第13話 守りたいもの
夜も更けてきた頃、物音が店舗の方向から聞こえた気がしてエンは顔を上げた。開け広げた扉を光源に音の発生源を探す。暖簾をくぐったエンの眼前ではアタッシュケースが大きく口を開けていた。
「リタ?」
アタッシュケースがひとりでに開くことなど本来ありえない。可能性があるとすればリタが何かしたのだろう。
カウンターまで踏み込んでようやく影に隠れていた素足が覗く。鼓動が跳ねた。
「おい! 何があった!」
リタに駆け寄り声をかける。応答こそないが呼吸音は規則的だ。ただうたた寝をしているのであればどれほど気が休まることだろう。
だが、とエンは顔を上げた。
大きくその顎を開いたケースの中には、およそリタに似つかわしくないものが詰め込まれている。今すぐにでもドブに捨ててやりたい衝動を堪えて、エンはリタの痩躯を抱き上げた。
◆ ◆ ◆
「寝ているだけ、ですね」
とは、その後すぐに呼び寄せた医者の言葉だった。今日は人が少ないからと病院から店まで足を運んでくれたのだ。
「いつ目覚めますか」
「私からは〝分からない〟としか」
何か臓器に異常をきたしたとかそういったことでは無いらしい。ただ泥のように眠っているだけとの見立てだった。
「そうですか」
一週間以上目が覚めないなら大きな病院への紹介状を書いてくれるそうだ。改めて謝礼をして見送る。
殺風景だった部屋には可愛らしい小物が置かれるようになっていた。小遣い代わりに渡していたバイト代で少しづつ集めていたのだろう。好きな色は淡いピンク。小さくてふわふわしたものが好きで、特にウサギの小物やロゴのものを手に取りがち。女の子らしく可愛くてキラキラしたものが好き。メレを磨く姿は真剣そのものでたまに寝食すら忘れる勢い。呼べばすぐに飛んでくるが、手元の全てをほっぽって来るものだから時々物を倒したり落としたりする。記憶がなくて不安だろうに、それをおくびにも出さず日々を前向きに過ごしている。責任感が強く、時々真っ直ぐすぎて心配になる。
だから、守ってやりたかったのに。
気がつくとリタのベッドのそばで眠りこけていた。固まってしまった肩や背骨をほぐす間も目を覚ます気配は無い。
「おはよう」
返事は無かった。
リタは朝が弱いから起きてくるかもしれない。そんな希望的観測の中で二人分の朝食を用意したが結局冷めきってしまった。
久しぶりに一人で開店の準備を整え鍵を開ける。ちょうど看板を整えていた時に馴染みのある金髪が顔を見せた。
「やぁ、おはよう」
「おう」
冴えないエンの表情に違和感を覚えたペトロが眉を顰める。
「何かあったのか?」
エンは無言で店内に入るよう促した。
エンがカウンター内の椅子に、ペトロが来客用のソファに座ったところで重い口を開く。
「リタが倒れた」
「容態は?」
「寝てるだけだと」
医者には既に見せたこと、とりあえず様子を見るしかできないことを説明する。
エンは気だるげに席を立つと奥からアタッシュケースを持ち出してくる。リタが開けたままにした状態から少し中のものを片付けて保管していたのだ。
ペトロの前に置くと向かいのソファに腰を下ろす。
「話は昨日したな?」
昨日の夜、リタが倒れる前だ。防犯カメラの映像と合わせて何者かがリタに接触しに来たこと、その際アタッシュケースを置いていったことをペトロにメールで伝えていた。
「中身がこれだ」
使用された形跡のある武器。武装からして一人分のそれらがアタッシュケースの中に詰め込まれていた。
「これを見て倒れた」
慎重に中身を見聞する。刺突用のナイフや拳銃はまだ可愛い方だった。ガントレットは明らかに特注品だし、底の方には麻痺毒や即効性・遅効性あわせて様々な薬品が詰まっている。
「これ、持っていってもいいか」
「頼む」
