて行ったところでその先などたかが知れている。何度も説明したのにカイはいつも途中で席を外してしまうのだ。
「いい加減にしろ! どうせゴミみたいに扱われるだけだ」
何度目ともしれない言葉をカイに叩きつける。だが、それで折れてくれないことも知っていた。
「あの人たちはそんなことしねぇもん!」
強く否定するカイの声は湿っていた。泣きたいのは自分も同じだ。
「じゃあなんでこんなガキ見返りもないのに助けてんだ?」
少しきつく言いすぎたのかカイが押し黙ってしまう。言いすぎたと謝ろうとした時だった。
「なんだよ!」
一際大きくカイが叫んだ。
「本当の兄ちゃんじゃないくせに威張んなよ!」
母親は体を売って金を稼いでいた。
カイは母親の二番目の恋人の連れ子だった。その二年後にナチが生まれた。二番目の父親は犯罪まがいの行動をしていたらしく、逮捕されて呆気なく姿を消した。
その次の恋人との間に生まれたのがオルカだった。だが、三番目の恋人は漁師で運悪く嵐に巻き込まれて帰らぬ人となった。
カイだけが血の繋がった兄弟ではなかった。それでも大事に思っていたのは自分だけだったのか。
「お前らなんか知るか!」
「カイ!」
亀裂自体はもともとあったのだろう。
だが、ついに決定的なまでに切り裂かれてしまった。
「カイにぃちゃんどうしたの?」
二人とも大きな声で話していればうるさいのも当然だった。ナチが目を擦りながら起きてくる。
「遠くに、出かけてくるってさ」
言葉を悩んで選んだ結果、そう言うしかなかった。
お兄ちゃんで妹を守らなければならなかったから、その後追いかけることはしなかった。酷い喧嘩別れになってしまって意地になっていたのかもしれない。その後、カイが帰ってくることは無かった。
海沿いの集落ということもあって釣りで食料は何とかなったし、漁師の仕事を手伝うと日銭が貰えた。
なんとか食いつないでいた矢先に妹が熱を出した。前日、遊んでいた時に怪我をしたと言っていた場所が腫れ上がっている。やっとの思いで医者に駆け込むと妹の体を綺麗にして貰えた。お礼を言うと、これ以上してやれることは無いと医者は悔しげだった。
「お兄ちゃん」
熱に浮かされた荒い呼吸でナチが手を伸ばす。掴んだその手はとても熱かった。
「ナチ、ごめんな。俺のせいで……」
聞こえているのかいないのか、ナチはくすくすと笑う。
「お兄ちゃんの手つめたい」
ナチはそう言うと、もう片方の手で包み込むように手を握った。
「ナチがあっためてあげる」
自分も苦しいはずなのに、それでもナチが笑顔を絶やすことは無い。
「ナチがさむいときお兄ちゃんおてて握ってくれたでしょ」
握った手から少しづつ力が抜けていく。一つたりともこぼすまいと両手でナチの手を握りこんだ。
「ナチ、それがすごくうれしかったんだぁ」
それが幼い妹の最後の言葉だった。まだほんの五歳だったのに。
生きる目的も無くなって呆然と木陰に蹲っていた時、いい身なりの軍人が目の前を通り過ぎた。
いい家に生まれていい服を着ていい飯を食ってそれを当然のように享受している。お前は老化が始まるまで生きていられたのに、どうして母は弟たちは妹は死ななければいけなかった。
考えないようにしていたものがぐるぐると頭の中を駆け回る。
持っていないなら持っているものから奪って何がいけないのだろう。
死角から飛び込み、腰に下がっていたポーチに手をかける。うまくいった、届いた、そう思った瞬間体が上に引き上げられた。
服を掴まれている。捕まったら殺される。宙を蹴って体を捩らせて足掻く。
「離せよ!」
懸命に暴れても自分を持ち上げる腕はビクともしなかった。
「元気いい坊主だな」
ヘーゼル色の瞳に見下ろされて体が強ばる。そうこうしていると同じ意匠の軍人がもう一人駆け寄ってきた。
「ゼノしょ……様、その少年が何か?」
「俺から盗みを働こうとしやがった」
会話のさなか、やっと地面に下ろされる。壁際に降ろされたせいで逃げ場がない。それでも抵抗を見せると若い方が腰の長剣に手をかける。
「子供だからと容赦は……」
その長剣が抜き放たれる前に頭に手が乗せられた。
「坊主、一人か?」
ゼノと呼ばれた軍人に頭を握られていた。その手に力を少し込めれば持ち上げることもできるし、全力で握れば頭蓋を砕かれる。
だが、暴力に屈しなくても屈しても死ぬのだ。ゼノを睨みつける目に力を込めた。
「母ちゃんや兄弟は?」
「んなもんいねぇよ!」
家族の顔が浮かび上がって遠くに消えた。
「母ちゃんは俺たち置いて死んだ」
軍人にこんなことを言ったら殺される。そんなことは分かっていた。でも、どうせ死ぬなら一矢、言の刃でいいから報いたかった。
「チビ共はみんな居なくなった」
このやり場のない怒りを、慟哭を、誰でもいいから受け止めて欲しかった。
「贅沢してる奴らから奪って何が悪い!」
肩で息をしていると頭を掴んでいた手が消えた。代わりに目の前に何かが突き出される。
「お前のとこにパンが一個ある」
「将軍なにを……」
突き出されたものは匂いからして食べ物のようだった。、ポケットから取り出された所を見るに携行食なのだろう。
「腹を空かせた小せぇガキもいる」
指差した先にはこちらを伺っている子供がいた。お腹をすかせているのか、携行食をじっと見つめている。
「どうする?」
