許されざる罪人なのは

第14話 ジルヴィア

 

 目を開けるとベッドと椅子だけの狭くて簡素な部屋が目の前に広がっていた。

「パパ、ママ……?」

 両親を呼ぶが返答がない。半球のカメラだけが声に応じて機械音をあげた。

 部屋の中を見渡すとベッドのそばの椅子には服とメモが置いてあった。

『この服を着て部屋を出なさい』

 着ている服を脱いで椅子の上の服に着替える。通気性のいいハーフパンツと黒いシャツだった。胸元のポケットには三本の線が引かれている。

 おそるおそる部屋を出ると、目の前の廊下には同じくらいの歳の子供たちが同じ方向に向かって歩いていた。驚いたことと言えば同じ黒いシャツの子供もいれば赤や青、紫や黄色といった色のシャツを着ている子供もいることだ。時々視線を向けてくるが声を掛けられることはない。狼狽えていると子供たちに混じって大人も歩いていることに気がついた。黒いスーツの男は目が合うと顎で正面を指す。

「着いてこい」

 流れに加われということらしい。

 途中で廊下の景色が変わった。互い違いの等間隔で扉が並んでいるのだ。

「服の色とポケットのラインが同じ部屋に入れ」

 異様な空気に皆呑まれているのか、私語を口にすることなく粛々と指示に従う。黒の三本を示す扉を見つけて入る。入ってすぐの所にはやはりスーツの男が立っていた。

「席につけ」

 学校のように机がひしめき合っていた。数は三十ほど。その席まばらに子供たちが座っている。目が合うと直ぐに逸らされることもあれば、冷ややかな視線を投げつけられたり、同情じみた笑みを向けてくる子供もいた。いたたまれないまま机の合間を縫って奥の椅子に座る。

 空いている席を片手で数えられるようになるころだった。

「こんにちはー!」

 場違いなほど明るい声で入ってきたのはピエロの格好をした男だった。ピエロ特有の奇抜なメイクと衣装で年齢や体格が分からない。何より黒い服の子供たちとカラフルな衣装のピエロとではピエロの男の方が場違いなように感じる。

「返事が聞こえないなぁ」

 それは地の底から響くような声音だった。片手を地面に平行になるよう持ち上げると黒板に叩きつける。轟音と共に壁には大きなヒビが入っていた。

 言うことをきかないと殺される。子供たちの皆が本能的にそう察知する。

「こんにちはー」

「こんにちは!」

 悲鳴のような挨拶であったが、満足する声量であればいいらしい。ピエロは満面の笑みで両手をポンとたたいた。

「いいお返事ですね」

 格好にさえ目を瞑れば学校の先生のようだなと何となく思った。

「さて、皆さんにはこれからお勉強を頑張ってもらいます」

「なんのお勉強ですか?」

 ピエロの瞳がギラリと輝いた気がする。黒板に銀色のフックを貼り付けると、どこから出したのか拳銃やナイフ、長剣などを飾っていく。

「かっこいい!」

 男子は目を輝かせ、女子はごく一部を除いて恐怖に慄いた。

「これを使えるようになってもらいます」

 見たこともない武器に皆が色めき立つ。そんなことよりも聞きたいことがあった。恐る恐る手を上げる。

「おや、どうしましたか?」

 恐怖を押し殺して声を絞り出す。

「いつ、おうちに帰れますか?」

 ピエロは顎に指をあててわざとらしく考え込んだ。そして笑顔を作り直して口を開く。

「皆さんが一生懸命頑張ればかえれますよぉ」

 その言葉を当時は信じきってしまった。いい成績を残せばここを卒業できて両親の元へ帰れると。



 


 授業が始まってから半年ほどの月日が過ぎた。学校の延長戦のような授業の合間に銃器の使い方などの授業。時折実践訓練などのメニューが入り、容赦なく転がされては体に生傷が絶えることはなかった。

