第15話 祭の狼煙

 ベッドから身を起こしたリタは自分の体を見下ろして手を開閉させた。床に下りて軽く飛び跳ねる。この一ヶ月で少し鈍っているような感覚があるが概ね好調だ。

 あれだけ冷えきった心がこれだけ息を吹き返すなんて思いもしなかった。取り戻した記憶を抱いて天井を見上げる。

 不思議と虎賂会あの場所に帰りたいという気持ちは浮かばなかった。

 近づいてくる気配と足音に気づいてリタは扉に視線を向ける。

「リタちゃん、起きた?」

「ペトロさん」

 足音からエンではないと分かってはいた。だが、まさか彼がここにいるとは思わなかった。

 気配を探っても豊来の中に気配は二つだけ。リタとペトロでおしまいだ。エンはどこに行ったのだろうか。

「あの、エンお兄さんは……」

 リタがそう口にした瞬間、ペトロの気配が剣を帯びた。濃緑の瞳は冷ややかにリタを見つめている。

「それなんだけど、まず聞きたいことがあるんだ」

 一拍遅れて思い至った。娼館に売られる途中で人を殺した。アタッシュケースの中を調べるためにペトロを呼ぶとエンが言っていたのを思い出す。そこまで調べられてシラを切り通すほどリタも演技派ではない。

 何よりこの街で出会った優しい人たちに嘘はつきたくなかった。

「君は誰なのかな?」

 断頭台へ登る罪人の気持ちとはこんなものだろうか。リタはぼんやりとそんな感想を抱いた。

 一つずつ噛み締めるように言葉を紡ぐ。

「私は、虎賂会のボスのそばに置かれてました」

 普通、幹部は専門の仕事と部下が与えられていた。だが、リタに部下はいない。幹部の中でたった一人、テジンが側に置くためにその席に座らせた娘。

「その時の名前はジルヴィア」

 そういえば自分から名乗ることはなかったなとリタは思い起こした。それで何が変わる訳でもないが。

「暗殺姫ジルヴィア、です」

 視線がかち合う。張り詰めた沈黙の中で時計の秒針が一周した。二週目にさしかかろうとしたところでペトロが口火を切る。

「関係者が持ってきたらしいカバンの中は調べさせて貰ったよ」

 その全てが持ち主がリタであることを如実に物語っていた。

 リタはロストチャイルドでは無い。急激なストレスに晒された中で自分を守るために一定期間の記憶を封じた。もちろんリタとて望んで詐称した訳では無いし、エンもそれとなく気づいていただろう。

 けれど、思い出してしまった以上、甘えるのはおしまいだ。

「両親も、私が殺しました」

 ここエイジェンでも殺人は罪になる。命じられたとはいえ、望んでいなかったとはいえ、自分が生きるために他者の命を奪ったことは事実だ。ペトロの双眸を捉えたままリタは一歩前に出た。

「どんな罰でも受けるつもりです」

 気迫に押されたのかペトロの体が僅かに仰け反る。構わずにリタは続けた。

「でも、エンお兄さんにお礼だけでも」

 両親の元に帰りたいという願いが打ち砕かれた以上、虎賂会に立てる義理はない。捜査協力でも情報提供でも何でもしよう。だが、エンに意図したことではないとはいえ騙し討ちになってしまった謝罪と、置いてくれたお礼がしたい。

「エンは……」

 澄み切ったリタの瞳に悪意は無い。記憶を取り戻したであろうリタと対峙することが本当は少し不安だった。だが、杞憂だったことへの安堵と罪悪感でペトロの瞳が瞼の裏に隠れる。

「俺がここに着いた時にはエンはいなかった」

 そう言ってペトロは一つの便箋を取り出した。視線を向けたリタの表情が驚愕に彩られる。

「あったのはこの手紙だけ」

「それは……!」

 リタが悲鳴じみた声を上げた理由は便箋を留める封蝋にあった。刻まれたスタンプはドクロを踏んで空に吠える虎のエンブレム。差出人が虎賂会であることを示す便箋だ。中身の確認は既に終わっていたようでペトロはリタにそれを渡す。