前もって準備をしていたのか白い手袋をはめ、領事局から持ってきたアタッシュケースに中身を詰め替える。持ち込まれた空のアタッシュケースには閉まり切らないようにプラスチックの薄い板がかまされた。
遅れてやってきた他の職員にそれらを手渡し、すべて領事局の預かりとなった。
「リタちゃん、早く起きたらいいな」
「そうだな」
去りかけたペトロの足が不意に止まった。何事かと黙って見つめていると、そういえばと続けながら肩越しに振り返る。
「ここ最近四層が静かなんだ」
四層の辺りでは抗争や密売などの事件に事欠かない。四層絡みの事件は休まる時がないほどなのだがめっきり減っているらしい。嵐の前の静けさというやつだろうと局内は張り詰めているのだそうだ。
「三日後、か」
リタが言っていた期限ももちろん報告してある。何が起きるかは分からない。また予定が早まってしまう場合もある。何が起きても不思議では無いのだ。
「一応、上層部が会議中だ」
事の重要性は把握しているのかペトロの面持ちも珍しく険しい。
「いざとなったら迎えに行く」
「悪い」
領事局が影で作成している要保護者名簿の中にはエンの名前もある。有事の際には領事局から要人警護を専門とした人間が送られてくるのだ。
「リタちゃんも保護対象にねじ込むから安心してくれ」
ペトロにそのような権限の有無は無い。だがそれでもこの男は無茶を通すのだろう。頼もしい笑顔は昔から変わらない。
「エン?」
駆け寄ろうとしたペトロを片手で制する。安心したような、泣きそうな不格好な笑みをエンは浮かべていた。
「助かる」
ペトロを見送ってエンはリタの容態を見に部屋を訪れた。悪夢でも見ているのか端正な面差しが苦悶に歪む。
「似合わねーだろ、そんな顔」
額に滲む汗を濡らしたタオルで拭ってはまた水につけて絞る。
だいぶ指先が冷えてしまったのか触れた先にあるリタの頬が熱い。触れられたことに気がついたのか、リタの眉根が僅かに跳ねて穏やかなものになる。
「リ――……」
「すまない、誰かいないか?」
昨日臨時休業にしてしまったから今日は開けないといけないのだった。
名残惜しいが気合いを入れて店に立つ。
「すんません」
客は高そうなスーツを着た男だった。今日の予約は午後からだから飛び入り客だ。
「ご用件は?」
「記憶の消去を頼むよ」
病院から診断書を渡された訳では無いが、どうにも寝覚めが悪いため消して欲しいのだという。目の下のくまが説得力を増していた。
「三日前の夜の記憶だけでいい」
抜き取った記憶は売買ではなくそのまま破棄して欲しいそうだ。
「分かりました」
カウンターの中から必要になる書類を取り出して客の前に広げる。
「では、こちらがご利用案内と……」
記憶の視聴とは異なり売買は客側にも店側にも利益不利益がある。説明する義務は無いが優良店の称号を領事局から得ている以上、ポリシーのようなものだ。
客の了承と署名を確認して奥の施術室へ案内する。記憶の削除は範囲が広ければ広いほど時間がかかるのだが、一晩の記憶だけならばそう時間はかからない。
「こちらが証明書と保証書です」
相当社会的地位が高いのか、記憶屋が発行する書類を真剣に眺めている。満足のいくものだったようで持ち上げられた表情がぱっと輝いた。
「ありがとう」
書類を鞄の中にしまいながら男は苦笑気味に話し始める。
「どうにも、嫌な夜の記憶でね。偉くなるのも考えものだ」
記憶屋の方で管理する書類には一三五歳と記入されていた。見た目よりずっと清と濁を併せ飲んで来たのだろう。そんな人物が不眠に苦しむ夜の記憶とは想像もしたくない。
「肩の荷が降りたよ、ありがとう」
「ご利用いただきありがとうございました」
帰っていく客の顔は来店時より晴れ晴れとしていた。こういう時は仕事のやりがいがある。
気丈に振舞っていたがエンも疲労が祟っていたのだろう。立ち上がろうとした際に指先が機械に触れた。入れっぱなしだった先程の客の記憶がディスプレイに再生されてしまう。