 努力の甲斐あってリタは教室の中でも一位二位を争うほど優秀な生徒になっていた。

 チャイムとともにピエロの教師が箱を持って入ってきた。普段から道化のような振る舞いをしているが、今日は一段と磨きがかかっている。

「では、クジで二人一組になってくださぁい」

 箱の中には折りたたまれた紙が入っていた。中を開くとアルファベットのでJとだけ書かれている。どうやら同じアルファベットの生徒を探すらしい。

「わ、リタちゃんだ!」

「モニカちゃん」

 モニカという少女は高いところで結われた二つ結びの髪型が印象的な少女だった。成績は思わしくないがコミュニケーション能力が高く教室の中でもムードメーカー的な存在だ。

「何やるんだろうね」

 モニカが不安そうに呟く。元気づけようとリタはその手を握った。

「さぁ、でも頑張ろうね」

「うん!」

 アルファベットごとに名前を呼ばれ部屋に通される。そこは四方に武器の並んだ物々しい部屋だった。

 二人が入室してドアが閉まると部屋の明るさが増してよく見えるようになる。

 二人の正面では透明な壁の向こうで白衣の大人たちが座っていた。扉が開き、弾んだ足取りでピエロが入ってきたかと思えば真ん中の席を陣取る。

「では、殺しあってください」

 仲良く遊んでくださいと聞き間違えたのかと思った。

 呆然と立ち尽くすリタとは対極的に、モニカは壁に向かって歩き出した。物音に気づいたリタが視線を滑らせるのと、モニカが拳銃のセーフティーを外すのはほとんど同時だった。

「モニカちゃん?」

「ごめんね、リタちゃん」

 銃口が震えていた。

「私、死にたくない……!」

 銃声が轟いた。弾道はリタのすぐそばを通り抜けて壁に埋まる。遅れて、頬にじわりと血が滲む。

 モニカの目は本気だった。

 銃口と指先を注視しながらモニカの銃撃を紙一重、間一髪でかわし一番得意なナイフへとたどり着く。

 二本手に握って構える。

 リタの目が勝機に輝いた。それは自分の負けを意味するのだと、モニカは焦りを露わにする。まだ弾の残る拳銃をリタの方へ投げた。手近な銃やナイフを手当たり次第に投げる。その手が拳大の流線型を握った。