 わざわざ豊来に足を運んだテジン。姿の見えないエン。虎賂会の便箋。

 鼓動の音がうるさい。変な汗が滲む。

 中に入っていたのは一枚の切れ端のような紙だった。エンの筆跡でこれだけ。

『リタのこと、頼んだ』

 リタの横顔がさぁと青ざめた。弾かれたように顔を上げるとペトロの腕を掴む。

「お願いします!お兄さんを助けに行かせてください!」

 虎賂会は味方にも敵にも容赦のない集団だ。命令違反したリタを追い詰めるためなら彼らはどんな手段でも使う。じわじわと相手にとっての大事なものを奪い、目のまでひねり潰して心を折る。そうやって再起不能にされた人間を何度も見てきた。

「その後ならどんな罰でも受けます!」

 虎賂会からの制裁を自分が受けるのは当然だ。十歳の頃から虎賂会にとって役に立つ道具になるよう育てられた。どれほど嫌がっても虎賂会に所属していた事実が消えるわけではない。

 人を殺した、誰かの大切な人を奪った自分が法で裁かれるのは当然だ。この手は汚れている。そのことを人知れず隠して洗い流して笑えるほどの厚顔の持ち合わせはない。

「だから!」

 刹那、轟音が轟いた。地面が揺れる。ぱらぱらと破片が落下する音がした。

 テジンが待つと言った期間は三日。机の上の時計は日付も表示できるものだが、それは三日目の日付を指し示している。 

「ぁ………」

 リタが崩折れるのとペトロが外に駆け出すのは同時だった。

「君はここにいなさい!」

 ペトロは領事局の職員だ。街の人の誘導や怪我人の保護を行うのが仕事である。

 では、この爆音は何故起きたものか。決まっている。リタがここにいるからだ。

「わたしの、せいだ…………」

 虎賂会は、テジンは、なんとしてもジルヴィア《リタ》を連れ戻す気なのだろう。嗜好として彼は自分の足で戻ってくることを望む男だった。リタの周囲を攻撃して孤立させ、戻らざるを得ない状況をつくる。その上で居場所はテジンの隣しかないと思い込ませたいのだろう。

 深い絶望の底で炎が燃え上がった。

 動きやすい服装に着替え店を出る。爆発が起きたことも、ペトロの許可が降りなかったことも仕方がない。とにかくテジンの元へ向かわなければ。そう、足を踏み出した刹那。

『紳士淑女の皆さん、こんにちは』

 全てのテレビからテジンの声がした。テレビ局か電波塔かは不明だが乗っ取られたのだろう。

『今日はとてもいい天気だ』

 何がいい天気だ、と内心で毒づく。テレビを一瞥してリタは瞠目した。

『初めまして、私は虎賂会のテジンと申します』

 にこやかに挨拶するテジンの隣。そこにはリタが会いたい人物が並んでいた。

『先だってご用意したプレゼントはお気に召したでしょうか』

 恭しく頭を下げる。その視線の先にはリタがいるような、あるいは違う人物がいるような、そんな気がする。

『私どもはこれより〝楽園〟へと旅立ちます』

 出かけた先で情報収集チームに怒鳴り散らしていたテジンのことを思い出す。そうだ、彼は楽園を手に入れたいと言っていた。禁書として消された物語に出てくる楽園。金銀財宝が眠る宝島。たどり着くことが出来ればこの世の全てが手に入る秘密の楽土。その場所をずっと探していた。

