シスコンラーメンfrom豚骨

このしろ

第1話

 友達から、「お前、それシスコンじゃね?」と言われるまで、俺は大学を卒業する直前まで、妹に異性として好意を抱いていることに気が付かなかった。


「お兄様は今日も豚骨ですか?」

「うん? あ、ああそうだな」

 メニュー表を眺めながら、ぼんやり友達からの発言を頭の中で反芻していると、目の前で妹の紫陽花(あじさい)が楽しそうに聞いてきた。

「紫陽花はどうするんだ?」

 誤魔化すように俺も紫陽花に聞いてから、運ばれてきた水を飲んだ。

「私は醤油ですかね〜。明日は学校なので、あまり臭うのもダメですし、それにいつも豚骨なのでたまには」

「そうか。でも、遠慮はするなよ。お金ならたくさんあるからな」

「う、うん。ありがとうお兄様」

 なんの気なしにメニュー表をみると、確かに豚骨ラーメンの方が醤油ラーメンより、僅かだが値段が高い。このお店が豚骨で売れているというのもあるが、それでも俺から紫陽花をここに連れてきたのだから、遠慮はしないでほしい。

 と、考えていたら、気のせいだろうか。紫陽花が少しだけ頬を赤くしながら、

「お兄様は、わ、私なんかと一緒にお店に来ていてよろしいのですか?」

 言葉の意味が分からず「というと?」と首を傾げる。

「今年で大学も終わりなんですから、その、お友達様とかとご一緒に、こういった場所に来たり遊んだりしないのかと、少し気になって......」

「ああ、」

 別にこれまで友達と遊んでこなかったわけではない。たしかに就職して本格的に働き始めれば遊ぶ時間も学生生活の時より減って、会う時間も限られてくるだろうが、それは友達に限った話ではない。

「紫陽花とだって、当分は会えなくなるし、別にいいだろ」

「で、でも、お兄様もそろそろ私なんかと出歩いていれば、変な目で見られたりしませんか......?」

「妹と歩いていて、何かおかしなことでもあるのか?」

「い、いえ、そういうわけではなく......」

 紫陽花は一瞬躊躇った後に、

「私なんかの相手をしていて、お兄様は楽しいのかなと......」

「すいませーん、メニュー伺ってもよろしいですか?」

 いつ来たのか、店員がハンディを開いて隣で待っていた。

「......え、あぁ、はい。えーと、俺は豚骨の太麺で」

「私は醤油の細麺で」

 店員がキッチンへ向かったのを見て、水を飲み落ち着く。

「楽しいというか、お前だって大切な家族だしな。損得感情なんて一切ないよ」

「そ、そうですか」

「そうだ」

 瞳を細めて微笑む紫陽花を見て、俺も落ち着く。

 日頃の疲れだろうか。ここ最近、紫陽花を見ると妙に元気になれる気がする。それどころか、心の底から感じたことのない幸福感さえも湧いて出る。

「お兄様? どうかされました?」

「え、い、いや、なんでもない......」

 目があってしまい、慌てて厨房の方へと目を逸らす。

 以前ならこんな気まずい雰囲気にならなかったのだが......。

「そういうお前は、大学の方はどうなったんだ?」

 慌てて話を変えようとすると、なんたる速さだろうか。さっきと同じ店員が、器を二つテーブルへと持ってきた。

 もくもくと湯気がたち、香ばしい豚骨の匂いが鼻の奥まで突き抜ける。

 さっそく割り箸を割って、麺を啜り込む。

「私は推薦入学でしたから、皆さんより少し早く決まりました。今は大学から送られてきている課題に四苦八苦していますけどね」

「そうか」

 苦笑いする紫陽花にとりあえず安堵のため息をこぼす。

 俺が大学生になってからというもの、両親の元で暮らしている紫陽花とは別々に過ごしていた。

 たまにメールで近況報告を行なったりするが、家族間の細かな話はこうやって面と向かって話さない限り俺に知らされることはないので、紫陽花が大学の内定をもらったことは知っていても、それ以外はほとんど知らない状況だった。

 兄として、無事に妹の進路が決定したことにとりあえず一安心した。

「大学は? 遠いのか?」

「はい、北海道まで行きますから」

「ぶっ......! っ、ほ、北海道!?」

 思わずスープを噴き出す。

 俺が住んでいる所から実家までは、公共交通機関を使えばすぐに行ける距離なのだが、まさかそんな遠くの大学に行くことになるとは思ってもいなかった。

「な、何年行くんだ?」

「何年と言われましても、大学は基本4年間ですよ?」

「長期休みは帰ってくるのか?」

「うーん、遠いですから、そんな頻繁には帰って来れないかもしれません」

 俺は机に顔を突っ伏した。

「お、お兄様!? 大丈夫ですか!?」

 妹が遠くへ行ってしまう。

 ただそれだけ。

 それだけなのに、沸々と絶望感が湧き上がってきて、同時に怒りみたいなのも感じ始めていた。

 なぜそんな重要なことを教えてくれなかったのか。もっと実家から近い大学を選んだ方がいいのではなかったのか。

 紫陽花を遠くへ行かせないための屁理屈や口実が湧き上がって止まらない。

 そうこうしているうちに紫陽花は自分の容器をスープだけにして、完食していた。

 俺は食欲を無くし、目の前でただひたすら伸びていく太麺をじっ、と見つめていた。

「お、お兄様......。やっぱり今日は私が奢るよ......」

 気の抜けた俺の様子を見て、紫陽花が財布を取り出して苦笑いをする。

 次に妹と会った時には、妹のお腹に新しい命が宿っているなんてことも知らず、俺はただ豚骨ラーメンを食べ続けた。

 次に紫陽花と会ったのは、10年後である。

 

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