「死ねぇえ!」

 手榴弾が爆発してしまえばリタだけでなくモニカの身も危ない。咄嗟に駆け出しモニカの手から手榴弾をたたき落とす。

 体に染み込んだ戦闘術が仇になった。

 焦りきっていたのか、リタの体は授業で習った型をなぞっていた。普段は木刀で訓練していた。リタの動きすら予測して、指導する側も対応をしてきた。

 だが、二人はまだほんの子供だった。

 リタのナイフの切っ先はモニカの首を捉え、鋭く切り裂いた。

「えっ?」

 ごぽりとモニカが口から血を吐いて倒れ込む。

 彼女が立ち上がることは二度と無かった。

 赤い花が咲いた。

「よく出来ましたー」

 鈍器で殴られたような衝撃が頭を襲う。ナイフが音をたてて床に転がる。膝をつくと、ぱしゃんと水溜まりを踏んだ時のような音がした。

「モニカちゃん?」

 呆然と呟くと乱暴に腕を引き上げられた。

「八二番、出ろ」

 それはリタに割り振られた番号だった。生徒たちの間では互いに名前を呼びあっていたが、大人たちは常に番号で呼んでいたことを思い出す。

 半ば引きずられるようにしてリタは教室に戻された。教室に座っている生徒たちはほぼ全員が返り血を浴びていた。怪我をしたのか頭や手足に包帯が巻かれている生徒もいる。

 皆が唇を引き結んで怯えていた。思い出したのだ。死という恐怖を。

 リタも同じように俯いていると、廊下から聞き覚えのある鼻歌が近づいてきた。ピエロは上機嫌のまま教卓に手をつく。

「今ここにいる皆さんは合格です」

 教室に残っているのは半分にも満たなかった。だが、そんなことは気にもとめず道化は笑った。

「これからも頑張りましょうね」

 きっとこの場に誰もいなくても笑うんだろうなと、リタはぼんやり思った。

 一体一の殺し合いは半年に一度のペースで行われた。その度にクラスが再編され、十五歳を迎える頃には教室は十人ほどの広々としたものになっていた。

 教育課程を終えたら虎狼会の暗殺部隊として使われるのだと誰かが言っているのを聞いた。至極、どうでもよかった。


 その日は特別な日だと告げるピエロがやけに楽しそうだったのを覚えている。

 全員が立たされ時計の規則的な時計の音だけが反響する。数人分の足音が教室の前で止まった。引き戸が乱暴に開け放たれのっそりと男が入ってくる。

 金髪に黒のメッシュが入った髪、翡翠の瞳。それがテジンだった。

 テジンは生徒の一人一人の眺め回していく。その目がリタの前に来て止まった。

「お前が八二番だな」

 返事の代わりに頭を垂れる。

「名前は?」

「ありません、どうぞお好きにお呼びください」

 リタの返答を聞くと、テジンが喉の奥で笑った。亜麻色の髪を鷲掴み、顔を上げさせる。

 痛みを顔に出さないようにリタは努めた。顔に出せばより訓練がきつくなる。対人でも下手に感情を表に出せばつけ込まれる。感情を無にすることがこの五年間でリタが身につけた処世術だった。

 テジンの目から視線を逸らさずに次の言葉を待つ。どれほどなじられても暴力を振るわれても「はい、そのとおりです」「ご指導ありがとうございました」そう言っておけば評価が悪くなることはない。

 冥い瞳をまじまじと眺めてテジンは手を離した。

「こいつぁいい」

 急に支えを奪われた体が傾く。体勢を整え何食わぬ顔で姿勢をただした。

「最低限は仕込んであるんだろ?」

「はい、その子はとっても優秀で」

 声をかけただけ、視線を向けただけでピエロは恋する乙女のように頬を赤らめた。

「あとは女としての武器を磨くくらいかと」

 ひっそりとリタは奥歯を噛み締めた。男子の露骨な視線やすれ違いざまの大人たちの言葉から、訓練の内容を多少は予測できる。

「じゃあもらってくぞ」

 テジンはリタの腕を掴んで引き寄せた。ピエロの目が見開かれる。

「よろしいのですか?」

 テジンは笑みを深くするとリタを連れて教室から出た。教室が立ち並ぶ廊下、子供たちの個室を通り過ぎて地上に向かう。

 腕が痺れ始めた頃、車の後部座席に詰め込まれた。その隣にテジンが座る。

「お前は今からジルヴィアだ」

「分かりました」

 リタに一瞥もくれずにテジンは言葉を続けた。

「俺が殺せと言ったやつは殺せ」

 当然だ。そのために、教育を施されたのだから。

「俺が死ねと言ったら死ね」

 命令に逆らう方が痛い目にあうことはこの五年間で身に染みている。

「少しでも命令に逆らったら殺す」

 どんな言葉を並べれば相手の機嫌を取れるかは叩き込まれていた。

「はい、この命どうぞお好きにお使いください」

 テジンの手がリタに伸びる。乱暴に顎を掴むと自分の方に引き寄せた。

「いい覚悟だ」

 しばらく能面のような表情かおを眺め回すと満足したように手を離す。リタが座り直す前に髪を掴まれた。

「髪は伸ばせ。許可なく切るな」

「はい」

 それから、テジンはリタを重用した。任務の指令は必ずリタを呼びつけて口頭で告げたし、任務が終了したのなら真っ先に自分の元に報告に来るよう厳命した。返り血を浴びたまま報告に訪れるリタの姿を満足そうに眺めて髪に触れるのが恒例だった。