「あ、やべっ」
気づいた頃には映像がディスプレイに表示されてしまっていた。始まりは鏡の前で仮面の位置を確認する男だった。同行者と思しき声に急かされ浮かない顔で御手洗から出る。
たどり着いたのはパーティ会場だった。ウェルカムドリンクからシャンパンを選ぶと席に着く。
『紳士淑女の皆様、本日はようこそおいでくださいました』
突如写った男の顔に見覚えがあった。この男を見たことがある。昨日、防犯カメラの映像としてだ。
客の席は会場の後方に位置していた。円形のテーブル一つに四人、ときには五人ずつ腰掛け、手には各々飲み物を握っていた。だが、不思議なことにテーブルの上に食事の類は乗っていない。そして注目すべきは会場の人間たちの顔。全員仮面をつけているのだ。おそらく富豪たちの遊びの一環なのだろう。
すでに穏やかなパーティーとは言い難いがここであの男の顔が確認できたのは僥倖かもしれない。
『此度のショーはこちらです』
ステージには大きなスクリーンが設置されていた。映り込んでいるのは一人の女性。
屋外、ビルの屋上だろうか。彼女の背中に広がる星空が皮肉なほど美しい。ビル風に煽られて靡く髪は亜麻色。設置されているスナイパーライフルのスコープを覗き込んでいるため顔はわからない。だが、背格好はよく、似ている。
「リタ………?」
『この少女は私共自慢の狩人でございます』
司会役の男が喋り始めたため視線がそちらに誘導される。だが、視界の隅でスコープから離れた顔を見た。双子を疑いたくなるほど良く似ている。
『狙いはこの男女』
映し出されたのは会話をしながら街を歩く二人組。女性の方は赤毛で、男性の髪は亜麻色。なにか談笑しているのか亜麻色の髪の男が口角を釣り上げる。その形はリタのそれと同じだった。
『実はこの二人組は彼女の両親なのです』
視点がスクリーンと司会役を交互に行き交う。
画面の中で銃を構えるリタの動揺は度を越していた。当たり前だ。どんな経緯かは分からないが両親を殺せと命じられたのだから。狙いが定まらないのかなかなか指先がトリガーを引かない。痺れを切らした男が幕裏へ下がる。同じタイミングで画面の中のリタの顔色が変わったから恐らく何か囁いたのだろう。
しばらくして銃声が二回、轟いた。瞬間スクリーンに心臓と頭を撃ち抜かれた男女が映る。
会場は歓声に沸き立った。笑い声を上げる者もいれば高らかにグラスを掲げて飲み干す者もいた。
しばらくしてリタの方に設置されたカメラの映像が映し出された。リタは手元のナイフで自分を貫こうとしていた。どこからか現れた男たちが三人がかりでリタを押さえつける。それすら楽しそうに観客は眺めていた。
『さて、次は………』
記憶はもう少し続くようだったが見ていられなくて中断した。
「そりゃあ、無いわけだ」
リタは自分を守るために自分の記憶を消し去った。そして恐らく、誘拐されてからの八年間ごと自分を否定した。消したはずの記憶がアタッシュケースの中身をきっかけに蘇り、今なお彼女を苦しめている。
機器から取り出したメレを手の中で砕いた。色は価値の高い原色、狂気的嗜好を示す赤。
「虎賂会のテジン、か」
パーティ会場の客の言葉をしっかりと耳に刻んでいた。リタに両親を殺させた、怯えるリタに思い出すきっかけを与えた男の名。
噛み締めた唇の端から血の味が口内に滲む。不快感を顕にした表情のまま電話を握る。
『エン? どうした?』
「頼みがある」
電話の相手は情報屋のテオだった。訝しげな声に答えることも無くエンは最も欲しい情報を注文する。
「虎賂会のテジンに関する情報の全部。言い値で買うから寄越してくれ」
エンの声は静かだった。リタに襲いかかっていた暴漢への警告よりも低い、平坦な声。
『わかった』
