吸血鬼はシャッターを切る

 

 明け方、通学路を歩いていた富竹はうめく様な声を漏らした。

 それもこれも先日に見知ったばかりの顔が自身と同じ学校に通う女子に言い募って居るのが目に入ってきたからだ。

 

「頼む。ほら、悪用なんてしないからさ!」

 

 デジカメを右手に持ち、なんとか説得を試みようとしている彼は傍目から見れば何かを強要している様に見える。

 

「え、嫌なんだけど」

 

 声をかけられた女子高生は長い茶髪のミニスカート。スマートフォン依存にすら思えるほどに画面から目を離さない。レオという話しかけている人間がいると言うのに。

 

「てか、ナンパ? それなら興味ないし。あたしもう行くから」

「あ〜、頼む! 一枚! 一枚で良いから!」

「一枚も二枚もノーサンキュー。私、写真嫌いなの」

「……折角、記録に残るってのに?」

 

 レオからしてみれば勿体ないと思ってしまう事だ。彼は写真に写る事はない。これは文字通りに。だから、自らの写真は断る。だが、恐らく彼女は至って普通の人間だ。

 

「だから」

 

 語気を荒げて断った彼女はズカズカと歩いて行ってしまった。耳にはイヤホンを突っ込み音楽を再生させる。流れているのはここ最近有名になってきた女性バンド“KATARINA”の曲。

 

「やれやれ、振られちまったな。なあ、富竹くん」

 

 気がついていたのか、レオは富竹に視線を向けた。

 

「気が付いてたんですね」

「ん? ああ、ニオ……見えたからな」

 

 何を言いかけたのかは富竹にはよく分からなかった。

 

「いざとなったら間に入るつもりでしたよ」

「日本人っぽいな、ソレ」

 

 困っているなら助ける。

 おもてなしの心という物が垣間見える。レオは感心したのかウンウンと頷く。

 

「何言ってるんですか」

 

 しかし富竹は彼の感想を否定する。

 

「日本人は陰湿ですよ」

「……昨日のこと根に持ってたか」

「いや、事実ですし。いじめはありますし、他人には優しくないですし……」

 

 唾棄すべき邪悪を孕んだ人間、それが日本人である。

 

「なら、これは富竹が俺を個人的に扶けたって話な訳か。Thanks 富竹」

 

 彼の毒はまだ続いたかもしれないが、レオは打ち切った。

 

「……はあ、それで。昨日はどうしたんですか?」

 

 恥ずかしげに顔を背けながら富竹はレオに尋ねる。

 

「ああ、お前と別れた後にな厄介なオッサンに絡まれたんでそれを撒いて……んでラーメン食べてだな」

「そうですか。なんだかんだ楽しんだみたいですね、よかったです」

 

 知り合ったばかりではあるものの流石に不幸に見舞われては富竹としても思うところがある。

 

「良かったぜ、本当。それで富竹はこれからどうすんだ?」

 

 今度はレオからの質問だ。

 

「どうするって……」

 

 そりゃあ。

 言いながら富竹がポケットに入れているスマートフォンを取り出して時刻を確認する。

 

「学校……ですけど」

 

 顔は少しばかり青い。

 富竹の顔は不健康に見えるほどに白いが更に青さが加われば病的だ。

 

「学校かぁ。面白そうだな。もしかしてさっきの女にも会えるか?」

「走れば……間に合うか?」

 

 レオの質問に答えない。

 

「おーい、富竹。富竹くんよー」

 

 富竹はブツブツと考え込んでいる様でレオに対し思考を避けない。正直、こんな事を考えるよりも走り出した方が合理的ではあるのだ。

 

「まだ八時十五分」

 

 間に合う時間だ。

 クルリとレオに背中を向けて、タンタンと歩を進める。焦りはあるが汗だくになるのは流石に困る。

 

「おいおーい、富竹。そんなに慌てんなって」

「遅刻したら不味いんですよ!」

「日本人って遅刻に厳しいわけ?」

「遅刻したら信頼を失うんです」

 

 富竹の足はいつもより少しだけ早い。彼の隣をコートのポケットに手を突っ込んだまま平気な様子でレオが付いてくる。

 

「日本人は慌てん坊だな。サンタクロースもそんなに慌てないって」

 

 カラカラと笑うレオの冗句に富竹は反応を示さない。

 

「と言うか、レオさんはいつまで付いてくるんですか?」

 

 信号機に捕まり先を急ぐ富竹はカタカタと右足の爪先で地面を叩く。

 

「俺も学校見てみたいなー、と」

 

 単なる好奇心か。

 否定するつもりは無いが、一言だけ親切心からの忠告をする。

 

「学校は関係者以外入れませんよ」

 