 たどり着いたことのある人間はほとんど宙船に乗っており、唯一地上に残っていた人間も数年前に死んだと聞いた。今更、見つかったとでも言うのだろうか。

『案内人は彼!』

 芝居がかった大仰な手振りでテジンはエンを示した。

『楽園を発見した部隊の一人・ゼノ・ユーストゥス将軍がご子息』

 エンが口角を釣り上げる。他者を見下すような下卑た三日月だった。

 それは違う。それは誰だ。

 全身の血が沸騰しているようだった。

『かの将軍の記憶を受け継ぎし青年。エン・ユーストゥス!』

『どうも』

 リタの殺気立った視線が彼らを射抜くことはなく、画面の向こうで話が進められる。

『折角なので皆さんにお見送り頂きたかったのですが、時間もなかったもので手荒な真似をしてしまい申し訳ありません』

 丁寧な言葉に反して挑発的な笑みは慇懃無礼という言葉が相応しい様な立ち振る舞いだ。

『この歓声を持って、我々は新たな地へと旅立ちます。どうぞ皆さんお元気で』

 大言壮語も甚だしいテジンの演説はそこで終わった。

 その間も笑みを絶やさなかったエンの姿を思い起こす。あの優しい人があんな下衆な連中と一緒にいて笑えるものか。

「あんなの、エンお兄さんじゃない」

 目の前で演説が行われていたならば迷いなく喉元に噛み付いていたであろう剣幕でリタが吐き捨てる。

「はっきりと断言するんだね」

 突如としてかけられた声は場違いなほどに呑気だった。

「どなた、ですか?」

 殺気を纏ったリタの視線をその人物は軽く受け流す。

「僕はフォルマ」

 そう名乗ったのは中性的な見た目の男性だった。粉塵舞い上がる喧騒の中で白く、ただ白くある美貌。絹糸のような銀髪を軽く掻きあげ無邪気に微笑む。

「エイジェンの街で一番偉い人だよ」

 エイジェンの港を統治し、導く領事局。その局長だとフォルマは名乗った。

 あまりに浮世離れした佇まいに、リタも呆然と立ちすくむ。

「暗殺姫ジルヴィア」

 そう、呼ばれるまでは。

 警戒体勢を取ると、フォルマの護衛が腰の銃に手をかけた。一触即発。きっかけが一つでもあれば戦闘が始まってしまうだろう。

 そんな緊迫感などまるでそよ風のように虹色の虹彩が瞼の下から現れた。

「リタ嬢とお呼びした方がいいのかな?」

 虎賂会でもその瞳の人物は有名だった。テジンも彼と繋がりを持とうとあの手この手を繰り出した。だが、彼を捉えることは出来ず派遣した人間も連絡が途絶えてしまった。執着心の強いテジンを諦めさせた人物。領事局局長フォルマ。

 テジンとも違う畏怖を纏う人間。

「来てくれるね?」

 抗いがたいその声音にリタは二の足を踏んだ。声をかけたタイミングから今すぐリタを逮捕する訳では無いのだろう。だが、こうしている間にもエンの身に危害が及ぶかもしれない。死んでしまうかもしれない。そんな恐怖がリタの足を地に縫い止める。

「君の大事な人に関わる話だよ」

 全てを見透かすような瞳だった。

「わかり、ました」

 そういえば、装備品は領事局の手元にあるのだった。エンを助け出すなら愛用の武器があった方が心強い。領事局長自らお出ましになった以上、この破壊活動にも何か裏があると考えた方がいいだろう。なら、やはりひとりで突出した行動を取るのは褒められた行為では無い。

 フォルマの背中を見つめていると彼が肩越しに振り返った。天使のような微笑みなのに底がしれない。

 背中を滑り落ちる汗の感触がやけに鮮明だった。


◆ ◆ ◆ ◆


 案内されたのは豪奢な応接室だった。

 悠々と足を組んでソファに腰掛けるフォルマがリタにも座るよう指示を出す。

「君にお願いがあるんだ」

 どうして一団のボスというのはこんなに威圧感があるのだろう。呑まれないように気を強く保つ。

「エンという青年の奪還」

 願ってもない〝お願い〟だった。

「分かりました」

 答えはすでに予測していようで、満足気にフォルマは頷いた。

「助かるよ」

 そばに控えていた護衛の一人がフォルマに大きな紙を手渡す。その紙を広げながらフォルマは言葉を続けた。

「でも一応説明はさせてもらうね」

 机の上に広げられたのはエイジェンの街の地図だった。第三層のいくつかにバツ印が記入されていた。いくつかは虎賂会傘下の組織の場所とダミー用のペーパーカンパニーが拠点を置く場所だ。

「虎賂会は楽園の遺産を使ってこの世界全部を自分のものにしようとしている」

 君なら知っていると思うけど、フォルマの瞳はそう言葉を補足した。

 無論、リタも大まかなことは知っている。

「自分たちなら正しく使えるということですか?」

 幾度となくテジンが口にしているのを聞いてきた。しかし正直リタにはピンと来ないものだしどうでもいい。そう思ってきたが、楽園のことでエンが人知れず苦しんできたのだらそうも言っていられない。