テオの声音は強ばっていた。何があった、そう尋ねるテオの声は聞こえていなかったのか無慈悲に通話を終える。
それからテオが豊来を訪れたのはおよそ四時間後、太陽が傾き始めるころのことだった。
「なんだこっちから行ってよかったのに」
「急用かと思ってね」
テオはエンの養父であるゼノとは長い付き合いがあった。それを差し引いても記憶屋と情報屋の関係は切っても切れない。だからエンのことはまだ幼い頃から見ていた。だが、ここまで静かに怒るエンを見たのは初めてだった。
「サンキュ」
請求額を店の勘定用のレジから引き出して払う。普段のエンなら絶対にしない行為だ。
「エン」
怒気をはらませて呼んだというのにエンの漆黒は揺らぎすら見せない。
「うん?」
「変な気は起こすなよ」
一瞬、エンの瞳が泣き出す寸前のように揺れた。
「ごめんな、テオおじさん」
昔、エンの見た目とテオの見た目の年齢が並ぶ前までそう呼んでいた。
俯いた横顔が髪に隠れてしまって読み取れない。
「多分、無理だ」
それだけ言うとエンは資料を漁り始めた。もう何も言うことは無いとばかりに。
依頼を受けた、金も支払われた。だが、それで終わりにして帰るには後ろ髪を引かれるものがある。そして、はたと気付いた。リタの姿が見えないのだ。
「リタちゃんは……」
手元にあった資料を反射で握りしめる。その音で少し落ち着いたのかエンは長いため息をついた。
「寝てる」
「手伝えることがあったら言えよ」
「ん」
眉間を抑えながらエンは片手をひらつかせて返す。
言葉を続ける事が出来ない、そう覚ったテオは豊来を立ち去った。ショーウィンドウには憂いを湛えた横顔が写っている。
「ゼノさん、あいつのこと守ってやってくれるよな…………?」
ぽつりと零した言葉は誰に聞き止められるでもなく消えていった。
◇ ◇ ◇ ◇
テオから渡された資料はリタのものより少なかった。さすがはボス。情報操作にはそれなりに気を使っているらしい。ふと、とある一文にエンの目が止まった。テジンという男は楽園へ行きたがっているらしい。
彼が一番躍起になって求めている情報はエンの手の内にある。
我知らず笑い声が零れた。
リタが店を訪れることすら虎賂会の誘導に思えてならない。どこまで計算されいたのかあるいはよく客が口にする「運命」だとでもいうのだろうか。
「冗談じゃねぇよ」
顔を上げると当たりは既に暗くなっていた。閉店の準備を手早く済ませ、今日は全く見ることが出来なかった郵便受けを覗き込む。新聞の他に短冊形の電報が入っていた。
宛名は「ジルヴィアへ」となっている。
そんな人物に心当たりは無い。だが回収を依頼するには遅い時間だ。とりあえず中身を確認してみる。
『エン・ユーストゥスの記憶の全て、もしくは本人を連れてこの場所に来い。楽園に行くぞ、ヴィア』
今日目にした映像が頭をよぎる。テジンはリタのことをそう呼んでいた。防犯カメラの映像でも同じ形に動く唇を目にしている。
紫色の男との会話が脳裏を過ぎった。どうやら彼は独特な表現で自身の愛を示しているらしい。
「随分ご執心じゃないか」
テジンの目的は楽園への到達。地上でその道程を知るのは今となってはエンただ一人。
だがおそらく奴は楽園というものを勘違いしている。あの場所は理想郷なんかじゃない。むしろ、我々人間の業の終着点だ。楽園で眠る彼らの怒りを買えばどうなることか分かったものではない。
虚ろな足取りでエンはリタの部屋に足を踏み入れた。相変わらず顔色は良くないが声をかけても起きない程度には深い眠りの中にいる。
「全部、壊しちまうか。こんな世界」
リタの手に触れたのはほんの出来心だ。
握り返されることはついぞなかったけれど。
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