 信号が青に変わる。

 

「マジか」

 

 入れるものだと思い込んでいたのかレオは突きつけられた現実に呆然と立ち止まってしまう。

 

「……んー、なら校舎の前まで!」

 

 横断歩道の白線にレオは一歩踏み込んだ。校舎の中には入れないが外までなら流石に問題はないはずだ。

 少しだけ見てみるだけだ。

 

「…………」

 

 富竹に断る理由はない。

 拒絶する権利もない。

 これは単にレオが学校に行きたいと言うだけの話で、富竹がどうこうと言う問題でもないのだから。

 

「はあ、はあ……間に、あった」

「良かったな、富竹」

 

 息も切れ切れの状態で高校の敷地内に入った富竹は少しだけ膝に手をつきながら息を整え、また歩き始め校舎の中に消えていく。

 レオは見送った後、校舎を眺め始める。

 

「これが……日本の学校ね」

 

 レオには学校に通った覚えがない。だからこそ憧れもある。中に入れなかったことは残念だが諦める以外に道はない。

 

「中はどんな感じなんかね」

 

 外観だけでは想像できない。

 多種多様な人間が箱の中で勉学に励む。認識としてはこんな物か。

 

「…………あんま風景写真とか撮らないしな」

 

 レオはプロというわけでもないが、慣れないものを撮ろうとすると言い訳をしてしまう。

 

「もうちょい別の場所も探してみるか」

 

 他の角度もあるかもしれない。

 レオはカメラを抱えながら歩き始めると、学校も始まったからか人の姿は周囲には見当たらない。

 朝でも静かになるのも当然か。

 

「──レオ・ド・ロベール」

 

 卿、と付けないあたりはテイラーの様な関係者ではないと当たりがつく。

 

「吸血鬼達の王子の貴様が何故、日本にいる」

 

 レオは顔を歪めた。

 

「……テイラー、ちゃんと説明しとけよ!」

 

 恨みがましそうにレオは呟くが彼を吹き飛ばし逃げたのは彼なのだから、責任は彼にも大いにある。

 

「まあ落ち着けよ。俺は旅の途中なだけ」

 

 害意はない。

 両手を上げて宥めるような態度を見せようとした瞬間に十字のような形をした先端が鋭く尖った剣をレオに向けて放つ。

 

「あっぶな!」

 

 レオは大きく後ろに飛ぶ。

 カメラを大切に抱えながら。

 

「カメラに傷付いたらどうすんだよ! 俺のライカM8!」

 

 傷がついてない事を確認して涙を流しそうになりながら撫で回した。

 

「貴様……!」

「騎士だか武士だか知らんけども、俺は旅を楽しんでるだけだ」

 

 撫で終わった後で愛着のあるカメラのシルバーの部分に息を吹きかける。

 

「とやかく言われる筋合いはねーぞ!」

 

 命を狙われるに足る理由もない。

 

「俺の姉は吸血鬼に殺された!」

「それは……災難に」

 

 レオはそっと目を伏せた。

 

「だからお前らが許せない! 何故! 何故! 人殺しのお前らがのうのうと生きている!」

 

 切り掛かる男の剣を危なげなく避け、レオはスニーカーの靴底で十字架を模した剣の腹を踏みつける。

 カメラを大切に抱えながら。

 

「お前の辛さには同情する……が、それはお門違いの怒りだ。お前らは日本人が人を殺したら日本人を恨むか? アメリカ人が人を殺したらアメリカ人を恨むのか? そうじゃないだろ? 罪人一人を憎むだけに留まるだろ。吸血鬼にだけ例外が通用するのは流石に……こう、思う所があるぞ?」

 

 プツン。

 

「黙、れぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 力任せに剣を振るいレオを落とそうとするが、突然に軽くなった剣に身体が追いつかない。

 

「……どうせ死ねないんだよな、それ」

 

 十字架、銀製、杭の様な形をした先端で心臓を貫く。

 吸血鬼の一般的な弱点とされている三つ。だが、それではレオは死ねない。彼は太陽の光の中でも生きている。

 ならば、受け容れる理由がない。

 

「俺は戦う気ないんだよ」

 

 だから殺すつもりもない。

 立ち向かってきた彼には吸血鬼を殺すという決意も、この戦いの中で殺されるという覚悟もあるかもしれない。だが、彼の全ての決意も覚悟も踏み躙ってレオは旅を続けるのだ。

 

「ん、悪くないかもな……風景写真も」

 

 学校の周りを覆う塀に立てかけた黒の修道服を着た男の姿が写らないように。

 

 レオはカシャリとシャッターを切った。

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カメラは彼を写さない ヘイ @Hei767

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