 そんな日々が続いたのは三年ほど。いつの間にかリタは『暗殺姫ジルヴィア』と呼ばれることの方が多くなった。

 テジンに呼ばれたなら徹夜明けでも馳せ参じなければならない。疲労を化粧で誤魔化すといつものように頭を垂れて

「次のターゲットはコイツらだ」

 そばに仕えていた男が写真を二枚手渡す。リタの瞳が凍りついた。

「最近うちの周りを嗅ぎ回ってるらしくてな」

 写真に写っているのはこれまでずっと焦がれてきた両親だった。

「でき……」

「殺せないなら捕まえてこい」

 生きたままの連行は拷問にかけられることが決定している。

 虎賂会の拷問の残忍さはリタ自身、自分の目で何度も目にしている。それに誰がかけられるのか。あんな目に、両親があうのか。

 体温がどっと下がった気がした。

 テジンの瞳はいつもより鋭くギラついている。

「俺はどっちでもいい」

「日取りは」

 せめて引き伸ばせないかとほんの僅かな抵抗を見せる。普段見せない表情に心動かされたのか、テジンの口端がほんの少しだけつり上がった。

「次の満月の晩」

 今夜のことだった。

 逆らって逃げ惑って両親の元に駆けつけられたならどれだけいいだろうと思う。それでも、結局は逆らうことへの恐怖に抗えずにリタはテジンが手配した遠距離用ライフルを構えていた。

スコープ越しに両親の姿を見つめる。少し痩せただろうか、老け込んだだろうか。駆け寄ってその腕で泣けたならどれだけいいだろう。

 狙いがぶれる。呼吸が落ち着かない。

 ふと、耳元で無線が主張した。

「ヴィア」

 鼓膜を震わせたのはやけに甘ったるいテジンの声だった。

「見てるぞ」

 たったそれだけで無線は切断される。

「ごめんなさい………」

 最初に殺したモニカの顔が過ぎった。これまで手にかけてきた人達の顔が浮かんでは消える。最後に両親の姿が、浮かんだ。

 我に返るとスコープ越しに光を失った両親と目が合った。

 二脚架ごとライフルを払い飛ばす。

「ごめんなさい、でも楽に死ねたでしょ?」

 生きるために殺してきた。自分自身すら。それでも生きてきたのはいつか両親に会うためだったのに。

「ごめんなさい、死にたくなかったの」

 こんなことになるくらいなら、さいしょからこうしておけばよかったんだ。

 リタはベルトに下げたナイフを取り出す。

「私も、そっちに行くから」

 喉を突こうとしたその刃は届くことなく奪われた。

「っ、ぐ」

 監視役の存在を失念していた。組織内で恐れられる少女であっても、動きの覚束無いリタをねじ伏せるのは容易だっただろう。麻酔薬を打たれてリタは意識を手放した。

「お転婆な娘だなぁ。ちょっと反省してこい」

 ジンシの声がぼやける。

 瞬きひとつで景色は車の中に変化した。後方に流れる景色と揺れる車体からどこかへ移動中なのだろう。

「娼館なんてボスも優しいよなぁ」

「あんだけボスがそばに置いてたってことはさ」

「イイ体してるよなぁ、こいつ」

「少しお試ししようぜ」

 ああ、そうだった。そのあと男たちの油断を誘って沈黙させたんだった。

 そのあと逃げて、にげて、逃げて。

「なぁ」

 最後にたどり着いたのは記憶屋のひとつだった。簡単に騙されそうな青年が手を差し伸べてくれた。

「よく頑張ったな」

 その人は怪我の手当をしてくれて、毒の入ってないあったかくて美味しいご飯をくれた。両親の元に帰りたいなんて面倒なことを言ったのに世話をやいてくれた。〝普通〟を沢山くれた。

「リタ」

 優しい声で名前を呼んでくれた。

「エン、お兄さん………」

 目を開けると、頬に涙の線が出来ていた。

 重い体を持ち上げ、リタは豊来の自室で目を擦ったのだった。

 

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