 リタの声音はやけに冴え渡っていた。フォルマはその視線を受け流して笑い飛ばす。

「使う気は無いよ」

 余裕のある態度から察するにリタの問は核心を突いていないらしい。

「だってムカつかないかい?」

 楽園がなければ我々は幸せになれない。そんな認識が蔓延っていることが気に入らないとフォルマは語った。声色には怒りが僅かに滲む。

「だから隠す」

 誰の手にも渡してはならない。自分のものだと主張してはいけない。足を踏み入れてはいけない。何者かが楽園に手を出そうというのならその手を即座に叩き落とす。そうやってフォルマ達領事局の上層部は楽園のことを隠してきたらしい。

「将軍の理念がそうだったから」

 将軍、といわれてリタは目を瞬かせた。エンがじいちゃんと呼ぶものだから彼の人が将軍だなんて思ってもいなかったのだ。つくづく、何も知らなかったのだと思い知る。

「記憶を受け継ぐって言うのは……」

 テジンの言葉がどうにも気にかかっていたのだ。

「記憶屋と言っても取引は色々だよね」

 記憶の売買に関しては仕事を手伝うにあたりエンから簡単に教わった。

「鑑賞ではなく体験としての記憶」

 ゼノ将軍は楽園にたどり着き、生還を果たした部隊の一人らしい。その功績があれば宙船への永住権を手に入れられたのにただ一人ここに残った。

 楽園への道のりは数多の謎を解き、悪路を進まなければならない。艱難辛苦を極めたその道程の記憶は研究材料としても嗜好品としても希少だ。

「それをゼノ将軍からエン君は受け継いでる」

 つまり、この地上で楽園への行き方を知っているのはエンだけということになる。豊来が優良店になっているのは記憶屋としての信頼度もさることながら、楽園に魔の手を伸ばす連中からエンを守るためであったらしい。

 そんな店にたまたま訪れた少女がいた。本人は記憶がないと供述しており、店が身柄を預かることになった。だが、その少女は虎賂会の幹部に似た顔立ちをしていた。そしてその店に楽園について執拗に調べている虎賂会のボス・テジンが訪れた。なんと怪しいことか。この自体はリタが引き起こしたと言っても過言では無い。

 自分は最初から疑われていたのだ。

「君は、かつての仲間を殺せるかい?」

 フォルマの表情から笑みが消えた。

 リタも背筋を伸ばしてその問に答える。

「エンお兄さんを助けるためなら」

 責任を取るためにとか、悪の組織に制裁をとかそんな正義感はない。そんな資格もない。ただ、エンに面と向かってありがとうが言いたい。笑っていて欲しい。どうしようもなく自分勝手で子供じみた動機だ。

 リタの意志を汲み取ったのかフォルマは緩やかに淡い笑みを咲かせる。

「少し意地の悪い質問だったね」

「いえ……」

 不思議な程に虎賂会を裏切ることに罪悪感を感じない。こんな不義理な娘を重用するなんてボスは見る目がない。自嘲気味にリタは微笑んだ。

「成功した報酬に君は無罪放免ってことに」

 フォルマの提案に、リタは引き続き首を横に振った。

「結構です」

 自分の罪がエン一人を助けるだけで帳消しになってはいけない。そもそも自分の罪を雪ぐためにエンの救出を願い出たわけではないのだ。

「命令とはいえ人を殺しました。詳細全て覚えています」

 歯切れよくリタは言葉を続ける。

「エンお兄さんを助けた後でどんな処分でも」

 深々と頭を下げるリタに何を言っても無駄だ。そう悟ったのかフォルマは微苦笑を浮かべて肩を竦めた。

「分かった、そうしよう」

 一時的に武器を返すから必要ならドアの外の警備員に声をかけるといい、とはフォルマの言葉だ。

「ありがとうございます」

 張り詰めていたリタの空気が僅かに綻んだ。善は急げとばかりに地図を一瞥する。

 そのリタの視線は領事局がはずれと判断したところを見つめている。それに気づいたフォルマが疑問を口にした。

「心当たりはあるのかい?」

「いくつかあるので虱潰しにはなりますが……」

 単純な虎賂会の拠点だけなら幾百とあるがテジンの性格と、楽園に関する資料が整っている所となると限られてくる。だが、その場所のほとんどを領事局が把握していないことに驚いた。そうなるよう仕向けたテジンの采配にも、だが。