静まったはずの怒りの炎が再び燃え上がった。試しているのだ。軍人の手から携行食を奪うと子供の方に放り投げる。
「弱っちいのは俺の食いかけで十分だ」
視界の隅で子供が携行食にがっついているのが見えた。ぱさぱさに乾いたクッキーなのに美味しそうに頬張っている。その姿がカイと重なった。
怒りのままにゼノの大層な装飾品を指さす。
「武器は俺が使う、その大層な服のボタンでも売れば金にはなんだろ?」
真剣に放った啖呵なのに返ってきたのは笑い声だった。
「お前いいやつだな!」
「いいやつで腹が膨れるか!」
再び腕が伸びてきた。つい手を前に出して防御の構えを取る。だが、その構えも虚しく、ゼノの小脇に抱えられた。
「はーなーせー!」
殴って噛んで蹴っているのに大樹の幹のような腕はビクともしない。
「膨れやしねぇな」
さっきまでとは違う、やけに静かな声音だった。そろそろと顔を上げると痛みをこらえるような表情をしているように見えた。一瞬だけ。
「腹いっぱいメシ食いたくねぇか?」
太陽でも飼っている様な笑顔だった。頷きそうになって立ち止まる。
その甘い言葉には覚えがあった。カイを連れていった大人たちが言っていた言葉だ。
「人さらいはそうやってガキ連れて行くんだ」
抵抗するのをやめた。疲れた。
手足から力を抜くのと同時にぷちと何かが切れる音がした。
「前金だ」
目の前に出されたのは純金で出来たボタンだった。胸ポケットの装飾として付いていたものをちぎったらしい。
「俺が信用出来ないってんなら逃げた後でそれを売ればいい」
受け取ったら連れていかれるのだろう。少し迷って手を伸ばす。
それを確認したゼノが笑みを深くした。
「名前は?」
そういえば、久しく名前で呼ばれないものだから忘れてしまっていた。懸命に思い出そうと記憶の糸を手繰るがどれもこれも名前で呼ばれていない。
「………ニィチャン」
聞こえないように言ったつもりだったのにそうもいかなかったらしい。一際大きな笑い声が轟いた。
「んだよ!」
ひとしきり笑って落ち着いたのか涙を拭いながらゼノは腕を緩めた。
「じゃあエン」
代わりに手が差し出される。
「お前は今日からエンだ」
光を見た気がした。
エンの漆黒の瞳がその光を受けて輝く。
握った手は暖かかった。
「連れて帰られるのですか?」
「おう、育てる」
驚いたのは年若い軍人だけではなかった。エンが音もなく驚いた顔になる。
「宙船に連れて行けるとは……」
「じゃあ俺乗らねぇ!」
「将軍!?」
それからゼノは軍をやめて一般人になった。退職金から機材一式を購入するとエイジェンの港で記憶屋の傍らエンに教育を施した。
覚えの早かったエンはあっという間に基礎の履修を終わらせ、記憶屋としての勉強に励んだ。二十歳を数える頃には記憶屋業はほとんどエンが店先に立つようになっていた。
「お前上手いな」
客から売り込まれた記憶をマニュアルに乗っ取ってモザイク処理をかけていく。黙々と処理が施されていく画面を見ながらゼノが呟いた。
「じいちゃんが下手くそなんだろ」
ゼノは海沿いの街で主に任務にあたっていたせいか、いい意味でおおらかで豪快。歯に衣着せぬなら、細かいことを考えるのが苦手で雑な性格だった。
「いっつも説明書読まねぇよな」
新しいものを買ってきては何となくで組み立てて大事なパーツを余らせることや不思議なオブジェになってしまうことも多々あった。流石に精密機器を扱う時はその限りでは無いが、説明書を見ながらの作業はエンから見ると冷や汗ものだ。
この間だって、と文句を垂れ流すエンを見つめる眼差しは優しい。
「エン、じいちゃんの秘密聞いてくれるか?」
可能な限り真剣な声色を作ってエンに語りかける。
「育毛剤の請求額か?」
通じなかったが。
「それは墓まで持ってけ」
「わかった」
どうしてこんな風にひねくれて育ったのだろう、そう頭を抱えているとエンが椅子ごと振り返った気配がした。
エンが神妙な面持ちで次の句を待っている。しっかり者に育ったものだ。
ゼノは眦を緩めると昔話でもするように話し始めた。
「実はな………」
そしてエンは楽園のことを聞いた。守るために道程の記憶を受け継いで欲しい。その願いをエンは受けた。
それから快活だったゼノは着々と弱っていった。まるで心残りが無くなったように。
願いを聞かなければ生きていてくれただろうか。ぼんやりとそんなことを考えながらエンはベッドに倒れ込む。
虎賂会に指定された場所にエンは一人で赴いた。
リタが帰ってくると踏んでいた迎えの者たちは驚いた顔をしていたが、楽園への行き方を教えると言うとあっさり連行した。その後、待機していろとこの部屋に通された。
集合住宅の一部屋のような場所だった。違いと言えば窓という窓に鉄格子がはめられているくらいだろうか。一日一度、レーションがポストに放り込まれるため空腹感はあまり感じない。それが三度続いた日の夕方だ。
来客が訪れたのは。
「せっかくじいちゃんの夢見てたってのに」
そう悪態をつくと引きつったような笑い声が返ってきた。
「それは悪かったな」
趣味の悪いシャツにサングラス。オールバックに整えられた髪は黒の混じる金。若草色の瞳だけは笑っていない。
「初めましてテジンさん?」
「初めまして、エン殿」
二人を取り巻く空気は酷く凍てついていた。
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