カメラは彼を写さない

ヘイ

旅人はカメラを構え

 カシャリと音が鳴った。

 

「笑えよ。撮り甲斐ないだろ」

 

 彼は首から下げたカメラを顔の前から下ろして溜息を吐きながらに言う。

 

「突然写真撮らせてくれなんて言われたって皆んなこんなもんだと思いますよ」

 

 黒髪の男子高校生は目の前にいる青年に呆れた様な顔を浮かべて答えた。

 

「日本人はおもてなしする様なモンだと思ったけど、お前らって存外陰湿だよな」

 

 仕方ないな、と言う様にカメラの電源を落とす。

 

「レオさんでしたっけ……?」

「そ、レオ・ド・ロベール。イギリス育ちの旅人ってやつだ」

 

 ワイシャツに黒いコート。頭髪は金色、白人の肌に青色の眼。見るからに異国人と言った風体だ。

 

「お前の名前は聞いてなかったな」

「……必要ですかね?」

「武士も騎士も名乗りは尊ぶだろ?」

「いつの時代ですか」

 

 これが人種による感覚のズレかと思いながら息を吐き出した。

 

「まあ、知ってるけど。中野なかの富竹とみたけくん」

「何で……!?」

 

 富竹は一度もレオに名乗った覚えはない。誰かに名前を呼ばれた様な記憶すらない。

 

「ほら、返すぜ」

 

 学生服の胸ポケットにストンと学生証を入れられる。

 

「手癖悪っ!」

 

 返されてから胸ポケットを押さえた所で意味はないのだが、心理的な問題だろう。

 

「イギリス育ちならもっと紳士的だと思ってましたよ!」

「ハッハッハ。盗られたことすら気づかない、これぞ紳士ってヤツだ」

 

 レオは自らの技術を誇った様に笑う。

 

「そう言う意味じゃないでしょ……」

 

 富竹がレオに向ける目には若干の怒りが籠められている。

 

「やや、悪かったな。まあ、許してくれよ富竹くん。もう一枚写真撮ってやるからさ」

「意味わかんないですし……はあ、もう良いですよ」

 

 実害は無さそうだ。

 これで逃げられでもしたなら、しばらく気が付かないという地獄を見たであろう。ただ、どうにもレオはパフォーマンスとしておこなった様な節が見える。

 

「と言うか、最初から意味分かんないですよ。写真撮って欲しいなら分かりますけど」

 

 写真を撮り悪用する様な、性質の悪い人間という訳ではないのだろう。

 

「……そっか? んー、ならこれからはもうちょい考えるか」

 

 反省、と言えるか。

 

「確認しますけど何処かで公開する訳じゃないですよね?」

「そりゃあな。俺は別に芸術家ってモンじゃないし、こんなのは趣味の一環だ」

 

 別に写真で食っていこうとは考えていないとレオは吐き捨てた。

 

「それで、自分の写真って撮らないんですか?」

 

 レオは考える素振りを見せずに「撮らない」と言う。

 

「俺、写真写り悪いんだよ」

 

 カラカラと笑うレオに何処となく違和感を覚えながらも、富竹はこれ以上追求する必要はないだろうと「そうですか」と形ばかりの納得を見せる。

 

「迷惑かけて悪かったな」

 

 レオは笑う。

 こんな顔をして、写真写りが悪いなどとあるものか。

 

「これからどうするんですか?」

「ん? 日本に来たんだからラーメンとか寿司とか食って巡るさ」

 

 食には期待してんだよ。

 レオはコートのポケットに手を突っ込み歩き始める。肩から掛けたボストンバックを揺らしながら夕暮れの中に彼の背は消えていく。

 

「少年、旅は孤独を埋めるんだ」

 

 茜に染まる空を見上げて、レオは呟く。この声は富竹には届いていない。

 

「良い出会いだった」

 

 この果てにきっと答えはない。

 然れども旅はレオに取って必要な事だ。生きる理由が分からなくなってしまうから。

 カメラに写った彼の写真を見て笑う。

 

「富竹……お前がもっと笑えることを祈ってるぜ。っし、ラーメン食いに行くか」

 

 再びカメラの電源を落として正面を向き、ぐっと背を伸ばして歩く。

 

「──レオ・ド・ロベール卿」

 

 太陽は没し、月が登り始める。

 赤を暗く染めていき、黒の世界が広がり始める。人は疎に、閑寂とした世界がやってくる。名前を呼ばれて面倒くさいと言った様子を隠しもせずにレオは振り返った。

 

「何だよ、これからラーメン屋行くってとこなのに」

「旅を止めるつもりは無いので?」

「ない」

 

 思考などせずにレオが答えた。

 

「てか、何回来ても同じだ。俺とお前らじゃ目的が合わない」

 

 決まりきっている。

 どれほどの権威も、どれほどの生活も、どれほどの贅沢も。堕落も、横暴も。きっと許される。

 それでは意味がないのだ。

 長い長い道の中で退屈に心を殺されてしまうなど、認めるわけにはいかない。

 

 カシャリ。

 

 シャッターが切られた。

 

「ほら、やっぱりだ」

 

 眉を顰め、カメラを見る。

 

「──

 

 燕尾服の老紳士は困った様な表情になる。

 

「また人間の玩具ですか」

「カメラだよ、カメラ。デジカメって奴だ」

 

 老紳士にはレオの趣味がわからない。

 

「そんな物で何になると言うのですか」

 

 これだから。

 レオは説明しても無駄だと考えて背中を向けて歩き始める。

 

「レオ卿」

 

 渋みのある寂しげな声が響く。

 空気を切り裂く様な音がして、凄まじい風が吹き荒れた。

 

「……テイラー、何のつもりだ」

 

 老夫、テイラー・ジョーンズの手刀をレオは軽々と右手の人差し指一本で受け止めた。

 

「流石でございます、レオ卿」

 

 やがてテイラーはゆっくりと右腕を下ろし、佇まいを正す。

 

「そう言うの嫌いなんだよ……」

 

 目的は分かっているが突然に襲い掛かられるなど気分の良い物ではない。

 

「だからこそ戻ってきていただきたい。貴方の望む物は全て用意いたします」

「それ。それが気に入らない。もう良いよ……話終わり。俺はラーメン食いにいくんだっての」

 

 ボストンバックを背負い直しレオは歩き始める。その後ろをテイラーが付いて来ようとしたのをレオは察知し。

 

「フン!」

 

 全力でテイラーの身体を蹴り飛ばす。

 

「ぐぅっ!!!」

 

 テイラーの身体は十メートルを吹き飛んだ場所でようやく止まる。顔を上げればレオの姿はなかった。

 

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