「お伝えはしますが一人で動いてもいいでしょうか」

「どうしてかな?」

 一緒に動けば戦術に幅が出る。だが、それが虎賂会にとって逆効果であることをリタはよく理解していた。そもそも第三層の端から奥はスラム街となっており、小競り合いで地形がよく変わる。さらに元々あった地下通路から好き勝手道が掘り進められ、枝別れして複雑になっている。そんな場所にゲリラ戦に慣れていない者たちを連れていく方が危険なのだ。少数精鋭が好ましい。

 それに、とリタ付け足した。

「帰って来いとテジンは言いました」

 テジンが尋常ではない感情を自分に向けていることは気がついていた。ならば、今のリタでもすぐに彼の懐に飛び込める。

「上手くいけば彼も捕えられるかもしれません」

 リタの言葉にフォルマの柳眉が跳ねた。虎賂会は何故急速に力をつけたのか、どこで楽園のことを知ったのか。それは本人に直接聞くしかないものの、捉えきれずにいた領事局からすれば願ってもないことだった。

「待つのは今から三十六時間だ」

 第三層のはずれに今から警告を出すらしい。三十六時間後以降残っているものは反社会的組織の一員として見つけ次第射殺する、と。

「その後は君も虎賂会の一員として捕縛する」

「それで構いません」

 一日以上も手をこまねいていようものなら虎賂会では無能としても処分されてもおかしくない。条件としては十分易しいと言えた。

 早速支度にかかるためリタはドアに手をかける。

「エン君のこと、好きになっちゃった?」

 ドアノブを握る手が微かに震えた。

 いじわるな人だなぁ。そう心の中で呟いて振り返る。

「大好きな人です」

 恥ずかしげもなくリタは微笑んだ。だが、その笑みはすぐに寂しげな色を帯びる。

「そして私なんかと関わっちゃいけない人です」

 リタと出会わなければエンは普通に暮らせたはずだ。楽園の記憶に関係なく、日々を穏やかに。

 巻き込んでしまった責任をリタは痛切に感じていた。

「だから、必ず連れ戻します」

「頼んだよ、リタさん」

 強く頷いてリタは応接室を後にした。

 近くにいた警備員に尋ねるとフォルマの言葉通り愛用の武具たちが手渡された。

 悲しい程に馴染む装備を見下ろしてリタは泣きそうな顔で微笑する。弱気な思考を追い出すように頬を叩いて気合いを入れ直した。

 通り道になる大きなホールでは怪我人の治療が行われていた。次々にやってくる怪我人を寝かせる場所の指示をしているのは見知った人物だ。

「ペトロさん!」

 緊迫感のあった表情がリタを見つけて綻ぶ。

「街の皆さんは……!」

 ペトロはリタの瞳を見定めるように覗き込んだ。

「軽い被害じゃないな」

 爆発が起きたのは取り壊しが決まったビルだった。爆破して倒壊させる予定だったそうだが、その場所のビルを爆破で倒壊させることを領事局は許可を出していない。誰かが許可がおりたと書類を持ってきたらしいが、その作業員は消えているし書類も偽物だった。そして、砂塵に混じって残った火薬はその会社では取り扱いすらしていない火力の高いものだったという。

「でも、君のせいじゃない」

 力強く否定するペトロの言葉が頼もしい。それはリタのことを気遣ってのことだろう。リタにとってはそれが嬉しくて、痛かった。

「ありがとうございます」

 でも、と続けながらリタは頭を上げる。

「やっぱり私のせいなんです」

 何か言おうと口を開いたペトロを遮ってリタはフードを被った。

「フォルマさんより正式にエンお兄さんの奪還を命じられました」

 ペトロの表情が何かを堪えるように歪む。

 初めて会った時のリタは不安そうな顔をした可愛らしい女の子だった。だが、目の前に立つリタは覚悟を決めた者の目をしている。

「なので、行ってきます」

 行かなくていいと引き止めそうな手を押しとどめてペトロは笑った。

「ちゃんと、二人で戻ってくるんだよ」

「はい!」

 踵を返してリタは走り出す。

 初めてリタは自分の意思で誰かのために走っている。それだけでこんなに足が軽くなるなんて、エンに出会う前の自分は想像すらしなかっただろう。

 覚悟を改め、第三層の奥へ駆け出していく。

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